宇宙の謎に迫る
世界最先端の
“すごい実験”~究極の物の“中身”、素粒子を知る~素粒子物理学者・多田将 さん
茨城県東海村。太平洋を臨むこの小さな村に、高エネルギー加速器研究機構と日本原子力開発研究機構が共同運営する、世界最先端の大強度陽子加速施設、J-PARCはある。なかでも、日本に3度ノーベル賞をもたらした素粒子物理学の分野で、誰にもマネのできない“すごい実験”を行っているのが、ニュートリノ実験施設だ。
多田将さんは、この施設を設計した素粒子物理学者で、宇宙の謎に迫る壮大な実験を積み重ねている。
金髪に迷彩服姿という外見もさることながら、わかりやすい語り口で年間30回もの講演をこなしたり、実験施設をイチから設計するなど、その仕事ぶりも型破りだ。「好き嫌いでは生きてこなかったからでしょうね」——プロフェッショナルに徹する多田さんの人生哲学に迫った。取材・文:高松夕佳/写真:仲田絵美/編集:川村庸子
多田将さんは、この施設を設計した素粒子物理学者で、宇宙の謎に迫る壮大な実験を積み重ねている。
金髪に迷彩服姿という外見もさることながら、わかりやすい語り口で年間30回もの講演をこなしたり、実験施設をイチから設計するなど、その仕事ぶりも型破りだ。「好き嫌いでは生きてこなかったからでしょうね」——プロフェッショナルに徹する多田さんの人生哲学に迫った。取材・文:高松夕佳/写真:仲田絵美/編集:川村庸子
世紀の大発見を目指して
「素粒子物理学」というと、とてつもなく難しく感じてしまうのですが、そもそも「素粒子」って何ですか?
多田 素粒子とは、自然界に存在するものを分解していったときにこれ以上分割できない最も小さな粒子のことです。
自然界で最も大きなものは、宇宙です。人間が観測できる宇宙の大きさは、1,000,000,000,000,000,000,000,000,000(一千抒「じょ」)メートル。途方もない大きさですよね。これを扱うのは宇宙物理学です。我々の住む地球の直径は10,000,000メートル。この太陽系の星々を扱うのが惑星物理学です。
人間の大きさは約1メートル、その中の内臓は約0.1メートルで、これが医学の領域です。内臓を構成する細胞(0.00001メートル)は生物学、その細胞を形作る分子の大きさまでを扱うのが化学です。分子を分解してできるのが原子で、その中身の原子核は原子核物理学が扱います。
素粒子物理学はさらにその先、0.000000000000000001メートルよりも小さい素粒子を相手にする学問です。
自然界で最も大きなものは、宇宙です。人間が観測できる宇宙の大きさは、1,000,000,000,000,000,000,000,000,000(一千抒「じょ」)メートル。途方もない大きさですよね。これを扱うのは宇宙物理学です。我々の住む地球の直径は10,000,000メートル。この太陽系の星々を扱うのが惑星物理学です。
人間の大きさは約1メートル、その中の内臓は約0.1メートルで、これが医学の領域です。内臓を構成する細胞(0.00001メートル)は生物学、その細胞を形作る分子の大きさまでを扱うのが化学です。分子を分解してできるのが原子で、その中身の原子核は原子核物理学が扱います。
素粒子物理学はさらにその先、0.000000000000000001メートルよりも小さい素粒子を相手にする学問です。
僕の研究対象である「ニュートリノ」は、ヴォルフガング・パウリ(*1)が提唱した素粒子の一種です。原子核の中身は陽子と中性子でできているのですが、中性子が原子核を飛び出すと、自然に壊れ、陽子と電子に分かれる。そのとき物理学の基本法則である「エネルギー保存則」(*2)が成り立っていないことがわかった。崩壊後にエネルギーが減っていたのです。
当時の物理学者の多くはこの謎が解けず、「原子核ほどの小さな世界では、エネルギー保存則は成り立たないのではないか」と考えたのですが、ただひとり、パウリだけがそれに異を唱えました。
彼はその現象を「まだ見つかっていない粒子が存在して、それがエネルギーを持ち出しているに違いない」と説明したのです。この粒子が、「ニュートリノ」です。実際にニュートリノが発見されたのは、それから26年も後のことでした(*3)。
当時の物理学者の多くはこの謎が解けず、「原子核ほどの小さな世界では、エネルギー保存則は成り立たないのではないか」と考えたのですが、ただひとり、パウリだけがそれに異を唱えました。
彼はその現象を「まだ見つかっていない粒子が存在して、それがエネルギーを持ち出しているに違いない」と説明したのです。この粒子が、「ニュートリノ」です。実際にニュートリノが発見されたのは、それから26年も後のことでした(*3)。
多田さんは、その「ニュートリノ」を使って壮大な実験をされていると伺いました。いったいどんな実験なのですか?
