2017年4月13日木曜日

「論理コトバ」を使って学びなおしをすれば、数学についての苦手意識が減っていくかも

「論理コトバ」を使って学びなおしをすれば、数学についての苦手意識が減っていくかも

数学の本質は、コトバにあります。
数学とはコトバの学問であるというのが、「数学とは何か」に対する私の答えです。計算が上手になるための学問ではありません。
・数学は人生を変えるためのもの
・数学はものごとの構造をつかむためのもの
・数学は納得をつくるためのもの
・数学は簡潔にわかりやすく伝えるためのもの
ひとつでも違和感を覚える1行があったなら、その違和感を大切にしてください。
(「はじめに」より)
こう記すのは、『「伝わらない」がなくなる 数学的に考える力をつける本』(深沢真太郎著、講談社)の著者。「ビジネス数学」の専門家として、数学をビジネスパーソンの人材育成に活用している教育コンサルタントです。しかし本人の表現を借りるなら、人に数学を教えているのではなく、人を数学的にしているのだとか。
つまり本書も、数学を新たな視点で眺め、ムダなものをそぎ落とし、大胆に考えていくことでその本質をあぶり出したものだというのです。いったい、それはどのような考え方なのでしょうか? 第1章「数学は頭を一瞬で整理する技術」から、要点を抜き出してみたいと思います。

数学が教えるのはコトバの使い方


この項で著者は読者に対し、シンプルな問いを投げかけています。
数学とは、いったい何をする学問でしょうか。
(22ページより)
著者が耳にした答えの多くには、「計算」という表現が含まれていたそうです。当然といえば当然ですね。しかし、数学の主役が本当に計算かというと、そうではないというのです。なぜなら計算は、単なる作業にすぎないから。もし数学が、計算することを主とする学問だとしたら、「数学=作業」ということになってしまう。たしかにそこには、大きな違和感があります。そして著者の数学に対する考え方は、次の1行に集約されるそうです。
数学とは、コトバの使い方を学ぶ学問。
(23ページより)
たとえば五角形の面積をどう求めるか考える際、「しかも」や「ゆえに」のように論理的なコトバ(著者はこれを「論理コトバ」としています)で事実をつなげていくことにより、五角形の面積を求める手法を説明できるというのです。
三角形の面積は「底辺×高さ÷2」で求められる。
↓しかも
どんな五角形も、3つの三角形に分けることができる
↓ゆえに
それら3つの面積を合計することで、五角形の面積を求めることができる。
(25ページより)
なるほど、「しかも」「ゆえに」で話をつなげていくと、五角形の面積の求め方が無理なく理解できます。つまり、「数学は計算する学問ではなく、論理コトバを使う学問」であるという考え方が、ここに集約されているわけです。そして、これが本当の数学の姿なのだと著者は主張してもいます。(21ページより)

数字も計算もいらない数学の学びなおし



大人向けの数学教室に通うとか、書籍を購入して自主学習するなど、大人になってからでも数学を学べる方法はいくらでもあるでしょう。しかし著者は、勉強する必要はないと断言しています。その代わり、日常生活で使うコトバを変えるべきだというのです。それこそが、「いまからでも数学的な人物に変身できる方法」だということです。
根拠は、先ほど触れた上記の五角形の面積の話のとおり。同じことを日々の生活のなかで行えば、それは「数学を使っている」ことになるというわけです。いいかえれば、ものごとを構造化して矛盾やムダのない論述をし、誰もが100%納得できるように説明する(伝える)ということ。
ここで例として挙げられているのは、子どもにカレーの材料を買ってくるように伝える際の表現方法。もちろん「カレーに必要な材料、適当に買ってきて」と伝えるだけでもいいわけですが、「適当に」だと、なにを買うべきか困ってしまう可能性も否定できません。そこで、より明確に伝えるために、こんなプロセスを経て話せばよいというのです。
必要なのは全部で、肉・ジャガイモ・ニンジン・タマネギ・ルー
↓しかも
冷蔵庫の中にはジャガイモ・ニンジン・タマネギが十分ある
↓ゆえに
必要なのは牛肉・ルーだけ
(36ページより)
このように伝えれば子どもは納得し、安心して買い物が可能に。すでに冷蔵庫にあるものを買ってくるというムダも生じません。当たり前の言い換えではあるけれど、これも立派な数学の活用だと著者はいいます。
つまりは「普段からちゃんと考えて伝えましょう」という事例ですが、「ちゃんと考えて伝える」ことは、論理コトバを使えば簡単にできるようになるということです。(34ページより)

思考を促すコトバとは



次に登場するのは、ビジネスパーソンである自分が、「昨日の売上高が450万円で、それは前日比96%だったというデータを知った」というケース。このとき「なぜなら」という論理コトバを自分に問いかけたら、原因の特定と改善策を考える方向に思考が進むというのです。
昨日の売上高450万円(前日比96%)
↓なぜなら
悪天候のため、来客数はおよそ10%減だった
↓ゆえに
明日以降の晴天の日は販売強化日とする必要がある
(37ページより)
という思考が可能になるわけです。しかし、もしも同じ局面において「一方で」という論理コトバを自分に問いかけたとしたら、「なにかとの比較」という方向に思考が進むことになります。
昨日の売上高450万円(前日比96%)
↓一方で
競合他社の数字は400万円(前日比90%)との情報あり
↓ゆえに
450万円という数字は決して悲観するものではない
(38ページより)
論理コトバを使うことによって、思考の方向性が定まるということ。そういう意味では、論理コトバが思考を促してくれるとも解釈できそうです。そこで著者は、いままでは使わなかった論理コトバを、最初は無理矢理でもいいので使ってみるべきだと主張しています。これこそが、「数学の学びなおし」だというわけです。(37ページより)




このように、著者の考え方はとても独創的。「数学的」ではないからこそ、より本質に近づくことができるのかもしれません。そういう意味では、数学が苦手な人こそ読んでみるべきだといえそうです。

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明327(2016.10.18)  数学教育についての提案
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:

再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―

と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心 を失なわせ、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。

数学の教育については、下記も参照:

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について                 
以 上

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