2017年3月31日金曜日

テーマ:社会 地球で1000年ぶりの「大地変動の時代」がはじまった!

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地球で1000年ぶりの「大地変動の時代」がはじまった!

何枚ものプレートが接する日本列島は、外国人から見れば「人が住んでいること」さえ恐ろしいと思うほどの立地条件にある。
にもかかわらず、日本の高校・大学ではいま、「地学離れ」が進み、日本人の「地学リテラシー」は中学生レベルで止まったままともいわれている。
そこで「マグマ大使」の異名をとる著者が、地学の「おもしろいところ」「ためになるところ」だけを抜き出し、かつてない教養の書を刊行。
地学の世界に起きた「2つの革命」とは? 巨大地震・巨大噴火は本当に起こるのか?
日本人にとって必須の教養を、いまこそ身につけよう!

「地学の全体像」を理解するために

地球は宇宙空間に浮かぶ一個の星です。そのことは誰でも知っています。
では、その知識はどうやって得たのでしょうか。そもそも「地球」と言っても、地面が丸い球でできていることを実感することはできません。小学生でも知っている「地球は丸い」ことを証明するのは、それほど容易なことではないのです。
21世紀に生きる私たちは、おびただしい量の知識が集積した上で暮らしていますが、その一つ一つは、先人たちが大変な苦労を積み重ねて獲得した知識です。その「知」の歴史をたどることは、人類の活動そのものを知ることでもあるでしょう。
しかも、知的好奇心を満たすだけではなく、私たちの住む地球がいかに特殊で、かけがえのないものであるかを認識することにもつながるのです。
私は地学を専門とするようになって40年ほど経ちますが、その間に地球の不思議にたえず魅せられてきました。
とくに、この20年は京都大学で学生と院生たちへ地学を教えながら、その面白さと生活上の有用性を説いてきました。講義では「人はいかに地球を認識してきたのか」という話が、初めて地学を学ぶ若者たちを惹きつける格好の材料でした。
たとえば、人間の「自然を知りたい」という知的好奇心によって地学がどのように誕生したか、は大変おもしろいテーマです。
さらに、400年前にデカルトによって自然科学の方法論が確立されて以来、科学者たちの努力によって驚くべき地球の姿がいかに明らかになったか、といった「教材」は、地学を最初に学ぶ上で最も興味深いアイテムのひとつでしょう。
と同時に、今後の地球がどうなるかを占う未来予測にとっても非常に重要な知識なのです。
こうした理由から、以前より私は京大での講義で「おもしろくてタメになる」というモットーを掲げながら、知識が学生たちの将来に役立つように工夫してきました。
しかし残念ながら、京都大学のように研究を主目的とする大学の講義はあまりおもしろいものにはならず、学生たちの評判は決して高いものではありませんでした。
私が担当する1、2年生向けの「地球科学入門」の講義も、ご多分に漏れず若者の興味を惹くものではありません。
そこで私は、京大の講義がおもしろさと有用性を併せ持つものとなるように、20年ほど腐心してきました。その一つの試みが、縦書きの「新書」を教科書に使って講義を行うというものでした。
通例、理系科目は数式が並んだ横書きの厚い教科書を使います。
しかし私は、これでは初学者に興味をつなぐことは難しいと考えて、『富士山噴火―ハザードマップで読み解く「Xデー」』(講談社ブルーバックス)を執筆し、これを教科書として使いました。結果は上々で、閑古鳥が鳴いていた「地球科学入門」の講義は、立ち見が出るまでになりました。
本書はこのときの経験を活かして、地学の素人の方々にもわかるように平易に、かつ身近な話題を用いて「地学の全体像」が理解できるように組み立てたものです。
なぜこのような本を書こうと思ったかというと、講演会の質疑応答などを通じて、「地学とはどういう学問なのか」が一般社会ではよく知られていないことに気づいたからです。そもそも「地学とは何か」を解き明かすベーシックな本が、世の中になかったのです。
地学は「地を学ぶ」と書き、われわれ人類が生きている基盤を学習する学問です。
具体的には、硬い岩盤のある地球(固体地球と呼びます)、水や空気が流れている海洋と大気(流体地球と呼びます)がどうしてできたのかを明らかにします。さらに、固体地球や流体地球を取り囲む太陽系の成り立ちを考え、太陽系から銀河系、宇宙へと領域を広げていきます。
それらのすべては、人類の「生存の基盤」を知ることと結びついています。本書はそのための基本的な事項を知ってほしいと考えて書きました。地学のアウトラインを学んだ結果、地学に関心を持つ人々が増え、さらに「地学をやってみよう」という若者が一人でも多く生まれることを願っています。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51044

地学の先生がとても面白い人でした:

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。

アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

再生核研究所声明3592017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義

ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0  で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:

複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。

以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1 -16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

再生核研究所声明3572017.2.17Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。

                               以 上

追記

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

【神童】2歳で化学について語ってた!「未来のアインシュタイン」と呼ばれる天才少年がハンパない / 銅の電子配置をスラスラと……!!

【神童】2歳で化学について語ってた!「未来のアインシュタイン」と呼ばれる天才少年がハンパない / 銅の電子配置をスラスラと……!!

努力して身に着けられる知識や技はあるが、生まれ持った才能にはかなわないものだ。まさに、そんな生まれつきの天才とも呼べる7歳の少年が、「未来のアインシュタイン」だと呼ばれて話題を呼んでいる。2歳で酸素の電子数を当てていた少年の天才ぶりが、超ハンパないのである!

・7歳の天才少年の頭の良さがハンパない!

「未来のアインシュタイン」だと注目を集めているのは、レゴで遊ぶのが大好きだという米ニューヨーク在住で7歳のロマニエオ・ゴルフィン・ジュニア君だ。パッと見はごく普通の少年だが、ロマニエオ君を特集したニュース番組の動画で、彼が遊んでいるのは化学の構造式を組み立てる模型である。
彼が組み立てているのは、‟メトオキシ” と呼ばれる分子の構造式で、普通の人ならチンプンカンプンでも当たり前な話題であることは間違いない。

・銅の電子配置をスラスラ言えちゃう少年がスゴい!!

