2017年4月7日金曜日

AIが人類を超える意味——カーツワイルの予言

AIが人類を超える意味——カーツワイルの予言

発明家にして未来学者、コンピュータ・エンジニアでもあり、実業家。現在、グーグルで技術部門のディレクターの一人であるレイ・カーツワイル氏は、人類がテクノロジーを取り入れることで近い将来、次の段階へ進化すると言う。人類を超えた存在(ポスト・ヒューマン)とは、どのようなものなのか。そこで見える世界は、天国か地獄か、それとも変わらぬ日常か――。インタビューはサンフランシスコ郊外、カーツワイルが創設者の一人である教育機関「シンギュラリティ大学」内の図書室で行われた。(インタビュー・吉成真由美/Yahoo!ニュース 特集編集部)

ほんの10年でAIが人間の知能を超える

レイ・カーツワイル:1948年ニューヨーク生まれ。マサチューセッツ工科大学卒業。発明家、未来学者。2012年より、生涯初の会社勤めとなるグーグル社で、技術部門のディレクターの一人として活躍。シンセサイザー「Kurzweil K250」、文章音声読み上げマシンなどを発明。レメルソン‐MIT賞やアメリカ国家技術賞などを受賞。著書に『シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき』など(撮影:Matt Beardsley)
——人類は「シンギュラリティ」と呼ばれる新時代に移行する端境期にあると言っておられます。そして2029年にはコンピュータが人間の脳力を超えるという予測を立てています。ほんの10年あまりでコンピュータがそこまで進化するという根拠について伺いたいのですが。
われわれは、つい「線形的な」将来予測をしてしまいます。これまでの人類の歴史においては、「あの動物はあちらの方へ向かって移動しているので、もしこの道を進んでいったら、あの先の岩のあたりで出会ってしまう。それを避けるためにこちらの道を行った方がいい」といった線形思考がサバイバルに役立ってきました。だから、それが脳の機能として定着していったわけです。
しかし、情報テクノロジーは線形的な発達ではなく、指数関数的な発達をします。
たとえば、「ヒトの遺伝子の塩基配列をすべて解析する」というヒトゲノム計画。このプロジェクトは、1%の解析が終わるまでに7年を要しました。多くの科学者や批評家たちは、「1%の解析に7年かかったのだから、すべてを解析するにはその100倍、700年かかる」と予測した。線形思考ですね。
しかし、私は、「1%終わったのなら、もうほとんど終わりに近づいている」と考えました。この分野の研究は、毎年倍々で結果が伸びていくから、次の年には2%、その次の年には4%、その次の年には8%……つまりあと7年で解析は終わりだ、と。実際そのようになりました。
AIも、まさに指数関数的に発達します。6年前には、「AIはまだ犬と猫の区別さえつかないじゃないか」と批判されましたが、現在は犬と猫の区別はもちろん、コンピュータのほうが人間よりもイメージ認識力にすぐれている場合もあります。非常に深いパターン認識力を必要とする碁も、ほんの数年前まで「AIが人間のチャンピオンに勝つことは不可能じゃないか、少なくともあと100年は無理だろう」という見方がありました。しかし2016年の段階で、AIが人間の碁名人に勝ってしまいました。
2016年3月韓国のソウルで、グーグル・ディープマインド社によって開発されたコンピュータ囲碁プログラム「アルファ碁」と韓国のプロ棋士、イ・セドル九段が5回に渡り対局。4勝1敗で「アルファ碁」が勝利をおさめた(写真:Lee Jae-Won/アフロ)
2011年に、IBMのコンピュータ・プログラム「ワトソン」がアメリカの人気TVクイズショウ「ジョパディ!」で世界一の回答者2人を破りました。ワトソンは、ユーモアや語呂合わせ、なぞかけにジョーク、さらには比喩を理解する能力を備えていました。自力でウィキペディアほか2億ページにものぼる人間の自然言語文書を読み、知識を積み上げていったんです。まだ小説を書いたり、作曲ができるところまではいっていませんが、時間の問題だと考えています。
そして、コンピュータがすべての分野において人間の脳力を超えるようになるのが、2029年だと予測したわけです。