多田 大雑把に言うと、ここ茨城県東海村のJ-PARCでニュートリノを人工的につくり、それを西へ300キロメートル離れた岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデ(*4)に向けて打ち込むという実験です。東海村から神岡町まで、Tokai to Kamioka、ということでT2K実験と呼んでいます。
ニュートリノは宇宙には大量に存在しますが、あまりにも小さく電荷を持たないために反応性が薄く、性質がよくわかっていません。そこで300キロメートルの距離を飛ばす間にニュートリノが起こす変化の様子を調べることで、性質を解明しようというのです。
ニュートリノは宇宙には大量に存在しますが、あまりにも小さく電荷を持たないために反応性が薄く、性質がよくわかっていません。そこで300キロメートルの距離を飛ばす間にニュートリノが起こす変化の様子を調べることで、性質を解明しようというのです。
T2K実験には段階があり、2010年1月から13年5月までの第1段階では、ミューニュートリノから電子ニュートリノへの変化を、世界で初めて発見することができました。
現在取り組んでいるのは、2014年に開始した第2段階の実験です。2008年、小林・益川先生にノーベル物理学賞をもたらした理論(*5)に相当する理論(ニュートリノ振動理論)(*6)をニュートリノにおいて証明するのが目標です。
現在取り組んでいるのは、2014年に開始した第2段階の実験です。2008年、小林・益川先生にノーベル物理学賞をもたらした理論(*5)に相当する理論(ニュートリノ振動理論)(*6)をニュートリノにおいて証明するのが目標です。
実は、僕はもともと京都大学の化学研究所で働いていたのですが、J-PARCの設立にあたり、ニュートリノのビームラインの設計・開発者を募集していると聞いて、応募したんです。
物理学の場合、化学や生物学と違って実験装置は買ってくるのではなく、研究者がイチから考えてつくらなくてはいけません。世界で初めてのことをやっているので、装置はどこにも売っていないのです。
物理学の場合、化学や生物学と違って実験装置は買ってくるのではなく、研究者がイチから考えてつくらなくてはいけません。世界で初めてのことをやっているので、装置はどこにも売っていないのです。
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- *1
- 物理学者(1900-1958)。排他原理など、量子力学の分野で重要な業績を残した。1930年、中性子が壊れるとき、陽子と電子に加え、もうひとつ微細な未発見の粒子が出ているはずだとの説を立てた。「ニュートリノ」の名は1934年、エンリコ・フェルミが名づけた。
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- *2
- 「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」という物理学における保存則のひとつ。
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- *3
- 1956年、アメリカの物理学者・ライネスらがニュートリノを捕まえることに成功した。
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- *4
- 1996年、4年以上をかけて完成した世界最大、最高精度のニュートリノ観測装置。ここでのニュートリノ振動の発見から、ニュートリノに重さがあることを世界で初めて証明した。
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- *5
- 物理学者の小林誠と益川敏英が1973年に発表した「クォークが6個あれば、すべての物理現象を説明できる」とした理論。2008年ノーベル物理学賞を受賞。
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- *6
- 物理学者の坂田昌一と牧二郎と中川昌美が1962年に発表した「3種類のニュートリノが互いに変化し合う」とした理論。
人間は、いろんなことができる
実験施設の設計というと、図面をひいたりもしたのでしょうか?
