2017年6月24日土曜日

俳優・平岳大さん 両親と同じ道 背中押した父

俳優・平岳大さん 両親と同じ道 背中押した父 

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優の平岳大さんだ。
 ――父は故・平幹二朗さん、母は佐久間良子さん。両親とも有名俳優という実感は幼い頃からありましたか。
 「小学1年の授業参観に母が来た時、私が同級生のお母さんに『お母さんのサイン欲しい?』と話し掛けていたそうです。最初は周囲の反応を楽しんでいたようですね。でも小学4年で両親が離婚します。自宅に報道陣が押し掛けてきたり、通学電車の中づり広告に親の名前が出ていたり……。有名人の子供であることが一気に嫌になりました」
 「離婚前から父はあまり家にいた記憶がありません。別の授業参観の時、休み時間に相撲で遊んでいて、友達を強く投げ飛ばすのを見た父は『自分への怒りを友達にぶつけているのでは』と思い、泣いたそうです」
 ――高校1年の途中で米国に留学。両親の存在も影響した決断だったのですか。
 「中学はサッカー部。強豪校で厳しい練習を頑張りましたが、遠征で観衆が親の名前をささやくのが聞こえてきました。『こんなに一生懸命サッカーに打ち込んでも、遠征先でまで親のことを言われるのか』と思うと、日本から出て行きたくなりました」
 ――でも最終的に、日本で、両親と同じ仕事を選んだ。
 「米国時代はブロードウェーに通ったり、一時帰国した際は父の舞台を鑑賞したり、演劇自体は好きでした。父には『(年齢的に)遅すぎるよ』と言われましたが、最後は『好きなことをやればいい』と背中を押してくれました」
 ――両親から演技指導は。
 「父と食事すると演劇の話ばかりでしたが、互いの演技には触れないんですよ。でも毎回別れ際に一言だけ『あのシーンのあのセリフ、聞こえにくかったぞ』なんて言うんです。母はどちらかといえばテレビや映画の人なので、カメラ目線について指導されたことはありますが、舞台の演技には何も言いませんね」
 ――大河ドラマ「真田丸」では偉大な父の存在に葛藤する武田勝頼役が話題でした。
 「あんなに反響があるとは思いませんでした。脚本の三谷幸喜さんは(役者の個性に合わせた)『当て書き』をする方。私の境遇を何かしら投影したのかもしれませんね。勝頼の『憎んでいるけど同じぐらい愛している』という心境は理解できます」
 ――お父さんは昨年10月に亡くなられました。
 「前日に双子の妹の家を一緒に訪ねました。孫を抱きながら『君たちには、こんなことをしてあげられなかった。許してくれるか』と聞かれました。私も妹も『家庭のために何かを我慢して平凡な俳優になるより、自分の道を突き進んでくれて正解でしたよ』と言ったら、涙ぐんでましたね。帰り道、背負っていた重荷を降ろしたような、晴れ晴れとした表情だったのが忘れられません」

毎回楽しみに見ていました:

再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について


ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:

再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間

以 上

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