中国女数学家的故事
筹算女杰王贞仪
女数学家王贞仪(1768-1797 ),字德卿,江宁人,是清代学者王锡琛之女,著有《西洋筹算增删》一卷、《重订策算证讹》一卷、《象数窥余》四卷、《术算简存》五卷、《筹算易知》一卷。
从她遗留下来的著作可以看出,她是一位从事天文和筹算研究的女数学家。算筹,又被称为筹、策、筹策等,有时亦称为算子,是一种棒状的计算工具。一般是竹制或木制的一批同样长短粗细的小棒,也有用金属、玉、骨等质料制成的,不用时放在特制的算袋或算子筒里,使用时在特制的算板、毡或直接在桌上排布。应用“算筹”进行计算的方法叫做“筹算”,算筹传入日本称为“算术”。算筹在中国起源甚早,《老子》中有一句“善数者不用筹策”的记述,现在所见的最早记载是《孙子算经》,至明朝筹算渐渐为珠算所取代。
17世纪初叶,英国数学家纳皮尔发明了一种算筹计算法,明末介绍到我国,也称为“筹算”。清代著名数学家梅文鼎、戴震等人曾加以研究。戴震称其为“策算”。王贞仪也从事研究由西洋传入我国的这种筹算,并且写了三卷书向国人介绍西洋筹算。她在著作中对西洋筹算进行增补讲解,使之简易明了。王贞仪介绍的纳皮尔算筹乘除法,当时的读者认为容易了解,但与当时我国的乘除法筹算的方法相比,显得较繁杂,因此,数学家们没有使用西洋筹算,一直使用中国筹算法。今天的读者把中外筹算乘除法视为老古董,采用的是由外国传入的笔算四则运算,这种笔算于1903年才开始被使用,故我国与世界接轨使用笔算的历史只有100年。
数学会女前辈高扬芝
高扬芝(1906-1978 ),江西南昌人,从小学习勤奋,特别喜欢数学。
高中毕业后考入北京大学数学系,由于学习成绩优秀,1930年大学毕业后应聘到上海大同大学担任数学教员,后成为教授、数学系主任。在课堂教学中,她遵循《学记》中所说的:“善歌者使人继其声,善教者使人继其志。”所以,高扬芝的数学教学一贯是兢兢业业、讲求实效,深受学生欢迎。
高扬芝长期从事数学分析(旧时叫高等微积分)、高等代数和复变函数等课程的教学与研究。她深知,高等数学比初等数学更加抽象,外行人常常把它看成是由冷酷的定义、定理、法则统治着的王国。因此,高教授常常告诉学生,数学结构严谨,证明简洁,蕴含着数学的美。它像一座迷宫,只要你潜心学习、研究,就能寻求到走出迷宫的正确道路。一旦顺利走出迷宫,成功的愉悦会使你兴奋不已,你会向新的、更复杂的迷宫挑战,这就是数学的魅力。
她在上海大同大学工作不到五年的时间里,自身潜在的科研天赋很快被唤醒催发。经过刻苦钻研教材,结合教学实践,她撰写出论文《Clebsch氏级数改正》,1935年在交通大学主编的《科学通讯》上连载,得到同行好评。解放后,她又著有《极限浅说》《行列式》等科普读物多部。
高扬芝是中国数学会创始时的少数女性前辈之一。1935年7月25日中国数学会在上海交通大学图书馆举行成立大会,共有33人出席,高扬芝就是其中的一位。在这次年会上,她被推选为中国数学会评议会评议,后连任第二、三届评议会评议。1951年8月,中国数学会在北京大学召开了规模空前的第一次全国代表大会,高扬芝出席了大会。她是这次到会代表63人中惟一的女代表。20世纪60年代,她被选为江苏省数学会副理事长。
第一位数学女博士徐瑞云
徐瑞云,1915年6月15日生于上海,1927年2月考入上海著名的公立务本女中读书。徐瑞云从小喜欢数学,读中学时对数学的兴趣更加浓厚,因此,1932年9月高中毕业后报考了浙江大学数学系。当时,浙大数学系的教授有朱叔麟、钱宝琮、陈建功和苏步青。此外,还有几位讲师、助教。数学系的课程主要由陈建功和苏步青担任。当时数学系的学生很少,前一届两个班学生共五人,她这届也不过十几人。
当时苏步青才30岁,看上去十分年轻,因此徐瑞云的同学中有人认为苏步青是助教,可是听完一堂课后就不住地赞叹说:“想不到助教竟能讲得这么好。”这件事引起知情者的哄笑。徐瑞云在陈建功和苏步青的教导下,勤奋学习,专心听讲,认真做笔记,她的考试成绩经常是满分。1936年7月,徐瑞云以优异成绩毕业了,被浙大数学系留校任助教。1937年2月,26岁的徐瑞云与28岁的生物系助教江希明喜结伉俪。新婚三个月后,徐瑞云夫妇获得亨伯特留学德国的奖学金,双双乘船漂洋赴德国留学,攻读博士学位。
徐瑞云有幸被德国著名的数学大师卡拉凯屋独利接受,由他担任她的数学博士指导老师。当时有不少学生想请他作导师,他都没有同意。而徐瑞云这位东方女士因学习勤奋,数学功底扎实,成了卡拉凯屋独利的关门弟子。徐瑞云主要研究三角级数论。这门学科起源于物理学的热传导问题的傅里叶分析的主要部分,是当时国际上研究的热门之一,在中国还是一个空白。
徐瑞云为将来能在分析、函数论方面赶上世界先进水平,废寝忘食,广撷博采,把大部分时间都用在图书馆里。1940年底,徐瑞云获得博士学位,成了中国历史上第一位女数学博士。她的博士论文“关于勒贝格分解中奇异函数的傅里叶展开”,1941年发表在德国《数学时报》上。
完成学业的徐瑞云夫妇,随即离德回国,于1941年4月回到母校,双双被聘为副教授,正式登上在战火硝烟的大后方培养人才的讲台。在艰苦的条件下,陈建功和苏步青没有中断在杭州时共创的函数论和微分几何两个数学讨论班,这是一种教学相长、遴选英彦的科研形式,徐瑞云也参与其间。1944年11月,英国驻华科学考察团团长李约瑟参观了浙大数学系和理学院,连声称赞道:“你们这里是东方的剑桥!”这更加激励了徐瑞云的勤奋工作。她这时教的学生曹锡华、叶彦谦、金福临、赵民义、孙以丰、杨宗道等,后来都成了杰出的数学家和数学教育家。1946年,31岁的徐瑞云提升为正教授。