人間の思考力は無限に拡大していく

——人類が「人間の脳力を超えたコンピュータ」を手に入れると、何が起こるのでしょうか。
まず、寿命が格段に延びると思います。人間がもともと備える自己防衛力の1つが免疫系ですが、老化にともない顕在化してくる疾患に対しては役に立っていません。進化は長寿を選択してこなかったからですね。自然界にある食料の量には限界があるし、25歳を過ぎて子どもを育ててしまえば、進化上はもうお役御免。実際1000年前、人間の寿命は19歳でした。1800年でも37歳です。
しかし、発達した人工知能は、人間の免疫力を強化することができます。今のところスマートフォンのようなデバイス(機器)は、主にコミュニケーション手段として使われています。しかし、2030年までには、これらのコンピュータ・デバイスが血球ほどの大きさになる。血球サイズのロボットは、血液中に入り免疫力を拡張してくれる。結果として、人間の寿命は延びるというわけです。
また、人類は、拡張現実(AR)を日常的に体験することになるでしょう。今はARデバイスを眼や耳や腕に装着していますが、2030年代になればそれらを神経系の中で行うようになる。すると、現実と寸分違わない世界を、脳内に作ることもできるようになります。
2016年3月に米サンフランシスコで開催されたマイクロソフト社のイベントにて。映像と現実世界をミックスしたような体験ができる「ホロレンズ」を使う女性(写真:ロイター/アフロ)
一番重大なのは、思考などの高次タスクを担う脳の新皮質を、直接インターネットのクラウド(コンピュータ・ネットワークのこと)につなげるようになることで、われわれの思考そのものが拡大するということです。
約200万年前、われわれが類人猿から人類に進化する段階で、新皮質が拡張し、前頭葉は大きくなりました。新皮質は多層構造になっていて、新しい層が上に追加されるようにしてできています。そして、上の層になればなるほど、より知的で抽象的な高次のタスクを行います。これにより頭蓋骨も膨張したため、出産時のリスクも大きくなりました。これ以上大きくなると、出産が不可能になります。それでも十分な新皮質の拡大が言語の誕生につながり、アートや音楽がさらに続きました。いかに原始的な文化であっても、人間の文化であれば必ず音楽が存在します。他のどの動物にも存在しない特徴です。
われわれは、同じような「進化」を遂げる時期に来ています。新皮質の最上層をクラウドにつなげることによって、新皮質が「量的に」拡大をするわけです。ちょうど200万年前に、新皮質の拡大が行われたのと同じように。
しかも今回は「一度きり」の進化に止まらない。クラウドは情報テクノロジーですから、指数関数的に拡張していく。つまり、毎年パワーが倍々で増加していく。したがって、人類の思考力は、無限に拡大していくことになると考えています。

