地球球体説
中世の球状の地球の芸術的表現 - それぞれ大地、大気、水を表す区域に分けられている(1400年頃)。
地球球体説(ちきゅうきゅうたいせつ、英: Spherical Earth)とは、地(大地)は球体である、とする説、考え方のことである。大地球体説(だいちきゅうたいせつ)とも。
目次 [非表示]
1 概説
2 歴史
2.1 古典古代
2.1.1 古典期ギリシア
2.1.2 ヘレニズム時代
2.1.3 ローマ帝国
2.1.4 東方への拡散
2.2 中世
2.2.1 キリスト教世界
2.2.2 イスラーム世界
2.3 近世
2.3.1 世界一周
2.3.2 明朝中国
3 地球が球体であることの根拠のまとめ
4 測地学
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概説[編集]
大地球体説(地球球体説)とは、我々の足元にある地(大地)[注 1]は球体である、とする説である。その起源は紀元前6世紀頃の古代ギリシア哲学に遡るが[1]、紀元前3世紀にヘレニズム天文学によって自然学的に所与の事として確立されるまでは哲学的考察の対象であり続けた。このヘレニズムのパラダイムが古代末期から中世にかけて旧世界全体に徐々に取り入れられていった[2][3][4][5]。大地が丸いことの実際的な証明はフェルディナンド・マゼランとフアン・セバスティアン・エルカーノの世界一周旅行(1519年-1521年)によってなされた[6]。
歴史的にみると、地球球体説に取って代わられるまでは、地球平面説が主流であった。古代のメソポタミア神話では、世界は平らな円盤状で大洋に浮いており、球状の空に包まれているように描かれており[7]、こういった世界観が、アナクシマンドロスやミレトスのヘカタイオスによる初期の世界地図の前提となっていた。地球の形状に関するその他の考察としては、アヴェスターや古代ペルシアの著作物で言及されている七層から成るジッグラトあるいは世界山、リグ・ヴェーダで言及されている車輪、お椀、あるいは四角い平面といったものがある[8]。
地球の形状は18世紀により精確に回転楕円体(扁球)として理解された(モーペルテュイ)。19世紀初期には、地球楕円体の扁平率が概ね1/300程度と決定された(ドランブル、エベレスト)。アメリカ国防総省の世界測地系により1960年以降決定されている現代の扁平率の値は1/298.25近くになっている[9]。
歴史[編集]
古典古代[編集]
古典期ギリシア[編集]
地球球体説を示す最古の史料は古代ギリシアの文献に遡るが、大地が球体であることがどのようにして発見されたのかの説明はそこにはない[10]。それは、東地中海沿岸の、特にナイル川デルタとクリミアの間の「ギリシア人の移住の際の劇的な変化、周極する星々の測定しうる高度と位置の変化に対する説明を提案する旅行家の提案」であると考えられる[11]。
ディオゲネス・ラエルティオスによると、「ピュタゴラスは大地が丸いと言った最初のギリシア人であった。しかしテオフラストスはこれをパルメニデスに帰し、エレアのゼノンはヘシオドスに帰した。」
ピュタゴラス
初期のギリシア哲学者達は地球球体説を唱えたが、いくらか曖昧なやり方でそれに言及した[12]。彼らの中でも特にピュタゴラス(紀元前6世紀)が球体説の創始者とされるが、これは、あらゆる発見を古代の賢者の数人に帰そうとする古代ギリシア人の慣習による可能性がある[10]。ある程度の地球球体説は紀元前5世紀のパルメニデスやエンペドクレスにも知られており[13]、高い信頼性をもって球体説をピュタゴラスに帰することはできないが[14]、それにもかかわらず、球体説は紀元前5世紀にピュタゴラス派によって明文化された[10][13]。紀元前5世紀以降、声望あるギリシア人著述家で大地が球形以外の形だと考える者はいなくなった[12]。
ヘロドトス
ヘロドトスは紀元前431年-紀元前425年に書いた『歴史』において、太陽が北から照らしたという報告を疑っている。この疑いは、エジプトのネコ2世の治世(紀元前610年-紀元前595年)にフェニキア人達がアフリカ周航を行ったことを論ずる条(『歴史』、4.42)で起こっている。フェニキア人達は時計回りに就航していた際に太陽を右手側に見つつ進んだと報告しているのである。近代の歴史家にとってはこれは彼らの報告の真実性を確かにするものである。
プラトン
プラトン(紀元前427年-紀元前347年)はピュタゴラス数学を学ぶために南イタリアへと旅した。アテネへと戻って学院を立てた際、プラトンは弟子に大地は丸いと教えたが彼はそれを証明する用意をできていなかった。もし人が雲より高く舞い上がれれば、大地が似ているのは「これらの12片の革で包まれたボールの一つであり、様々な色で飾られており、大地に塗るのに使われた色はある意味で見本である[15]。」 中世を通じてラテン語で読めたプラトンの作品『ティマイオス』には、創造主が世界を「中心から端までの距離がどこも等しい球形に、まるく仕上げたのですが、これこそ、すべての形のうちで、最も完結し、最も自分自身に相似した〔どの部分も相似した、つまり一様な〕形で[16]」あったと書かれているが、「世界」という言葉は通常宇宙を指す。
アリストテレス
2008年8月の月食時の地球の本影
アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)はプラトンの随一の弟子であり、「学派の心髄」[要出典]であった。アリストテレスは「エジプトやキュプロスでは見えるが北寄りの地方では見えない[17]」星があることに気付いた。これは大地の表面が湾曲していないと起こらないので、彼も「大地はまるいばかりでなく、あまり大きくない球だということも明らかである。さもなければ、ほんの僅か移動するだけで、それほど早く明らかな相違を呈するはずがなかろう[17]」(『天体論』、298a2–10)として地球球体説を主張した。
アリストテレスは地球球体説を支持する物理的・観察的な論拠を提出した:
地上のあらゆるものは圧縮・集中によって球を形成するまで中心に向かおうとする傾向をもっている(『天体論』、297a9–21)
南へ向かう旅行家は南方の星座が地平線より上に上るのを見られる; そして
月食時に月面にみられる大地の影は円い(『天体論』、297b31–298a10)
対称性・平衡性・周期的反復性といった概念がアリストテレスの著作に充満している。『気象学』では彼は世界を五つの気候帯に分けている: 赤道付近の炎熱帯から分けられた二つの温帯地域、二つの寒く荒れ果てた地域、「一方は我々より上つまり北極側でもう一方は[...]南極側」にあり、両方とも人を寄せ付けず氷に閉ざされている(『気象学』、362a31–35)。極寒帯では人は生きていけないが、南側の温帯の住民は生きられる。
ヘレニズム時代[編集]
エラトステネス
キュレネのエラトステネス(紀元前276年-紀元前194年)は紀元前240年頃に地球の周長を概算した。シエネでは夏至の日に太陽が真上にくるのに対してアレクサンドリアでは夏至でも影ができることを彼は聞いた。三角法によって導出するために様々な角度の影を用いて、彼は周長を250000スタディオンだと概算した。1スタディオンの長さは精確には知られていないが、エラトステネスの出した値は5-15%程度しか実際とずれていないという[18][19][20]。エラトステネスは大雑把な概算と大雑把な数値を用いたが、スタディオンの長さによって、彼の概算結果は実際の子午線の長さ40,008キロメートル (24,860 mi)とは2-20%程の差がある。エラトステネスは、太陽までの距離が非常に大きく太陽光は基本的に平行だという仮定に基づいて、地球の周長を計算できたにすぎないことに注意。
セレウキアのセレウコス
メソポタミアのセレウキア周辺に生きたセレウキアのセレウコス(紀元前190年頃)は大地が丸いと述べ(、また、サモスのアリスタルコスの太陽中心説の影響を受けて、実際には地球が太陽の周囲を回っていると唱え)た。
ポセイドニオス
アパメアのポセイドニオス(紀元前135年頃-紀元前51年)は地球の周長を確かめるうえで、エラトステネスの手法を信頼したが、太陽よりもむしろカノープスを観察した。プトレマイオスの『地理学』において、彼の概算結果はエラトステネスのそれよりも強く賛意を示されている。さらにポセイドニオスは地球の半径を用いて太陽までの距離を表した。
ローマ帝国[編集]
地球球体説はギリシアを起源としつつ、多くのギリシア天文学思想とともに、ゆっくりと世界へ広がっていき最終的に全ての主な天文学派に受け入れられた見解となった[2][3][4][5]。
西方では、地球球体説はヘレニズム文明との長期にわたる相互交流を経て自然とローマ人に伝わった。キケロや大プリニウスといった多くのローマの著述家は自身の著作で大地が丸いことを当然のこととして述べている[21]。
ストラボン
地球の表面が湾曲しているため、船が地平線上にいると船の下の方は見えなくなる。これは地球球体説の論拠の一つである。
船乗りたちが水平線の観察に基づいて最初に大地が平面でないことの証拠を最初に見出したのではないかと主張されてきた。この主張は地理学者ストラボン(紀元前64年-24年)によって推進されたが、少なくともホメロスの時代から地中海周辺の船乗りたちに大地が丸いことが知られていたと彼は主張しており[22]、ホメロスが紀元前8-7世紀にはすでにこのことを知っていたことを示すものとして『オデュッセイアー』の一節を引いている[23]。ストラボンは大地が丸いことを象徴するものとして海洋で見られる様々な現象を挙げている。彼は、地上型灯器や陸域は船乗りからは低い灯器よりもずっと遠くから見えることを観察し、明らかに海の湾曲がこういったことの原因だと述べている[24]。
クラウディオス・プトレマイオス
クラウディオス・プトレマイオス(90年-168年)は2世紀に学問の中心地だったアレクサンドリアに住んでいた。1400年間にわたって天文学の標準的著作であり続けている『アルマゲスト』において、彼は大地の球状性に関する様々な主張を提出した。その中には、山に向かって船を進める際山が海から昇ってくるように見えるのは、山が海の湾曲した表面に隠されていることを示しているというものがある。他にも、大地は南北にも東西にも湾曲しているという主張を彼は提示している[25]。