多田 業者任せにする人も多いですが、僕はCAD(*7)を使って自ら図面を引きましたね。規模が小さければ、建物は任せて実験装置だけ設計することが多いのですが、ここは長さ100メートル、高さ5メートルぐらいあるトンネルを地下に埋める必要がありましたから、建設業者とのやりとりから始めなくてはならなかった。
CAD図なんてまったくおもしろくないですよ。毎日徹夜で細かい図面をちょっとずつ書くなんて、楽しいわけがない。
実のところ、素粒子物理学自体も、ぼくはそんなにおもしろいと思ったことはなくて。仕事だから、この実験を成功させるためだからやっているだけなんです。
実のところ、素粒子物理学自体も、ぼくはそんなにおもしろいと思ったことはなくて。仕事だから、この実験を成功させるためだからやっているだけなんです。
好きだから、素粒子物理学者になったというわけではない、と?
多田 そうですね、全然ないですね(笑)。僕が学生の頃、素粒子物理学は一番のエリートコースだった、それが理由です。家族で4年制大学に行ったのは僕が初めてですし、勉強しろと言われたこともなかった。
強いていえば、昔から物の中身には興味がありました。子どもの頃、時計を分解して戻せなくて親に怒られたりね。物理学を勉強してよかったと思うのは、世の中の仕組みがわかるときです。物理学といえば、物事の理屈を考える学問。たとえば、コップをつかめるのは手の電子とコップの電子が反発し合うからだとか、原理が一つひとつわかっていくのは興味深いですから。
僕は、夢を追うのがいいことだと教えることに懐疑的です。たいていの人は途中で挫折するんですよ。そのときに、それしかないと思っていると絶望的になる。でも人間というのは、いろんなことができるんです。そこが、ひとつのことしかできない機械と根本的に違うすごいところ。
大学に入ってからでも、大学院でも、仕事に就いたあとでも、道を変える方法なんていくらでもある。自分にはこれしかないと思わないほうがいい。僕だって、学者になったのはたまたまですが、仕事となればそれなりにできるし、少なくともプロなら給料分はやらなくちゃいけませんから。
楽しいことは趣味でやればいいんです。仕事をしっかりやって稼いだお金で好きなことをする、そこはビシッと分けていいと思っています。
僕の場合、“本業”は卯内(うない)里奈さんというシンガーソングライターの追っかけ。最近はそれにミリタリーの趣味が加わって、同志の声優・上坂すみれさんのイベントに行ったり、一緒にイベントをしたりしています。
楽しいことは趣味でやればいいんです。仕事をしっかりやって稼いだお金で好きなことをする、そこはビシッと分けていいと思っています。
僕の場合、“本業”は卯内(うない)里奈さんというシンガーソングライターの追っかけ。最近はそれにミリタリーの趣味が加わって、同志の声優・上坂すみれさんのイベントに行ったり、一緒にイベントをしたりしています。
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- *7
- Computer Aided Designの略。コンピューターによる設計支援システム。
論理的・定量的に自分の頭で考えるということ
高校時代、受験勉強はどのようにされていたのでしょうか?