そして、両親と一緒にブルックリンミュージアムを訪れたロマニエオ君は、ある銅像を見て「銅の電子配置は1s2, 2s2, 2p6, 3s2, 3p6, 4s1, 3d10だ」と言い出すではないか!
息子の言葉を聞いた父親は、「100パーセント正解だ!」と満足気に返答。ロマニエオ君の言ったことが正解だと分かるパパもスゴいが、この時点で、すでに少年のIQの高さがハンパないことがお分かり頂けるのではないだろうか。

・2歳で化学について語っていたロマニエオ君

なんでもロマニエオ君は、すでに2歳で化学について語っていたというから驚きである。当時の様子を録画したビデオでは、8粒のブドウを円状に並べた父親が、「電子を8つ持つ分子は何かな!?」と尋ねると、間髪を入れずに「酸素~!」と無邪気に答えているのだ。
また化学だけでなく、少年はピアノの音を聞いただけで和音を当てることが出来る抜群の耳を持っていて、分野に限らず天才ぶりを発揮しているようだ。
たった7歳でこれほどのIQの高さを見せつけているとは、本当にロマニエオ君は未来のアインシュタインだと言えそうだ。これから少年が、どんな風に成長するのか楽しみである。
参照元:YouTube8CBS8(英語)
執筆:Nekolas


凄い:

再生核研究所声明325(2016.10.14) 
ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
 Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
 (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)  Sep. 2016  305 pp.            (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL

再生核研究所声明3592017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義

ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0  で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:

複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。

以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1 -16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

再生核研究所声明3572017.2.17Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。

                               以 上

追記

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
 
再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。

アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Rođen René Descartes, jedan od pokretača znanstvene revolucije – 1596.

Rođen René Descartes, jedan od pokretača znanstvene revolucije – 1596.

 
Descartes je tijekom svog radnog vijeka dao golem doprinos ljudskom znanju na poljima matematike i filozofije, do te mjere da su njegova djela i danas nezaobilazna pri proučavanju tih disciplina.Dana 31. ožujka 1596. godine rođen je René Descartes, znameniti francuski filozof i prirodoslovac. Rodio se u gradiću La Haye en Touraine, smještenom 40-ak kilometara južno od rijeke Loire. Zanimljivo je da je taj gradić njemu u čast kasnije preimenovan u Descartes, a nalazi se samo 28 kilometara od gradića imena Richelieu, u kojem je golemi dvorac svojedobno bio sagradio moćni kardinal Richelieu. Inače, René Descartes i kardinal Richelieu bili su suvremenici, rođeni u razmaku od oko 10 i pol godina (dapače, preminuli su u razmaku od oko sedam godina, tako da su im se veći dijelovi života međusobno preklapali). U okolini Descartesovog rodnog mjesta smješteno je mnogo dvoraca jer se u blizini nalazi znamenita dolina rijeke Loire. Descartes je tijekom svog radnog vijeka dao golem doprinos ljudskom znanju na poljima matematike i filozofije, do te mjere da su njegova djela i danas nezaobilazna pri proučavanju tih disciplina. Smatra ga se jednom od najvažnijih osoba za nastanak znanstvene revolucije u ranom novom vijeku. Premda je rođen u srcu Francuske, znatan je dio svog života (čak 20-ak godina) proživio na području današnje Nizozemske, a preminuo je u Švedskoj. Smrt ga je zatekla 1650. godine na dvoru švedske kraljice Kristine, kojoj je prethodno služio kao učitelj.https://www.dnevno.hr/ekalendar/na-danasnji-dan/roden-rene-descartes-jedan-od-pokretaca-znanstvene-revolucije-1596/
 

ゼロってナニ!? 

ゼロを拒んだ古代の偉人たち

 
再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか

ここ2年半、ゼロで割ること、ゼロ除算を考えているが、ゼロそのものについてひとりでに湧いた想いがあるので、その想いを表現して置きたい。
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。積を考えて変わらない元が数字の1である:

Wikipedia:ウィキペディア:
初等代数学[編集]
数の 0 は最小の非負整数である。0 の後続の自然数は 1 であり、0 より前に自然数は存在しない。数 0 を自然数に含めることも含めないこともあるが、0 は整数であり、有理数であり、実数(あるいは代数的数、複素数)である。
数 0 は正でも負でもなく、素数でも合成数でも単数でもない。しかし、0は偶数である。
以下は数 0 を扱う上での初等的な決まりごとである。これらの決まりはxを任意の実数あるいは複素数として適用して構わないが、それ以外の場合については何も言及していないということについては理解されなければならない。
加法:x + 0 = 0 +x=x. つまり 0 は加法に関する単位元である。
減法: x− 0 =x, 0 −x= −x.
乗法:x 0 = 0 ·x= 0.
除法:xが 0 でなければ0x= 0 である。しかしx0は、0 が乗法に関する逆元を持たないために、(従前の規則の帰結としては)定義されない(ゼロ除算を参照)。

実数の場合には、数直線で、複素数の場合には複素平面を考えて、すべての実数や複素数は直線や平面上の点で表現される。すなわち、座標系の導入である。
これらの座標系が無ければ、直線や平面はただ伸びたり、拡がったりする空間、位相的な点集合であると考えられるだろう。― 厳密に言えば、混沌、幻のようなものである。単に伸びたり、広がった空間にゼロ、原点を対応させるということは 位置の基準点を定めること と考えられるだろう。基準点は直線や平面上の勝手な点にとれることに注意して置こう。原点だけでは、方向の概念がないから、方向の基準を勝手に決める必要がある。直線の場合には、直線は点で2つの部分に分けられるので、一方が正方向で、他が負方向である。平面の場合には、原点から出る勝手な半直線を基準、正方向として定めて、原点を回る方向を定めて、普通は時計の回りの反対方向を 正方向と定める。これで、直線や平面に方向の概念が導入されたが、さらに、距離(長さ)の単位を定めるため、原点から、正方向の点(これも勝手に指定できる)を1として定める。実数の場合にも複素数の場合にも数字の1をその点で表す。以上で、位置、方向、距離の概念が導入されたので、あとはそれらを基礎に数直線や複素平面(座標)を考える、すなわち、直線と実数、平面と複素数を1対1に対応させる。これで、実数も複素数も秩序づけられ、明瞭に表現されたと言える。ゼロとは何だろうか、それは基準の位置を定めることと発想できるだろう。
― 国家とは何だろうか。国家意思を定める権力機構を定め、国家を動かす基本的な秩序を定めることであると原理を述べることができるだろう。
数直線や複素平面では 基準点、0と1が存在する。これから数学を展開する原理を下記で述べている:

しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。

複素平面ではさらに大事な点として、純虚数i が存在するが、ゼロ除算の発見で、最近、明確に認識された意外な点は、実数の場合にも、複素数の場合にも、ゼロに対応する点が存在するという発見である。ゼロに対応する点とは何だろうか?
直線や平面で実数や複素数で表されない点が存在するであろうか? 無理して探せば、いずれの場合にも、原点から無限に遠ざかった先が気になるのではないだろうか? そうである立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点ではないかと発想するだろう。その美しい点は無限遠点としてその美しさと自然さ故に100年を超えて数学界の定説として揺るぐことはなかった。ゼロに対応する点は無限遠点で、1/0=∞ と考えられてきた。オイラー、アーベル、リーマンの流れである。
ところが、ゼロ除算は1/0=0 で、実は無限遠点はゼロに対応していることが確認された。
直線を原点から、どこまでも どこまでも遠ざかって行くと、どこまでも行くが、その先まで行くと(無限遠点)突然、ゼロに戻ることを示している。これが数学であり、我々の空間であると考えられる。この発見で、我々の数学の結構な部分が修正、補充されることが分かりつつある。
ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識を変える必要がある。ゼロで割る多くの公式である意味のある世界が広がってきた。それらが 幾何学、解析学、代数学などと調和して数学が一層美しい世界であることが分かってきた。

全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。この2重性は 基本的な指数関数y=e^x が原点で、0 と1 の2つの値をとると表現される。このことは、今後大きな意味を持ってくるだろう。

古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。

2点から無限に遠い点 無限遠点は異なり、無限遠点は基準点原点の指定で定まるとの認識は面白く、大事ではないだろうか。
以 上
 
 
再生核研究所声明3392016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタはその中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとしてされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
他方、人間存在の根本的な問題四苦八苦(しくはっく)、根本的な苦 四苦
·         愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
·         怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
·         求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
·         五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦に対する人間の在り様の根本を問うた仏教の教えは人類普遍の教えであり、命あるものの共生、共感、共鳴の精神を諭されたと理解される。人生の意義と生きることの基本を真摯に追求された教えと考えられる。アラブや西欧の神の概念に直接基づく宗教とは違った求道者、修行者の昇華された世界を見ることができ、お釈迦様は人類普遍の教えを諭されていると考える。

これら2点は、インドの誠に偉大なる、世界史、人類における文化遺産である。我々はそれらの偉大な文化を尊崇し、数理科学にも世界の問題にも大いに活かして行くべきであると考える。 数理科学においては、十分に発展し、生かされているので、仏教の教えの方は、今後世界的に広められるべきであると考える。仏教はアラブや欧米で考えられるような意味での宗教ではなく、 哲学的、学術的、修行的であり、上記宗教とは対立するものではなく、広く活かせる教えであると考える。世界の世相が悪くなっている折り、仏教は世界を救い、世界に活かせる基本的な精神を有していると考える。
ちなみに、ゼロは 空や無の概念と通じ、仏教の思想とも深く関わっていることに言及して置きたい。 いみじくも高度に発展した物理学はそのようなレベルに達していると報じられている。この観点で、歴史的に永い間、ゼロ自身の西欧社会への導入が異常に遅れていた事実と経過は 大いに気になるところである。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。

アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

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Mengenang Isaac Newton

Mengenang Isaac Newton

 
JAKARTA, NETRALNEWS.COM - Sir Isaac Newton FRS (lahir di Woolsthorpe-by-Colsterworth, Lincolnshire, 4 Januari 1643 – meninggal 31 Maret 1727 pada umur 84 tahun; KJ: 25 Desember 1642 – 20 Maret 1726 adalah seorang fisikawan, matematikawan, ahli astronomi, filsuf alam, alkimiawan, dan teolog yang berasal dari Inggris. 
Ia merupakan pengikut aliran heliosentris dan ilmuwan yang sangat berpengaruh sepanjang sejarah, bahkan dikatakan sebagai bapak ilmu fisika klasik.
Karya bukunya Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica yang diterbitkan pada tahun 1687 dianggap sebagai buku paling berpengaruh sepanjang sejarah sains. Buku ini meletakkan dasar-dasar mekanika klasik. 
Dalam karyanya ini, Newton menjabarkan hukum gravitasi dan tiga hukum gerak yang mendominasi pandangan sains mengenai alam semesta selama tiga abad. Newton berhasil menunjukkan bahwa gerak benda di Bumi dan benda-benda luar angkasa lainnya diatur oleh sekumpulan hukum-hukum alam yang sama.
Ia membuktikannya dengan menunjukkan konsistensi antara hukum gerak planet Kepler dengan teori gravitasinya. Karyanya ini akhirnya menyirnakan keraguan para ilmuwan akan heliosentrisme dan memajukan revolusi ilmiah.
Dalam bidang mekanika, Newton mencetuskan adanya prinsip kekekalan momentum dan momentum sudut. Dalam bidang optika, ia berhasil membangun teleskop refleksi yang pertama dan mengembangkan teori warna berdasarkan pengamatan bahwa sebuah kaca prisma akan membagi cahaya putih menjadi warna-warna lainnya. Ia juga merumuskan hukum pendinginan dan mempelajari kecepatan suara.
Dalam bidang matematika pula, bersama dengan karya Gottfried Leibniz yang dilakukan secara terpisah, Newton mengembangkan kalkulus diferensial dan kalkulus integral. Ia juga berhasil menjabarkan teori binomial, mengembangkan "metode Newton" untuk melakukan pendekatan terhadap nilai nol suatu fungsi, dan berkontribusi terhadap kajian deret pangkat.
Sampai sekarang pun Newton masih sangat berpengaruh di kalangan ilmuwan. Sebuah survei tahun 2005 yang menanyai para ilmuwan dan masyarakat umum di Royal Society mengenai siapakah yang memberikan kontribusi lebih besar dalam sains, apakah Newton atau Albert Einstein, menunjukkan bahwa Newton dianggap memberikan kontribusi yang lebih besar.
Masa-masa Awal
Isaac Newton dilahirkan pada tanggal 4 Januari 1643 [KJ: 25 Desember 1642] di Woolsthorpe-by-Colsterworth, sebuah hamlet (desa) di county Lincolnshire. Pada saat kelahirannya, Inggris masih mengadopsi kalender Julian, sehingga hari kelahirannya dicatat sebagai 25 Desember 1642 pada hari 
Ayahnya yang juga bernama Isaac Newton meninggal tiga bulan sebelum kelahiran Newton. Newton dilahirkan secara prematur; dilaporkan pula ibunya, Hannah Ayscough, pernah berkata bahwa ia dapat muat ke dalam sebuah cangkir (≈ 1,1 liter). Ketika Newton berumur tiga tahun, ibunya menikah kembali dan meninggalkan Newton di bawah asuhan neneknya, Margery Ayscough. Newton muda tidak menyukai ayah tirinya dan menyimpan rasa benci terhadap ibunya karena menikahi pria tersebut, seperti yang tersingkap dalam pengakuan dosanya: "Threatening my father and mother Smith to burn them and the house over them."
Newton pada tahun 1702
Berdasarkan pernyataan E.T. Bell (1937, Simon and Schuster) dan H. Eves: Newton memulai sekolah saat tinggal bersama neneknya di desa dan kemudian dikirimkan ke sekolah bahasa di daerah Grantham dimana dia akhirnya menjadi anak terpandai di sekolahnya. 
Saat bersekolah di Grantham dia tinggal di-kost milik apoteker lokal yang bernama William Clarke. Sebelum meneruskan kuliah di Universitas Cambridge pada usia 19, Newton sempat menjalin kasih dengan adik angkat William Clarke, Anne Storer. Saat Newton memfokuskan dirinya pada pelajaran, kisah cintanya dengan menjadi semakin tidak menentu dan akhirnya Storer menikahi orang lain. Banyak yang menegatakan bahwa dia, Newton, selalu mengenang kisah cintanya walaupun selanjutnya tidak pernah disebutkan Newton memiliki seorang kekasih dan bahkan pernah menikah. ”
Sejak usia 12 hingga 17 tahun, Newton mengenyam pendidikan di sekolah The King's School yang terletak di Grantham (tanda tangannya masih terdapat di perpustakaan sekolah). Keluarganya mengeluarkan Newton dari sekolah dengan alasan agar dia menjadi petani saja, bagaimanapun Newton tidak menyukai pekerjaan barunya. Kepala sekolah King's School kemudian meyakinkan ibunya untuk mengirim Newton kembali ke sekolah sehingga ia dapat menamatkan pendidikannya. Newton dapat menamatkan sekolah pada usia 18 tahun dengan nilai yang memuaskan.
Pada Juni 1661, Newton diterima di Trinity College Universitas Cambridge sebagai seorang sizar (mahasiswa yang belajar sambil bekerja).Pada saat itu, ajaran universitas didasarkan pada ajaran Aristoteles, namun Newton lebih memilih untuk membaca gagasan-gagasan filsuf modern yang lebih maju seperti Descartes dan astronom seperti Copernicus, Galileo, dan Kepler. 
Pada tahun 1665, ia menemukan teorema binomial umum dan mulai mengembangkan teori matematika yang pada akhirnya berkembang menjadi kalkulus. Segera setelah Newton mendapatkan gelarnya pada Agustus 1665, Universitas Cambridge ditutup oleh karena adanya Wabah Besar. Walaupun dalam studinya di Cambridge biasa-biasa saja, studi privat yang dilakukannya di rumahnya di Woolsthorpe selama dua tahun mendorongnya mengembangkan teori kalkulus, optika, dan hukum gravitasi. Pada tahun 1667, ia kembali ke Cambridge sebagai pengajar di Trinity.
Masa Dewasa
Matematika
Kebanyakan ahli sejarah percaya bahwa Newton dan Leibniz mengembangkan kalkulus secara terpisah. Keduanya pula menggunakan notasi matematika yang berbeda pula. Menurut teman-teman dekat Newton, Newton telah menyelesaikan karyanya bertahun-tahun sebelum Leibniz, namun tidak mempublikasikannya sampai dengan tahun 1693. Ia pula baru menjelaskannya secara penuh pada tahun 1704, manakala pada tahun 1684, Leibniz sudah mulai mempublikasikan penjelasan penuh atas karyanya. Notasi dan "metode diferensial" Leibniz secara universal diadopsi di Daratan Eropa, sedangkan Kerajaan Britania baru mengadopsinya setelah tahun 1820.
Dalam buku catatan Leibniz, dapat ditemukan adanya gagasan-gagasan sistematis yang memperlihatkan bagaimana Leibniz mengembangkan kalkulusnya dari awal sampai akhir, manakala pada catatan Newton hanya dapat ditemukan hasil akhirnya saja. Newton mengklaim bahwa ia enggan mempublikasi kalkulusnya karena takut ditertawakan.
Newton juga memiliki hubungan dekat dengan matematikawan Swiss Nicolas Fatio de Duillier. Pada tahun 1691, Duillier merencanakan untuk mempersiapkan versi baru buku Philosophiae Naturalis Principia Mathematica Newton, namun tidak pernah menyelesaikannya. Pada tahun 1693 pula hubungan antara keduanya menjadi tidak sedekat sebelumnya. Pada saat yang sama, Duillier saling bertukar surat dengan Leibniz.
