全ての人が、優れた思想を持ったとしても、
能力の差が埋まる訳ではないので、
劣等感が消える事はありませんか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12147676102
生物の多様性の原理が働いて、 能力の差が埋まる、
劣等感が消える事など簡単ではなく、逆に個性を尊重して、自我の確立が大事では。人は人、私は私で かけがいのない 私である。
再生核研究所声明 105(2012.11.06) 人間の愚かさ、弱点について
人間を大きく捉え、人間の愚かさ、人間の弱点の視点から 人間について 触れて置きたい。
まず、人生の肯定にかかわる、大事、人間は本能に基づいて、少しでも生きたいと考え、健康に気遣ったり、病との闘い、あるいは生きるために いろいろ苦労している。しかしながら、人生は帰するところ、みな同じで、無駄な努力をして わざわざ苦労しているとも言える。これ、人間の愚かさの最たるものである。(しかし、地球すら いずれ壊滅するだろう。その時、世界史は結局 空に帰するだろう。そこで、本能寺の変が起きたら、余計なことを続ける必要が無くなった、これ幸いと考えれば 良いですね。2012.6.11.09:45)。しかしながら、 人生の基本定理: 生きて存在しなければ 始まらない ― を しっかりと、理解する必要がある。
しばしば、恋をしたり、子をもうけ、育児など、することなど、愚かしいことと考えられる面がある。これは、人生そのものを否定するような発想につながる面もあるが、人間の愚かな営みであると考えられる面を否定できず、逆の立場の視点を 有していることは視野を広める意味で、また 本能からの解放で 良いのではないだろうか。
人間には、育ち、初期の学習で 大きな影響を受けて、その枠から抜けられないような要素が有るので、大きな弱点として、指摘したい。宗教や文化の強い影響を考えてみれば 深く理解できるだろう。― しばしば、ベジタリアンは おいしい肉を、まるで悪魔を見るような眼差しで見ている。
恋でも、学問、芸術、志でも 初期の影響が 永く人生に影響していることは驚くほどである。殆ど、初期に受けた影響から 抜けられないは あたかも 人間そのものがそのように形づけられた面が、要素があると考えられる。― 三つ子の魂 百までも とは よく言ったものである。
次に環境、群衆心理に流され易い、状況を指摘したい。人は世論や、環境に左右され易く、 戦時などにおける 異常な群集心理には大いに心したいものである。 上記、少し触れた 本能寺の変でも、途中で 反乱に反対した者がいなかったのは、考えようによっては、不思議なものであるが、群衆心理で、軍隊の流れで、 突入させられているのではないだろうか。それは 基本的にいずれの軍隊、合戦でも同じようではないだろうか。そもそも、人間は大きな流れの中で、流されている面が相当に強く、慣性の法則で 生きている面が強いのではないだろうか(再生核研究所声明 72:慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。 多くの価値観、感性すらも環境、文化的な背景で、形づくられていると言える。
環境の影響で、いわゆる、劣等感の強い影響を 特に指摘したい。相当に偉いとされている成功者でも、 試験に落ちた、 受験に失敗したことの傷を受けているのを知ると、実に驚くほど、劣等感の強い影響を感じる。人にはそれぞれ、個性が有り、得意、苦手はつ きものであるから、大事な個性として、居直る強さを身に付けるべきである。強いもの、良いものだけでは 社会は構成できず、いろいろあって社会である。優越感も同じく、空しいものである。― 人が何でもない様な事で、永く、深く傷ついている場合が 世には多い。
個人は、物理的にも、客観的にも小さな存在であるから、原理的にも単細胞的思考、予断と先入観で支配された 盲目的な存在である と絶えず自戒する必要がある(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)。
人間は、人間関係の中で生きているという面を有するが、無用な競争意識に 悩まされている場合が多いのではないだろうか。人が、友人が成功したり、幸運を掴むか否かは、本当は、自分には関係がないのに いちいち気にして、人のことに異常に関心をもっている愚かさは 世に多いのではないだろうか。日本における 異常に競争をあおる教育における世相は、人間形成の観点と そのような競争心を異常に高める悪しき在りようであると考える(再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
現在、日本の政局は混乱していて、さまざまな意見と批判が展開されている。予断、決めつけ、感情むき出し、思い込み、敵、味方に分けての考え方が 強く、真面目な議論の背景が薄く、批判合戦になっているのは、世相ばかりではなく、そうあるまじき、マスコミ、政党、言論界などすらもそうである。 人間の浅ましさ、愚かさの極みと絶えず、自戒し、どうしたら 良い国造り、良い社会を築けるかと、広い視野と公正な精神で考え、前向きに、建設的な立場で議論するように努力したい。
人間の愚かさと 弱点は それこそ人間らしい、人間の実相だと達観して、眺める余裕を持てれば、人間の愛おしさを 一層深められるのではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47: 肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて, 生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。
1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。
人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上
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