2016年2月16日火曜日

第18講義 アリストテレスの生涯

第18講義 アリストテレスの生涯

今日からは、プラトンの弟子のアリストテレス(Aristotelês ; 384-322B.C.)を見ていきます。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、このギリシアの三大哲人は、プラトンはソクラテス、アリストテレスはプラトンの弟子として、影響を受けたけれども、師とはまた違った思想を生み出しています。こうでなくては、学問は発展しません。

アカデメイア入学

医者の家系に生まれる

アリストテレスは、トラキアのスタゲイロス(ギリシア人の植民町;スタゲイラとも)に生まれました。紀元前384年のことです。カルキディケ半島にある小さな町です。当時既にマケドニアの支配下にありました。父親のニコマコスは、マケドニア王室のお抱え医師でしたが、早くに亡くなっています。母親も亡くしたアリストテレスは、プロクセノスの後見のもと成長し、17歳のときにアテネにのぼり、アカデメイアに入学します。

読書の虫

アカデメイアは知っていますね。プラトンの学園です。当時プラトンは、シチリア旅行や何やかんやで忙しかったと思います。落ち着いて弟子の教育に当たっていることができなかったでしょう。でも、アカデメイアには書物が保管されています。プラトンの初期作品や中期作品のいくつかが、あったに違いありません。アリストテレスは、この作品群を読みつくします。多分。

プラトンのお墨付き

プラトンは80歳で亡くなるのですが、アリストテレスは、師が亡くなるまでの20年間、アカデメイアで学び、後進(こうしん:後輩のこと)を指導します。プラトンは「クセノクラテスには拍車が必要だが、アリストテレスには手綱(たづな)が必要である」と語ったといわれています。頭が切れすぎなんだね。アリストテレスは、自然学に才能を示し、プラトンもそちらに進むことを促したようです。

ギリシア各地で研究・教育

アッソスに移住

プラトンが亡くなると、アリストテレスは、友人のクセノクラテス、先ほどプラトンの言葉に出てきたね、彼とともに小アジアのアッソスに移住します。トロイのちょっと南です。ここで結婚し、息子ができます。父親の名前を息子につけます。ニコマコスです。ここには3年滞在したといいます。研究して本を書きました。

レスボス島に移る

ギリシア地図(アリストテレス関係) アッソスとは、目と鼻の先の海上にレスボス島があります。これは、やはり友人のテオフラストスの故郷でした。この島の東岸にミティレネ(ミチレネ)という町があります。ここに移住します。この海岸で生物学の研究を一生懸命にやります。ちなみに、アカデメイアは、プラトンの甥のスペウシッポスが第2代の学頭になります。第3代は、クセノクラテスです。テオフラストスは、後につくるアリストテレスの学園、リュケイオンの第2代学頭になります。はい~? わからなければ、どうでもいい。

アレクサンドロスの家庭教師

レスボス島滞在は長くはありませんでした。すぐに、マケドニアのフィリッポス王に招かれ、13歳の王子アレクサンドロス(アレキサンダー)の家庭教師になります。このころ、マケドニアの勢力は強大になってきます。紀元前338年に、カイロネイアの戦いに勝利したマケドニアは、ギリシア全土を支配下におさめます。2年後、フィリッポス王(フィリップ2世)は暗殺され、20歳のアレクサンドロスが即位します。

ご存知のように、彼がアレクサンドロス大王です。即位2年後には、東方遠征に出かけます。快進撃を続け、エジプトやインダス川流域まで広がる大帝国を築きます。まあ、アリストテレスのおかげで大帝国ができたとは思わないほうがいいです。この東征のおかげで、ヘレニズム文化が隆盛します。まあ、こちらは置いといて。

リュケイオンに学園建設

ソクラテスのお気に入りの場所

アレクサンドロス即位の翌年、アリストテレスはアテネに向かいます。アテネは、既にマケドニアの勢力下にあります。マケドニアの総督アンティパトロスが駐在していました。アリストテレスは、彼の援助の下、アテネ西郊外のリュケイオンに学園を創設します。図書館を建て、研究資料を集めます。学問にもお金は必要なのです。ソクラテスとは手法が違うんですね。ああ、ソクラテスもリュケイオンの辺(あた)りには、よく出没していたと、何かに書かれていました。お気に入りの場所だったようです。(プラトン『エウチュプロン』2A)大きな体育所があったので、若者が集まる場所だったんだね。

ペリパトス

リュケイオンの学園生活は、アリストテレスにとっては、理想の生活だったんじゃないでしょうか。午後は室内で一般講義を行ったようですが、午前中は、弟子たちと庭を散歩しながら、難しい問題を議論していました。ペリパトス派とかペリパトス学派と言われるのは、このためです。日本では逍遥学派(しょうようがくは)と言っています。逍遥とはぶらぶら散歩することだ。そう、そう、坪内逍遥(つぼうちしょうよう:文学論『小説神髄』で有名)の逍遥。

