2017年6月25日日曜日

キン肉マン人気が再燃 背景に漫画と社会の関係性の変化

キン肉マン人気が再燃 背景に漫画と社会の関係性の変化

 1980年代に子供たちを熱狂させた漫画「キン肉マン」が今、ブーム再燃とも言える盛り上がりを見せている。87年に終了した連載の続編がネットで復活したことが大きいが、その背景には漫画と社会の関係性の変化が見て取れる。
 5月中旬、ツイッターのトレンドワードで「キン肉マン」が1位となり、話題となった。2011年に復活した“元祖”の続編「完璧超人始祖(パーフェクト・オリジン)編」の最終回がネットに掲載されたためだ。
 連載は79年、週刊少年ジャンプ集英社)で始まった。作者は嶋田隆司さんと中井義則さんの漫画ユニット「ゆでたまご」。ドジで間抜けな超人、キン肉マンが仲間とともに強敵と戦うギャグ&プロレス漫画だ。アニメ化など80年代に盛んになったメディアミックスも後押しして爆発的な人気を得た。
 個性的な超人たちの魅力に加え、友情パワーで強くなるジャンプらしい展開。中でも画期的だったのが、読者参加の先駆けともいえる「超人募集」の企画だ。採用されるとそれを元にした超人が本編に登場する。嶋田さんは「何万通とはがきが来た。子供のアイデアで生まれた超人もたくさんある」。
 完璧超人始祖編ではさらなる強敵が登場し、超人たちの知られざる過去も明らかに。今月26日に新章が始まる。「読者が待ち望んでいる限り、死ぬまでやり続けたい」と嶋田さん。
 キン肉マンに影響を受けた子供たちは今、一線で活躍する世代になった。大人気の中国の歴史漫画「キングダム」の作者、原泰久さん(42)は嶋田さんとの対談で、自身の漫画のルーツの一つにキン肉マンを挙げた。
 さらに、当時を知らない若い世代にもファン層は広がる。声優、歌手の上坂すみれさん(25)は、昨年刊行したスタイルブック「Sumipedia」(祥伝社)で嶋田さんと対談。肉と29(ニク)をかけたキン肉マン生誕29周年(2008年)の時から読むようになったことを明かし、「Tシャツを愛用していたり、自分のラジオでキャラソン(キャラクターソング)を流したり」「超人を考えるのって難しいけど、すごく楽しくて」と濃いファンぶりを披露した。
 「キン肉マンは漫画のリバイバルブームを引っ張っている作品の一つ」。京都国際マンガミュージアム研究員の伊藤遊さん(43)はそう話す。
 「北斗の拳」や「聖闘士星矢」など、ジャンプが飛躍的に部数を伸ばした80年代に人気を博した漫画は、その後、掲載誌を変えて「復活」し、続編や前日談などが描かれている。伊藤さんは「子供の頃に読んでいた世代が編集者になって、面白い漫画だったからもっと読みたいというシンプルな発想が元だと思うが、このパターンがヒットした。これまでにあまりなかった新しい現象ですね」。
 さらに近年、国が「知的財産立国」を掲げ、漫画やアニメが物語性などの面で質の高いソフトコンテンツとして評価され、パブリックなものに。「芸人や俳優が漫画が好きといってもマイナスポイントにならず、むしろ自身の売りにできるようになった」という。
 キン肉マンは80年代を彩っただけでなく、今なお時代に先駆けている存在ともいえそうだ。(向井大輔)

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再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上

