2016年4月8日金曜日

お客様は神様?&

NEW !
テーマ:
【激怒】トンカツの衣をわざわざ剥がして食べる男にトンカツ屋の店長がブチ切れ!
ヨメルモ トリビアニュース / 2016年4月6日 6時0分
飲食店 マナー 食レポ
ジューシーな豚肉が衣に包まれている料理といえばトンカツだ。揚げたてのトンカツを食べると、サクサクとした衣の食感とともに、中からジワーッと溢れ出す肉汁。ソースの味とも相性が良く、何杯でもご飯が食べられるような、最高のごちそうのひとつだろう。

トンカツ屋の店長が激怒
飲食店を経営していれば、迷惑だったり、変わったお客さんの一人や二人は必ずいるもの。マナーの悪いお客さんに対して上手に対応していくのも飲食店経営者のスキルのひとつだと言える。

ところが、都内でとんかつ店を経営する足立さん(56歳)は先日、どうしても許せないお客さんと出会ったという。その怒りのエピソードを語ってくれた。

衣を全部剥がしてから食べる

「トンカツは肉と衣を油で揚げるだけのシンプルな料理。だからこそ味の違いを出すためには素材や調理法で差をつけるしかないわけ。調理人のセンスや技術の差がハッキリと出る料理なんだよ。

ところがどっこい。この前来た客は本っ当に驚いた。アベックで来て、2人共ロースカツ定食を頼んできたもんで、いつも通りおいしく作って提供したわけさ。そしたら男の客のほうが、なかなか食べないでモゾモゾしてんなと思ったら、トンカツの衣を全部剥がしてやんの!! ズル剥けにされた豚肉だけを食べているわけさ!」

衣にもこだわって揚げていた
足立さんの怒りは全く収まらない。さらにヒートアップしながらで話を続けた。

「ウチはパン粉にだってこだわってるし、最高の食感で食べられるように、秒単位で揚げる時間を計っているわけ。それなのに衣を全部剥がすなんてあんまりじゃねえか!! トンカツ屋でトンカツを食べる意味あんのかよ!!

しかも、一緒に連れてきた女にウンチクを語り出すわけさ。『衣を剥がすのが通の食べ方だよ~』とか『こんな油まみれの衣なんか食べたらすぐ太っちゃうからね~』とか言い出して、女に衣の剥がし方まで教えはじめやがった。ふざけんじゃねぇよな!!」

なぜ衣を剥がすのか?

その後、問題の男女はしっかりトンカツの豚肉だけを食べ、衣は皿の上に山のようにして残されていたという。足立さんが怒るのは大いに理解できるが、個人的にはその男女の食べ方が何より気になってしまう。

豚肉だけ食べたいのであれば、焼肉屋で豚肉でも注文すればいいのではないだろうか。せっかくなので、その男女がしていた食べ方を実際に試してみることにした。

衣は案外剥がしにくい
最寄りのとんかつチェーン店に足を運び、同様にロースカツ定食を注文。箸をつかって衣を剥がそうとしてみるが……むむっ。なかなかキレイに剥がれてくれないぞ。


安いお弁当やお惣菜で売られているトンカツなら衣がほとんど剥がれていたりするので簡単に剥がせそうな気がするが、揚げたてのトンカツだからかなかなかキレイに剥がすのは難しい。その問題の客はおそらく何度もトンカツの衣を剥がし、経験を積んでいたのだろう。

どうにか3切れ衣を剥がす
そしてなかなかの時間を費やし、どうにか3切れ分の衣を剥がすことができた。あまりにも残念な、無残な状態のトンカツである。剥がされた衣の山も哀愁が漂う。絶対そのまま食べたほうがウマいよな……。


思いのほか悪くない?
そして中身がむき出しになったトンカツを食してみる。通常通りソースをかけ、まずひと口食べてみると……。うーむ。当然だがサクサクの食感がないので寂しいが、別の料理だと思えば悪くはない。


豚肉のジューシーさが失われるわけではないのだ。アツアツの柔らかい豚肉にソースをかけて食べる。ただただそんな感じの料理である。ご飯との相性は悪くないし、トンカツだと思わなければまあアリなのかもしれないが……。

食後、あることに気がつく
どうせだったら普通にトンカツを食べたかったな……と思いつつも食べ終え、そのまま帰宅。食べ終えた直後はなんとも消化不良な感じがあったが、時間の経過とともに気付くことがあった。

全然胃がもたれてこないのである。普段ならトンカツを食べると胃にズシッとくる感覚があるが、今回はまったくない。ヘビーじゃないのだ。

ダイエット効果はありそう
胃がもたれなかった理由は、間違いなくとんかつの衣を食べなかったからだろう。衣はサクサクでおいしいかわりに、やはりそれだけの油を吸収しているのだ。衣を剥がす食べ方はダイエットをしていて油分の摂取を控えたいという方や、胃もたれが気になるという方には合理的な食べ方なのかもしれない……。

マナー違反になるのか?