彼は八巻から成る『地理学』をも著し、大地について取り扱っている。『地理学』第一部は彼が使ったデータ・方法に関する議論である。『アルマゲスト』にみられる太陽系のモデルとともに、プトレマイオスは全ての情報を大きな枠組みの中に含めている。彼は自分の知っている全ての場所や地理的名所に、大地全体に広がる格子目の中で座標を割り振った(がその多くは失われている)。緯度は今日と同様に赤道から計られたが、プトレマイオスはそれを角度よりもむしろ最も長い昼の長さで表すことを好んだ(夏至の日の昼の長さは赤道上から北極に移動する間に12時間から24時間まで増加する)。彼は経度0度たる子午線を彼の知る限り最も西にあるカナリア諸島を通るように定めた。
『地理学』は「セーレース」(中央アジア東部)と「シナエ」(中国)を、「タプロバネ」(スリランカ、ただし大きすぎる)や「アウレア・ケルソネスス」(東南アジアの半島部)を超えて最も右に置いている。
プトレマイオスは、人の居住地全体の地図(oikoumenè)とローマ諸州の地図の作り方の教えを考案・提示してもいる。『地理学』第二部で彼は必要な地誌の一覧を挙げ、地図に説明を加えている。彼の「oikoumenè」は大西洋のカナリア諸島から中国までの東西180度をカバーし、北極から東インド諸島やアフリカ深くまでの南北81度をカバーしている。プトレマイオスは自身が地上の4分の1しか知らないことをよく自覚していた。
古代末期
大地が球状であるという知識は当然のことながら古代末期のネオプラトニズムやキリスト教の中の学問にも受け入れられていた。 旧約聖書に示された地球平面説により形成された神学的疑問にラクタンティウス、ヨハネス・クリュソストモス、アレクサンドリアのアタナシオスといったキリスト教徒の学者が影響を受けたが、これは常識はずれの傾向に留まり、カイサリアのバシレイオス、アウレリウス・アンブロシウス、ヒッポのアウグスティヌスといった教養あるキリスト教著述家は大地が丸いことを明らかに知っていた。地球平面説は、旧約聖書の文字通りの解釈を非常に重要視したシリアのキリスト教に長くとどまり、この派閥から出てきたコスマス・インディコプレウステースのような著述家が6世紀に至っても大地を平面形に表し続けていた。この、世界の古いモデルの最後の残滓は7世紀中に消滅し、8世紀から中世にかけて「言及に値する宇宙学者で地球球体説を疑問に付した者はいなかった[26]。」
東方への拡散[編集]
東方でのギリシア文化の興隆に伴って、ヘレニズム天文学は東方に向かって古代インドまでを覆うようになり、インドではヘレニズム天文学の大きな影響が紀元後すぐに明らかとなった[27]。大地が惑星の天球に覆われているというギリシアの地球球体説はヴァラーハミヒラやブラーマグプタに熱烈に支持され、大地が円盤状であるというインドの長年にわたる宇宙論に取って代わった[27][28]。古典時代のインド天文学者・インド数学者のアリヤバータ(476年550年)は大地の球状性や惑星の運行を扱った。彼のサンスクリットでの代表作『アーリヤバティーヤ』のうち、「カラクリヤ」(時間の計算)と「ゴラ」(天体)と名付けられた最後の二連は、大地が丸く、その周長は4967ヨージャナ(39968㎞に相当) と述べているが、この値は紀元前3世紀エラトステネスの概算値に近い[29]。 アリヤバータは天体の見かけ上の回転は実際は大地の回転によるものだとも述べている。『アーリヤバティーヤ』は逆に中世イスラームの学問に影響を与えた。
中世[編集]
大地が丸いという知識は、古典ギリシアの文献(アリストテレス)の直接の伝播によって、あるいはセビリャのイシドルスやベーダ・ヴェネラビリスのような著述家を通じて中世の知識の一部として生き残った。 スコラ学など中世の学問の興隆により、時代が下るにつれて地球球体説を示す史料は増える[21]。 ギリシア・ローマの学問に接する領域への球体説の拡大は必然的に漸進的なものであり、ヨーロッパのキリスト教化の勢いと連動している。例えば、スカンディナヴィアで地球球体説が知られていた最初の証拠は『エルキダリウム』の古アイスランド語への翻訳である[30]。
大地が丸いと知っていた古典古代から中世にかけてのラテン語あるいは口語での百人以上の著述家の余す所のない一覧が、シュトゥットガルト大学のロマンス語文学教授ラインハルト・クリューガーにより編纂されている[21]。
クリューガーによる、名を知られている79人の著述家の一覧を見るには「表示」をクリック: [表示]
キリスト教世界[編集]
四季のある球形の地球。ビンゲンのヒルデガルト『神の業の書』(12世紀)の挿絵。
セビリャのイシドルス
セビリャ大司教のイシドルス(560年-636年)はよく読まれた百科事典『語源』で大地は丸いと教えている。これについて、彼が地球球体説に言及したのだと考える著述家もいるが;[31]、これや他の著作により、彼は大地が円盤や車輪の形をしていると考えていたことは明らかである[32]。 対蹠点で人が生きるのは可能だと彼は認めず、これを伝説にすぎないと考え[33]、対蹠人の存在を示す証拠が何もないと述べている[34]。
ベーダ・ヴェネラビリス
修道士ベーダ・ヴェネラビリス(672年頃-735年)は、コンプトゥスを扱った影響力の高い論文『時間の計算』で、大地は丸いと述べ、日照時間の違いを「大地が丸いことによるのであって、聖典や一般文学に記された『世界の宝珠』などというものによるのではない。実際は大地は世界の中心に置かれた球状のものなのである」(『時間の計算』(羅: De temporum ratione、32)と説明した。カロリング朝が全ての司祭にコンプトゥスを学ぶよう要求したために『時間の計算』の写本が非常に多く作成され、また非常に多くが現存しているが、このことが、ほとんど全員ではないにしても多くの司祭が地球球体説に触れたことを示している[35]。エインシャムのエルフリクスがベーダの著作を古英語訳し、「大地の丸さと太陽の軌道が、日照時間がどこでも等しいことを妨げている[36]」と述べている。
ベーダは明らかに大地が丸いと考えており、「私たちが大地を地球と呼ぶのは、丸い形が平地と山地の多様さに表されているかのようにというわけではなく、万物がその外形に含まれるならば大地の外周が完全な球形を示すからである。[...]それが本当に宇宙の中心に坐する球体であるならば; それは広い宇宙の中で、盾のように円形なのではなくボールのように球形をしており、中心から等距離に広がった完全な球形をしているのである[37]」と書いている。
アナニア・シラカツィ
7世紀のアルメニアの学者アナニア・シラカツィは世界を「球形の卵黄(地球)が白い層(大気)に取り囲まれ堅い殻(天界)で包まれた卵[38]」というように説明している。
盛期中世
中世盛期には、キリスト教ヨーロッパにおける天文学的知識は、中世イスラーム天文学による研究の伝播で齎された古代の著述家の直接的流入の上に発展した。この研究の初期の受取人としてオーリヤックのジェルベール、後の教皇シルウェステル2世がいる。
ビンゲンのヒルデガルト(1098年-1179年)は『神の業の書』で大地が丸いことに何度か言及している[5]。
アラン・ド・リール(英語版)(c. 1116/1117年 – 1202/1203年)は詩『アンティクラウディアヌス』(羅:Anticlaudianus)で自由七科を擬人化して登場させているが、その中でも幾何学に地球の周長を計らせている[39]。
サクロボスコのヨハネス (1195年頃-1256年頃)はプトレマイオスに基づいて『天球論』と呼ばれる著名な天文学書を著し、その中で地球は丸いと考えている[40]。
中世後期
ジョン・ガワーが地球を射ようとしている。地球が大地・大気・水を表す区画に仕切られている(『ヴォクス・クラマンティス』、1400年頃)
14世紀初期のイタリアで書かれたダンテの神曲では大地が球状に描かれ、南半球で見られる星が異なることや、太陽の位置の変化、そして地上の時間帯の違いといったことの意味について論じられている。また、オータンのホノリウス(1120年頃)の『エルシダリウム』は下級聖職者教育の重要な手引書であって、中英語・古フランス語・中高ドイツ語・古ロシア語・中期オランダ語・古ノルド語・アイスランド語・スペイン語・いくつかのイタリア語方言に訳されたが、地球球体説に明らかに言及している。同様に、レーゲンスブルクのベルトルドゥス(13世紀中頃)が地球球体説を説教的な絵画で用いたという事実は、彼が自分の説教を聞く会衆に対して球体説を前提知識とみなせたことを示している。説教は口語たるドイツ語で行われており、教養人に向けたものではなかった。
ポルトガル人によるアフリカ・アジアの探検や、コロンブスのアメリカ州到達(1492年)、そして最終的にフェルディナンド・マゼランの世界周航(1519年–21年)により地球球体説の実際的な証明が得られた。
イスラーム世界[編集]
イスラーム天文学は地球球体説をギリシアの天文学から受け継いだ[41]。イスラームの理論的枠組みはアリストテレス(『天体論』)やプトレマイオス(『アルマゲスト』)の基礎的な功績に大きく依拠していたが、アリストテレスもプトレマイオスも地球が球体であることと宇宙の中心に存在すること(地球中心説)を前提としていた[41]。
ムスリムの学者は初期から地球が丸いと認識しており[42]、地上のあらゆる位置からメッカの方角・距離を計量できるようになるために、イスラーム数学者は球面三角法を発達させることになった[43]。これによりキブラ、つまりムスリムが祈る向き、が決められる。
アル・マームーン
830年頃、カリフアル・マームーンがイスラーム天文学者やイスラーム地理学者達に、タドムール(パルミュラ)からラッカ(現在のシリアに位置する)までの距離を測るように委任した。彼らは、両都市が緯度にして1度、子午線弧長測量で662⁄3マイル離れていることを発見して、それゆえ地球の周長は24000マイルだと計算した[44]。
