2015年9月25日金曜日

聖書の神様は「完全なもの」なのでしょうか? 神様が不完全な存在(人間)を作った事に文句は 言いませんが、いかなるプロセスであっても神様が不完全な存在(人間)を作りざるを得ない状況下に陥ったのであれば、神様は不完全ではないでしょうか? 本当に万能であれば、それを回避できた。または自分以外に完全なものも 不完全なものも、作る必要がないのでは? 神様が完全ならば、必要とする、という概念 自体がないのでは? 神様は自己だけでは自己を保てないのでしょうか?

聖書の神様は「完全なもの」なのでしょうか?
神様が不完全な存在(人間)を作った事に文句は
言いませんが、いかなるプロセスであっても神様が不完全な存在(人間)を作りざるを得ない状況下に陥ったのであれば、神様は不完全ではないでしょうか?
本当に万能であれば、それを回避できた。または自分以外に完全なものも
不完全なものも、作る必要がないのでは?
神様が完全ならば、必要とする、という概念
自体がないのでは?
神様は自己だけでは自己を保てないのでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11149757991

人の書いたもの、作ったもので 完全なものは ないのでは。 
完全なものが存在しても、表現すれば不完全になってしまうのでは?


再生核研究所声明175(2014.8.8)  人間の擁く 大きな虚像



どのレべルで人間を捉えるかで、表現の基調は自ずから変わるが、湧いた直観で成文化してみたい。

虚像だから、実状、実体でない架空の像、イメージ、誤解、思い込みなどである。

そもそも人間は 本来、多くは運命づけられ、何者かによって、作られ、操られているのにその実体を知らず、気づかず、好きなように相当に自由に自分で生きている、行動していると思っている。 そのことが、そもそも虚像の最たるものである。我々のやりたいこと、行動の殆どが 生物繁茂の原則に従う、本能原理から出てきていて、自分のこととは、実は自分のためではなく、いわば遺伝子の乗り物の役割りを果たすための要請に従っていると言える。 人間はそのためのシモベのような存在であるとも言える。大事な、恋、育児、それらの愛は この原理の最たるもので、遺伝子の健全な移転現象に操られている人間の基本的な在りようである。食欲も本能の基本であるが、生体が維持できなければ、遺伝子の存在さえ危うい。生存の原理。

人間を上手く、支配する原理として、死を嫌がる、畏れさせる精神を備わせたのは当然である。 死を良きものとしては、生命は保持できず、遺伝子は、最も困る状況に追い込まれるからである。人間が少し賢くなれば、この虚像を見破り、死こそ、生命の解放であり、これ幸いと悟りの心境に至るだろう。 死の恐怖、忌み嫌う心情は備えられた、大きな人間の虚像である。

世間では、多くは 名誉は大事だと考えられている、死後のことでも名誉に拘わるは世に多く、また人生の大きな要素にもなっている。しかしながら、それらは何か とよくよく考えて見ると、多くは虚像で、殆ど意味のないものである実体を知るであろう。あまりに愚かに進むと浅ましさというより、憐みさえ感じてしまうだろう。虚栄心など さらに虚像である。勝ち負けの情念や闘争心、優劣観など、たわいもない空しい虚像である。ドラマ、ニュース、多くの情報さえ、虚像の虚像と言える。

多く描く目標や幸福な状況の想像的な世界は 多くは虚像であり、 到達したり、叶えたりするとやがて空しく感じられ、さらに先に虚像が出来て、どんどん変わって行くことを知るだろう。人間の心は絶えず変化して、喜びや感情さえ変化していく。まるで、霧の中の存在のように見える。

このような世界観は、達観や超越的な生き方を暗示しているが(



再生核研究所声明19 (2008/09/14): 超越への道、悟りへの道;

再生核研究所声明 63(2011.05.25) : 解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 

再生核研究所声明85(2012.4.24):  食欲から人間を考える ― 飽きること;

再生核研究所声明86(2012.4.25):  未だ おめでたい人類 - 先史時代;

再生核研究所声明 118 (2013.5.16): 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、 と言える面もある ― 

再生核研究所声明 145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察;

再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの;

再生核研究所声明155 (2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??;

再生核研究所声明158(2014.5.22) 生命と人生

)、



一段と高い視点で人生、世界を観る意味で良いのではないだろうか。

しかしながら、上記虚像とは、火の無いところに煙が立たない の喩の通り、裏には、核には、実は なにか実があり、本質的なものもあるとも言える。 また、人間は所詮 造物主 には逆らうことはできない。

人間とは、何者か? 人間として生きる意味は何か? と問う。

以 上









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