再生核研究所声明286(2016.02.11) 細分化、専門家、単細胞、孤立化から総合化、統一へ
平和が長く続けば、社会は発展して自由な活動が進み、人々はおのれの関心、興味に従ってどんどんおのが世界を深化、拡大できる。社会が貧しければ、人間は居・食・住など,生物の基本的な欲求を満たす努力に多くの労力を掛けざるを得ない。世界史を顧みれば、愚かな人類史、闘争、戦争等のために如何に大きな労力を払ってきたかを 人類の愚かさの象徴として理解できよう。
個性に基づく、道の追求、興味の追求は 研究の発展と同様、細分化、専門化を多くの場合招き、相互の共感、共鳴、理解を得るのが難しくなる。数学などの抽象的な理論の世界など典型であるが、宗教、茶道、芸術などにも世に多いが、分からなくても理解し易い世界も、スポーツや音楽、美術など世に多い。理解しやすい分野では、評価もしやすく、社会的に大きな影響を与える現実がある。
スポーツなど内実的にはそれほどの深い意義があるわけではないが、関与している人々が所謂有名人になる要素が強いために、発言の影響力が大きい現実がある。それらの延長で、政界への出進も世情をににやかにしている。有名人でなければ、大統領候補にもなれない現実は 民主国家では基本的に存在する。
政治は大きな世界であり、個々の人生、世界を結びつける外面的には中心的な課題ではないだろうか。
専門家、個別化、趣味の世界に深まっても政治の大事な問題については、共通の話題の世界として、重視して行きたい。政治とは 国家とはどのようにあるべきか、社会はどのようにあるべきか の問題と理解できる。
個人の問題では、人生、世界、生命、宗教など共通の基本的な関心が深いが、 それらは人間の真智への愛に基づく共感、共鳴が個々の人間を結びつける素になるのではないだろうか。 実際、 人間の共通の真の話題とは、生物的な本能を超えては、次のようになるだろう:
人間と人生についても、人間存在の原理として、人間とは 知り、求めていく存在であるとして、
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
人間は何でも知りたい、究めたい、それが本能である。これは要するに 神の意思を知りたい ということである。
人間は 所詮は個人としては、単細胞的能力、視野、独断と偏見に満ちた存在であるが、上記2面の共通の課題についても、自分の世界を超えて、関心、興味を抱いて行きたい。
以 上
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2016.2.8.06:25
2016.2.8.21:15
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2016.2.11.06:10清明美しい朝、星空
2016.2.11.06:40 完成、公表。
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