2015年7月4日土曜日

記事 畠山理仁2015年07月03日 00:00「命を育み、命を守った『鎮守の森』を再生しよう」 多賀城市の八幡神社で開かれた植樹祭に 地域住民・ボランティア1000人が参加

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畠山理仁2015年07月03日 00:00「命を育み、命を守った『鎮守の森』を再生しよう」 多賀城市の八幡神社で開かれた植樹祭に 地域住民・ボランティア1000人が参加




地域の人々と歩んできた「鎮守の森」の役割とは

 神社の境内にいると何度も霧笛が聞こえてきた。そこから海は見えないものの、音までの距離は近い。

 宮城県多賀城市宮内にある八幡神社は海から1kmほど内陸にある神社だ。2011年3月11日に起きた東日本大震災では多賀城市内で188名が亡くなった。八幡神社のある宮内地区は市内で最も大きな被害を受けた場所の一つだ。 

 八幡神社にも高さ3メートルの津波が押し寄せ、鳥居や社務所だけでなく、境内の倉庫に保管していた神輿も破壊された。津波が押し寄せた時、当時の宮司は高さ約1.5mの基礎の上に建つ本殿内に椅子を置き、その上に立って津波をしのいだという。その時、津波は宮司の首まで達していた。 

 津波が街を襲う前、八幡神社は本殿の後ろまでをすっぽりと囲む杉の木を中心とする約800本の鎮守の森に守られていた。なかには直径1mもの大木もあった。神社の周囲には多くの住宅があり、人々の生活があった。 


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 八幡神社の総代長を務める江口健さん(76歳)が、震災前の八幡神社の思い出をこう語る。

「八幡神社の近くにはうちの畑があったから、小学生の頃は鎮守の森で虫捕りをしたり走り回ったりしてよく遊んでいました。毎年4月にはお祭りがあって、お神輿や子ども神輿を担いで街中を練り歩いたんです。私のような氏子だけでなく、地域のみなさんもお祭りを楽しみにしてくれていて、お祭りはいつもたいへんなにぎわいだったんです」 

 そんな地域を大津波が襲った。津波の後も鎮守の森の杉の木は立っていたが塩害によってしだいに枯れはじめ、倒木の危険があるためすべて伐採されることになった。周囲の住宅の多くも地震と津波により解体を余儀なくされた。この土地を離れざるを得なくなった住民もいた。緑豊かでにぎわいのあった風景は、震災後、緑のない平坦な風景へと一変した。

「それでも」
 と、現在の宮司・鍵三夫さんは言葉をつなぐ。 


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「津波によって海側から流されてきた車や倉庫を、八幡神社の鎮守の森が食い止めたのです。幸いなことに神社の本殿は修理することで残せる状態でしたし、神社よりも内陸側にある住宅の被害を最小限に止めることができたのです」 

 地域の人々とともに歩んできた八幡神社。その鎮守の森で育まれ、鎮守の森に救われた命もあったのだ。 

 ちなみに境内で伐採された800本のうち、200本ほどは材木として利用できる状態だった。そのため多賀城市の福祉施設や仮設住宅のベンチなどにも利用されている。 

この木を植えた子どもたちとともに大きく豊かな森に育ってほしい

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 2015年6月14日、震災によって失われた八幡神社の鎮守の森を再生させようと、地域住民・ボランティア約1000人が集まって6024本の苗木の植樹をおこなう「みんなの鎮守の森植樹祭」が開かれた。 

 これは日本財団が岩手、宮城、福島の3県で被災した神社を対象に2012年から行なってきた震災復興支援策「鎮守の森復活プロジェクト」の一環だ。同プロジェクトはこれまでに被災3県の10か所で植樹祭を行なっており、11か所目となる今回は参加人数、植えた苗木の本数ともに過去最大規模だ。苗木を植えるための土壌改良費や苗木代などに必要な1777万円は、日本財団の「地域伝統芸能復興基金」から支援されている。

 同プロジェクトの目的は、鎮守の森の再生を通して、地域のお祭りや伝統文化の復活、地域の人々と鎮守の森をつなぎとめることだ。そのため植樹祭の前には地元の民俗芸能「鹿踊(ししおどり)」の演舞が多賀城鹿踊保存会により奉納され、会場に集った参加者たちの目を楽しませた。

 また、植樹祭開会式では被災者への黙祷、来賓挨拶に続き、『Dr.スランプ・アラレちゃん』のアラレちゃん役で知られる声優・小山茉美(こやま・まみ)さんによる『古事記』の読み語りも奉納された。

 植樹祭当日に八幡神社を訪れると、境内の敷地1279平方メートルの周囲には、本殿をコの字型に取り囲む形で「マウンド」と呼ばれる植樹のために土壌改良された土手が造成されていた。用意された苗木は、タブノキ、シラカシ、アカガシ、ヤマザクラ、サカキなど25種類。監修をしたのは横浜国立大学名誉教授の宮脇昭さんだ。

 参加者たちは「地球の緑を育てる会」理事長の石村章子さんから、 「『タブノキ一本、消防車一台』と言われるほど防災に役立つ木です」  などの植樹指導を受けた後、一本一本、心をこめて植樹していった。 


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 植樹祭に3歳の子どもと参加した多賀城市内在住の母親は、 「この子たちの成長とともに鎮守の森も大きくなっていく。自分で植えた小さな苗木が大きな森になっていく様子を親しみを持って見てほしいと思って参加しました。『この木は自分が植えたんだよ』って。早く大きくなるといいですね」  と、笑顔で語った。 