多田 始めたのは高校3年生の夏でした。しかも授業中の内職だけ(笑)。
まず、1冊に90問が載っている数学・物理・化学の本を買いました。京大入試の場合、150分で6問が出るので1問あたり25分、50分の授業中2問解ける計算です。1日だいたい5時間が有効だとして、2問×5時間で1日10問、9日で問題集が1冊終わりますよね。学校でそれを集中してやり、家に帰ってからは遊んでいました。
何事もメリハリが大事。深夜まで眠い頭で受験勉強して、授業中寝ているなんてばかげていますよ。
まず、1冊に90問が載っている数学・物理・化学の本を買いました。京大入試の場合、150分で6問が出るので1問あたり25分、50分の授業中2問解ける計算です。1日だいたい5時間が有効だとして、2問×5時間で1日10問、9日で問題集が1冊終わりますよね。学校でそれを集中してやり、家に帰ってからは遊んでいました。
何事もメリハリが大事。深夜まで眠い頭で受験勉強して、授業中寝ているなんてばかげていますよ。
実に効率的というか……理系的な考え方ですね。
多田 そうですね、理系の発想かもしれません。論理的に考えることと、定量的に考えること。この2つが、理系には必要ですから。
友だちには「説教くさい」とウザがられることもありますが、理系的発想を身につけるのは重要だと思います。
友だちには「説教くさい」とウザがられることもありますが、理系的発想を身につけるのは重要だと思います。
東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故のあと、そのことを強く感じました。情報が限られていた震災直後、放射線をめぐる不安をぶつけられることが多かったのです。感情で話す人には、かっちりした理論で対応するのが近道ですが、それでも難しいことはありました。
あるとき友人から、「埼玉に住んでいる姉が自主避難をしようか悩んでいる」と相談を受けました。「科学的に大丈夫だという話は聞くけれど、幼い子どもを抱えてどうしたらいいのかまったくわからない」というのです。
若い頃は、科学を信じない人をバカにするところがありました。でも科学的数値をばーっと見せて、「ほら、大丈夫です!」と言っても、その人の不安が払拭されなければ意味がない。
そこでこう答えました。「お住まいの住所なら放射線量はまったく問題ありません。いつも通り暮らし、お子さんを長時間外で遊ばせても大丈夫です。ところが人間は放射線には強くても、ストレスには弱い。だからいまの家にいることにストレスを感じていて、自主避難することで不安が和らぐなら、してもいいんじゃないですか」と。あの事故で放射線が直接的な原因で死んだ人はひとりもいないけど、ストレスで亡くなった方はいましたから。
僕ら学者は知識もあるし、すぐに調べられるから安心かもしれません。でもそういう環境にない人のこともよく考えないといけないのだと、あのときは身に沁みて思いました。
あるとき友人から、「埼玉に住んでいる姉が自主避難をしようか悩んでいる」と相談を受けました。「科学的に大丈夫だという話は聞くけれど、幼い子どもを抱えてどうしたらいいのかまったくわからない」というのです。
若い頃は、科学を信じない人をバカにするところがありました。でも科学的数値をばーっと見せて、「ほら、大丈夫です!」と言っても、その人の不安が払拭されなければ意味がない。
そこでこう答えました。「お住まいの住所なら放射線量はまったく問題ありません。いつも通り暮らし、お子さんを長時間外で遊ばせても大丈夫です。ところが人間は放射線には強くても、ストレスには弱い。だからいまの家にいることにストレスを感じていて、自主避難することで不安が和らぐなら、してもいいんじゃないですか」と。あの事故で放射線が直接的な原因で死んだ人はひとりもいないけど、ストレスで亡くなった方はいましたから。
僕ら学者は知識もあるし、すぐに調べられるから安心かもしれません。でもそういう環境にない人のこともよく考えないといけないのだと、あのときは身に沁みて思いました。
科学的に考えることは大切だけど、人はそれだけで成り立っているわけじゃない、ということですね。多田さんの書かれる本がとてもわかりやすいのも、そうした反省があったからでしょうか?
