2014年12月2日火曜日

衆院選きょう公示 1184人が立候補へ

衆院選きょう公示 1184人が立候補へ
12月2日 4時17分
衆院選きょう公示 1184人が立候補へ
第47回衆議院選挙が、2日に公示されます。
NHKのまとめによりますと、1日の段階で、小選挙区と比例代表、合わせて475の定員に対し、1184人が立候補を予定しており、安倍政権の経済政策・アベノミクスの評価を最大の争点に、12日間の選挙戦に入ります。
NHKのまとめによりますと、1日現在で、衆議院選挙に立候補を予定している人は、小選挙区では、自民党が283人、民主党が178人、維新の党が77人、公明党が9人、次世代の党が38人、共産党が292人、生活の党が13人、社民党が18人、諸派や無所属が44人で、合わせて952人となっています。
全国を11のブロックに分けて行われる比例代表に、小選挙区と重複立候補をせず、比例単独で立候補を予定している人は、自民党が69人、民主党が20人、維新の党が7人、公明党が42人、次世代の党が9人、共産党が23人、生活の党が7人、社民党が7人、新党改革が4人、幸福実現党が42人などで、合わせて232人となっています。
この結果、小選挙区と比例代表を合わせた立候補予定者は、1日の段階で1184人で、前回、おととしの衆議院選挙の候補者数を320人下回っています。
立候補の受け付けは、小選挙区については各都道府県の選挙管理委員会で、比例代表は総務省にある中央選挙管理会で、午前8時半から行われます。
今回の選挙は、小選挙区が5つ削減され、小選挙区295、比例代表180の、合わせて475議席を巡って争われます。
そして、安倍政権の経済政策・アベノミクスの評価を最大の争点に、与党側は過半数を確保したうえで安定した国会運営が可能な議席を維持したいとしているのに対し、野党側は与党に対抗できる勢力を築くことを目指すとしており、今月14日の投票日に向けて、12日間の選挙戦に入ります。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141202/t10013645741000.html
再生核研究所声明165(2014.6.19) 世論について
まず、世論について、wikipediaに従って、用語を確認して置こう:
世論(せろん、よろん、英語: public opinion)とは、世間一般の意見のことで、公共の問題について、多くの人々が共有している意見、もしくは大多数の賛同が得られている意見(考え)のことを指す。1つの問題を巡って世論が割れ、対立し合うこともある。
用語[編集]
日本では、戦前より、「輿論(ヨロン)」と比べるとはるかに頻度は低いものの、「世論(セイロン、セロン)も使用されていた(輿論の項参照)。使用頻度に関しては、戦前の代表的な国語辞典である『言海』などに収載されていないことが一つのめやすになるだろう。戦後の当用漢字表制定時に、「輿」が当用漢字表に含まれなかったため、新聞などでは「世論」の表記が使われるようになった。その後、それまでの「セロン」のほか、「世の中の論」という感覚での「ヨロン」という読み(湯桶読み)も一般化した。
概要[編集]
世論は多くの人々が共有する意見であり、社会の統合化の促進、支配者の統治の正当化のために世論は重要であると考えられている。特に現代の議会制民主主義に基づいた社会においては選挙を通じて世論が政治的支配の正当性を左右することになる。すなわち世論は政治的リーダーに対する国民の意思表示としての機能があると言える。しかし世論がどのような内容となっているのか、またそもそも世論といえるような共通意見が世間一般に存在するのか、を知るのは相当程度に困難なことであり、単なるマスメディアの意見、ないし願望が「世論」として紹介されることも多いし、またアナウンス効果による世論操作と言われることもある。
民主主義では 主権は国民にあり、 国民の意見に従うは大事とされるが、この文脈で、国民の意見の表現で しばしば世論が使われ、政治や政権に一定の圧力を加え、反映が期待される面を有している。また、選挙の動向の報告に世論調査が盛んに行なわれている。
まず、世論とは何かについて、議論して置きたい。世論は国民の意見、大勢の意見とするならば、その大勢の意見とは何かと問題にすべきである。厳格に全国民の意見の調査の結果としても、それは多くは不可能であるが、そのような単純な結果は、実体ある世論とは言えないだろう。 世論とは、国や政治を動かす力の総称であり、マスコミや言論界、政界の力を強く反映したものであると考えるのが妥当である。それらの背景にはもちろん、国民の相当な意見や、文化的な背景を反映しているが、狭義には マスコミや言論界の意見であると考えるのが妥当である。 この意味では、世論はそれを作る一部の階層の意見であると考えるべきである。 選挙における世論調査は 厳密にはサンプリングによる統計的な結果であるべきものが、意図的にマスコミなどに誘導される要素が有るが、そのような要素は 否定されるべきだとは言えない。文化的背景や国民の意見を加味した、マスコミや言論界には、国民を導く要素すら立派に存在すると考える。
ところで、民主主義の観点で、政治や政権が 世論に縛られるとは考えるべきでは無く、国民に選ばれた代表者は、高い立場から、個々の政治的な問題について、国民の世論など曖昧な意見に左右される必要はなく、自由に判断できると考えるべきである。そうでなければ、民主主義は 無責任政治、衆愚政治に陥ることになるだろう。まさに、間接民主主義の大事な観点は ここに有ると考えられる。
これはもちろん、選挙で選ばれた政治家が、多様な意見を参考にすることを、否定することを意味しない。逆にいろいろな意見を参考にすべきは当然である。
これを簡単に述べれば、国民の意見や文化を背景に、 マスコミや言論界が世論を構成し、国民と政治家を啓蒙し、政治を動かして行くべき と考える。マスコミや言論界が 大きな実際的な力、影響力を有するのは当然である。この意味でもマスコミや言論界の役割は大きく、 逆に責任も大きいと 絶えず、精進、自戒していくことが求められる。これはまた、国民には マスコミを絶えず、批判的にみていくような態度 が 求められることを意味する。
以 上

