白瀧神社~桐生織の発祥地とされる古社
江戸時代より「西の西陣、東の桐生」と呼ばれ、古くから優れた織物の町として発展してきた織都(しょくと)・桐生市。ここには明治から昭和初期に建てられた、商家や蔵に織物工場など、伝統的な建物が多く、日本遺産の文化財として認定されたものも。その中で、桐生の織物の発祥と発展にまつわる3つの文化財をご紹介。
最初のご紹介は白瀧神社。桐生を代表する日本遺産の文化財で、桐生織の発祥地と云われる場所です。起源は奈良時代頃とされる、1200年近い歴史を持つ古社。御祭神は織物の神様ともされる天八天千々姫命(あめのやちちひめのみこと)と、白瀧姫の御霊の合祀。ここが桐生織の発祥地とされるのは、白瀧姫の伝説に由縁があります。
【白瀧姫の伝説】
昔、仁田山(現在の桐生市川内町)から1人の男が、京の宮中へ奉仕へ出ました。男は宮中で官女の白瀧姫と出会い、2人は惹かれ合うようになります。その後、和歌の会にて、男と白瀧姫の詠んだ見事な歌に、天皇は御感されて、男に白瀧姫を連れて里へ帰る事をお許しに。白瀧姫は、養蚕・製糸・機織の技を広く伝え、機神として祀られました。身分の違いを越えて結ばれた2人。神社には縁結びのご利益があるとされています。
【桐生市の日本遺産について】
日本遺産「かかあ天下~ぐんまの絹物語」は、養蚕・製糸・織物と、絹産業に関わる12件の文化財で構成されたもの。その中で、織物に関する6件の文化財が桐生市にあります(白瀧神社を含む)。詳細は文末の関連MEMOにある日本遺産のサイトからご参照ください。http://guide.travel.co.jp/article/19306/
最初のご紹介は白瀧神社。桐生を代表する日本遺産の文化財で、桐生織の発祥地と云われる場所です。起源は奈良時代頃とされる、1200年近い歴史を持つ古社。御祭神は織物の神様ともされる天八天千々姫命(あめのやちちひめのみこと)と、白瀧姫の御霊の合祀。ここが桐生織の発祥地とされるのは、白瀧姫の伝説に由縁があります。
【白瀧姫の伝説】
昔、仁田山(現在の桐生市川内町)から1人の男が、京の宮中へ奉仕へ出ました。男は宮中で官女の白瀧姫と出会い、2人は惹かれ合うようになります。その後、和歌の会にて、男と白瀧姫の詠んだ見事な歌に、天皇は御感されて、男に白瀧姫を連れて里へ帰る事をお許しに。白瀧姫は、養蚕・製糸・機織の技を広く伝え、機神として祀られました。身分の違いを越えて結ばれた2人。神社には縁結びのご利益があるとされています。
【桐生市の日本遺産について】
日本遺産「かかあ天下~ぐんまの絹物語」は、養蚕・製糸・織物と、絹産業に関わる12件の文化財で構成されたもの。その中で、織物に関する6件の文化財が桐生市にあります(白瀧神社を含む)。詳細は文末の関連MEMOにある日本遺産のサイトからご参照ください。http://guide.travel.co.jp/article/19306/
白瀧神社の由来
桐生市川内町五丁目(旧仁田山[にたやま])に鎮座する白瀧神社の御祭神は、天八千々姫之命[あめのやちちひめのみこと](織物、紡績の神)に白瀧姫の御霊を合祀したものである。
白瀧姫は、横萩右大臣豊成公[よこはぎうだいじんとよなりこう]の二女として、天平宝字年間(七五七~七六五)に京都にお生まれになった。長じて御所に白瀧の前[きさき]と称し官女として奉仕したる折りに、仁田山の住人、山田の舎人[とねり]が郡役として御所に奉仕した。当時文学盛んにしてしばしば御歌の会が催され、数々の詠進の中に白瀧の前と山田の詠進に、相互の思慕の念顕れこの由、叡聞[えいぶん]に達し御感[ぎょかん]のあまり、白瀧姫を山田の舎人に下され相伴い仁田山の里に帰り来しと云う。
白瀧姫は養蚕・製糸・機織りの業をよく修め、これを里人に教え土地の産業として広く及ぼした。依って織物発祥の祖神として機神天神として奉り、祭事を執り行い、明治の初年『白瀧神社』と改称し、現在の社殿を修造する。その後、織物の隆盛に伴い、崇敬者の寄進により、神楽殿・手水舎・社務所・参集殿を築造し、社頭整備等で尊厳維持をはかる。桐生市の名勝の一つにかぞえられている。
境内の『降臨石』と称する大岩は、その昔岩に耳をあてると機音が聞こえたが、不心得者が雪駄を履いて岩に上がってから機音が止まってしまったとの言い伝えがある。http://www.yamasuki.com/kagura/siratakijinja.html
桐生市川内町五丁目(旧仁田山[にたやま])に鎮座する白瀧神社の御祭神は、天八千々姫之命[あめのやちちひめのみこと](織物、紡績の神)に白瀧姫の御霊を合祀したものである。
白瀧姫は、横萩右大臣豊成公[よこはぎうだいじんとよなりこう]の二女として、天平宝字年間(七五七~七六五)に京都にお生まれになった。長じて御所に白瀧の前[きさき]と称し官女として奉仕したる折りに、仁田山の住人、山田の舎人[とねり]が郡役として御所に奉仕した。当時文学盛んにしてしばしば御歌の会が催され、数々の詠進の中に白瀧の前と山田の詠進に、相互の思慕の念顕れこの由、叡聞[えいぶん]に達し御感[ぎょかん]のあまり、白瀧姫を山田の舎人に下され相伴い仁田山の里に帰り来しと云う。