とはいえ、トンカツ屋の店主が精魂込めて作ったトンカツの衣を剥がして食べるという行為は、店主にしてみれば残念な話だろう。寿司屋でシャリを食べない、ラーメン屋で麺を食べないという行為をするのと同レベルに思える。

ただし、マナー違反なのかといえば微妙なところだ。まわりのお客さんに迷惑をかける行為ではないのである。とはいえ、食べ方はお金を払っているお客さんの自由だとも考えられるが、店主の心は傷つけてしまうかもしれない。できれば自宅で食べる時以外は衣を剥がして食べるのは避けたほうが無難だろう。

■執筆・監修:Mr. Fox
執筆、撮影、編集家。日本生まれ、生年不詳、トレードマークはキツネの顔。世界各国を回りながら、メディアに関わる仕事をしてます。人のアイデアを転がします! コンコン。https://twitter.com/im_mr_fox/
http://news.infoseek.co.jp/article/trivianews_4311518/



再生核研究所声明 70(2011/09/28) 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず

現代の世相を見ると、余りにも奇妙な現象が起きていて、まるで本末転倒、あべこべになっているのではないかと考えられることが多いので、それらの事象を考察して、初心を尊重して本来あるべき姿について反省を求めたい。しかしながら、時代の趨勢で、初心が本質的に変化を求められ、変遷の止む無きこともあるので、その辺の考察も行なって置きたい。

まずマスコミの現状を見てみたい。 マスコミの在るべき姿については 例えば新聞社においては、自ら天下にこうありたいと宣言している 新聞倫理綱領 を参照して頂きたい(添付資料1)。 現状は 如何でしょうか。鍵となる用語を抜粋したので、現状を考えて頂きたい:

あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によって
言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじ
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である
報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない
あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない
他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。

教育の在り様については、 教育の目標を教育基本法に定めている。 その最初の部分を添付資料に付けたが、あまりに素晴らしく、また、あまりにも現状がかけ離れていて、驚いてしまう。
教育の基本精神を忘れて、知識偏重、受験のための技術学習に陥ってはいないだろうか。そのような教育が 空虚な日本を作っている根本原因ではないだろうか (再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。さらに、日本の公教育が 才能ある子供たちの才能を大抵、活かさず、逆に駄目にしている事実を憂慮している(再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える)。

添付資料3 日本国憲法第9条 については、第二次世界大戦における敗戦で、再び戦争を起こさないとの固い決意のもと、発足したものであるが、朝鮮動乱、東西冷戦下の厳しい国際環境の下、繰り返し、国の最高機関で問題を議論し、司法界の一連の判断を経ながら、今日に至ったものであるから、現状を諒として受け入れる必要がある。しかしながら、その理念については 絶えず、真摯な態度で臨むべきであると考える(再生核研究所声明6: 憲法問題に対する提案 参照)。

上記のように、世には、始めの目標や理念が段々ずれて、何時の間にか逆転している様なことは多い、普遍的な現象ではないだろうか。 研究なども始めの素朴な動機や目標からかけ離れて、研究課題の中の展開のみが目的になってしまい、孤立化して、末期的な現象に陥っている場合が多い。 評価なども 本来は成果や、業績を評価すべきことが、逆転して、見掛け上の評価を良く飾るために 意や努力を重ね、本来期待された業績の展開を阻害している状況さえ多い(再生核研究所声明15: 空虚な日本の社会)。世界の軍事情勢なども侵略や防衛など軍事よりも、政治力の影響やビジネスの要素が強く、戦よりも商、政の性格を強くしていると言えるだろう。 多くの宗教なども、本来の救い、道、に対して、儀式や教団の業の性格を強くしていると言える。 変遷はすべて それなりの理由と歴史が有るのだから、否定的に見るよりも、初期の理念、目標と変遷を吟味するのが良いのではないだろうか。 混乱が生じたら、それらの経過をはじめから検証するのは、数学では日常行っている基本的な態度である。

以 上


添付資料1:
新聞倫理綱領
2000(平成12)年6月21日制定
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。


添付資料2:
教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)

教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法 の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
 前文
 第一章 教育の目的及び理念(第一条―第四条)
 第二章 教育の実施に関する基本(第五条―第十五条)
 第三章 教育行政(第十六条・第十七条)
 第四章 法令の制定(第十八条)
 附則
第一章 教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条  国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。


添付資料3:
日本国憲法第9条

1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

以 上

ウイキペディアより:

マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。

「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
— 松井誠、「第38回国会 衆議院本会議 1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97 より

再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたらできるか、 美しい社会とは:

最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.

平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.

1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.

これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.

現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.

また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.

特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます.






AD

0 件のコメント:

コメントを投稿