再生核研究所声明 52(2011.3.22):  選挙における心得、留意事項
プロ野球やサッカーチームの監督が、極めて重要な役割を果たすように、いわゆる選挙で選らばれる人は その組織において極めて重要である。それは選挙で選ばれた人は、逆に何らかの権力、決定する権利を有することになるからである。 例えば、衆議院は国権の最高機関として首相を選出する権利を有するばかりではなく、国家の意志にかかわる重要事項を決定する重要な権限を有している。地方議会や知事や市長等々、何らかの大きな影響力と権限を有している。 そこで、そのような人物の選出において、適切な人物を選ぶ大事な視点について考察したい。 どのように心得て人物を選ぶかという、視点である。
まず はじめに留意すべきことは、
1) 職務を全うできる体力、健康の面、および能力が有るか。- これは当然である。
2) 職務に取り組む真摯な態度が有るか否か。- この点は真剣に観察、判定を誤らないように留意すべきである。権力や名誉、地位のために立候補して、本務に対しては真剣でない人物が 世に多いということである。立候補の動機など注意深く観測する必要がある。 天下り、代理、後継者、団体の推薦、仲間の推薦などで、適任でない者が、仕方なく立候補する場合も世に多い。また、いろいろ良くやっているように、見せかけに奔走して、人気取りを図り、実際には組織に損害を与えていたり、組織を利用して楽しんでいる場合が 世に多いと言える。 立候補者の哲学、志の所在、本質を把握、捉える必要がある。
3) 権力や影響力が大きいという観点から、選ばれる者は、信頼できる人物でなければならない。信用できるかどうかという観点は、発言に矛盾はないか、言行一致しているか、公正であるか、騙したり、裏切ったりすることはないかなど 注意深く観測する必要がある。しかしながら、これらにおいて大事なことは、それらが全ては守れない、実行できないのが、現実の政治社会であるから、全体として、判断する幅の広さも肝要である。
4) いわゆる、公約や政治姿勢、政策方針などは 党派や支持母体などの影響を受けるので、党や支持者の周辺の人物にも注意深く観測する必要がある。政党政治においては
所属政党が大きな判断基準になるのは やむを得ない。政治社会は大きな世界であり、個人では力を発揮することができない状況だからである。
5) 職務を 如何に良く全うできるかが決定的な観点であるから、格好が良い、感じが良いなどの 本質的でないところについては 大いに妥協すべきである。 立会演説会などで、感じによって あるいは、弁舌の巧みさなどで 大きな影響が出やすいが、この点は大いに注意すべきである。
6) 日本では未だに、地縁、友人、団体などの縁で投票する風潮があるが、公職に就く者の立場からあくまでも、選挙の趣旨に相応しい人物を 高い立場から、判断して投票すべきである。特に自分の利害の観点で投票するのは 卑小な態度である。 あくまでも組織全体のことを考えるべきである。
7) 政治に無関心で、興味もない、あるいは政治に嫌気が差して、あるいは専門や仕事に追われていて真面目に考えられない人は、 利害や関係のない 第3者で 常日頃尊敬している人 の判断を参考にするのが良いのではないだろうか。信じられる人を探しておくのは 良い心得である。
8) 政治や自分の関係する組織について、日ごろ興味を持ち、国の在り様、組織の在り様、社会の在り様について、意見を交わして、それらに関する文化レベルの向上に努めたい。お気に入りの政治家などの応援、支持活動を人生の1つの趣味にされると 人間関係や視野が広まり、それだけ豊かな人生になるのではないだろうか。
9) 政治に多くの人が関心を持ち、真面目に考えることができるのは不可能であり、従って、自由な投票を保障した上で、投票を強制せず、1%の投票率でも十分と言えるような、投票の質を考えて行きたい。ただ投票率を高めれば良いとの風潮は 改めて行きたい。これは事情を知らずに 無理に投票する必要がないことを述べている。投票しない権利を認めている。
以上は前向きに検討する心構えを述べたが、逆に 避けるべき人物像についても特に述べておきたい。
A) その職について、真摯でなく、意欲と情熱、使命感の足りない人
B) 権力欲の強い人、威張りたがる人、派手好きな人、軽い人
C) エゴイスト、視野の狭い人、広く意見を率直に聞けない人
D) 公正でなく、公の立場に真剣でない人物、仲間の利益を考える人
E) 言行不一致の人物、 言葉に矛盾がある人
F) 選挙活動などにおいて、公正でないこと、いろいろ策をめぐらしたり 騙しや脅かし、利益誘導を行う者
G) 特に組織の代表者となると、格好や感じが良いかなど 見栄えに影響され易いので、くれぐれも気を付けたい
H) できるだけ、若い世代を育てて、伸ばすように配慮したい。 指導部の若返りを常に心がけたい。特に過去の経歴で推薦され、惰性の状態にある人は、避ける方向で検討したい。これはまた、将来について永きにおいて 責任がとれる立場であることを示している。
I) 理想的な人物でも、当選の可能性の低いものは避けたい、最善よりは少しでも良い方向での、現実的な効果を考えたい。 政治社会は 現実が大事である。現実が少しでも良くなる方向で、考えたい。
特に 選挙に立つような人物は 一般に、賢い人物であるから、いろいろ上手な働きかけ、言葉を巧みにして、有権者の意を引こうとするので、 投票する人は くれぐれも惑わされないように 日ごろの行動、言動に気を付けて、良い代表者を選出したい。
以 上

再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47:  肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上

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