自分の学園

ああ、そうだね。出身校のアカデメイアに戻るという選択肢もあったはずだね。彼にとって、アカデメイア時代は貴重で、プラトンに会えたことはよかった。そう、私は考えています。でも、プラトンの思想から離れ出していたアリストテレスは、もはやアカデメイアで学んだり教えたりすることは、できなくなっていた。自分の学園を建てて、自分の思想を自由に教えたかったんだ。また、それができる人脈もあった。

アレクサンドロス急逝

リュケイオンでの研究生活12年が経つころ、東方遠征中のアレクサンドロス大王の急逝が伝えられます。秦の始皇帝しかり。このようなカリスマが建てた大帝国は、ガリスマが亡くなると、急激に瓦解(がかい:一部の崩れから全体が崩れること)します。

反マケドニアの気運

マケドニア勢力に抑えつけられていたアテネ市民は、チャンスとばかり反マケドニア運動に走ります。アリストテレスもマケドニアの仲間と考える市民たちは、攻撃の矛先を彼にも向けます。彼は、〔自然学〕も一生懸命やっていて、ギリシアの神々の話を信じていません。「国家の神々に対しての不敬罪」。これが成り立ちます。そうですね。ソクラテスと同じですね。アテネ市民は、訴訟の準備を始めます。

エウボイア島のカルキスへ

母の故郷

危険を察知したアリストテレスは、エウボイア島のカルキスに逃れます。エウボイアは、アテネの北にある細長い島です。細長く狭い海峡をへだて、半島に寄り添うようにある島です。今はエビア島という言い方もします。ここは、アリストテレスの亡き母の故郷だったのです。

ソクラテスの選択

はい、そこですね。ソクラテスは逃げなかった。それどころか、喜んで死刑判決を受けました。それに引き換え、アリストテレスは逃げてしまいました。単純に考えたら、卑怯者ですね。これは(プラトンの書物の中で)ソクラテスが言っていることですが、「自分はアテネに生まれ育ち、アテネを愛している。だから、アテネの法に従うのだ」(プラトン『クリトン』50A-53Aの内容)。別に、アテネが嫌いならば、出て行けばいいのです。ソクラテスは70年間ずっと継続して、アテネが好きで、ともに生きると決めていたのです。。

アリストテレスの選択

でも、アリストテレスは違います。トラキアのスタゲイロス生まれです。いや、決してアテネが嫌いだったというわけではありません。むしろ好きだったでしょう。アカデメイアで20年、リュケイオンで12年、都合32年間もアテネで学究生活を送っています。学問好きの彼には、アテネは楽園だったと思います。愛しているからこそ逃げる。これが彼の出した結論でした。

ソクラテスを死刑にしたアテネは間違っている。「その過ちを、またアテネに繰り返させないように(逃げる)」アリストテレスはこう言ったそうです。

アリストテレスの学問は残る

リュケイオンは、テオフラストスが後継の学頭になります。アリストテレスは、アテネを去った翌年に亡くなります。胃の病が原因だったようです。

今日は、哲学の話はできませんでした。まあ、いつもやっていないと言えば、やっていないんだけど。終わります。http://philos.fc2web.com/aristote/aristcar.html

再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku

以 上


再生核研究所声明286(2016.02.11) 細分化、専門家、単細胞、孤立化から総合化、統一へ
平和が長く続けば、社会は発展して自由な活動が進み、人々はおのれの関心、興味に従ってどんどんおのが世界を深化、拡大できる。社会が貧しければ、人間は居・食・住など,生物の基本的な欲求を満たす努力に多くの労力を掛けざるを得ない。世界史を顧みれば、愚かな人類史、闘争、戦争等のために如何に大きな労力を払ってきたかを 人類の愚かさの象徴として理解できよう。
個性に基づく、道の追求、興味の追求は 研究の発展と同様、細分化、専門化を多くの場合招き、相互の共感、共鳴、理解を得るのが難しくなる。数学などの抽象的な理論の世界など典型であるが、宗教、茶道、芸術などにも世に多いが、分からなくても理解し易い世界も、スポーツや音楽、美術など世に多い。理解しやすい分野では、評価もしやすく、社会的に大きな影響を与える現実がある。
スポーツなど内実的にはそれほどの深い意義があるわけではないが、関与している人々が所謂有名人になる要素が強いために、発言の影響力が大きい現実がある。それらの延長で、政界への出進も世情をににやかにしている。有名人でなければ、大統領候補にもなれない現実は 民主国家では基本的に存在する。
政治は大きな世界であり、個々の人生、世界を結びつける外面的には中心的な課題ではないだろうか。
専門家、個別化、趣味の世界に深まっても政治の大事な問題については、共通の話題の世界として、重視して行きたい。政治とは 国家とはどのようにあるべきか、社会はどのようにあるべきか の問題と理解できる。
個人の問題では、人生、世界、生命、宗教など共通の基本的な関心が深いが、 それらは人間の真智への愛に基づく共感、共鳴が個々の人間を結びつける素になるのではないだろうか。 実際、 人間の共通の真の話題とは、生物的な本能を超えては、次のようになるだろう:
人間と人生についても、人間存在の原理として、人間とは 知り、求めていく存在であるとして、
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
 人間は何でも知りたい、究めたい、それが本能である。これは要するに 神の意思を知りたい ということである。
人間は 所詮は個人としては、単細胞的能力、視野、独断と偏見に満ちた存在であるが、上記2面の共通の課題についても、自分の世界を超えて、関心、興味を抱いて行きたい。

