めっちゃ数学できる一族、ベルヌーイさん家の偉大すぎる功績
数学は、普段の生活には何の関係もないように見えて、実はさまざまな場面で私たちの生活を支えています。確率や流体の動きの法則性、建物を支える梁のたわみ方なども数学で証明がされ、私たちに文明社会に生かされているのです。そしてそれらの数学的発見には、ある一族の存在が密接に関わっています。それは、17世紀にヨーロッパで活躍したベルヌーイ一族です。彼らはたった3代のうちに8人もの数学者を排出し、なかでもダニエル・ベルヌーイの発表した、ベルヌーイの定理は、飛行機が飛ぶ仕組みを説明する偉大な発見です。YouTubeのサイエンス系動画チャンネル「SciShow」。今回は、天才的数学一族「ベルヌーイ家」にまつわるエピソードをご紹介します。
ベルヌーイ一族の偉大な功績
ハンク・グリーン氏 化学や数学の授業を受けていた時に、特定の人たちの名前を使っていませんでしたか? オイラー、ラプラス、ガウスなど、功績を残した人の名前が使われている原理や定理、方程式は数多くあります。ベルヌーイの最速降下曲線問題、流体におけるベルヌーイの定理、ベルヌーイの確率分布などと耳にしても不思議ではありません。しかし、これらは1人のベルヌーイではないのです。17世紀から18世紀にかけて、ベルヌーイ一族には3世代に渡って数学に秀でた人物が8人もいました。その中でもヤコブ、ヨハン、ダニエルの3人はずば抜けていたのです。1623年生まれのニコラス・ベルヌーイが一族の始まりでした。ニコラスにはヤコブ、自分に因んだニコラウス、ヨハンという3人の息子ができます。ニコラウスは画家、議員となりましたが、残りの兄弟は著名な数学者になります。兄のヤコブは、こんにち学校で学ぶ微積分に関する多くの業績を残しました。とりわけ最も重要な業績は確率論でしょう。大数の法則といわれる問題を解決し、ベルヌーイ分布として知られる法則を発見します。どちらもランダムに発生する出来事の収束を予測するものです。例えばサイコロを連続で降ったとします。3回振った時に、1、4、6と出るときもあれば、3回連続で2が出る時もあります。ランダムですね。ところが何度も何度もサイコロを振り続ければ、出た目の平均した数は3.5に収束していくのです。何千回という膨大な回数振り続ければ、どの目も同じ回数だけ出るはずです。それで結局は3.5に限りなく近づくわけですね。ヤコブはこれを数学的に証明し、現在の確率論の基礎を築きました。コインを投げるような、結果が2択の場合に用いられるベルヌーイ分布にも同じ考えが含まれています。ヤコブは数学や科学で頻繁に用いられる有名な定数、eも発見しました。バクテリアから銀行の口座数まで、連続して数が増え続ける現象を表現する際に用いられます。興味が尽きませんね。ヤコブの弟であるヨハンも数学に興味を持ちます。1696年に、2点を結んだ下向きの曲線に沿って玉を落とした時に1番早くなる曲線はどれか、という問題を提起します。ギリシャ語の「最速(brachistos)」、「時間(chronos)」という単語を用いて、最速降下曲線問題(brachistochrone problem)と名付けました。2点を結んだ直線が1番速い経路だろうと思うかもしれません。しかし、直線は最短の経路ですが、最速ではありません。サイクロイドと呼ばれる曲線で結ばれた経路だと、重力で玉を加速させるため2点を最速で転がるのです。ガリレオをはじめとした幾人かがそうした概念に気づいてはいましたが、ヨハンが初めて微積分を用いて証明しました。一方でヤコブは微積分学を多方面に発展させつつ、同時にその解も独自に発見しました。ヨハンはさらに、0を0で割る、∞を∞で割るといった解も見つけています。今ではロピタルの定理として知られていますが、ロピタルが出版した教科書にヨハンが微積分を講義した内容として載せられていました。ヨハンの3人の息子も数学者でしたが、今に残る影響を与えたのはダニエルでしょう。彼は流体力学において、ベルヌーイの定理という流体における圧力と速度の関係をあらわした原則を発見しました。ベルヌーイの定理は、翼の上側を流れる気体が下側より速く流れるという、飛行機が飛ぶ仕組みにも関係しています。物理学ではオイラーとの共同研究で、ベルヌーイ=オイラーの梁理論という、梁が力を受けた時のたわみ具合を表す方法を考案します。この梁理論に基づいた物理学は、梁、橋、ビルといった現在の数多くの工学分野において力を発揮しています。理解しないとだめですね。ダニエルはさらに、リスクを数学的に測定する方法や、気体の運動論についても発展させました。ベルヌーイ一家が多大な成功を収めたのは、その時代と場所に一因があります。ニュートンとライプニツが微積分を考案し、世界のあらゆることを分析する強力な道具が手に入った時代でした。数学と科学の才能にあふれたベルヌーイ一家は、そうした道具を使ってこの世の仕組みを解き明かしていきました。教科書に何度も名前が出てくるのもうなずけますね。……内容を理解するのは中々難しいですけど。http://logmi.jp/197715
とても興味深く読みました:ベルヌーイとロピタルとの間には契約があってロピタルは命名権のためにいくらかの対価を与えたということである。ロピタルの死後にベルヌーイが自分こそが定理の発見者であると暴露した[3]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明357(2017.2.17)Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明 339で 次のように述べている:
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。
以 上
追記
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明359(2017.3.20)
ゼロ除算とは何か ― 本質、意義
ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0 で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:
複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。
以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1 -16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…
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