Pada tahun 1699, anggota-anggota Royal Society mulai menuduh Leibniz menjiplak karya Newton. Perselisihan ini memuncak pada tahun 1711. Royal Society kemudian dalam suatu kajian memutuskan bahwa Newtonlah penemu sebenarnya dan mencap Leibniz sebagai penjiplak. Kajian ini kemudian diragukan karena setelahnya ditemukan bahwa Newton sendiri yang menulis kata akhir kesimpulan laporan kajian ini. Sejak itulah bermulainya perselisihan sengit antara Newton dengan Leibniz. Perselisihan ini berakhir sepeninggal Leibniz pada tahun 1716.
Newton umumnya diakui sebagai penemu teorema binomial umum yang berlaku untuk semua eksponen. Ia juga menemukan identitas Newton, metode Newton, mengklasifikasikan kurva bidang kubik, memberikan kontribusi yang substansial pada teori beda hingga, dan merupakan yang pertama untuk menggunakan pangkat berpecahan serta menerapkan geometri koordinat untuk menurunkan penyelesaian persamaan Diophantus.
Ia dipilih untuk menduduki jabatan Lucasian Professor of Mathematics pada tahun 1669. Pada saat itu, para pengajar Cambridge ataupun pengajar Oxford haruslah seorang pastor Anglikan yang telah ditahbiskan. Namun, jabatan profesor Lucasian mengharuskan pula pejabatnya tidak aktif dalam gereja. Oleh karena itu, Newton berargumen bahwa ia seharusnyalah dibebaskan dari keharusan penahbisan. Raja Charles II menerima argumen ini dan memberikan persetujuan, sehingga konflik antara pandangan keagamaan Newton dengan gereja Anglikan dapat dihindari.
Dari tahun 1670 sampai dengan 1672, Newton mengajar bidang optika. Semasa periode ini, ia menginvestigasi refraksi cahaya, menunjukkan bahwa kaca prisma dapat membagi-bagi cahaya putih menjadi berbagai spektrum warna, serta lensa dan prisma keduanya akan menggabungkan kembali cahaya-cahaya tersebut menjadi cahaya putih.[18]
Dia juga menunjukkan bahwa cahaya berwarna tidak mengubah sifat-sifatnya dengan memisahkan berkas berwarna dan menyorotkannya ke berbagai objek. Newton mencatat bahwa tidak peduli apakah berkas cahaya tersebut dipantulkan, dihamburkan atau ditransmisikan, warna berkas cahaya tidak berubah. Dengan demikian dia mengamati bahwa warna adalah interaksi objek dengan cahaya yang sudah berwarna, dan objek tidak menciptakan warna itu sendiri. Ini dikenal sebagai teori warna Newton[19]
Dari usahanya ini dia menyimpulkan bahwa lensa teleskop refraksi akan mengalami gangguan akibat dispersi cahaya menjadi berbagai warna (aberasi kromatik). Sebagai bukti konsep ini dia membangun teleskop menggunakan cermin sebagai objektif untuk mengakali masalah tersebut. .Pengerjaan rancangan ini, teleskop refleksi fungsional pertama yang dikenal, yang sekarang disebut sebagai teleskop Newton melibatkan pemecahan masalah bagaimana menemukan bahan cermin yang cocok serta teknik pembentukannya. Newton menggosok cerminny sendiri dari komposisi khusus logam spekulum yang sangat reflektif, menggunakan cincin Newton untuk menilai mutu optika teleskopnya. Pada akhir 1668[ dia berhasil memproduksi teleskop pantul pertamanya. Pada tahun 1671 Royal Society meminta demonstrasi teleskop pantulnya.Minat mereka mendorongnya untuk menerbitkan catatannya, On Colour (Tentang Warna), yang kemudian dikembangkannya menjadi Opticks.
Ketika Robert Hooke mengkritik beberapa gagasan Newton, dia begitu tersinggung sehingga dia menarik diri dari depan publik. Newton dan Hooke berkomunikasi singkat pada tahun 1679-1680, ketika Hooke, yang ditunjuk untuk mengelola korespondensi Royal Society, menulis surat yang dimaksudkan untuk memperoleh sumbangan dari Newton untuk penerbitan Royal Society,, yang mendorong Newton untuk menyelesaikan bukti bahwa orbit elips planet merupakan hasil dari gaya sentripetal yang berbanding terbalik dengan kuadrat vektor jari-jari (lihat hukum gravitasi Newton) dan De motu corporum in gyrum). Namun hubungan kedua ilmuwan tersebut umumnya tetap buruk sampai saat kematian Hooke.
Newton berargumen bahwa cahaya terdiri dari partikel atau corpuscles, yang direfraksikan dengan percepatan ke dalam medium yang lebih rapat. Dia condong kepada teori gelombang seperti suara untuk menerangkan pola berulang pemantulan dan transmisi oleh film tipis (Opticks Bk.II, Props. 12), tapi masih mempertahankan teori 'fits' yang menentukan apakah corpuscles dipantulkan atau diteruskan. Para fisikawan kemudian lebih menyukai teori gelombang murni untuk cahaya untu menjelaskan pola interferensi, dan fenomena umum difraksi. Mekanika kuantum, foton, dan dualisme gelombang-partikel dewasa ini hanya memiliki kemiripan sedikit saja dengan pemahaman Newton terhadap cahaya.
Dalam Hypothesis of Light yang terbit pada tahun 1675, Newton mendalilkan keberadaan eter untuk menghantarkan gaya antarpartikel. Kontak dengan Henry More, seorang teosofis, membangkitkan minatnya dalam alkimia. Dia mengganti eter dengan gaya gaib yang didasarkan pada gagasan hermetis tentang gaya tarik dan tolak antara partikel. John Maynard Keynes, yang memperoleh banyak tulisan Newton tentang alkimia, menyatakan bahwa "Newton bukanlah orang pertama dari Abad Pencerahan (Age of Reason): dia adalah ahli sihir terakhir."] Minat Newton dalam alkimia tidak dapat dipisahkan dari sumbangannya terhadap ilmu pengetahuan; namun tampaknya dia memang meninggalkan penelitian alkimianya..[4] (Ini adalah ketika tidak ada perbedaan yang jelas antara alkimia dan sains). Bila saja dia tidak mengandalkan gagasan gaib aksi pada suatu jarak, dalam ruang hampa, dia mungkin tidak akan mengembangkan teori gravitasinya. (Lihat pula studi ilmu gaib Isaac Newton).
Pada tahun 1704 Newton menerbitkan Opticks, yang menguraikan secara terperinci teori korpuskular tentang cahaya. Dia menganggap cahaya terbuat partikel-partikel (corpuscles) yang sangat halus, bahwa materi biasa terdiri dari partikel yang lebih kasar, dan berspekulasi bahwa melalui sejenis transmutasi alkimia "mungkinkah benda kasar dan cahaya dapat berubah dari satu bentuk ke bentuk yang lain, ... dan mungkinkah benda-benda menerima aktivitasnya dari partikel cahaya yang memasuki komposisinya?" ("Are not gross Bodies and Light convertible into one another, ...and may not Bodies receive much of their Activity from the Particles of Light which enter their Composition?" ( [26] Newton juga membangun bentuk primitif generator elektrostatik gesek, menggunakan bulatan gelas (Optics, 8th Query).
Di dalam artikel berjudul "Newton, prisms and the 'opticks' of tunable lasers[ diindikasikan bahwa Newton dalam bukunya Opticks adalah yang pertama kali menunjukkan diagram penggunaan prisma sebagai pengekspansi berkas cahaya. Dalam buku yang sama dia memerikan, lewat diagram, penggunaan susunan prisma berganda. Sekitar 278 tahun setelah diskusi oleh Newton, pengekspansi prisma berganda menjadi pokok dari pengembangan laser tertalakan lebargaris sempit. Penggunaan prisma pengekspansi berkas ini berakibat terhadap pengembangan teori dispersi prisma berganda.