シンギュラリティは、進化の必然だ

——イスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリのように、ホモ・サピエンスとポスト・ヒューマンとの間には超えられない差が生じていき、50%の人間が職を失い、役立たずになるだろうと予測する意見もありますが……。
アメリカにはアーミッシュという小さなグループがあって、今でも電子機器を一切使わずに生活をしています。彼らが使うのは、馬車など19世紀のテクノロジーまで。しかし彼らはごく限られた小さなグループです。一般の人たちは、おしなべてテクノロジーの恩恵に浴します。タイミングに多少の差はありますが、多かれ少なかれ社会全体に浸透するでしょう。
さきほど触れた医療用のナノロボットは、基本的にワクチンと同じ働きをします。そしてワクチン同様に、将来的には無料で提供されるようになる。限られたお金持ちだけが恩恵に浴するのではなく、スマートフォンのように何億という人々が使うようになり、いずれ無料ですべての子どもたちに提供されるようになると考えています。
「医療用のナノロボットが、いずれ無料ですべての子どもたちに提供されるようになる」(カーツワイル氏)(撮影:Matt Beardsley)
——人類は、進化の樹の「一つの枝」の上に乗っているに過ぎません。何らかの環境変化でホモ・サピエンスが滅び、他の種が生き延びることも十分考えられます。「人間には進化のコースをデザインする力がある」というのは、一種の不遜ではないでしょうか。
確かに進化は、人類に向かって起こっているわけではなく、多方向に向かって起こってきています。多方向ですが、その一つが「知能を高める」という方向だと思います。その上人類は、自分の知能を自分が創った「外部機器に移す」という飛躍を成し遂げた。
他の動物、例えばビーバーはダムを作ることができる。しかし、高知能のテクノロジーを生み出し、それがさらに次世代のテクノロジーを生み出すようなことはできません。
人類は自然の創造物ですが、テクノロジーを生み出し、そのテクノロジーが次世代の音楽、アート、サイエンス、新たなテクノロジーなどを生み出し、それらがさらにその次の創造物につながっている。このことを指摘するのは「不遜」ではなく、人類が進化上の一つの臨界点を超えたという事実を「観察」して、述べているに過ぎません。
進化の過程でこれは避けて通れないことです。「シンギュラリティ」の究極の本質はここにあります。つまり、自らを改良していけるような、十分に知能の高いテクノロジーを生み出すことです。
「『人間には進化のコースをデザインする力がある』と考えるのは、一種の不遜ではないでしょうか」(吉成)(撮影:Matt Beardsley)
——テクノロジーの進化には、ネガティブな側面もあると思いますが……。
作曲家だった私の父は、オーケストラを雇わなければ自分の作品を聞くことができませんでした。今なら、学生が一人で、シンセサイザーやパソコンを駆使しジャズバンドやロックバンドやオーケストラを組み、自分の作品を自由に聞くことができます。子どもたちは、一流の音楽家たちから直接指導を受けることができる。世界中の人たちと友達になったり、コミュニケートすることもできる。これは、テクノロジーの進化がもたらした大きなメリットです。
一方で、いじめが、ソーシャル・コミュニケーション・ツールの発達によって拡大することも確かでしょう。またテクノロジーが進化したことで、テロリスト・グループがソーシャル・メディアで憎悪のイデオロギーを宣伝したり、リクルートすることも可能になった。こちらは大きなデメリットです。
テクノロジーを使うことで、ガンや他の病気を遠ざけることができる一方、同じテクノロジーを使いウィルスの毒性を高めたり拡散機能を拡大して、恐ろしい生物兵器に仕立てることもできる。
テクノロジーのもたらすポジティブな面はネガティブな面を上回っていると思いますが、「ネガティブな面が無い」と考えているわけではありません。
日常生活において、医療現場において、戦場において……、さまざまなレベルにおける「希望の拡大」と「危機の縮小」は、これからの人類が直面する大きな課題でしょう。
「テクノロジーのもたらすポジティブな面はネガティブな面を上回っていると思います」(カーツワイル氏)(撮影:Matt Beardsley)

吉成真由美(よしなり・まゆみ)
サイエンスライター。マサチューセッツ工科大学卒業(脳および認知科学)。ハーバード大学大学院修士課程修了(脳科学)。元NHKディレクター。教育番組、NHK特集など担当。著書に『知の逆転』『知の英断』など。ノーム・チョムスキー氏らのインタビューを収録した最新刊、『人類の未来——AI、経済、民主主義』が4月10日刊行予定。https://news.yahoo.co.jp/feature/571?utm_content=bufferdada0&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

再生核研究所声明198(2015.1.14) 計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて

まず、簡単な例として、割り算、除算の考えを振り返ろう:

