2017年6月14日水曜日

日本のサッカーが強くなったのは「キャプテン翼」のおかげだ=中国報道

日本のサッカーが強くなったのは「キャプテン翼」のおかげだ=中国報道

中国でも日本の漫画やアニメは人気がある。漫画に影響されて日本に興味を持ち、日本語を学ぶ中国人は多い。さらに、漫画の内容に影響され、人生の目標について考えたり、漫画の内容に希望や夢を抱く人たちもいるようだ。
 
 中国メディアの21CNはこのほど、「日本のサッカーがアジアトップの実力を持つ理由」について考察する記事を掲載し、その漫画がどれほどの影響を及ぼしているのか論じた。
 
 まず記事は、日本の漫画の影響力について、日本のサッカー漫画である「キャプテン翼」を例に挙げ、「キャプテン翼に深く心を打たれたシリアの学生が、同作品をアラビア語に翻訳した」ことを紹介。その理由について「シリアは内戦によってひどい状況にあり、子どもたちが将来に対して希望が持てないでいるゆえに、キャプテン翼を通じて夢を持つことの大切さを伝える」ためであったと紹介した。
 
 このシリアの学生は交換留学プログラムで日本を訪れ、多くの人や企業、団体の協力を得ながら、キャプテン翼をアラビア語に翻訳し、中東の難民に届けることに成功したという。記事には、漫画を受け取った子どもたちのうれしそうな写真が掲載されている。
 
 続けて、「漫画にこれほど大きな力を持つものなのか」と疑問を投げかける一方、「キャプテン翼は世界中の多くのサッカー選手が影響を受けた漫画である」と伝え、多くの選手の実名を挙げて紹介。漫画には読み手の人生を左右するほどの力を持つコンテンツであることを指摘した。
 
 さらに記事は、キャプテン翼の影響力は当然、日本の子どもたちにも大きな影響を及ぼしたと伝え、日本がわずか20年間ほどでアジアでトップと呼べるほどサッカーが強くなったのも、キャプテン翼を読んだ子どもたちがサッカーを通じて「夢を描くことができた」ためだと主張した。
 
 キャプテン翼と日本サッカーの成功に感化されたのか、中国でも過去に「宋代足球小将」というサッカーを題材にしたアニメが製作された。しかし、多くの中国人の反応は「所詮はパクリ」、「作りが荒く、内容も幼稚」などと冷ややかだったようだ。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

次の試合は勝つ

再生核研究所声明169(2014.6.25) サッカー観戦の印象 と 日本チーム強化の戦略

(サッカーファンからの要望によって、日本チームを強くする戦略を考察した。)

ワールドカップ日本の観戦をして、自国チームが負けるのは、生物の本能に由来するように、嫌なものである。 誰でもそうではないだろうか。― 生命には、本質的に切なさが存在する。― 数学などの研究を永くしてくると あまりにも厳しい世界で とても志す気には成れない。数学などの研究は 何十年のスパンで 長期戦略で進める求道や 真理の追究、人生の志に由来する。
サッカーは 子供の頃校庭でよくやったものであるが、勝負と言えるようなことをやったことは無く、全くの素人である。
しかし、今回の日本戦を見て、良い戦略、強化方法が思い付いたので、上記要望も寄せられた経緯も有るので、触れて、提案したい。言うは易く、行うは難しい??
特に、ギリシャ戦などでは、全体的な力では相当優位にあるように見えたが、結局、引き分けに終わった苦しい戦いであった。どうしてだろう。 それは、ゴールを決められない決定的な弱点にある。 ゴールを決めることは、サッカーで 優位に立つ 重要な、肝心な点 ではないだろうか。初戦についても言える。コロンビア戦についても言える。ゴールの機会は、結構あったと言える。
そこで、次のような訓練は 如何であろうか。
ゴールを狙える立場の人は、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決める訓練を徹底的にやる。
この訓練は ゴールキーパーにはよらず、 何時でも安定的に練習ができ、何時でも、最も有効にゴール決める方法である。 本能かも知れないが、ゴールを狙うとき、わざわざキーパーにぶつけているような例が多く見られる。これは、極めて残念な場合である。ゴールを狙う機会はそう多くはないので、痛切残念、そのような場合には、国中でため息が聞かれる状況と言える。
条件反射的に、ゴールの枠にぶつけて、反射で ゴールを決めるような訓練を 徹底的にして欲しい。
総合的な力を付けるのは、専門家の課題であるが、この要点をしっかり訓練すれば、戦力は飛躍的に向上するのではないだろうか。実際、ゴールを決めている場合、ゴールの枠にぶつかって、ゴールを決めている場合が多く見られる。既にそのような訓練を意図的に行っているのではないだろうか。
サッカーの印象は、アジアや日本は まだまだ伝統が浅く、世界レベルから見ると、まだ力不足は否めない。 伝統は甘くはない。世界的になる、世界を狙う精神がどのようなものか、その精神がまだ、しっかり身についていないと言うことではないだろうか。 これは単にサッカーばかりではなく、近代科学や民主主義、人権、評価システム、大学の在りよう、マスコミの在りよう、政治家の在りようなどなど、欧米から 入ってきた多くが表面的な物まねで、それらの深いところの理解が 浅く、しっかりしていない状況と同様ではないだろうか。輸入したものを身に付けるのは、教えられ、学んだものを身に付けるのは、 一朝一夕にはゆかないのが、道理ではないだろうか。長期的な視点に立って、頑張って欲しい。

以 上

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