再生核研究所声明3462017.1.16) 愛について、愛の深まり 

(On this morning (2013.12.12, at 4:20), I waked up with the mathematical idea: ――。
Meanwhile, at 6:20, I got a new idea on the Principle of Love; I will be able to write a new Announcement on human beings.)
に基づいて、再生核研究所声明146(2013.12.17) 愛の本質、愛の原理 
を纏めた。― まず、愛とは何か、の定義を与えたい。 -  愛とは、共生感に基づく、喜びの感情である としたい。本質を捉えるのには、愛が現れている典型的なところから、捉えれば良い。すなわち、命を交換する, 再生の原理、親子の愛男女の愛から、愛の本質、原理を捉えよう。共に自らの命を存続させるべき、大いなる命への帰依への原理 が働いていることを知るであろう。これは 命を共有することを述べていて、愛の定義の妥当性を述べていると考えられる。当然 大いなる命の存続性から、喜びが湧かなければ、生命の基本定理が成り立たず、生物が存続できないことになってしまうだろう。 
述べたい、愛の原理を導くには、他から見れば、変な親子、恋人、夫婦でも 愛は存在して、多くは永く、愛の感情が続いていくという,事実である。これは何を意味するであろうか。共生感が共に生きている、精神的な世界全体の共感を伴う、共通世界の共有感が、存在している事実を表わしている。初期はいずれも生物の命の共有感、再生の原理が強く働くが、それが長く続くのは、親子も、夫婦も共に生きてきた共通の世界を共有していて、その間には 運命共同体の様な連帯の絆で結ばれていることを意味する。
こうなると、親子や、男女の間に関わらず、民族や国家も同じ精神、文化を共有しているとして、共生感、連帯感に根差す、愛、愛国心がおのずから湧くのは当然である。級友や同窓会、同郷の間で、共有する想い出に根差した愛が感じられるのは、当然である。志を共にした間、さまざまな仲間の間に愛を感じるのも 当然である。同じ、想い出、文化それらは、精神的な命そのものであり、それらを共有し、大いなる命に帰依したいと本能的に求めるからである。―
また、軍隊における部隊が、寝食を共にして生活していれば、一体の生命観を共有して、自己の命も部隊の命も同じような感情を有して、一糸乱れない行動をとるようになるだろう。現に 世における戦場では 部隊が同じ運命を共にしているのは明らかである。なぜならば、部隊を離れた、自己の存在は 意味がないように感じられるからである。
人は、国の為に命が掛けられるか と問う。 祖国亡くして生きる意味があるのかと問えば、是非に及ばず、国と運命を共にせざるを得ないだろう。それは、愛の本質からの、自然な帰結となるだろう。― NHK真田丸で、きりさんの、あなたのいない世界など意味がないから、命運をともにしたい、というような言葉が鮮やかに思い出される。
親子や夫婦に愛が有るのは、共有する大きな命、経験、想い出を共有しているからである。 逆に見れば、何でも質が大事であるが、深い付き合いが 愛を深める事になるだろう。これが 愛の本質であると考える。―
以上で愛の本質と愛を深める原理が 適切に述ベられていると考える。ここで、特に関心を持つのは 愛の初期、始めの様子である。
男女の愛や親子の愛は相当に本能的で、相当に普遍的な様子が見られ、異性に惹かれる、個々の対象の選択は誠に興味深く、微妙なものであるが、内在する性格の相性やそれまでの経験が左右しているのは明らかである。初期に会った異性の影響やそれまでに得た情報が左右しているだろう。この辺の分析は将来の大きな課題になるだろう。― 予感として運命づけられていたという観点、あの時、強い影響を受けた、惹かれた、目覚めたなど。
ここでは本能に基づくより、人間的な志や道を選び、修行を続け、どんどん深まっていく愛の初期に関心をもつ。感動と喜びを得るのは 人が志す大事な要素である。もちろんそれによって収入を得、心地よい名誉が得られるもそれらを後押しするだろう。
しかしながら、人間が自由であったら、人は一体何を志すだろうか。
生まれながらに惹かれる対象、関わってどんどん深まっていくもの、それらの何れもあるように感じられる。極めて微妙である。道でも、男女の愛でも、志でも人間には能力的に限界があるから、多くは方向、対象が限られてきて、関心や興味、感動を覚える対象がどんどん特定される性格を多くは持つ。それで、それぞれの達人や専門家に成長するのが多い。しかし、これらは他方、若さゆえの柔軟性や多面性を失い、対象が狭く、深くなる傾向も有る。
ところで、この声明の趣旨は何だろうか? そこで、ゼロ除算の状況で触れると、ゼロでは割れない、考えてはいけないは数学界の100年を超えた定説である。 これが考えられると急に言われても 基礎となる知識、イメージが全然湧かないので、信じられない、具体的な例を沢山示されても 愛情も、関心も湧かないは 世に多い。このような状態ではもはや真智への愛に対する感情、意欲がない状態と言える。これは素敵な夫婦が伴侶を失って相当な歳月が経って、良い再婚相手を紹介されても 何の興味も関心も湧かないのに極めて似ていると言える。意欲、愛が湧かなければ始まらない。産声、それは生命の歓喜の喜びと言える。生命力が吹き出た様、ビッグバンのようである。その始まりをゼロと表現するとゼロの世界は深く、世界がそこに内在しているとも言える。爆発、発展させていく力、エネルギーが愛であると表現できる。人間はどのように作られているだろうか。