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明314(2016.08.08) 
世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて

今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシア数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学透視図法円錐曲線論球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学

今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシア数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学透視図法円錐曲線論球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上


再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory6, 51-58.

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。

アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

№403-761

№403-761

デカルトの葉線ですが No183 で
原点での接線に ゼロ除算が 現れていることを述べましたが、今回は、無限遠点が コンパクト化の点で 原点に写っていること、原点は 3重になっていること、また、接線が3本存在することを注意したい。 

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf  Announcement 352:   On the third birthday of the division by zero z/0=0 \\
(2017.2.2)}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\
 }
\date{\today}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, for its importance we would like to state the
situation on the division by zero and propose basic new challenges to education and research on our wrong world history of the division by zero.

\bigskip
\section{Introduction}
%\label{sect1}
By a {\bf natural extension} of the fractions
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, we found the simple and beautiful result, for any complex number $b$
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
incidentally in \cite{s} by the Tikhonov regularization for the Hadamard product inversions for matrices and we discussed their properties and gave several physical interpretations on the general fractions in \cite{kmsy} for the  case of real numbers.

 The division by zero has a long and mysterious story over the world (see, for example,  H. G. Romig \cite{romig} and Google site with the division by zero) with its physical viewpoints since the document of zero in India on AD 628.  In particular, note that Brahmagupta (598 -
 668 ?) established the four arithmetic operations by introducing $0$ and at the same time he defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta.  Our world history, however, stated that his definition $0/0=0$ is wrong over 1300 years, but, we will see that his definition is suitable. However, we do not know the meaning and motivation of  the definition of $0/0=0$, furthermore, for the important case $1/0$ we do not know any result there. However,
  Sin-Ei Takahasi (\cite{kmsy}) established a simple and decisive interpretation (1.2) by analyzing the extensions of fractions and by showing the complete characterization for the property (1.2):

 \bigskip

 {\bf  Proposition 1. }{\it Let F be a function from  ${\bf C }\times {\bf C }$  to ${\bf C }$ satisfying
$$
F (b, a)F (c, d)= F (bc, ad)
$$
for all
$$
a, b, c, d  \in {\bf C }
$$
and
$$
F (b, a) = \frac {b}{a },  \quad   a, b  \in  {\bf C }, a \ne 0.
$$
Then, we obtain, for any $b \in {\bf C } $
$$
F (b, 0) = 0.
$$
}

 Note that the complete proof of this proposition is simply given by  2 or 3 lines.
We {\bf should  define $F(b,0)= b/0 =0$}, in general.

\medskip
We thus should consider, for any complex number $b$, as  (1.2);
that is, for the mapping
\begin{equation}
W = \frac{1}{z},
\end{equation}
the image of $z=0$ is $W=0$ ({\bf should be defined}). This fact seems to be a curious one in connection with our well-established popular image for the  point at infinity on the Riemann sphere. Therefore, the division by zero will give great impacts to complex analysis and to our ideas for the space and universe.

  For Proposition 1, we see some confusion even among mathematicians;  for the elementary function (1.3), we did not consider the value at $z=0$, and we were not able to consider a value. Many and many people consider its value by the limiting like $+\infty$, $-\infty$ or the point at infinity as $\infty$. However, their basic idea comes from {\bf continuity} with the common sense or based on the basic idea of Aristotle. However, by the division by zero (1.2) we will consider its value of the function $W = \frac{1}{z}$ as zero at $z=0$. We would like to consider the value so. We will see that this new definition is valid widely in mathematics and mathematical sciences. However, for functions, we will need some modification {\bf  by the idea of the division by zero calculus } as in stated in the sequel.

Meanwhile, the division by zero (1.2) is clear, indeed, for the introduction of (1.2), we have several independent approaches as in:

\medskip
1) by the generalization of the fractions by the Tikhonov regularization and by the Moore-Penrose generalized inverse,

\medskip
2) by the intuitive meaning of the fractions (division) by H. Michiwaki - repeated subtraction method,

\medskip
3) by the unique extension of the fractions by S. Takahasi,   as in the above,

\medskip
4) by the extension of the fundamental function $W = 1/z$ from ${\bf C} \setminus \{0\}$ into ${\bf C}$ such that $W =1/z$ is a one to one and onto mapping from $ {\bf C} \setminus \{0\} $ onto ${\bf C} \setminus \{0\}$ and the division by zero $1/0=0$ is a one to one and onto mapping extension of the function $W =1/z $ from  ${\bf C}$ onto ${\bf C}$,

\medskip
and

\medskip

5) by considering the values of functions with the mean values of functions.
\medskip

Furthermore, in (\cite{msy}) we gave the results in order to show the reality of the division by zero in our world:

\medskip

\medskip
A) a field structure  containing the division by zero --- the Yamada field ${\bf Y}$,

\medskip
B)  by the gradient of the $y$ axis on the $(x,y)$ plane --- $\tan \frac{\pi}{2} =0$,
\medskip

C) by the reflection $W =1/\overline{z}$ of $W= z$ with respect to the unit circle with center at the origin on the complex $z$ plane --- the reflection point of zero is zero, not the point at infinity.
\medskip

and
\medskip

D) by considering rotation of a right circular cone having some very interesting
phenomenon  from some practical and physical problem.

