2017年7月3日月曜日

TwitterがFacebookそっくりになったらどうしよう

TwitterがFacebookそっくりになったらどうしよう

 
Facebookは6月28日、月間利用者数が20億人を突破したと発表しました。
 20億人とはすごい。一桁違うなという感じですね。アジア地域では毎日4000万人、ワールドワイドでは毎日1億7500万人が“超いいね!”をしていて、“いいね!”の数は1日で8億人にのぼるとか。そう言われても、なんだかよくわからないですが。ちなみにグループ機能は1日あたりアジア地域で4億人、ワールドワイドでは10億人が使っているそうです。
 新機能として、友達や家族の投稿へ“超いいね”したり、誕生日にお祝いのメッセージを投稿したりすると、Facebookからの感謝のメッセージがニュースフィードに表示されるそうです。必要なのかなと思ったりもしますが、賑々しくてよろしいのかもしれません。
 さて、一昔前はSNSという存在そのものが一世を風靡し(それこそFacebookは「ソーシャル・ネットワーク」という映画にまでなったわけです)、さまざまなサービスが現れましたが、とはいえ流行り廃りの激しいIT業界、自然淘汰もありました。その流れを経て、今では1つのサービス内ですべてが完結するような動きも見られます。

興味深く読みました:

再生核研究所声明3722017.7.3Facebook に現れた人間模様 

Facebookの月間利用者が20億人を突破したという。大いに利用させて頂いているが、少し、状況につい考察を纏めて置きたい。まず、同じような気持ちで書いた

再生核研究所声明 512011.3.4):  ツイッターにおける 意義と心得

を復習して置きたい:

ツイッターが 盛んになって、世論や政治にも大きな影響が出るようになってきた。 また、俳句や、和歌のような 趣味の一種、楽しみの一種になっている者も多いのではないだろうか。自戒も込めて、ツイッターの意義、注意や問題などについて、考察し、ツイッターの世界をより楽しく、充実させるようにしたい。
ツイッターの原語は 呟き という、呟きとは、小鳥が 少し囀る ように、何か気持ちを、本音を率直に、短的に表現するものではないだろうか。 純粋、呟きは、したがって、先ずは 率直な気持ちの表現である ということになるのではないだろうか。 先ず、このもともとの意味 を尊重したい。従って ツイッターの世界には 人々の率直な 心の、気持ちの世界 が反映されていると理解できる。将来、万葉集のように 人々の様子を写した 貴重な記録にもなる可能性が高いのではないだろうか。
しかしながら、それらとは裏腹に、直ちに公開する というところに、日記や自分の記録とは違った意味、すなわち、多くの人に伝えたいという、明確な意思があり、更に公開には、

1)インターネットを通して どこまでも広まること
2)インターネットの世界で、記録され、検索され、長く保存され、修正が、事実上できない状況になっている ということである。

このような状況は、間違ったことや、修正しなければならないようなことは 迂闊には書けない ということを意味する。注意したい。
一応 フォローという特定の人が自然に見られる建前であっても、上記2件から、逆に自分の意志を広範囲に伝えたい、あるいは何かの宣伝に、仕事などに活用したい と考えるのは当然である。従って
A) 政治問題や社会問題についての見解、提案、批判、建議など、社会問題が大きな比重を占めるのは当然である。
B) 仕事、ビジネスなど 適当な活用は当然であるが、行き過ぎると 仲間に嫌われる可能性が高いのではないだろうか。
C) 市民生活における 話題、いろいろ面白い話題や、変わった話題で、人々が興味を持ちそうな話題は 歓迎されるのでは。
D) 教育問題、人生問題、哲学、科学の問題についても 前向きに考えられる話題として挙げておきたい。

ツイッターの 他の特徴としては

川の流れのように、呟きは、どんどん流れ、偶然に覗いていた人だけが見るだけで、殆どは注目されないで、ツイッターの世界からは 消えて行ってしまうという 儚さ、空しさである。

そのために、空しさを承知で、深入りをせず、自分の生活とペースを整えて、気持ち良く、呟くのが良いのではないだろうか。 
社会や世の中にとって良いと思われるものについては、リツイートして、どんどん世に拡散して、世の中を明るくしたい、文化レベルの向上に、情報環境の美化にも 利用したい。
賛否の意見表明、同感、反対など、返信して、一方的でない交流も大事で、貴重なものになるのではないだろうか。
長期の保存と長文が可能なブログなどと併用すると 自分の意見を表明する機会を 大幅に増やすことができ、外国語が得意な人は 更に国境を越えて 意見を表明できる機会を得るので、積極的な取り組みを期待したい。間もなく、いろいろな言語に翻訳されて、言葉の壁も乗り越えられる時代が近いのではないかと期待される。
簡単に意見を広く表明できる時代とは、新しい時代の夜明け ではないだろうか。 多くの人の意見が 自由に交流できる世界とは どのような世界になるのか、いろいろ問題点などをも含めて 注目し、今後の問題点、影響などについても検討して行きたい。 例えば、多くの呟きから、価値あるものを選択して、得る方法などが 基本的な問題ではないだろうか。実際、沢山の人々が自由に 呟けば、どのようにして、価値ある情報を得るかは、本質的な問題になる。 雑情報に 時間をとられる危険性が高いからである。
人間とは、じんかん であり人と人の交流が 生きている証拠 でもあるから、大きな自由性と可能性を創造された、このようなシステムの考案者及び管理運営を行っている方々に対して、敬意と謝意を表したい。
以 上

ツイッターは文字数に制限があったが、Facebookは相当自由で、過去の記録が紹介されたりして、楽しい。さらに、
画像が公開できる、
翻訳機能が進化している、
で格段の進化がある。映像の、画像の公開の機能は、影響が大きい。多くの大衆を対象にしているのに 個別的なサービスにも感心させれる。
人間の自己表現の欲求は人間存在の本質であるから、自由を尊ぶのは当然としても、何らかの目的はあると考えて、あまりにも意味のないことは慎むようにしたい。人を不愉快にし、過激な感情的な表現にも気を付けたい。原理は、受け取る、拝見する立場について気遣うことが基本ではないだろうか。低級なSNSとなれば、やがて、利用者が減少してそのようなSNSは衰退するだろう。運営会社が一定の制限や注意を呼びかけるのは当然と言える。過去の記録の再現などは、人工知能の活躍できる無限の可能性を秘めているのではないだろうか。記録の再現性における、価値の判断を行っているからである。膨大な情報に対して価値あるものとは何か、価値あるものの選択である。― 逆に言えば、無意味な情報が世に氾濫する社会を想像してみたい。
肝心の人間模様に触れれば、
個々の人間は視野も判断能力も乏しく、実際、大きな社会から見れば、単細胞的な存在であること、身勝手で、自己中心に意思表示している。大きく人間社会を見れば、動物の群れや植物の繁茂と変わらないのではないだろうか。
しかしながら、それらの中に、民の心、心情などが含まれていて、共感、共鳴するものも多い。
感動を共感し、共鳴したいを、Facebook利用の心とすれば 良いのではないだろうか。
逆に不愉快になるような表現は慎み、 次には特に気を付けたい:
再生核研究所声明 276(2016.01.25): 捏造、事実の歪曲の禁止、悪化する情報の是正を


以 上

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