人間は生物として優秀だと言えますか?
また何故そのように考えるのか、できるだけ詳しく教えて下さい。
私は人間は進化の方向を間違えている(或いは恐ろしく遅い)と考えています。
根拠として明確な資料はありませんが以下の点でそのように考えてしまいます。
1.自己を主張する点。
2.文明の発展に重きを置いている点。
3.脳の発達が進化だと誤解している点。
4.己が優位な生物だと考えている点
専門的な事は全く分かりませんが、自己の主張や意思というものは脳の発達からきていると思うのです、それなのにも関わらず何故いじめ、自殺、戦争を否定するのか分かりません。
人間が己の脳を発達させ続けた故に起こったこと、互いに淘汰し合ってより良い遺伝子を残す為の行為を否定するのに、何故考える事を捨てないのですかね?
例えるならば、暗い森の中で誤った方向に向かって「こちらが正しいのだ」と自分に言い聞かせ歩き続けているが、目的地は全く見当違いの方向にあるというような感じに思えてなりません。アリを見るととても発達した生物だと感じます。
完成されたネットワークはあるが己のコミュニティを自ら扇動したりするような人間とは違って、貢献する為だけにそれぞれが動いているように見えます。
働きアリ(以下アリA)とは別に何割か何もしないアリ(以下アリB)も存在するらしいですが、そのアリAは何もしないアリBに対して報復をするでしょうか?逆に働かないアリBがアリAに対して危害を加えるでしょうか?そんな事はしないと思います。何故ならどちらも必要で互いを潰す事は無駄な事だからです。
仮にそのコミュニティから大半のアリが消失しても残ったアリの中からまた同じ割合で、よく働くアリAと働かないアリBが生まれるそうです。
例え働かないアリBのみを残して新たにコミュニティを作っても、その中からアリAとアリBに分かれる。これこそ人間の求める社会ですよね。
この完成された社会に意思はあるでしょうか?
彼らは脳を捨てる事によってこの社会を得たのではないでしょうか。
一方人間は、働かない者は食うべからずとし、殺人者には法によって罰を下し、目には目を歯には歯をと戦争を続ける。
もしかしたら自殺者だって人間社会を維持する為に必要な存在なのかもしれない。
脳を発達させ自己を築いたのに皆を同じ方向に向かわせようとする。矛盾してますよね?
皆さんはどう思いますでしょうか?
回答お聞かせください。長文乱文失礼しました。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14149074769
人間は進化途中で、未完、不完全では? 生物は 本能に従う 完全な存在では。 人間は不完全で、おかしなところを抱えていますね。
再生核研究所声明175(2014.8.8) 人間の擁く 大きな虚像
どのレべルで人間を捉えるかで、表現の基調は自ずから変わるが、湧いた直観で成文化してみたい。
虚像だから、実状、実体でない架空の像、イメージ、誤解、思い込みなどである。
そもそも人間は 本来、多くは運命づけられ、何者かによって、作られ、操られているのにその実体を知らず、気づかず、好きなように相当に自由に自分で生きている、行動していると思っている。 そのことが、そもそも虚像の最たるものである。我々のやりたいこと、行動の殆どが 生物繁茂の原則に従う、本能原理から出てきていて、自分のこととは、実は自分のためではなく、いわば遺伝子の乗り物の役割りを果たすための要請に従っていると言える。 人間はそのためのシモベのような存在であるとも言える。大事な、恋、育児、それらの愛は この原理の最たるもので、遺伝子の健全な移転現象に操られている人間の基本的な在りようである。食欲も本能の基本であるが、生体が維持できなければ、遺伝子の存在さえ危うい。生存の原理。
人間を上手く、支配する原理として、死を嫌がる、畏れさせる精神を備わせたのは当然である。 死を良きものとしては、生命は保持できず、遺伝子は、最も困る状況に追い込まれるからである。人間が少し賢くなれば、この虚像を見破り、死こそ、生命の解放であり、これ幸いと悟りの心境に至るだろう。 死の恐怖、忌み嫌う心情は備えられた、大きな人間の虚像である。
世間では、多くは 名誉は大事だと考えられている、死後のことでも名誉に拘わるは世に多く、また人生の大きな要素にもなっている。しかしながら、それらは何か とよくよく考えて見ると、多くは虚像で、殆ど意味のないものである実体を知るであろう。あまりに愚かに進むと浅ましさというより、憐みさえ感じてしまうだろう。虚栄心など さらに虚像である。勝ち負けの情念や闘争心、優劣観など、たわいもない空しい虚像である。ドラマ、ニュース、多くの情報さえ、虚像の虚像と言える。
多く描く目標や幸福な状況の想像的な世界は 多くは虚像であり、 到達したり、叶えたりするとやがて空しく感じられ、さらに先に虚像が出来て、どんどん変わって行くことを知るだろう。人間の心は絶えず変化して、喜びや感情さえ変化していく。まるで、霧の中の存在のように見える。
このような世界観は、達観や超越的な生き方を暗示しているが(
再生核研究所声明19 (2008/09/14): 超越への道、悟りへの道;
再生核研究所声明 63(2011.05.25) : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得;
再生核研究所声明85(2012.4.24): 食欲から人間を考える ― 飽きること;
再生核研究所声明86(2012.4.25): 未だ おめでたい人類 - 先史時代;
再生核研究所声明 118 (2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ―
再生核研究所声明 145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察;
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの;
再生核研究所声明155 (2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??;
再生核研究所声明158(2014.5.22) 生命と人生
)、
一段と高い視点で人生、世界を観る意味で良いのではないだろうか。
しかしながら、上記虚像とは、火の無いところに煙が立たない の喩の通り、裏には、核には、実は なにか実があり、本質的なものもあるとも言える。 また、人間は所詮 造物主 には逆らうことはできない。
人間とは、何者か? 人間として生きる意味は何か? と問う。
以 上
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47: 肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
安倍首相がアメリカから5年で30兆の武器買う約束してることが判明 (1年で6兆円)
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/
米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている
Published: May 13, 2015
US defense budget already counting on Japan self-defense plan
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて, 生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。
1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。
人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上
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