アル・マームーンの別の天文学者による測量では緯度1度が562⁄3アラビアマイル(111.8 km)であり、周長は40248㎞と計算され、現在用いられている1度あたり111.3㎞で周長40068㎞という値にそれぞれ非常に近い[45]。
アル・ファルガーニー
アル・ファルガーニー(ラテン語名アルフラガヌス)は9世紀のペルシア人天文学者で、アル・マームーンに委任されて地球の直径の算出に携わった。彼による上記の緯度の値(562⁄3アラビアマイル)の算出はプトレマイオスによる602⁄3ローママイル(89.7㎞)という値よりもずっと正確であった。クリストファー・コロンブスは、プトレマイオスが提出したよりも地球が小さいことを証明するために、アル・ファルガーニーの値をアラビアマイルではなくローママイルに当てはめて無批判に使った[46]。
ビールーニー
ビールーニーによる地球の半径の算出法
アブー・ライハーン・アル・ビールーニー(973年-1048年)は地球の周長を計算するために新たな手法を用い、現在用いられているものに近い値に到達した[47]。彼の算出した6339.9㎞という地球の半径の値は現在用いられている6356.7㎞という値に16.8㎞足りないだけにすぎない。二つの異なる場所から同時に太陽を見ることで地球の周長を算出した先達たちとは違い、ビールーニーは平地と山頂の角度に基づいて三角法による計算を使った新しい手法を発展させ、それによってより精確な地球の周長の値を得て、一人の人間が一か所から測量するだけでその値を算出できるようにした[48][49]。 ビールーニーの手法は「暑く、埃っぽい砂漠を歩くこと」を避けようとしたものであり、彼がインドの高山に上った際に思いついたものである。彼は山頂から地平線を見た際に、それが(既に計ってある)山の高さとともに大地の曲率を計るのに使えることに気づいたのである[50][51]。 彼は代数学をも用いて三角方程式を立て、アストロラーベを用いて角度を測った[52]。
ジョン・J・オコナーとエドマンド・フレデリック・ロバートソンは『マックチューター数学的発見史』にこう書いている:
「ビールーニーは測地学と地理学に対する重要な功績も成している。彼は地球を計測する新しい方法を導入して、それによって三角法を用いて計った。彼は地球の半径として6339.6㎞という値を確立したが、これほど正確な値は西欧では16世紀まで得られなかった。彼の『マスウード宝典』には600以上の場所の座標の表が掲載されているが、彼はそのほぼ全ての値を自身による測量から導いていた[53]。」
近世[編集]
世界一周[編集]
「大航海時代」を参照
エルダプフェル、現存する最も古い地球儀(1492年/93年)
地球球体説の最初の直接的な証明は史上初の世界周航、つまりポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼランに統率された航海、によりもたらされた[54]。この航海はスペイン王室の資金援助を受けた。1519年8月10日にマゼランの指揮の下セビリアから5艘の船が出港した。彼らは大西洋を横断してマゼラン海峡を通過し、太平洋を通ってセブ島に到達したが、そこでフィリピン人先住民との間に戦闘が起こり、マゼランが殺されてしまった。そのためフアン・セバスティアン・エルカーノが跡を継いで航海を続け、1522年9月6日にセビリアに帰還して世界一周を完了した。カルロス1世はエルカーノの功績を認めて彼に「汝は初めて私を巡った」(羅:Primus circumdedisti me)という標語が入った紋章を授けた[55]。
ただし、世界一周単体では地球球体説を証明できない。円筒状であったり不規則な球形をしていたりといった別の形をしている可能性があるからである。さらに、エラトステネスが1700年以上前に用いた三角法による証拠を組み合わせることで、マゼランの航海はヨーロッパの知識人の間から全ての合理的に考えられうる疑問を除去した。
明朝中国[編集]
17世紀には、以上のように西洋天文学によって研究された地球球体説が最終的に明朝中国に広がったのは、帝国の宮廷の天文学者の中で高い位置を占めたイエズス会士達が、地球は平面上で四角いという中国古来の思想に挑戦して成功したためである[56][57][58]。
地球が球体であることの根拠のまとめ[編集]
ほぼ歴史的に考察された順序に並べた:
海で、低い地面の前の空間や船体の前の船の帆に高山や地上型灯器が見えた場合。船の上の方に上った場合か、陸地なら高い崖の上にいる場合に、さらに遠くが見える。
北国へ旅すると太陽は低く上るが、北極星のような北にある星は高く上るようになる。エジプトで見えるカノープスのような他の明るい星は空に見えなくなる。
地球は月食の際に月に円形の影を投じる。
月食が報告される時刻(月食の起こる時間帯自体はある特定の時間帯のはずである)が、東方(例えばインド)では西方(例えばヨーロッパ)よりも数時間遅れている。時差はクロノメーターや電信を用いた旅行によって後に確かめられた。
エチオピアやインドなど非常に南へ行くと、1年の内ある時期には影が南側に生じる。さらに南(例えばアルゼンチン)に行くと常に南側に影が生じる。
世界周航が可能である; つまり、世界を一周して自分が元いた位置に戻ってくることが可能である。
世界を一周する旅行家は、していない人と比べて一日の長さが増減する。国際日付変更線を参照。
人工衛星は地球の周囲を回り続け、さらに静止軌道にある衛星は地球から見て不動でありつづけられる(静止衛星)。
宇宙から地球の写真を撮ると、観点に関わらず円形に見える。
以上の主張のうち、いくつかは単体では別の説明をすることができる。例えば月食の際の影は円盤状の地球によって投じられることが「ありうる」。同様に旅行に伴う空の星の南北への移動はそれらの星が地球に非常に近いことを意味することが「ありうる」。しかし、各主張は互いを強化する。
測地学[編集]
詳細は「測地学」を参照
測地学とは、三次元時変空間における地球やその重力場、地球力学的現象(極運動、地球の潮汐、地殻運動)について測量したり論じたりする学問領域である。
測地学は重力場の位置決定やその時間変化の幾何学的側面を主に扱うが、地球の磁力場の研究をも含む。特にドイツ語圏の測地学は、地球を全体として測量することに関わる地理計測(独: Erdmessungあるいはhöhere Geodäsie)と、地表の一部を測量することに関わる調査(独:Ingenieurgeodäsie)に分けられる。
地球の形状は少なくとも二つのやり方で考察される;
ジオイドとして、世界の海洋の平均的な海水面として; あるいは
海面まで上下したような地表として
測地学では地球をさらに正確に計測するため、まずジオイドの形状は完全な球とはされず、楕円体の一種回転楕円体としてほぼ正確に表される。さらに近年の測定によって未だかつてない正確さでジオイドが計られ、地表下の質料濃度が明らかになっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E7%90%83%E4%BD%93%E8%AA%AC
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 258: A new viewpoint of the division by zero $z/0=0$ from area and the point at infinity
}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
}
\date{November 26, 2015}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, we will state a reality of the division by zero $z/0=0$ from the viewpoint of area and the point at infinity. We will be able to see a great impact for the idea of our space.
\bigskip
{\bf Introduction}
\bigskip
%\label{sect1}
By {\bf a natural extension of the fractions}
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, the division by zero
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
is clear and trivial. See (\cite{msy}) for the recent results. See also the survey style announcements 179,185,237,246,247,250 and 252 of the Institute of Reproducing Kernels (\cite{ann179,ann185,ann237,ann246,ann247,ann250,ann252}). The division by zero is not only mathematical problems, but also it will give great impacts to human beings and the idea on the universe. The Institute of Reproducing Kernels is presenting various opinions in Announcements (many in Japanese) on the universe.
In this Announcement, we will refer to a new viewpoint of the division by zero in the Euclidean space from area and the point at infinity. In our common level, the results will be very surprized for many peopule.