多田 そうですね。学者って高飛車なところがあって、一般の人はそれだけで拒絶反応を起こしてしまいがちです。だからぼくはできるだけそういう態度はやめようと。
学生時代に小学生向けの塾講師をやっていたのも大きいですね。遊びたい盛りの歳の子どもに大学の講義のように教えたってわかってくれるはずがありません。あのとき、自分が何を言いたいかではなく、相手が何を聞きたいかを考える訓練ができたと思います。
学生時代に小学生向けの塾講師をやっていたのも大きいですね。遊びたい盛りの歳の子どもに大学の講義のように教えたってわかってくれるはずがありません。あのとき、自分が何を言いたいかではなく、相手が何を聞きたいかを考える訓練ができたと思います。
そして、やはり考えることは大事です。なぜデマに騙されるか。自分の頭で考えず、人の言うことを鵜呑みにするからです。
科学の発見はみんな、従来の理論を「本当にそうかな」と疑うことから始まっています。パウリも、ほかの学者が唱えている説に対してひとりだけ「いや、そうだろうか」と言って、ニュートリノを考え出した。大変だったと思いますよ。本当に正しかったとわかるまで26年もかかったのですから。
アインシュタインの相対性理論にしても、結論は突飛でも論理の組み立ては常識的です。彼は自分ではあまり賢くないと思っていたようで、みんながわかった気になっているようなことでも、「あれ、本当にそうなのか?」と立ち止まった。そこからもう一度自分の頭で考えたことで、ほかの人が思いつかない発想に至ったわけです。
科学の発見はみんな、従来の理論を「本当にそうかな」と疑うことから始まっています。パウリも、ほかの学者が唱えている説に対してひとりだけ「いや、そうだろうか」と言って、ニュートリノを考え出した。大変だったと思いますよ。本当に正しかったとわかるまで26年もかかったのですから。
アインシュタインの相対性理論にしても、結論は突飛でも論理の組み立ては常識的です。彼は自分ではあまり賢くないと思っていたようで、みんながわかった気になっているようなことでも、「あれ、本当にそうなのか?」と立ち止まった。そこからもう一度自分の頭で考えたことで、ほかの人が思いつかない発想に至ったわけです。
代わりのきかない人間になれ
T2K実験で証明しようとされている「CP対称性の破れ」(*8)も、もともとなかった考えですね。
多田 そうですね。普通の考え方では絶対に出てこない発想から始まっています。
日本って、標準的な型にはまらないとダメな「標準化社会」でしょう。
いま、政府は大学を即戦力になる人材を育てる場にしようとし、大学も会社も、型にはめた人間を量産しようとしています。いいなりになっていると、いくらでも代わりのきく人間になってしまう。ここ数年は売り手市場だからいいですが、そういう人は、ちょっと不況になれば簡単に首を切られます。だって代わりがいるんだから。
日本って、標準的な型にはまらないとダメな「標準化社会」でしょう。
いま、政府は大学を即戦力になる人材を育てる場にしようとし、大学も会社も、型にはめた人間を量産しようとしています。いいなりになっていると、いくらでも代わりのきく人間になってしまう。ここ数年は売り手市場だからいいですが、そういう人は、ちょっと不況になれば簡単に首を切られます。だって代わりがいるんだから。
重要なのは、代わりのきかない人間になるということです。
僕なんかこんな金髪、一般の会社だったら怒られますよ(笑)。でもここでそれが問題にされないのは、ぼくにしかできないことがあるからです。
若い方には、みんなと同じコースで同じことをやる型にはまった人間ではなく、自分にとって何が必要かを常に考えられる、代わりのいない人間になってほしいと思います。
僕なんかこんな金髪、一般の会社だったら怒られますよ(笑)。でもここでそれが問題にされないのは、ぼくにしかできないことがあるからです。
若い方には、みんなと同じコースで同じことをやる型にはまった人間ではなく、自分にとって何が必要かを常に考えられる、代わりのいない人間になってほしいと思います。
-
- *8
- 物質を構成する粒子が生じるためには、そこに反物質を構成する反粒子も必ず生じる。しかし反物質との対消滅で消えたはずの物質は実際には残り、宇宙を構成している。この現象を引き起こしたのが「CP対称性の破れ」。これは、物質と反物質の性質の違いのことである。
最先端に2位はいらない
CP対称性の破れを90パーセント確認してから1年、いま実験はどこまできていますか?