以 上



再生核研究所声明285(2016.02.10) 数学者の性格、素性について

市井の数学愛好者 多田健夫を失って ちょうど10年の歳月が経った。偲ぶとともに数学者などについて思いが湧いてくるので、数学者の素性と言ったものについて触れてみたい。
数学者、数学愛好者には、相当に先天的なものがあって、数学がそもそも好きだという人は世に多い。面白いのは、数学ができないが、好きな人がいることである。普通は数学が得意な人やできる人が多いが、例えば8歳の少年が巨大素数の構造に興味があるとか、6,7歳の少女が 無限に興味があると言ったのには驚かされた。化学専攻に入ったが、数学ばかりやっていたとか、数学が専攻できないので、大学を変更したとか、留年までして、数学を専攻したという人さえいる。多田さんのように大した目標や動機がないのに 数学ばかりにはまっていた も多い。利害などから離れて 永遠的なものを求め、生きた確かな証しを残したいという存念を抱いているものも結構多いのではないだろうか。
学校で、数学ができて、優位にたち、頭が良いなどの評判とともに できるから、数学をやる人も世に多い。ある数学者も そうであったが、頭が良くて、きれ何をやっても優秀で周りの人たちは立ちうちできず、頭の勝負で何時も優位に立っていた、そのような幸せな数学者も多い。勝負に強く、さらに碁や将棋に凝っている者も世には多い。
自分の存在を認めてもらうために 世の難問や未解決の問題に挑戦するは 数学界における相当に強い、目標や研究課題になっている。岡潔や広中平祐の有名な難問の解決などが想起されるが、そのように有名な問題ではなくても 世の多くの研究課題が未解決の問題に結び付いている。未解決の問題の解決は 評価が簡単であることによるとも言える。
頭脳明晰、論理的な思考が強いは、一般には女性の弱点のようで、数学者が女性にもてるのは 世の常識で、ノーベル賞を創設したノーベルが 数学者が女性にもてるのを妬んで、賞を数学者に与えないようにしたというのは 有名な逸話である。もっとも個人的な恋愛感情で数学界が 変な不利益を受けたことは面白い。
数学自身は 抽象的な論理の世界であるから、世や社会、世情に馴染まず、社会との付きあいや人間関係,政治社会と疎遠な、あるいは馴染まない数学者は 基本的に多い。数学者には内向的な地味な人が多いと言える。
世から見れば、 分からない抽象的な問題や、たわいもない不等式の証明に10年以上も関わっているなど、研究者では 当たり前のことで、息の永い研究に関わっているのは 普通のことではないだろいうか。永く関わっていると ますます研究課題に愛情と執念が深まり、求道の道、逆に見れば、穴熊のような生活、人生の形相になることも多いと言える。退化するとその課題ばかりに関心が集中してしまい、幅の狹い人間になりがちであるとも言える。― 自分の研究課題しか、興味がないである; これには 数学が、あまりに高度化、細分化してお互いに理解できない状況が起きていて必然的な要素が強い。
社会が進化して、生活に余裕ができれば、人間は何を志向するだろうか。上記天才少年のように 数学に夢中になるなどの傾向が深まるのではないだろうか。永い平和の時代が続いた江戸時代に和算が深く、広く深まり、和算の研究にはまっていた愛すべき人々の生活は 誠に興味深い:
○ 和算入門(13)-『発微算法』の刊行
小林 龍彦 前橋工科大学名誉教授
数学基礎学力研究会のホームページ URL http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
数学関係者が論理的な素養を有するがゆえに 公正の原則に従う、公正な人が多く、理不尽で愚かな戦争等考える人はいないのではないだろうか。数学教育の普及は良い社会と平和な世界を築くのに貢献するのではないだろうか。次の点も触れて置きたい:
プラトン学派の門には 幾何学知らざる者のこの門をくぐるべからず、とあったという。
ナポレオンは 軍隊を強くするには、数学が大事だと主張していたと思われる。
イスラエルが、数学に力を入れているのは、歴然である。
最近の中国では 国家的に数学の教育・研究に力を注いでいる。
                                 以 上









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