人類は、身近に自分の姿を写す道具がない時代、なかなか自分の姿をうかがいしれませんでしたが、その時の自意識というのはどうだったのでしょうか?泉?
いやぁ、そういうものがあるところは案外少ないですよ。水たまりは、まぁ非凡にあったでしょうかね。でも、決定的に、自分の姿はこうだ!という認識がないまま生活しています。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12138844657
水に映った自分で 見ていたのでは。
人の意見を聞くも多かったのでは。
本質は、今と変わらないのでは?
再生核研究所声明86(2012.4.25) 未だ おめでたい人類 - 先史時代
人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。
人類は最も大事なこと を確認して(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと ― 世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある ― )、大いなる世界を志向すべきである(再生核研究所声明 32: 夜明け ― ノアの方舟)。 実際、人類は、生と死の問題を克服して(再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について)、 人間存在の原理に従って、進むであろう( ― ここで、人間存在の原理とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。 - 夜明け前 よっちゃんの想い。)。 しかしながら、人類が 何時でも 世界史を 閉じる 悟りの境地 に達することが望まれる(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この声明の趣旨は
1) この世で最も大事な真実は 唯一つ、最も大事なこと、 人類の生存であり、 その目標に従って 総合的な戦略をすすめること、
2) 内部的には、個人的には己が生命を輝かせる道を 歩めるように努力すること(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)、
3)それらのために、何よりもまず、 地球を良く治めよ
ということにある。
原理は、人類の生存は ひとりでに保証されるものではなく、自然や生態系などの広範な管理、運営、創造によって可能になるものであり、多様性の原理 によって、広範な科学の進歩が不可欠であるということにある。
以 上
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