以 上


再生核研究所声明330(2016.11.01) 原始人間から人間を考える

人間が下等生物から、進化して現在の人類に至っている事実は 真実であると言える。この事実から、原始人間の生活とは、海岸や川辺に一族を中心に群がって生活してきた時代が何万年と続いてきたことは紛れもない事実である。雄大な生態系、その背後の豊かな自然に支えられてきて、一族は 生物や動物たちの群れのように環境の中で、バランスを取りながら、植物繁茂のように生存していたと言える。触れたい観点は、豊かな自然と生態系の中で、殆ど動物の群れのように生活してきたという観点である。 人生とは何か、人間とは何かと問ふとき、人間の経歴、原始人間の様をしっかりと捉えることは大事ではないだろうか。
人間とは、どのような存在で、どのように在るべきか の本質を示しているように見える。環境と生態系の上に存在して、それらのバランスの上に在るということである。そのような視点では、人間の知恵も能力も 大したものではなく ― 実際、人間はどんな動物も植物も、細菌さえ作ることができない ― 、逆に、人類は悪知恵が発達した まるで地球の生態系の癌細胞のような存在に成りかねないので 自戒したい。生物は自制出来る存在であるが、人間は自制できない危険な要素を有しているからである。使いようによっては非常に危険な機械、道具、手段を手に入れている。
この声明の考えの素は、人間の存在が結局、植物や動物の存在と本質的に変わりはなく、全ては生態系と環境の基礎の上に存在して、生命の運命は 本質的に変わりはない ということに気づいたことである。そのために、環境と生態系を人類の母なるものとして、大事にし、愛でて行きたいということである。
人間中心の考え方を厳に戒めて行きたい。自然、生物に対して畏敬の念を抱いてきた 神道の精神は 誠に良いのではないだろうか。お釈迦様の教えも 生態系に対する共感、共鳴に基づいた、人間的な在りようを諭されたものとして 誠に有難い教えであると考えられる。

尚、人間について考えるは、真智恵の愛と言えるが、沢山触れられている:
再生核研究所声明12:  人生、世界の存在していることの意味について 
再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道
再生核研究所声明 32: 夜明け -- ノアの方舟
再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 
再生核研究所声明 47:  肯定死
再生核研究所声明 57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか
再生核研究所声明 63 : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明74(2012.2.8): 人生・生命の肯定について再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明80(2012.3.20 ): 挑戦 とは 何か
再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること
再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代
再生核研究所声明91(2012.5.20): 創造性についての一考察
再生核研究所声明 99(2012.9.24) 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案
再生核研究所声明 105(2012.11.06) 人間の愚かさ、弱点について
再生核研究所声明 112(2013.3.14) 公理系からの脱却、論理的思考、逆思考によって、視野を高め、広めよ ― 平成暗黒時代を このまま終わらせて 良いものか
再生核研究所声明 118 (2013.5.16) 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 
再生核研究所声明 119 (2013.5.18): 冷酷な神々、自然    見捨てられた 人類
再生核研究所声明 120 (2013.5.24): 終末の在りようについての 総合的な検討を、遅れている面での 文化を進めよう ― 個人の自由意志の尊重に基づく  肯定死の保証 と 方法の確立を
再生核研究所声明 122 (2013.8.1) 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い。
再生核研究所声明 124 (2013.8.20): 恋の機微 - 恋の極意
再生核研究所声明 132 (2013.9.10):  神を如何に感じるか - 神を如何に観るか
再生核研究所声明 134 (2013.10.5): 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間
再生核研究所声明 141 (2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明 144(2013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
再生核研究所声明 145 (2013.12.14)  生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明1462013.12.17) 愛の本質、愛の原理 
再生核研究所声明1472013.12.27) 創造性についての 第二考察
再生核研究所声明1492014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明158(2014.5.22  生命と人生
再生核研究所声明159(2014.5.28  恋する男女は強い - 何故か?
再生核研究所声明160(2014.5.30  人生の晩年における楽しみ - 終末、もっと爽やかに考えたい
再生核研究所声明1682014.6.24) 霧の中 ― 環境の中の人間、盲目、偏見
再生核研究所声明1722014.8.5) 人間の愚かさについて
再生核研究所声明1732014.8.6) 愛が無ければ観えない
再生核研究所声明1752014.8.8) 人間の擁く 大きな虚像
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14) 計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明203(2015.2.4)人間とは何か、人生とは何か
再生核研究所声明205(2015.2.11) 宿命論
再生核研究所声明206(2015.2.12) 女性の生態、主婦の生態
再生核研究所声明207(2015.2.13) 男性の生態、亭主の生態
再生核研究所声明216(2015.3.12) 死について、死からの解放について
再生核研究所声明217(2015.3.13) ご自愛を ― 健康第一
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明220(2015.3.21) 戦争に関する心理について
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明254 (2015.11.2)  愛が無ければ観えない ― について、 更に
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 267(2015.12.26): 未知の世界に遭遇したとき、分からないとき ― そのときどうするか
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明 274(2016.01.08): 間をとることの重要性、余裕を持とう
再生核研究所声明288(2016.02.19) 戦友達 ― 共生、共感、共鳴
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
以 上

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