\section{The point at infinity}
We will be able to see the whole Euclidean plane by the stereographic projection onto the Riemann sphere. The behavior of the space around the point at infinity may be considered by that around the origin by the linear transform $W = 1/z$(\cite{ahlfors}). We thus see that
\begin{equation}
\lim_{z \to \infty} z = \infty,
\end{equation}
however,
\begin{equation}
[z]_{z =\infty} =0,
\end{equation}
by the division by zero. The difference of (1.1) and (1.2) is very important as we see clearly from the function $1/z$ and the behavior at the origin. The limiting value to the origin and the value at the origin are different. For the surprising results, we will state the property in the real space as follows:
\begin{equation}
\lim_{x\to +\infty} x =+\infty , \quad \lim_{x\to -\infty} x = -\infty,
\end{equation}
however,
\begin{equation}
[x]_{ +\infty } =0, \quad [x]_{ -\infty } =0.
\end{equation}
\section{Interpretation by area}
In orde to see some realization of the properties of (1.3) and (1.4), we will consider the triangle with the basic edge (side) $a$ and high $h$. Then, the area $S$ of the triangle is given
by
\begin{equation}
S = \frac{1}{2} ah.
\end{equation}
By fixing the high $h$ and the line containing the side $a$, we will consider the limit $a \to +\infty$. Then, of course,
\begin{equation}
\lim_{a \to +\infty} S = +\infty.
\end{equation}
However, we will see that
\begin{equation}
[S]_{a=\infty} =0,
\end{equation}
just like the division by zero, because, when $a=\infty$, the triangle is broken,
we cannot consider the area of the triangle. Here, the notation $a=\infty$ is not good, however, its meaning is clear; it will mean the case of the parallel lines of the line containing the side $a$ and the line through the fixed vertex of the triangles when we consider $a$ tends to $+\infty$.
The strong discontinuity of the division by zero is appeared as the broken of the triangles.
These phenomena may be looked in many situations as the unverse one.
We can consider similar problems for many types volumes. However, the simplest cases are
disc and sphere (ball) with radius $1/R$. When $R \to +0$, the areas and volumes tend to $+\infty$, however, when $R=0$, they are zero, because they become the half-plane and half-space, respectively.
\bigskip
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\end{document}
再生核研究所声明259 (2015.12.04) 数学の生態、旬の数学 ―ゼロ除算の勧め
数学とは何だろうかと問うてきたが(No.81, May 2012(pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)違う観点から、はじめに数学の生態について外観して、ゼロ除算の研究の勧めを提案したい。
純粋数学の理論は 恰も人間とは無関係に存在して、まるで神の言語のように感じられるが、しかしながら、生活している人間、関与している人間、またそれらを支えている社会が数学の発展の行くすえ、成長の生態に反映されているのは事実である。実際、最も古く、超古典のユークリッド幾何学の発展、現状を見れば、数学の生態の様を見ることができる。その幾何学は 素朴に土地を測るという、現実の要求から生まれ、知的要求で言わば社会との関わりを有しないレベルまで発展して、膨大な理論体系が作られたが、現在では研究の専門家がいない程に確立した理論とされている。研究課題としては終わっていると考えられる。多くの数学も同様な経過を辿っている様を見ることができる。多くは物理学やいろいろな現象から新しい数学が生まれた例は多いが、ここは、素朴な数学の具体例、基本的な問題から、新しい数学が生まれ、発展して、やがて、細分化、孤立化した結果に至って 衰退している様を 数学の生態として捉えることができるだろう。社会との関係が薄く、興味を抱く人が少なくなれば、その数学は衰退すると ―すなわち 誰もやらなくなり、殆ど忘れされていくことになるだろう。この意味で、多くの数学も、花の命や人の一生のように 夢多き時期、華やいだ時期、衰退して行く時期といろいろな時期があると考えるのが妥当ではないだろうか。基本的で、新規な結果がどんどん展開されるときは、その数学の発展期で、活動期にあると考えられる.他方、他との関係が付かず、興味、関心を抱く者が少なくなれば、既に衰退期にあり、研究は労あって成果は小さいと言えよう。
数学を言わば輸入に頼っている国では、価値観も定かではなく、権威ある、あるいは数学の未解決問題の解明や小さな部分の形式的な拡張や精密化に力を入れている現実がある。見るだけでうんざりしてしまう論文は 世に多いと言える:
再生核研究所声明128 (2013.8.27): 数学の危機、 末期数学について
(特に純粋数学においては、考えられるものは何でも考える自由な精神で真理の追究を行なっているから(再生核研究所声明36:恋の原理と心得)、一旦方向が、課題が定まると、どんどん先に研究が進められる。基本的な精神は 内部における新しい概念と問題の発掘、拡張、すなわち一般化と精密化、そして他の数学との関係の追求などである。それらがどんどん進むと、理解出来る者、関心を抱く者がどんどん少なくなり、世界でも数人しか興味を抱く者がいないという状況になり、そのような状況は 今や珍しくはないと言える。 ― 興味以前に分からない、理解できないが 殆どであると言える。 また、何のための結果かと問われる結果が 現代数学の大部分を占めていると言えるだろう。特に数学内部の興味本位の結果は そのような状況に追い込まれ、数学の末期的状況の典型的な形相と言えるだろう。実際、相当なブームに成っていた数学の分野が、興味や関心を失い、世界でも興味を抱く者が殆どいなくなる分野は 結構実在する。それらの様は、さまざまな古代遺跡のように見えるだろう。― 夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもがゆめのあと):松尾芭蕉。
もちろん、数学は、時間によらないようであるから、オイラーの公式のように、基本的で美しく、いろいろ広く関係しているような結果は、普遍 (不変) 的な価値を 有すると言える。)
どの辺の数学に興味を抱くは、個人の好みであるが、最近考えられているゼロ除算は極めて初期の段階にあり、夢多き段階にあると見られので、広く世に状況を公表して、ゼロ除算の研究を推進したい。
ゼロ除算は、西暦628年インドでゼロが記録されて以来の発見で、全く未知の新しい数学、前人未到の新世界の発見である。すなわち、ゼロで割るは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたところ、ゼロで割ることができるとなったのであるから、全く未知の世界を探検できる。 既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。 最近、素人にも分かるような例が結構発見されてきたので、 広く 世にそのような面白い新しい現象の発見を呼びかけたい。まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることである。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。
現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙して置こう:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は 光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; 代数的には ゼロ除算z/0=0を含む簡単な体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であると考えられること; 点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にも明確に現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると,円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。 Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。 このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は まず 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究ではないだろうか。 実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、 ゼロ除算の物理学への影響である。 これは、ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れているので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the realand complex fields, Tokyo Journal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる全く新しい研究分野と言える。
