裁判員制度 失敗を直視せよ
「開かれた司法を!市民感覚の裁判を!」の大合唱のもと、平成21年に鳴り物入りでスタートした裁判員制度。しかし、広く国民が参加して司法に関わるという理念に反して、年々、裁判所から呼び出しを受けた裁判員候補者が、選任手続を辞退したり、欠席したりするケースが増え続けている。平成28年の出席者は約6割にとどまり、過去最低となった。選任手続よりも前の段階で、仕事や高齢を理由に辞退する割合も増加している。
最高裁は、辞退や欠席の増加の要因として、(1)審理予定日数の増加、(2)人手不足や非正規雇用の増加など雇用情勢の変化、(3)高齢化、(4)国民の関心低下、などを挙げている。しかし、最大の問題は、裁判員制度自体が国民の支持を得られておらず、既に見放されているということだろう。
最高裁は、このまま辞退や欠席が増え続ければ制度が維持できなくなるとの危機感から「出席率向上策を検討する」と言うが、特効薬があるはずもなく、歯止めがかからない。裁判員法は、呼出しを受けた裁判員候補者が正当な理由なく出頭しないときは裁判所の決定で「10万円以下の過料」に処することができると定めているが、今までにこの過料の決定がなされた例はない。もし、このような過料の制裁を科せば、ただでさえ不人気の裁判員制度に対する国民の不満が一気に高まってしまうからであろう。「出頭は国民の義務」と言いながら、実際は形骸化している。
かように、裁判員制度は、当初予定されていた「国民が参加して司法に関わる」という理念には程遠い現状である。あまりの不人気に、一部の関係者からは、「もっと日当を上げればいい」などの声もあるが、それこそ本末転倒である。もはや、誰のための、何のための裁判員制度なのか、なぜ続けなくてはならないのか、制度の根幹が崩壊していると言わざるを得ない。
もともと、裁判員制度は、被告人の迅速な裁判を受ける権利や手続保障をないがしろにし、国民に義務を課し負担を強いるなど、憲法違反の疑いが強い制度である。最高裁は「裁判員を経験した人の9割は制度に好意的であり、国民の高い意識に支えられて安定的に運営されている」などと言っているが、実態とはかけ離れている。そもそも刑事裁判は「真実発見と適正手続」を目的とする制度であって、参加した一般市民の「思い出作り」のためにあるのではない。
また、裁判員が出した判決が上級審で裁判官だけによる判断で破棄される割合も増加している。わざわざ裁判員となって審理し悩みながら出した判決が上級審でひっくり返されるのであれば、馬鹿らしくて参加する気にもならないであろう。さらに、死体の写真を見せられる心理的負担や暴力団事件における裁判員への脅迫など、制度に内包された危険性も露呈している。
このように、スタートから10年も経(た)っていないにもかかわらず、既に、裁判員制度がその理念とかけ離れ、機能してないことは明らかである。しかし、裁判員制度を推進してきた人々はその失敗を認めようとはしない。
果たして、国民は裁判員制度を続けたいのであろうか?多大な労力と税金をつぎ込み、国民に負担を強いてまで裁判員制度を続ける意義があるのか?国民からの支持を得られてないという現実を直視し、刑事裁判の原点に立ち返れば、今こそ、制度の廃止を真剣に検討すべき時である。
◇
【プロフィル】堀内恭彦
ほりうち・やすひこ 昭和40年、福岡市生まれ。福岡県立修猷館高校、九州大学法学部卒。弁護士法人堀内恭彦法律事務所代表。企業法務を中心に民事介入暴力対策、不当要求対策、企業防衛に詳しい。九州弁護士会連合会民事介入暴力対策委員会委員長などを歴任。日本の伝統と文化を守る「創の会」世話人。趣味はラグビー。
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再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。
アメリカの陪審員制度みたいに、
陪審員が決めた判決内容で結審って感じになれば話も違ってくるかもしれないが、
上級審に持って行って判決内容をひっくり返せるシステムでは、
やるだけアホらしいと思うわなw
ホント、日本の司法制度ってロースクールもそうだが、
カッコだけ外国の真似をして中身スカスカってパターンが多いわなw
陪審員が決めた判決内容で結審って感じになれば話も違ってくるかもしれないが、
上級審に持って行って判決内容をひっくり返せるシステムでは、
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