\medskip

In (\cite{mos}),  many division by zero results in Euclidean spaces are given and  the basic idea at the point at infinity should be changed. In (\cite{ms}), we gave beautiful geometrical interpretations of determinants from the viewpoint of the division by zero. The results show that the division by zero is our basic and elementary mathematics in our world.

\medskip

See  J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker \cite{bht}  and J. A. Bergstra \cite{berg} for the relationship between fields and the division by zero, and the importance of the division by zero for computer science. It seems that the relationship of the division by zero and field structures are abstract in their papers.

Meanwhile,  J. P.  Barukcic and I.  Barukcic (\cite{bb}) discussed  the relation between the divisions $0/0$, $1/0$ and special relative theory of Einstein. However, their logic seems to be curious and their results contradict with ours.

 Furthermore,  T. S. Reis and J.A.D.W. Anderson (\cite{ra,ra2}) extend the system of the real numbers by introducing an ideal number for the division by zero.

 Meanwhile, we should refer to up-to-date information:

{\it Riemann Hypothesis Addendum - Breakthrough

Kurt Arbenz
https://www.researchgate.net/publication/272022137 Riemann Hypothesis Addendum -   Breakthrough.}

\medskip

Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life}:
 Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

 Apparently, the division by zero is a great missing in our mathematics and the result (1.2) is definitely determined as our basic mathematics, as we see from Proposition 1.  Note  its very general assumptions and  many fundamental evidences in our world in (\cite{kmsy,msy,mos,s16}). The results will give great impacts  on Euclidean spaces, analytic geometry, calculus, differential equations, complex analysis and  physical problems.

The mysterious history of the division by zero over one thousand years is a great shame of  mathematicians and human race on the world history, like the Ptolemaic system (geocentric theory). The division by zero will become a typical  symbol of foolish human race with long and unceasing struggles. Future people will realize this fact as a definite common sense.

We should check and fill our mathematics, globally and beautifully, from the viewpoint of the division by zero. Our mathematics will be more perfect and beautiful,  and will give great impacts to our basic ideas on the universe.

 For our ideas on the division by zero, see the survey style announcements.

\section{Basic Materials of Mathematics}

\medskip

  (1): First, we should declare that the divison by zero is {\bf possible in the natural and uniquley determined sense and its importance}.

  (2): In the elementary school, we should introduce the concept of division (fractions) by the idea of repeated subtraction method by H. Michiwaki whoes method is applied in computer algorithm and in old days for calculation of division. This method will give a simple and clear method for calculation of division and students will be happy to apply this simple method at the first stage. At this time, they will be able to understand that the division by zero is clear and trivial as $a/0=0$ for any $a$. Note that Michiwaki knows how to apply his method to the complex number field.

  (3): For the introduction of the elemetary function $y= 1/x$, we should give the definition of the function at the origin $x=0$ as $y = 0$ by the division by zero idea and we should apply this definition for the occasions of its appearences, step by step, following the curriculum and the results of the division by zero.

  (4): For the idea of the Euclidean space (plane), we should introduce, at the first stage, the concept of stereographic projection and the concept of the point at infinity  -
   one point compactification. Then, we will be able to see the whole Euclidean plane, however, by the division by zero, {\bf the point at infinity is represented by zero, not by $\infty$}. We can teach  the very important fact with many geometric and analytic geometry methods. These topics will give great pleasant feelings to many students.
  Interesting topics are: parallel lines, what is a line? - a line contains the origin as an isolated
point for the case that the native line does not through the origin. All the lines pass the origin, our space is not the Eulcildean space and is not Aristoteles for the strong discontinuity at the point at infinity (at the origin). - Here note that an orthogonal coordinate system should be fixed first for our all arguments.

(5): The inversion of the origin with respect to a circle with center the origin is the origin itself, not the point at infinity - the very classical result is wrong. We can also prove this elementary result by many elementary ways.

(6): We should change the concept of gradients; on the usual orthogonal coordinates $(x,y)$,
 the gradient of the $y$ axis is zero; this is given and proved by the fundamental result
 $\tan (\pi/2) =0$. The result is also trivial from the definition of the Yamada field.
\medskip
For the Fourier coefficients $a_k$ of a function :
$$
\frac{a_k \pi k^3}{4}
$$
\begin{equation}
 = \sin (\pi k) \cos (\pi k) + 2 k^2 \pi^2 \sin(\pi k) \cos (\pi k) + 2\pi (\cos (\pi k) )^2 - \pi k,
\end{equation}
for $k=0$, we obtain immediately
\begin{equation}
a_0  = \frac{8}{3}\pi^2
\end{equation}
(see \cite{maple}, (3.4))({ -
 Difficulty in Maple for specialization problems}
).
\medskip

These results are derived also from  the {\bf division by zero calculus}:
 For any formal Laurent expansion around $z=a$,
\begin{equation}
f(z) = \sum_{n=-\infty}^{\infty} C_n (z - a)^n,
\end{equation}
we obtain the identity, by the division by zero

\begin{equation}
f(a) =  C_0.
\end{equation}
\medskip

The typical example is that, as we can derive by the elementary way,
$$
\tan \frac{\pi}{2} =0.
$$
\medskip

We gave  many examples with geometric meanings in \cite{mos}.