全く、新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、 よく理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる方は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関係が出てくるのが、数学の研究の楽しさであると言える面は多い。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、 ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学である。専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。
次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233) ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8) 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28) 私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
以 上
追記: ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
中世の球状の地球の芸術的表現 - それぞれ大地、大気、水を表す区域に分けられている(1400年頃)。
地球球体説(ちきゅうきゅうたいせつ、英: Spherical Earth)とは、地(大地)は球体である、とする説、考え方のことである。大地球体説(だいちきゅうたいせつ)とも。
目次 [非表示]
1 概説
2 歴史
2.1 古典古代
2.1.1 古典期ギリシア
2.1.2 ヘレニズム時代
2.1.3 ローマ帝国
2.1.4 東方への拡散
2.2 中世
2.2.1 キリスト教世界
2.2.2 イスラーム世界
2.3 近世
2.3.1 世界一周
2.3.2 明朝中国
3 地球が球体であることの根拠のまとめ
4 測地学
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
概説[編集]
大地球体説(地球球体説)とは、我々の足元にある地(大地)[注 1]は球体である、とする説である。その起源は紀元前6世紀頃の古代ギリシア哲学に遡るが[1]、紀元前3世紀にヘレニズム天文学によって自然学的に所与の事として確立されるまでは哲学的考察の対象であり続けた。このヘレニズムのパラダイムが古代末期から中世にかけて旧世界全体に徐々に取り入れられていった[2][3][4][5]。大地が丸いことの実際的な証明はフェルディナンド・マゼランとフアン・セバスティアン・エルカーノの世界一周旅行(1519年-1521年)によってなされた[6]。
歴史的にみると、地球球体説に取って代わられるまでは、地球平面説が主流であった。古代のメソポタミア神話では、世界は平らな円盤状で大洋に浮いており、球状の空に包まれているように描かれており[7]、こういった世界観が、アナクシマンドロスやミレトスのヘカタイオスによる初期の世界地図の前提となっていた。地球の形状に関するその他の考察としては、アヴェスターや古代ペルシアの著作物で言及されている七層から成るジッグラトあるいは世界山、リグ・ヴェーダで言及されている車輪、お椀、あるいは四角い平面といったものがある[8]。
地球の形状は18世紀により精確に回転楕円体(扁球)として理解された(モーペルテュイ)。19世紀初期には、地球楕円体の扁平率が概ね1/300程度と決定された(ドランブル、エベレスト)。アメリカ国防総省の世界測地系により1960年以降決定されている現代の扁平率の値は1/298.25近くになっている[9]。
歴史[編集]
古典古代[編集]
古典期ギリシア[編集]
地球球体説を示す最古の史料は古代ギリシアの文献に遡るが、大地が球体であることがどのようにして発見されたのかの説明はそこにはない[10]。それは、東地中海沿岸の、特にナイル川デルタとクリミアの間の「ギリシア人の移住の際の劇的な変化、周極する星々の測定しうる高度と位置の変化に対する説明を提案する旅行家の提案」であると考えられる[11]。
ディオゲネス・ラエルティオスによると、「ピュタゴラスは大地が丸いと言った最初のギリシア人であった。しかしテオフラストスはこれをパルメニデスに帰し、エレアのゼノンはヘシオドスに帰した。」
ピュタゴラス
初期のギリシア哲学者達は地球球体説を唱えたが、いくらか曖昧なやり方でそれに言及した[12]。彼らの中でも特にピュタゴラス(紀元前6世紀)が球体説の創始者とされるが、これは、あらゆる発見を古代の賢者の数人に帰そうとする古代ギリシア人の慣習による可能性がある[10]。ある程度の地球球体説は紀元前5世紀のパルメニデスやエンペドクレスにも知られており[13]、高い信頼性をもって球体説をピュタゴラスに帰することはできないが[14]、それにもかかわらず、球体説は紀元前5世紀にピュタゴラス派によって明文化された[10][13]。紀元前5世紀以降、声望あるギリシア人著述家で大地が球形以外の形だと考える者はいなくなった[12]。
ヘロドトス
ヘロドトスは紀元前431年-紀元前425年に書いた『歴史』において、太陽が北から照らしたという報告を疑っている。この疑いは、エジプトのネコ2世の治世(紀元前610年-紀元前595年)にフェニキア人達がアフリカ周航を行ったことを論ずる条(『歴史』、4.42)で起こっている。フェニキア人達は時計回りに就航していた際に太陽を右手側に見つつ進んだと報告しているのである。近代の歴史家にとってはこれは彼らの報告の真実性を確かにするものである。
プラトン
プラトン(紀元前427年-紀元前347年)はピュタゴラス数学を学ぶために南イタリアへと旅した。アテネへと戻って学院を立てた際、プラトンは弟子に大地は丸いと教えたが彼はそれを証明する用意をできていなかった。もし人が雲より高く舞い上がれれば、大地が似ているのは「これらの12片の革で包まれたボールの一つであり、様々な色で飾られており、大地に塗るのに使われた色はある意味で見本である[15]。」 中世を通じてラテン語で読めたプラトンの作品『ティマイオス』には、創造主が世界を「中心から端までの距離がどこも等しい球形に、まるく仕上げたのですが、これこそ、すべての形のうちで、最も完結し、最も自分自身に相似した〔どの部分も相似した、つまり一様な〕形で[16]」あったと書かれているが、「世界」という言葉は通常宇宙を指す。
アリストテレス
2008年8月の月食時の地球の本影
アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)はプラトンの随一の弟子であり、「学派の心髄」[要出典]であった。アリストテレスは「エジプトやキュプロスでは見えるが北寄りの地方では見えない[17]」星があることに気付いた。これは大地の表面が湾曲していないと起こらないので、彼も「大地はまるいばかりでなく、あまり大きくない球だということも明らかである。さもなければ、ほんの僅か移動するだけで、それほど早く明らかな相違を呈するはずがなかろう[17]」(『天体論』、298a2–10)として地球球体説を主張した。
アリストテレスは地球球体説を支持する物理的・観察的な論拠を提出した:
地上のあらゆるものは圧縮・集中によって球を形成するまで中心に向かおうとする傾向をもっている(『天体論』、297a9–21)
南へ向かう旅行家は南方の星座が地平線より上に上るのを見られる; そして
月食時に月面にみられる大地の影は円い(『天体論』、297b31–298a10)
対称性・平衡性・周期的反復性といった概念がアリストテレスの著作に充満している。『気象学』では彼は世界を五つの気候帯に分けている: 赤道付近の炎熱帯から分けられた二つの温帯地域、二つの寒く荒れ果てた地域、「一方は我々より上つまり北極側でもう一方は[...]南極側」にあり、両方とも人を寄せ付けず氷に閉ざされている(『気象学』、362a31–35)。極寒帯では人は生きていけないが、南側の温帯の住民は生きられる。
ヘレニズム時代[編集]
エラトステネス
キュレネのエラトステネス(紀元前276年-紀元前194年)は紀元前240年頃に地球の周長を概算した。シエネでは夏至の日に太陽が真上にくるのに対してアレクサンドリアでは夏至でも影ができることを彼は聞いた。三角法によって導出するために様々な角度の影を用いて、彼は周長を250000スタディオンだと概算した。1スタディオンの長さは精確には知られていないが、エラトステネスの出した値は5-15%程度しか実際とずれていないという[18][19][20]。エラトステネスは大雑把な概算と大雑把な数値を用いたが、スタディオンの長さによって、彼の概算結果は実際の子午線の長さ40,008キロメートル (24,860 mi)とは2-20%程の差がある。エラトステネスは、太陽までの距離が非常に大きく太陽光は基本的に平行だという仮定に基づいて、地球の周長を計算できたにすぎないことに注意。
セレウキアのセレウコス
メソポタミアのセレウキア周辺に生きたセレウキアのセレウコス(紀元前190年頃)は大地が丸いと述べ(、また、サモスのアリスタルコスの太陽中心説の影響を受けて、実際には地球が太陽の周囲を回っていると唱え)た。
ポセイドニオス
アパメアのポセイドニオス(紀元前135年頃-紀元前51年)は地球の周長を確かめるうえで、エラトステネスの手法を信頼したが、太陽よりもむしろカノープスを観察した。プトレマイオスの『地理学』において、彼の概算結果はエラトステネスのそれよりも強く賛意を示されている。さらにポセイドニオスは地球の半径を用いて太陽までの距離を表した。
ローマ帝国[編集]
地球球体説はギリシアを起源としつつ、多くのギリシア天文学思想とともに、ゆっくりと世界へ広がっていき最終的に全ての主な天文学派に受け入れられた見解となった[2][3][4][5]。
西方では、地球球体説はヘレニズム文明との長期にわたる相互交流を経て自然とローマ人に伝わった。キケロや大プリニウスといった多くのローマの著述家は自身の著作で大地が丸いことを当然のこととして述べている[21]。
ストラボン
地球の表面が湾曲しているため、船が地平線上にいると船の下の方は見えなくなる。これは地球球体説の論拠の一つである。
船乗りたちが水平線の観察に基づいて最初に大地が平面でないことの証拠を最初に見出したのではないかと主張されてきた。この主張は地理学者ストラボン(紀元前64年-24年)によって推進されたが、少なくともホメロスの時代から地中海周辺の船乗りたちに大地が丸いことが知られていたと彼は主張しており[22]、ホメロスが紀元前8-7世紀にはすでにこのことを知っていたことを示すものとして『オデュッセイアー』の一節を引いている[23]。ストラボンは大地が丸いことを象徴するものとして海洋で見られる様々な現象を挙げている。彼は、地上型灯器や陸域は船乗りからは低い灯器よりもずっと遠くから見えることを観察し、明らかに海の湾曲がこういったことの原因だと述べている[24]。
クラウディオス・プトレマイオス
クラウディオス・プトレマイオス(90年-168年)は2世紀に学問の中心地だったアレクサンドリアに住んでいた。1400年間にわたって天文学の標準的著作であり続けている『アルマゲスト』において、彼は大地の球状性に関する様々な主張を提出した。その中には、山に向かって船を進める際山が海から昇ってくるように見えるのは、山が海の湾曲した表面に隠されていることを示しているというものがある。他にも、大地は南北にも東西にも湾曲しているという主張を彼は提示している[25]。
彼は八巻から成る『地理学』をも著し、大地について取り扱っている。『地理学』第一部は彼が使ったデータ・方法に関する議論である。『アルマゲスト』にみられる太陽系のモデルとともに、プトレマイオスは全ての情報を大きな枠組みの中に含めている。彼は自分の知っている全ての場所や地理的名所に、大地全体に広がる格子目の中で座標を割り振った(がその多くは失われている)。緯度は今日と同様に赤道から計られたが、プトレマイオスはそれを角度よりもむしろ最も長い昼の長さで表すことを好んだ(夏至の日の昼の長さは赤道上から北極に移動する間に12時間から24時間まで増加する)。彼は経度0度たる子午線を彼の知る限り最も西にあるカナリア諸島を通るように定めた。