 前出の八幡神社総代長、江口さんが言う。
「震災から4年が経ち、まだまだ元の街の姿には戻っていないけれども、徐々に、徐々に復興は進んでいると思います。まもなく神社のそばには災害復興住宅も建てられますから、震災でこの土地を離れざるを得なかった人たちも半分くらいは戻ってきてくれるのではないでしょうか」

 豊かな土壌に根を張り始めた、まだまだ小さな鎮守の森。すぐに元のような姿に成長するまでには時間がかかるだろうが、地域の人々に見守られながら復興を目に見える形で示してくれることだろう。 

(取材協力:日本財団)http://blogos.com/article/119451/

再生核研究所声明224(2015.4.21) 郵便ポストの適正配置を求める提案 ― ゴミの無責任な投棄を止めよう

(これは 新緑美しい山間の道を散歩しながら、バイクでの郵便配達の様子を拝見して考えが湧いたものである。平凡な声明が、世に実際的に貢献すれば良いと考えた。)

世の中の人間関係の多くの問題は、次の 公正の原則 で概ね解決できると考えて再生核研究所声明の原型が始められた:

再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか. 
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました. 
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか. 
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか. 
3) それはみんなに受け入れられるか.  
4) それは安定的に実現可能か. 
これらの 「公正の判定条件」 の視点から一つの行為を確認して諒となれば それは公正といえる. 
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則 を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中は はるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか. 
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.(以下略。)

そこで、今回は 極めて具体的に、各家庭で設置されている 郵便受けの設置場所についての検討を広く訴えたい。 郵便配達の方の立場を考えて、自分たちに都合の良い場所に 郵便受けの設置を考えるだけではなく、配達する人の立場も考えて 設置して 配達し易い様に考えようということである。 山間部等あまりに深く入り込んでいたり、 庭でも広く、奥深くに設置されていて、 配達する人の労苦、複雑さに驚かされている。 多くは バイクでの配達のようであるが、バイクでの観点も考えて、 より便利な設置を再検討したい。 郵便物を受け取る人も 配達する人も 楽しい状況になるように 配慮したい。
ついでに 余りにも当たり前のことであるが、美しい山や川に、 街に、 ゴミが捨てられていて、哀しくなる場面は 結構多い。極めて残念である。 美しい街、自然に相応しいものではない と常日頃繰り返し、思われるので、お互いに注意を換気したい。

美しい新緑の季節、自然を愛でて浩然の気を養いたい ― 再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで。

                                     以 上
追記:

こうぜんのき【浩然の気】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書
こうぜんのき【浩然の気】とは。意味や解説、類語。《「孟子」公孫丑上から》1 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。2 物事にとらわれない、おおらかな心持ち。
(世界宗教用語大事典 
こうぜんのき 【浩然の気】
『孟子・公孫丑上』に「我善く吾が浩然の気を養う」とあるのによる。天地間に充満している非常に大きく強い気(至大至剛の気)をいう。自分の行動が正しいと、この気が身中に満ち、不屈の道徳的勇気となるとする。浩気とも。明け方近くの清澄な大気をも意味し、呼吸法とも関係し、修養法ともされる。)


再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと

世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。

国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。

特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。

この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。



再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念

先ず、アースデイの概念であるが、グーグルで検索すると、環境関連の会議で、環境問題についての討論集会、環境のかかえる問題に対して人びとに関心をもってもらおう、 地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動  などから、地球環境を大事にしようという概念が 鍵となっているようである。
そこで、地球について改めて、考察し、かけがいのない地球 に想いを致し、元祖生命体における人類の使命(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)を自覚するように 訴えます。
広大な宇宙空間で、地球のように 生命が繁茂し、人間のような ある程度の精神作用や自由意志を有する高等生物が生息する天体は 未だ見つかっていない。 このことからも、既に 地球が広大な宇宙の中で、かけがいのない存在 であることが分かる。 人類が存在して、初めて、全てのことは始まるから、人類の生存は 最も大事な ことになる(再生核研究所声明13)。 雄大な生態系において、人類はその頂点に位置していて、自由意志と能力によって、地球や生態系に重大な影響を与えている。 実際、人類が望めば、原爆などで地球を破壊し、生命の絶滅も可能であろう。しかしながら、実は、人類の自覚が無ければ、このままでも 生態系が破壊され、少なくとも人類絶滅にいたるのは 物理的にも 容易に想像される。
実際、地球外から地球を見れば、人類が如何に自然と生態系を破壊して来たかが、良く理解できる。人類こそ、地球の生態系を蝕む、がん細胞のような存在であることを しっかりと理解する必要がある。がん細胞が増殖すれば、生態系は乱され、やがて がん細胞すら存在しえなくなるのは明らかである。
このような観点から、地球環境の保全、特に生態系の保全に特別な想いを致すのが、アースデイの理念 でなければならないと考える。
生きている地球が、地震などを起こすのは道理である。 地球と仲良く生きるとは、地震などにも柔軟に対応できる生き方をするということである。母なる地球が在って、豊かな生態系が在って、はじめて人類の生存の基礎ができるのである。 それらの持続可能な在りようを追求するのが、元祖生命体の代表である人類の 真に崇高な使命である。大義である。
生態系の在りようは 多様性によって裏付けられているが、その実体は未だ 人知の及ばない領域とも言えるから、人類は謙虚になって、

1)  人類の立ち入らない島や、地域の制定
2)  あらゆる生物種の保存

に努力するように訴える。 人生で確かなこととは 生きて存在しなければ何も始まらない (生命の基本定理) ということであり、生態体系の保存に心すべきであり、元祖生命体の進化を見守りたい。 また、広い存在領域の確保のためにも、地球外への進出も企てたい(再生核研究所声明32)
以 上

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