This fundamental result leads to the important new definition:
From the viewpoint of the division by zero, when there exists the limit, at $ x$
 \begin{equation}
 f^\prime(x) = \lim_{h\to 0} \frac{f(x + h) - f(x)}{h}  =\infty
 \end{equation}
 or
 \begin{equation}
 f^\prime(x) =  -\infty,
 \end{equation}
 both cases, we can write them as follows:
 \begin{equation}
  f^\prime(x) =  0.
 \end{equation}
 \medskip

 For the elementary ordinary differential equation
 \begin{equation}
 y^\prime = \frac{dy}{dx} =\frac{1}{x}, \quad x > 0,
 \end{equation}
 how will be the case at the point $x = 0$? From its general solution, with a general constant $C$
 \begin{equation}
 y = \log x + C,
 \end{equation}
 we see that, by the division by zero,
 \begin{equation}
 y^\prime (0)= \left[ \frac{1}{x}\right]_{x=0} = 0,
 \end{equation}
 that will mean that the division by zero (1.2) is very natural.

 In addition, note that the function $y = \log x$ has infinite order derivatives and all the values are zero at the origin, in the sense of the division by zero.

 However, for the derivative of the function $y = \log x$, we have to fix the sense at the origin, clearly, because the function is not differentiable, but it has a singularity at the origin. For $x >0$, there is no problem for (2.8) and (2.9). At  $x = 0$, we  see that we can not consider the limit in the sense (2.5).  However,  for $x >0$ we have (2.8) and
 \begin{equation}
 \lim_{x \to +0} \left(\log x \right)^\prime = +\infty.
 \end{equation}
 In the usual sense, the limit is $+\infty$,  but in the present case, in the sense of the division by zero, we have:
 \begin{equation}
 \left[ \left(\log x \right)^\prime \right]_{x=0}= 0
 \end{equation}
  and we will be able to understand its sense graphycally.

 By the new interpretation for the derivative, we can arrange many formulas for derivatives, by the division by zero. We can modify many formulas and statements in calculus and we can apply our concept to the differential equation theory and the universe in connetion with derivatives.

(7): We shall introduce the typical division by zero calculus.

  For the integral
\begin{equation}
\int x(x^{2}+1)^{a}dx=\frac{(x^{2}+1)^{a+1}}{2(a+1)}\quad(a\ne-1),
\end{equation}
we obtain, by the division by zero calculus,
\begin{equation}
\int x(x^{2}+1)^{-1}dx=\frac{\log(x^{2}+1)}{2}.
\end{equation}

For example, in the ordinary differential equation
\begin{equation}
y^{\prime\prime} + 4 y^{\prime} + 3 y = 5 e^{- 3x},
\end{equation}
in order to look for a special solution, by setting $y = A e^{kx}$ we have, from
\begin{equation}
y^{\prime\prime} + 4 y^{\prime} + 3 y = 5 e^{kx},
\end{equation}
\begin{equation}
y = \frac{5 e^{kx}}{k^2 + 4 k + 3}.
\end{equation}
For $k = -3$, by the division by zero calculus, we obtain
\begin{equation}
y = e^{-3x} \left( - \frac{5}{2}x -  \frac{5}{4}\right),
\end{equation}
and so, we can obtain the special solution
\begin{equation}
y = - \frac{5}{2}x e^{-3x}.
\end{equation}

In those examples, we were able to give valuable functions for denominator zero cases. The division by zero calculus may be applied to many cases as a new fundamental calculus over l'Hopital's rule.

(8):  When we apply the division by zero to functions, we can consider, in general, many ways.  For example,
for the function $z/(z-1)$, when we insert $z=1$  in numerator and denominator, we have
\begin{equation}
\left[\frac{z}{z-1}\right]_{z = 1} = \frac{1}{0} =0.
\end{equation}
However,
from the identity --
 the Laurent expansion around $z=1$,
\begin{equation}
\frac{z}{z-1} = \frac{1}{z-1} + 1,
\end{equation}
we have
\begin{equation}
 \left[\frac{z}{z-1}\right]_{z = 1} = 1.
 \end{equation}
 For analytic functions we can give uniquely determined values at isolated singular points by the values by means of the Laurent expansions as the division by zero calculus, however, the values by means of the Laurent expansions are not always reasonable. We will need to consider many interpretations for reasonable values. In many formulas in mathematics and physics, however, we can see that the division by zero calculus is reasonably valid. See \cite{kmsy,msy}.

\section{Albert Einstein's biggest blunder}
The division by zero is directly related to the Einstein's theory and various
physical problems
containing the division by zero.  Now we should check the theory and the problems by the concept of the RIGHT and DEFINITE division by zero. Now is the best time since 100 years from Albert Einstein. It seems that the background knowledge is timely fruitful.

Note that the Big Bang also may be related to the division by zero like the blackholes.

\section{Computer systems}
The above Professors listed are wishing the contributions in order to avoid the division by zero trouble in computers. Now,  we should arrange  new computer systems in order not to meet the division by zero trouble in computer systems.

 By the division by zero calculus, we will be able to overcome troubles in Maple for specialization problems as in stated.

\section{General  ideas on the universe}
The division by zero may be related to religion, philosophy and the ideas on the universe; it will create a new world. Look at the new world introduced.

\bigskip

We are standing on a new  generation and in front of the new world, as in the discovery of the Americas.  Should we push the research and education on the division by zero?

 \bigskip

 \section{\bf Fundamental open problem}

 {\bf Fundamental open problem}:  {\it Give the definition of the division by zero calculus for several -variables functions with singularities.}

 \medskip

 In order to make clear the problem, we  give a prototype example.
  We have the identity by the divison by zero calculus: For

  \begin{equation}
  f(z) = \frac{1 + z}{1- z}, \quad f(1) = -1.
  \end{equation}
  From the real part and imaginary part of the function, we have, for $ z= x +iy$
   \begin{equation}
  \frac{1 - x^2 - y^2}{(1 - x)^2 + y^2} =-1,   \quad \text{at}\quad (1,0)
  \end{equation}
  and
   \begin{equation}
  \frac{y}{(1- x)^2 + y^2} = 0, \quad  \text{at}\quad (1,0),
  \end{equation}
  respectively.  Why the differences do happen?   In general, we are interested in the above open problem. Recall our definition for the division by zero calculus.

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\end{thebibliography}

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