白瀧姫は養蚕・製糸・機織りの業をよく修め、これを里人に教え土地の産業として広く及ぼした。依って織物発祥の祖神として機神天神として奉り、祭事を執り行い、明治の初年『白瀧神社』と改称し、現在の社殿を修造する。その後、織物の隆盛に伴い、崇敬者の寄進により、神楽殿・手水舎・社務所・参集殿を築造し、社頭整備等で尊厳維持をはかる。桐生市の名勝の一つにかぞえられている。
境内の『降臨石』と称する大岩は、その昔岩に耳をあてると機音が聞こえたが、不心得者が雪駄を履いて岩に上がってから機音が止まってしまったとの言い伝えがある。http://www.yamasuki.com/kagura/siratakijinja.html
白滝姫の物語
今から1300年も前の話し、上野国(こうずけのくに)山田郡(現在の桐生市川内町辺り)には、さしたる産業も無く、税の代わりに賦役として一人の青年が京都の公家屋敷で下働きをする事になった。この家からは帝の元へ女官として白滝姫が宮中に上がっていたという。
山田の某という青年は、この白滝姫を見て恋い焦がれ、ついに思いの丈を伝えるべく、恋歌を送った。東国の外れ、上野の国から来た下働きの者が、教養あふれる見事な歌を、しかも如何に恋い焦がれているかを歌ったものを受け取り、いつしか白滝姫もこの青年に恋する様になった。
山田の某が都を離れ故郷に帰る時、やっと二人の恋は許され、共に桐生に戻る事になった。今の川内町辺りに着いたとき、「ああ、この辺りの山は京の都の小倉山に似ている」とか言ったという。その為にこの辺りを小倉とか小倉山、あるいは仁田山と言われる様になったという。江戸時代前期まで、桐生織物を「仁田山紬」と言っていたそうだ。
白滝姫は教養と知性のあふれた優しい人物で、中国から戻った空海が伝えた最新技術を学び、それを桐生に伝えた。わずかに採れていた蚕の量産技術と、その蚕の絹を使っての織物技術も伝えた。当時としては最高の絹織物となった様で、延喜5年(905年)上野国の税はあしぎぬ(絹織物)と定められた。貧しかった村人は、絹織物の産業で豊かな暮らしになっていった。
白滝姫のもう一つ伝えたものに、空海が伝えた「うどん」などの粉食文化がある。明治以降、絹織物の殖産産業で桐生市が興隆したときに、陰では働く織り子さん達の空腹を癒したのが「うどん」だが、この「うどん」の製麺法も白滝姫が伝えたものだと言われている。貧しいこの辺りでは小麦だけは良く育っていた様で、これを粉にひき、捏ねて伸ばしてうどんにする。そのうどんを煮込むときに、その時々の季節の野菜を入れて煮る。これが今に伝わる上州の郷土料理の「おっ切り込み」というものだ。
この辺りの土地では「地粉」という、少し色が悪くコシが強くて、麺自体に独特の味もある。煮込んでも溶けたり崩れたりし難く、小麦本来の栄養価も高い。白く精製されたものよりも見た目は良くないが、本来の麺の旨味は残っている。きのこ茶屋で食べたのは、この地粉で作られたうどんだった。ランチメニューとして載ってるが、せいぜい10食分くらいしか打てないという。精製された粉と違い、面倒なのだろう。昔からの地粉を使うのも店長のこだわりなのかも知れない。ここでは「おっ切り込み」ではなく、普通の付け汁で食べる様だ。新規開店後間もないので仕方ないが、いずれは上州の「おっ切り込み」を、きのこと共に食してみたいと思っている。
白滝神社は今も川内町にあるが、良く知られているのは桐生市産業文化会館前、市役所の横にある「織姫神社」だろう。この地に川の水を利用して発電し、日本織物株式会社(富士紡績株式会社)がその興隆をした頃、明治28年に白滝神社から分祀され織姫神社としたようだ。御神体は白滝姫の像だと聞いた事がある。同じ様な白滝姫の像は、桐生が岡公園にも建てられている。http://www.ookawa.info/matikado/03.html
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明357(2017.2.17)Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明 339で 次のように述べている:
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。
以 上
追記
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明359(2017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0 で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:
複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。
以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1 -16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
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