多田 道のりは長いですよ。90パーセントというと、ほとんどできたと思うでしょうが、物理学の世界では、99.9999パーセントまでいって初めて「発見」と言えるんです。たまたま起こるぐらいのことは「現象」とは言わない。本当に石橋を叩いて渡るぐらい慎重に確かめていますから、僕らがいまいるのは、まだ10分の1ぐらいのところ。そんなもんですよ。
普通にやっていたら10年はかかります。ただ、ぼくらにはアメリカで最大の物理学の研究所であるフェルミ・ラボ(*9)という競争相手がいる。相手は全予算をニュートリノ実験に投入し、本気で勝ちにきている。そこで僕らは、ビーム強度を増やし、同じ時間における実験のデータ量を増やすことにしました。10年かかるところを数年でできるようにして、なんとかして勝とうとしているところです。
最先端物理学では、1位以外には価値がありません。2位は敗者で歴史から消されるだけ。だから絶対に勝たなきゃいけない。しかも僕らが世界で初めて始めた実験で抜かれたら、恥ずかしいでしょう。
いまのところ順調に段階を踏んで行っているとは思います。最大の敵は、予算です。原理や技術では誰にも負けませんが、とにかくお金がないんですね(笑)。
莫大な予算を投じているアメリカに比べ、その点では非常に不利な状況です。
いまのところ順調に段階を踏んで行っているとは思います。最大の敵は、予算です。原理や技術では誰にも負けませんが、とにかくお金がないんですね(笑)。
莫大な予算を投じているアメリカに比べ、その点では非常に不利な状況です。
とはいえ、使っているのは税金なので、まずはこの分野で世界をリードする価値があると国民のみなさんに思ってもらわなくてはならないのですが、素粒子物理学は日本が世界の最先端であること、誰も知らないですよね。僕がメディアに出るのは、宣伝の意味もあるんです。こうやって話すと必ず理解してもらえますから。
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- *9
- フェルミ国立加速器研究所。エンリコ・フェルミにちなんで名付けられたアメリカ・シカゴ近郊にある高エネルギー物理学研究所。
多くの人の力を集め、継承することで科学は進んでいく
確かに、日本のノーベル賞受賞者24人のうち素粒子物理学者は7人とダントツに多いですし、もっと関心が高まってもよさそうです。
多田 もう1つ問題なのは人材です。僕の若い頃は、素粒子物理学には優秀な人材がいっぱい集まっていましたが、最近はそうでもないらしいのです。
もしかしたら、すぐに役に立たないイメージがあるのかもしれない。でも科学って、目先のことだけ見ていて成り立つものじゃないんですよ。
例えばこの携帯電話。液晶にせよ、通信にせよ、コンピューターにせよ、まったく違う分野の科学技術を集めてつくられている。携帯電話だけをイチからつくろうと思ったら、何百年かけてもつくれはしません。事実、数十年前の人は携帯電話の登場を予測できなかった。
もしかしたら、すぐに役に立たないイメージがあるのかもしれない。でも科学って、目先のことだけ見ていて成り立つものじゃないんですよ。
例えばこの携帯電話。液晶にせよ、通信にせよ、コンピューターにせよ、まったく違う分野の科学技術を集めてつくられている。携帯電話だけをイチからつくろうと思ったら、何百年かけてもつくれはしません。事実、数十年前の人は携帯電話の登場を予測できなかった。
じゃあなぜできたのか。先人たちがそれぞれ全然違う分野で技術を積み重ねたものを、次の世代の人たちがかき集めていったからです。いまの科学技術は無数の技術が積み重なってできているのであって、ある研究が役に立つかどうかは、次の世代が決めることなのです。
僕らが生きている間、ニュートリノが何の役にも立たなかったとしても、次の世代が利用できるかもしれない。逆に、いま研究をやめてしまったら、次の世代に渡す遺産が空っぽになってしまう。だからまずはすべての分野において研究を進めて、次の世代に委ねることが大切だと思うんです。
僕らが生きている間、ニュートリノが何の役にも立たなかったとしても、次の世代が利用できるかもしれない。逆に、いま研究をやめてしまったら、次の世代に渡す遺産が空っぽになってしまう。だからまずはすべての分野において研究を進めて、次の世代に委ねることが大切だと思うんです。
人はひとりではたいしたことはできません。でも、結集すれば大きな力になる。人間は、人数という横方向だけじゃなく、年代、時代という縦方向にも科学を積み上げていくことができるんです。だから僕らは歩みをやめちゃいけないなと思っています。http://toshin-sekai.com/interview/20/
とても興味深く読みました:素粒子とゼロ除算
再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカの物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:
Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
ところが結果は、実に簡明であった:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。
ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。