『地理学』は「セーレース」(中央アジア東部)と「シナエ」(中国)を、「タプロバネ」(スリランカ、ただし大きすぎる)や「アウレア・ケルソネスス」(東南アジアの半島部)を超えて最も右に置いている。
プトレマイオスは、人の居住地全体の地図(oikoumenè)とローマ諸州の地図の作り方の教えを考案・提示してもいる。『地理学』第二部で彼は必要な地誌の一覧を挙げ、地図に説明を加えている。彼の「oikoumenè」は大西洋のカナリア諸島から中国までの東西180度をカバーし、北極から東インド諸島やアフリカ深くまでの南北81度をカバーしている。プトレマイオスは自身が地上の4分の1しか知らないことをよく自覚していた。
古代末期
大地が球状であるという知識は当然のことながら古代末期のネオプラトニズムやキリスト教の中の学問にも受け入れられていた。 旧約聖書に示された地球平面説により形成された神学的疑問にラクタンティウス、ヨハネス・クリュソストモス、アレクサンドリアのアタナシオスといったキリスト教徒の学者が影響を受けたが、これは常識はずれの傾向に留まり、カイサリアのバシレイオス、アウレリウス・アンブロシウス、ヒッポのアウグスティヌスといった教養あるキリスト教著述家は大地が丸いことを明らかに知っていた。地球平面説は、旧約聖書の文字通りの解釈を非常に重要視したシリアのキリスト教に長くとどまり、この派閥から出てきたコスマス・インディコプレウステースのような著述家が6世紀に至っても大地を平面形に表し続けていた。この、世界の古いモデルの最後の残滓は7世紀中に消滅し、8世紀から中世にかけて「言及に値する宇宙学者で地球球体説を疑問に付した者はいなかった[26]。」
東方への拡散[編集]
東方でのギリシア文化の興隆に伴って、ヘレニズム天文学は東方に向かって古代インドまでを覆うようになり、インドではヘレニズム天文学の大きな影響が紀元後すぐに明らかとなった[27]。大地が惑星の天球に覆われているというギリシアの地球球体説はヴァラーハミヒラやブラーマグプタに熱烈に支持され、大地が円盤状であるというインドの長年にわたる宇宙論に取って代わった[27][28]。古典時代のインド天文学者・インド数学者のアリヤバータ(476年550年)は大地の球状性や惑星の運行を扱った。彼のサンスクリットでの代表作『アーリヤバティーヤ』のうち、「カラクリヤ」(時間の計算)と「ゴラ」(天体)と名付けられた最後の二連は、大地が丸く、その周長は4967ヨージャナ(39968㎞に相当) と述べているが、この値は紀元前3世紀エラトステネスの概算値に近い[29]。 アリヤバータは天体の見かけ上の回転は実際は大地の回転によるものだとも述べている。『アーリヤバティーヤ』は逆に中世イスラームの学問に影響を与えた。
中世[編集]
大地が丸いという知識は、古典ギリシアの文献(アリストテレス)の直接の伝播によって、あるいはセビリャのイシドルスやベーダ・ヴェネラビリスのような著述家を通じて中世の知識の一部として生き残った。 スコラ学など中世の学問の興隆により、時代が下るにつれて地球球体説を示す史料は増える[21]。 ギリシア・ローマの学問に接する領域への球体説の拡大は必然的に漸進的なものであり、ヨーロッパのキリスト教化の勢いと連動している。例えば、スカンディナヴィアで地球球体説が知られていた最初の証拠は『エルキダリウム』の古アイスランド語への翻訳である[30]。
大地が丸いと知っていた古典古代から中世にかけてのラテン語あるいは口語での百人以上の著述家の余す所のない一覧が、シュトゥットガルト大学のロマンス語文学教授ラインハルト・クリューガーにより編纂されている[21]。
クリューガーによる、名を知られている79人の著述家の一覧を見るには「表示」をクリック: [表示]
キリスト教世界[編集]
四季のある球形の地球。ビンゲンのヒルデガルト『神の業の書』(12世紀)の挿絵。
セビリャのイシドルス
セビリャ大司教のイシドルス(560年-636年)はよく読まれた百科事典『語源』で大地は丸いと教えている。これについて、彼が地球球体説に言及したのだと考える著述家もいるが;[31]、これや他の著作により、彼は大地が円盤や車輪の形をしていると考えていたことは明らかである[32]。 対蹠点で人が生きるのは可能だと彼は認めず、これを伝説にすぎないと考え[33]、対蹠人の存在を示す証拠が何もないと述べている[34]。
ベーダ・ヴェネラビリス
修道士ベーダ・ヴェネラビリス(672年頃-735年)は、コンプトゥスを扱った影響力の高い論文『時間の計算』で、大地は丸いと述べ、日照時間の違いを「大地が丸いことによるのであって、聖典や一般文学に記された『世界の宝珠』などというものによるのではない。実際は大地は世界の中心に置かれた球状のものなのである」(『時間の計算』(羅: De temporum ratione、32)と説明した。カロリング朝が全ての司祭にコンプトゥスを学ぶよう要求したために『時間の計算』の写本が非常に多く作成され、また非常に多くが現存しているが、このことが、ほとんど全員ではないにしても多くの司祭が地球球体説に触れたことを示している[35]。エインシャムのエルフリクスがベーダの著作を古英語訳し、「大地の丸さと太陽の軌道が、日照時間がどこでも等しいことを妨げている[36]」と述べている。
ベーダは明らかに大地が丸いと考えており、「私たちが大地を地球と呼ぶのは、丸い形が平地と山地の多様さに表されているかのようにというわけではなく、万物がその外形に含まれるならば大地の外周が完全な球形を示すからである。[...]それが本当に宇宙の中心に坐する球体であるならば; それは広い宇宙の中で、盾のように円形なのではなくボールのように球形をしており、中心から等距離に広がった完全な球形をしているのである[37]」と書いている。
アナニア・シラカツィ
7世紀のアルメニアの学者アナニア・シラカツィは世界を「球形の卵黄(地球)が白い層(大気)に取り囲まれ堅い殻(天界)で包まれた卵[38]」というように説明している。
盛期中世
中世盛期には、キリスト教ヨーロッパにおける天文学的知識は、中世イスラーム天文学による研究の伝播で齎された古代の著述家の直接的流入の上に発展した。この研究の初期の受取人としてオーリヤックのジェルベール、後の教皇シルウェステル2世がいる。
ビンゲンのヒルデガルト(1098年-1179年)は『神の業の書』で大地が丸いことに何度か言及している[5]。
アラン・ド・リール(英語版)(c. 1116/1117年 – 1202/1203年)は詩『アンティクラウディアヌス』(羅:Anticlaudianus)で自由七科を擬人化して登場させているが、その中でも幾何学に地球の周長を計らせている[39]。
サクロボスコのヨハネス (1195年頃-1256年頃)はプトレマイオスに基づいて『天球論』と呼ばれる著名な天文学書を著し、その中で地球は丸いと考えている[40]。
中世後期
ジョン・ガワーが地球を射ようとしている。地球が大地・大気・水を表す区画に仕切られている(『ヴォクス・クラマンティス』、1400年頃)
14世紀初期のイタリアで書かれたダンテの神曲では大地が球状に描かれ、南半球で見られる星が異なることや、太陽の位置の変化、そして地上の時間帯の違いといったことの意味について論じられている。また、オータンのホノリウス(1120年頃)の『エルシダリウム』は下級聖職者教育の重要な手引書であって、中英語・古フランス語・中高ドイツ語・古ロシア語・中期オランダ語・古ノルド語・アイスランド語・スペイン語・いくつかのイタリア語方言に訳されたが、地球球体説に明らかに言及している。同様に、レーゲンスブルクのベルトルドゥス(13世紀中頃)が地球球体説を説教的な絵画で用いたという事実は、彼が自分の説教を聞く会衆に対して球体説を前提知識とみなせたことを示している。説教は口語たるドイツ語で行われており、教養人に向けたものではなかった。
ポルトガル人によるアフリカ・アジアの探検や、コロンブスのアメリカ州到達(1492年)、そして最終的にフェルディナンド・マゼランの世界周航(1519年–21年)により地球球体説の実際的な証明が得られた。
イスラーム世界[編集]
イスラーム天文学は地球球体説をギリシアの天文学から受け継いだ[41]。イスラームの理論的枠組みはアリストテレス(『天体論』)やプトレマイオス(『アルマゲスト』)の基礎的な功績に大きく依拠していたが、アリストテレスもプトレマイオスも地球が球体であることと宇宙の中心に存在すること(地球中心説)を前提としていた[41]。
ムスリムの学者は初期から地球が丸いと認識しており[42]、地上のあらゆる位置からメッカの方角・距離を計量できるようになるために、イスラーム数学者は球面三角法を発達させることになった[43]。これによりキブラ、つまりムスリムが祈る向き、が決められる。
アル・マームーン
830年頃、カリフアル・マームーンがイスラーム天文学者やイスラーム地理学者達に、タドムール(パルミュラ)からラッカ(現在のシリアに位置する)までの距離を測るように委任した。彼らは、両都市が緯度にして1度、子午線弧長測量で662⁄3マイル離れていることを発見して、それゆえ地球の周長は24000マイルだと計算した[44]。
アル・マームーンの別の天文学者による測量では緯度1度が562⁄3アラビアマイル(111.8 km)であり、周長は40248㎞と計算され、現在用いられている1度あたり111.3㎞で周長40068㎞という値にそれぞれ非常に近い[45]。
アル・ファルガーニー
アル・ファルガーニー(ラテン語名アルフラガヌス)は9世紀のペルシア人天文学者で、アル・マームーンに委任されて地球の直径の算出に携わった。彼による上記の緯度の値(562⁄3アラビアマイル)の算出はプトレマイオスによる602⁄3ローママイル(89.7㎞)という値よりもずっと正確であった。クリストファー・コロンブスは、プトレマイオスが提出したよりも地球が小さいことを証明するために、アル・ファルガーニーの値をアラビアマイルではなくローママイルに当てはめて無批判に使った[46]。
ビールーニー
ビールーニーによる地球の半径の算出法
アブー・ライハーン・アル・ビールーニー(973年-1048年)は地球の周長を計算するために新たな手法を用い、現在用いられているものに近い値に到達した[47]。彼の算出した6339.9㎞という地球の半径の値は現在用いられている6356.7㎞という値に16.8㎞足りないだけにすぎない。二つの異なる場所から同時に太陽を見ることで地球の周長を算出した先達たちとは違い、ビールーニーは平地と山頂の角度に基づいて三角法による計算を使った新しい手法を発展させ、それによってより精確な地球の周長の値を得て、一人の人間が一か所から測量するだけでその値を算出できるようにした[48][49]。 ビールーニーの手法は「暑く、埃っぽい砂漠を歩くこと」を避けようとしたものであり、彼がインドの高山に上った際に思いついたものである。彼は山頂から地平線を見た際に、それが(既に計ってある)山の高さとともに大地の曲率を計るのに使えることに気づいたのである[50][51]。 彼は代数学をも用いて三角方程式を立て、アストロラーベを用いて角度を測った[52]。
ジョン・J・オコナーとエドマンド・フレデリック・ロバートソンは『マックチューター数学的発見史』にこう書いている:
「ビールーニーは測地学と地理学に対する重要な功績も成している。彼は地球を計測する新しい方法を導入して、それによって三角法を用いて計った。彼は地球の半径として6339.6㎞という値を確立したが、これほど正確な値は西欧では16世紀まで得られなかった。彼の『マスウード宝典』には600以上の場所の座標の表が掲載されているが、彼はそのほぼ全ての値を自身による測量から導いていた[53]。」
近世[編集]
世界一周[編集]
「大航海時代」を参照
エルダプフェル、現存する最も古い地球儀(1492年/93年)
地球球体説の最初の直接的な証明は史上初の世界周航、つまりポルトガルの探検家フェルディナンド・マゼランに統率された航海、によりもたらされた[54]。この航海はスペイン王室の資金援助を受けた。1519年8月10日にマゼランの指揮の下セビリアから5艘の船が出港した。彼らは大西洋を横断してマゼラン海峡を通過し、太平洋を通ってセブ島に到達したが、そこでフィリピン人先住民との間に戦闘が起こり、マゼランが殺されてしまった。そのためフアン・セバスティアン・エルカーノが跡を継いで航海を続け、1522年9月6日にセビリアに帰還して世界一周を完了した。カルロス1世はエルカーノの功績を認めて彼に「汝は初めて私を巡った」(羅:Primus circumdedisti me)という標語が入った紋章を授けた[55]。