声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるか(除けるか)と考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数の商は50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっていると言う(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
計算機は、上記のように 割り算を引き算の繰り返しで、計算して、何回引けるかで商を計算すると言う。 計算機には、予想や感情、勘が働かないから、機械的に行う必要があり、このような手順、アルゴリズムが必要であると考えられる。 これは計算機の本質的な原理ではないだろうか。
そこで、人間は、ここでどのように行うであろうか。 100/2 の場合は、2掛ける何とかで100に近いものでと考え 大抵50は簡単に求まるのでは? 3/2も 3の半分で1.5くらいは直ぐに出るが、 2掛ける1で2、 余り1で、 次は10割る2で 5そこで、1.5と直ぐに求まるのではないだろうか。
人間は筆算で割り算を行うとき、上記で何回引けるかとは 発想せず、何回を掛け算で、感覚的に何倍入っているか、何倍引けるか、と考えるだろう。この人間の発想は教育によるものか、割り算に対して、逆演算の掛け算の学習効果を活かすように 相当にひとりでに学習するのかは極めて面白い点ではないだろうか。この発想には掛け算についての相当な経験と勘を有していなければ、有効ではない。
この簡単な計算の方法の中に、人間の考え方と計算機の扱いの本質的な違いが現れていると考える。 人間の方法には、逆の考え、すなわち積の考えや、勘、経験、感情が働いて、作業を進める点である。 計算機には柔軟な対応はできず、機械的にアルゴリズムを実行する他はない。 しかしながら、 計算機が使われた、あるいは用意された情報などを蓄積して、どんどんその意味における経験を豊かにして、求める作業を効率化しているのは 広く見られる。 その進め方は、対象、問題によっていろいろなアルゴリズムで 具体的には 複雑であるが、しかし、自動的に確定するように、機械的に定まるようになっていると考えられる ― 厳密に言うと そうではない考えもできる、すなわち、ランダムないわゆる 乱数を用いるアルゴリズムなどはそうとは言えない面もある ― グーグル検索など時間と共に変化しているが、自動的に進むシステムが構築されていると考えられる。 それで、蓄積される情報量が人間の器、能力を超えて、計算機は 人間を遥かに超え、凌ぐデータを扱うことが可能である事から、そのような学習能力は、人間のある能力を凌ぐ可能性が高まって来ている。 将棋や碁などで プロの棋士を凌ぐほどになっているのは、良い例ではないだろうか。もちろん、この観点からも、いろいろな状況に対応するアルゴリズムの開発は、計算機の進化において 大きな人類の課題になるだろう。

他方、例えば、幼児の言葉の学習過程は 神秘的とも言えるもので、個々の単語やその意味を1つずつ学習するよりは 全体的に感覚的に自動的にさえ学習しているようで、学習効果が生命の活動のように柔軟に総合的に進むのが 人間の才能の特徴ではないだろうか。

さらに、いくら情報やデータを集めても、 人間が持っている創造性は 計算機には無理のように見える。 創造性や新しい考えは 無意識から突然湧いてくる場合が多く、 創造性は計算機には無理ではないだろうか。 そのことを意識したわけではないが、人間の尊厳さを 創造性に 纏めている:

再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点

そこでも触れているが、信仰や芸術、感情などは生命に結び付く高度な存在で、科学も計算機もいまだ立ち入ることができない世界として、生命に対する尊厳さを確認したい。

しかしながら、他方、人間の驚くべき 愚かさにも自戒して置きたい:
発想の転換、考え方の変更が難しいということである。発想の転換が 天動説を地動説に変えるのが難しかった世界史の事件のように、また、非ユークリッド幾何学を受け入れるのが大変だったように、実は極めて難しい状況がある。人間が如何に予断と偏見に満ち、思い込んだら変えられない性(さが) が深いことを 絶えず心しておく必要がある: 例えば、ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで、世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できた(再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ― 7つの視点)。そこで、この弱点を克服する心得を次のように纏めている:
再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
以 上


ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。


1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
      
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上

再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
                                  
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。2014.4.1.11:10

上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上

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