以 上
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
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http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
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http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
再生核研究所声明377 (2017.8.3): ゼロの意味について
ゼロ除算について考察を深めているが、それは当然ゼロの意味を究めることに繋がる。 そこでゼロ自身についても触れてきた:
再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
この要旨は:
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。
座標系の導入における 位置の基準点を定めること。
複素平面では立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点である。
全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。
再生核研究所声明297(2016.05.19) 豊かなゼロ、空の世界、隠れた未知の世界
要旨は:
微分方程式のある項を落とした場合の解と落とす前の解を結び付ける具体的な方法として、ゼロ除算の解析の具体的な応用がある事が分かった。この事実は、広く世の現象として、面白い視点に気づかせたので、普遍的な現象として、生きた形で表現したい。
ある項を落とした微分方程式とは、逆に言えば、与えられた微分方程式はさらに 複雑な微分方程式において、沢山の項を落として考えられた簡略の微分方程式であると考えられる。どのくらいの項を落としたかと考えれば、限りない項が存在して、殆どがゼロとして消された微分方程式であると見なせる。この意味で、ゼロの世界は限りなく広がっていると考えられる。
このような視点で、人間にとって最も大事なことは 何だろうか。それは、個々の人間も、人類も 大きな存在の中の小さな存在であることを先ず自覚して、背後に存在する大いなる基礎、環境に畏敬の念を抱き、謙虚さを保つことではないだろうか。この視点では日本古来の神道の精神こそ、宗教の原点として大事では ないだろうか。未知なる自然に対する畏敬の念である。実際、日本でも、世界各地でも人工物を建設するとき、神事を行い、神の許しを求めてきたものである。その心は大いなる存在と人間の調和を志向する意味で人間存在の原理ではないだろうか。それはそもそも 原罪の概念そのものであると言える。
発想における最も大事なことに触れたが、表現したかった元を回想したい。― それは存在と非存在の間の微妙な有り様と非存在の認知できない限りない世界に想いを致す心情そのものであった。無数とも言える人間の想いはどこに消えて行ったのだろうか。先も分からず、由来も分からない。世の中は雲のような存在であると言える。
上記2件は、ゼロが基準を表すこと、無限や無限遠点の表現になっていること、消えて行った世界の神秘的な性質を述べている。
ここ3年、広くゼロ除算現象を探してきて発見したゼロの性質として、起こりえない現象や不可能性を広く表すことが分かった。
そもそもゼロで割る問題とは、最も簡単な方程式 ax=b をa=0の場合に考える事と解釈できる。一般的に考えられる解(一般逆)として、x=0 が得られると解釈できるが、その心として、神は混乱が起きたとき、元に、基準に戻る、最も簡単なものを選択すると理解できるが、これは、不可能性をも表現していると言える。 これは新しい視点である。b=0 の時の解 x=0はもともとの意味でのゼロであるが、b がゼロでない時の解x=0 は不可能性を表すゼロであると言える。ゼロの2面性を主張したい。不可能性を表す例はゼロ除算の発現を広く探している折に発見された新しい視点である。
無限とは、極限値の概念で捉えられるが、定まった数のようにも扱われている。数としての無限は曖昧である。
ところが、無限大は、無限遠点は ゼロで表されることが発見され、また証明も与えられた、これはゼロ除算から導かれたが、同時にゼロの新しい意味をも受け入れる必要がある。ゼロが不可能性をも表現しているという事実である。
水平方向にx軸、鉛直上方方向にy軸をとる。 原点から,角アルファで初速度v_0
で質点を投射する。最高到達点の高さ、水平到達点までの距離、最高到達点に至るまでの時間など、引力がなければ(g=0の場合を考える)、どんどん飛んでいき無限の彼方まで、これが従来の表現であるが、ゼロ除算では、最高到達点の高さ、水平到達点までの距離、最高到達点に至るまでの時間などは全てゼロで表される。
以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1
-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
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