ただし、世界一周単体では地球球体説を証明できない。円筒状であったり不規則な球形をしていたりといった別の形をしている可能性があるからである。さらに、エラトステネスが1700年以上前に用いた三角法による証拠を組み合わせることで、マゼランの航海はヨーロッパの知識人の間から全ての合理的に考えられうる疑問を除去した。
明朝中国[編集]
17世紀には、以上のように西洋天文学によって研究された地球球体説が最終的に明朝中国に広がったのは、帝国の宮廷の天文学者の中で高い位置を占めたイエズス会士達が、地球は平面上で四角いという中国古来の思想に挑戦して成功したためである[56][57][58]。
地球が球体であることの根拠のまとめ[編集]
ほぼ歴史的に考察された順序に並べた:
海で、低い地面の前の空間や船体の前の船の帆に高山や地上型灯器が見えた場合。船の上の方に上った場合か、陸地なら高い崖の上にいる場合に、さらに遠くが見える。
北国へ旅すると太陽は低く上るが、北極星のような北にある星は高く上るようになる。エジプトで見えるカノープスのような他の明るい星は空に見えなくなる。
地球は月食の際に月に円形の影を投じる。
月食が報告される時刻(月食の起こる時間帯自体はある特定の時間帯のはずである)が、東方(例えばインド)では西方(例えばヨーロッパ)よりも数時間遅れている。時差はクロノメーターや電信を用いた旅行によって後に確かめられた。
エチオピアやインドなど非常に南へ行くと、1年の内ある時期には影が南側に生じる。さらに南(例えばアルゼンチン)に行くと常に南側に影が生じる。
世界周航が可能である; つまり、世界を一周して自分が元いた位置に戻ってくることが可能である。
世界を一周する旅行家は、していない人と比べて一日の長さが増減する。国際日付変更線を参照。
人工衛星は地球の周囲を回り続け、さらに静止軌道にある衛星は地球から見て不動でありつづけられる(静止衛星)。
宇宙から地球の写真を撮ると、観点に関わらず円形に見える。
以上の主張のうち、いくつかは単体では別の説明をすることができる。例えば月食の際の影は円盤状の地球によって投じられることが「ありうる」。同様に旅行に伴う空の星の南北への移動はそれらの星が地球に非常に近いことを意味することが「ありうる」。しかし、各主張は互いを強化する。
測地学[編集]
詳細は「測地学」を参照
測地学とは、三次元時変空間における地球やその重力場、地球力学的現象(極運動、地球の潮汐、地殻運動)について測量したり論じたりする学問領域である。
測地学は重力場の位置決定やその時間変化の幾何学的側面を主に扱うが、地球の磁力場の研究をも含む。特にドイツ語圏の測地学は、地球を全体として測量することに関わる地理計測(独: Erdmessungあるいはhöhere Geodäsie)と、地表の一部を測量することに関わる調査(独:Ingenieurgeodäsie)に分けられる。
地球の形状は少なくとも二つのやり方で考察される;
ジオイドとして、世界の海洋の平均的な海水面として; あるいは
海面まで上下したような地表として
測地学では地球をさらに正確に計測するため、まずジオイドの形状は完全な球とはされず、楕円体の一種回転楕円体としてほぼ正確に表される。さらに近年の測定によって未だかつてない正確さでジオイドが計られ、地表下の質料濃度が明らかになっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E7%90%83%E4%BD%93%E8%AA%AC
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 258: A new viewpoint of the division by zero $z/0=0$ from area and the point at infinity
}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
}
\date{November 26, 2015}
\maketitle
{\bf Abstract: } In this announcement, we will state a reality of the division by zero $z/0=0$ from the viewpoint of area and the point at infinity. We will be able to see a great impact for the idea of our space.
\bigskip
{\bf Introduction}
\bigskip
%\label{sect1}
By {\bf a natural extension of the fractions}
\begin{equation}
\frac{b}{a}
\end{equation}
for any complex numbers $a$ and $b$, the division by zero
\begin{equation}
\frac{b}{0}=0,
\end{equation}
is clear and trivial. See (\cite{msy}) for the recent results. See also the survey style announcements 179,185,237,246,247,250 and 252 of the Institute of Reproducing Kernels (\cite{ann179,ann185,ann237,ann246,ann247,ann250,ann252}). The division by zero is not only mathematical problems, but also it will give great impacts to human beings and the idea on the universe. The Institute of Reproducing Kernels is presenting various opinions in Announcements (many in Japanese) on the universe.
In this Announcement, we will refer to a new viewpoint of the division by zero in the Euclidean space from area and the point at infinity. In our common level, the results will be very surprized for many peopule.
\section{The point at infinity}
We will be able to see the whole Euclidean plane by the stereographic projection onto the Riemann sphere. The behavior of the space around the point at infinity may be considered by that around the origin by the linear transform $W = 1/z$(\cite{ahlfors}). We thus see that
\begin{equation}
\lim_{z \to \infty} z = \infty,
\end{equation}
however,
\begin{equation}
[z]_{z =\infty} =0,
\end{equation}
by the division by zero. The difference of (1.1) and (1.2) is very important as we see clearly from the function $1/z$ and the behavior at the origin. The limiting value to the origin and the value at the origin are different. For the surprising results, we will state the property in the real space as follows:
\begin{equation}
\lim_{x\to +\infty} x =+\infty , \quad \lim_{x\to -\infty} x = -\infty,
\end{equation}
however,
\begin{equation}
[x]_{ +\infty } =0, \quad [x]_{ -\infty } =0.
\end{equation}
\section{Interpretation by area}
In orde to see some realization of the properties of (1.3) and (1.4), we will consider the triangle with the basic edge (side) $a$ and high $h$. Then, the area $S$ of the triangle is given
by
\begin{equation}
S = \frac{1}{2} ah.
\end{equation}
By fixing the high $h$ and the line containing the side $a$, we will consider the limit $a \to +\infty$. Then, of course,
\begin{equation}
\lim_{a \to +\infty} S = +\infty.
\end{equation}
However, we will see that
\begin{equation}
[S]_{a=\infty} =0,
\end{equation}
just like the division by zero, because, when $a=\infty$, the triangle is broken,
we cannot consider the area of the triangle. Here, the notation $a=\infty$ is not good, however, its meaning is clear; it will mean the case of the parallel lines of the line containing the side $a$ and the line through the fixed vertex of the triangles when we consider $a$ tends to $+\infty$.
The strong discontinuity of the division by zero is appeared as the broken of the triangles.
These phenomena may be looked in many situations as the unverse one.
We can consider similar problems for many types volumes. However, the simplest cases are
disc and sphere (ball) with radius $1/R$. When $R \to +0$, the areas and volumes tend to $+\infty$, however, when $R=0$, they are zero, because they become the half-plane and half-space, respectively.
\bigskip
\bibliographystyle{plain}
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The importance of the division by zero $z/0=0$. {\it Announcement 185 (2014.10.22)}.