1952年,徐瑞云调入浙江师院,被任命为数学系主任,从此全身投入了艰苦的创建数学系的工作中。在她的领导下,没有几年功夫,数学系已初具规模,教学质量不断提高。第一届本科毕业生约有三分之一考取了研究生。他们系也成为全国同行的楷模,进入全国同行前列。徐瑞云在建设数学系的同时,没有忘记科学研究。她翻译了苏联那汤松的名著《实变函数论》。译本于1955年由高等教育出版社出版。
第一位女数学院士胡和生
胡和生于1928年出生在南京市一个艺术世家,祖父和父亲都是画家。她从小耳濡目染,聪明好学,画感、乐感很强,祖父和父亲特别喜欢她。读小学和中学时,她不偏科,文理兼优,这些对她后来从事数学事业帮助很大。
胡和生虽然爱好广泛,但她的理想不是成为一位画家,而是考上大学继续深造。抗战胜利以后,胡和生考进大学数学系,1950年毕业,又报考了浙江大学著名数学家、中国微分几何创始人苏步青教授的硕士研究生。1952年院系调整,苏教授与她转入了上海复旦大学。复旦是以苏步青为首的我国微分几何学派的策源地,人才济济,加之老一辈数学家的鼓励指导,同行的互勉竞争,托着这颗新星冉冉升起。
胡和生长期从事微分几何研究,在微分几何领域里取得了系统、深入、富有创造性的成就。例如,对超曲面的变形理论,常曲率空间的特征问题,她发展和改进了法国微分几何大师嘉当等人的工作。19 60-1965年,她研究有关齐次黎曼空间运动群方面的问题,给出了确定黎曼空间运动空隙性的一般有效方法,解决了六十年前意大利数学家福比尼所提出的问题。她把这个结果,整理在与自己的丈夫谷超豪合著的《齐性空间微分几何》一书中,受到同行称赞。她早期在我国最高学术刊物之一《数学学报》上发表了《共轭的仿射联络的扩充》(1953年)、《论射影平坦空间的一个特征》(1958年)、《关于黎曼空间的运动群与迷向群》(1964年)等重要论文。至今,她发表了七十多篇(部)论文、论著。她在射影微分几何、黎曼空间完全运动群、规范场等研究方面都有很好的建树,成为国际上有相当影响和知名度的女数学家。她的一些成果处于国际领先或国际先进水平。例如,在调和映照的研究中,她撰写的专著《孤立子理论与应用》,发展了“孤立子理论与几何理论”的成果,处于世界领先地位。
1982年,胡和生与合作者获国家自然科学三等奖;1984年起担任《数学学报》副主编,并担任中国数学会副理事长;1989年被聘为我国数学界的“陈省身数学奖”的评委;1992年当选为中国科学院数学物理学部委员(1994年改称院士),至今选出来的数学家院士,只有胡和生一人是女性。
华裔算杰张圣蓉
张圣蓉1948年生于陕西省西安市,出生不久便随父母到台湾居住。她从小聪慧,喜爱读书,对数学情有独钟。张圣蓉中学毕业后考入著名的台湾大学数学系,1970年获学士学位。她不满足于此,又以优异成绩考入美国加利福尼亚大学,攻读数学博士学位。
“函数”是数学中最基本、最重要的概念。一位著名数学家说过“函数概念是近现代数学思想之花”。它的产生、发展实质上反映了近现代数学迅速发展的历程,同时也与函数论、解析数学的发展相辅相成。张圣蓉选择了现代数学的重要前沿分支之一“函数论”作为攻读对象。她的导师是一位著名的函数论世界大师,她要同函数论专家一道去摘取函数论皇冠上的明珠。
1974年,张圣蓉获伯克利加利福尼亚大学博士学位,从此在美国从事函数论的研究工作。她对函数论中复平面上的解析函数、多复变函数以及有界函数的解析函数的逼近等高深领域都有涉猎,1976年,28岁的张圣蓉通过对道格拉斯函数的研究撰写了世人没有发现的这类函数特征的论文,这为第二年著名数学家马歇尔解决著名的道格拉斯猜测铺平了道路。张圣蓉一鸣惊人,1977年又撰写出另一篇令函数论专家惊叹的论文,证明了马歇尔攻克道格拉斯猜测中的一个未发现的难题。在清一色的男数学家主导的函数论领域,她确立了自己的地位。
来源:好玩的数学
编辑:Gemini
声明:本文由入驻搜狐公众平台的作者撰写,除搜狐官方账号外,观点仅代表作者本人,不代表搜狐立场。https://www.sohu.com/a/131856277_701814
とても興味深く読みました:中国はゼロ除算をやっていないか・・・・・・
再生核研究所声明359(2017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0 で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:
複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。
以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1 -16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
再生核研究所声明357(2017.2.17)Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明 339で 次のように述べている:
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。
以 上
追記
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
0 件のコメント:
コメントを投稿