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A reality of the division by zero $z/0=0$ by geometrical optics. {\it Announcement 237 (2015.6.18)}.
\bibitem{ann246}
An interpretation of the division by zero $1/0=0$ by the gradients of lines. {\it Announcement 246 (2015.9.17)}.
\bibitem{ann247}
The gradient of y-axis is zero and $\tan (\pi/2) =0$ by the division by zero $1/0=0$. {\it Announcement 247 (2015.9.22)}.
\bibitem{ann250}
What are numbers? - the Yamada field containing the division by zero $z/0=0$. {\it Announcement 250 (2015.10.20)}.
\bibitem{ann252}
Circles and curvature - an interpretation by Mr. Hiroshi Michiwaki of the division by
zero $r/0 = 0$. {\it Announcement 252 (2015.11.1)}.
\end{thebibliography}
\end{document}
再生核研究所声明259 (2015.12.04) 数学の生態、旬の数学 ―ゼロ除算の勧め
数学とは何だろうかと問うてきたが(No.81, May 2012(pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)違う観点から、はじめに数学の生態について外観して、ゼロ除算の研究の勧めを提案したい。
純粋数学の理論は 恰も人間とは無関係に存在して、まるで神の言語のように感じられるが、しかしながら、生活している人間、関与している人間、またそれらを支えている社会が数学の発展の行くすえ、成長の生態に反映されているのは事実である。実際、最も古く、超古典のユークリッド幾何学の発展、現状を見れば、数学の生態の様を見ることができる。その幾何学は 素朴に土地を測るという、現実の要求から生まれ、知的要求で言わば社会との関わりを有しないレベルまで発展して、膨大な理論体系が作られたが、現在では研究の専門家がいない程に確立した理論とされている。研究課題としては終わっていると考えられる。多くの数学も同様な経過を辿っている様を見ることができる。多くは物理学やいろいろな現象から新しい数学が生まれた例は多いが、ここは、素朴な数学の具体例、基本的な問題から、新しい数学が生まれ、発展して、やがて、細分化、孤立化した結果に至って 衰退している様を 数学の生態として捉えることができるだろう。社会との関係が薄く、興味を抱く人が少なくなれば、その数学は衰退すると ―すなわち 誰もやらなくなり、殆ど忘れされていくことになるだろう。この意味で、多くの数学も、花の命や人の一生のように 夢多き時期、華やいだ時期、衰退して行く時期といろいろな時期があると考えるのが妥当ではないだろうか。基本的で、新規な結果がどんどん展開されるときは、その数学の発展期で、活動期にあると考えられる.他方、他との関係が付かず、興味、関心を抱く者が少なくなれば、既に衰退期にあり、研究は労あって成果は小さいと言えよう。
数学を言わば輸入に頼っている国では、価値観も定かではなく、権威ある、あるいは数学の未解決問題の解明や小さな部分の形式的な拡張や精密化に力を入れている現実がある。見るだけでうんざりしてしまう論文は 世に多いと言える:
再生核研究所声明128 (2013.8.27): 数学の危機、 末期数学について
(特に純粋数学においては、考えられるものは何でも考える自由な精神で真理の追究を行なっているから(再生核研究所声明36:恋の原理と心得)、一旦方向が、課題が定まると、どんどん先に研究が進められる。基本的な精神は 内部における新しい概念と問題の発掘、拡張、すなわち一般化と精密化、そして他の数学との関係の追求などである。それらがどんどん進むと、理解出来る者、関心を抱く者がどんどん少なくなり、世界でも数人しか興味を抱く者がいないという状況になり、そのような状況は 今や珍しくはないと言える。 ― 興味以前に分からない、理解できないが 殆どであると言える。 また、何のための結果かと問われる結果が 現代数学の大部分を占めていると言えるだろう。特に数学内部の興味本位の結果は そのような状況に追い込まれ、数学の末期的状況の典型的な形相と言えるだろう。実際、相当なブームに成っていた数学の分野が、興味や関心を失い、世界でも興味を抱く者が殆どいなくなる分野は 結構実在する。それらの様は、さまざまな古代遺跡のように見えるだろう。― 夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもがゆめのあと):松尾芭蕉。
もちろん、数学は、時間によらないようであるから、オイラーの公式のように、基本的で美しく、いろいろ広く関係しているような結果は、普遍 (不変) 的な価値を 有すると言える。)
どの辺の数学に興味を抱くは、個人の好みであるが、最近考えられているゼロ除算は極めて初期の段階にあり、夢多き段階にあると見られので、広く世に状況を公表して、ゼロ除算の研究を推進したい。
ゼロ除算は、西暦628年インドでゼロが記録されて以来の発見で、全く未知の新しい数学、前人未到の新世界の発見である。すなわち、ゼロで割るは 不可能であるがゆえに 考えてはいけないとされてきたところ、ゼロで割ることができるとなったのであるから、全く未知の世界を探検できる。 既に数学的には確立され、物理的、幾何学的にも実証されている。 最近、素人にも分かるような例が結構発見されてきたので、 広く 世にそのような面白い新しい現象の発見を呼びかけたい。まず結果は、分数を拡張して、自然に100割るゼロを考えると、何でもゼロで割れば、ゼロで、面白いのは、どの様に考えを一般化しても、それに限ると言うことが証明されたことである。導入、動機、一意性、すなわち、それ以外の考えが無いこと、それらが、高校レベルの数学で、簡単に証明されたと言う事実である。出版された論文は、高校生にも十分理解できる内容である。具体的な結果は、関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロであると述べている。すなわち、 1/0=0 である。それらは 既に 数の実体である と言える。
― 要点は、上記直角双曲線は、原点で猛烈な不連続性を有し、爆発や衝突、コマで言えば、 中心の特異性などの現象を記述していることである。複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界であるが、無限遠点は 数値としては ゼロが対応する。
現在までに発見されたゼロ除算の実現例を簡単に列挙して置こう:
万有引力の法則で、2つの質点が一致すれば、引力はゼロである;一定の角速度で回転している回転体の中心で、角速度はゼロで、中心で不連続性を有している;光の輝度は 光源でゼロであること:円の中心の鏡像は 無限遠点ではなくて、中心そのものであるという強力な不連続性;電柱の微小な左右の揺れから、真っ直ぐに立った電柱の勾配はゼロであり、左右からマイナス無限とプラス無限の傾きの一致として、傾きゼロが存在している; 代数的には ゼロ除算z/0=0を含む簡単な体の構造が明らかにされ、数体系として自然な体系である複素数体より ゼロ除算z/0=0を含むY体 の方が自然であると考えられること; 点の曲率がゼロであること、などである。
さらに、原始的なテコの原理にもゼロ除算は明確に現れ、初等幾何学にも明確に現れ、例えば、半径Rの円をどんどん大きくすると,円の面積はいくらでも大きくなるが、半径が無限になると突然、その面積はゼロになることが認識された。 Rが無限になると円は直線になり、円は壊れて半空間になるからである。 このことの明確な意味が数学的に捉えられ、一般に図形が壊れる現象をゼロ除算は表していることが分かった。これらの現象は ゼロ除算が 普遍的に存在する現象を説明するもの と考えられる。
また、ゼロ除算において 無限遠点が 数値では ゼロで表されることは 驚嘆すべきことであり、それではuniverse は一体どうなっているのかと、真智への愛の 激しい情念が湧いてくるのではないだろうか。ゼロ除算は、数学ばかりではなく、物理学や世界観や文化にも大きな影響を与える:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算の最も関与している研究は まず 第1に複素解析学への影響、複素解析学の研究ではないだろうか。 実際、ゼロ除算は、ローラン展開そのものの見方から始まり、それは佐藤の超関数や特異積分などに関係している。
第2は、 ゼロ除算の物理学への影響である。 これは、ニュートンの万有引力の法則など多くの物理法則の公式に、ゼロ除算が現れているので、それらに対する新しい結果の解釈、影響である。
第3は ゼロ除算の代数的な、あるいは作用素論的な研究である。これらも始まったばかりであり、出版が確定している論文:
S.-E. Takahasi, M. Tsukada and Y.Kobayashi, Classification of continuous fractional binary operators on the realand complex fields, Tokyo Journal of Mathematics {\bf 8}(2015), no.2 (in press).
がそれらの最先端である。
これらの分野では、誰でも先頭に立てる全く新しい研究分野と言える。
全く、新しい研究分野となると、若い人がやみくもに挑戦するのは危険だと考えるのは、 よく理解できるが、ある程度自己の研究課題が確立していて、多少の余裕がみいだせる方は、新しい世界を自分の研究課題と比較しながら、ちょっと覗いてみるかは、面白いのではないだろうか。思わぬ関係が出てくるのが、数学の研究の楽しさであると言える面は多い。アメリカ新大陸に初めて移った人たちの想い、 ピッツバーグの地域に初めて移住した人たちの想いを想像してみたい。ゼロ除算は 新しい数学である。専門家はいないから、多くの人が面白い現象を発見できる機会があると考えられる。
次も参考:
再生核研究所声明189(2014.12.233) ゼロ除算の研究の勧め
再生核研究所声明222(2015.4.8) 日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
再生核研究所声明253(2015.10.28) 私も探そう ―ゼロ除算z/0=0 の現象
以 上
追記: ゼロ除算の楽しい、易しい解説を次で行っている:
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
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