2015年7月29日水曜日

差別 戦争 飢餓 貧困をこの世から根絶、駆逐する為には何かに管理されていない限り人間は絶対無理なのか?(宇宙人だかコンピューター等に管理されてから) 地元意識、慇懃無礼な態度が 戦争繋がるならば、戦争は根絶出ないのだろうか? 劣等感、物欲の塊、保守主義、利己主義を持ちうる 人間に、差別、飢餓、貧困、戦争を根絶出来るのか? 現代経済には、何らかの形で戦争が一枚噛んでいて 根絶すれば、大恐慌が起こる可能性があるのではないのか? 我々人類は、差別、飢餓、貧困、戦争は本当に根絶出来るのか? 本当に可能なのか?哲学カテゴリー皆さんのご回答のほど、お待ちしております! 関連知恵袋哲学カテゴリー差別 戦争 飢餓 貧困を この世から根絶、駆逐する為にはいったい、どうしたらば良いのだろうか?

差別 戦争 飢餓 貧困をこの世から根絶、駆逐する為には何かに管理されていない限り人間は絶対無理なのか?(宇宙人だかコンピューター等に管理されてから)
地元意識、慇懃無礼な態度が
戦争繋がるならば、戦争は根絶出ないのだろうか?
劣等感、物欲の塊、保守主義、利己主義を持ちうる
人間に、差別、飢餓、貧困、戦争を根絶出来るのか?
現代経済には、何らかの形で戦争が一枚噛んでいて
根絶すれば、大恐慌が起こる可能性があるのではないのか?
我々人類は、差別、飢餓、貧困、戦争は本当に根絶出来るのか?
本当に可能なのか?哲学カテゴリー皆さんのご回答のほど、お待ちしております!
関連知恵袋哲学カテゴリー差別 戦争 飢餓 貧困を
この世から根絶、駆逐する為にはいったい、どうしたらば良いのだろうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10148137305

日本国が統一されたように、地球が統一されて、国を尊重するが、大きな権力を地球レべルで統一できれば、昔は、野蛮な争いを繰り返していたとなるでしょう。


再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙

(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)

猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。
そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。

何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:

再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割
再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること

言わば、個人の物理的な制限である。
歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。 
そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:
世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。
しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。
声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。
そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。
以 上


再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間

まず、野生の動物、 生物の素晴らしさ をきちんと捉えたい。どのような生物でも この厳しい自然環境の中で、何億年に亘って生きてきた事実を重く受け止め、その意味で畏敬の念を以て、生物を捉えたい。このことは、生物の生存が安定していて、神域に属するほどの素晴らしさと捉えたい。自然とともにある 高度に調和した世界である。
我が家でも、 燕は毎年訪れ、猿の集団も時々出没する。しかし、それらの生態は逞しく続いている。 蛇が燕の巣を襲い、全滅させられる場合もしばしばであるが、襲う蛇も賢明で驚嘆すべき本能を持っているが、襲われる燕もある種の余裕を以て、棲息を続けている 誠に切なくも逞しさを感じる。忍耐強い蛇にもある種のいとおしさと、愛着の念を感じさせられる。猿の家族も逞しく、器用に柿や栗の実を採って元気よく山に姿を消していく。誠に愛すべき家族たちである。 冬など沢の奥などに潜んで、寒さと飢えを忍んで居るのではないだろうか? 雪の日などどうして居るだろうか。逞しさゆえに 意外に幸せな時かも知れない。
そこで、人間に近い猿の生態を参考にして、人間の生態を考えてみよう。 結論は、人間の生態の本質は、猿とほとんど変わらないという視点である。
考えてみよう。 人間は何をやっているのか。多くの人は社会の一員として働き、収入を得て暮らしを立てる ― 猿は食料を自然の中から,採る。 そして、家庭を以て、家庭生活を楽しむ。 猿も全く同様、家族が十分食料を採れれば相当に満足では。 人間も衣、食、住、が整い、生活の基盤が整えば、相当に満足では。 現在では 猿ができていること、家庭を持ち、衣、食、住が整い、健全に生きられる子供たちに囲まれていれば、既に相当に良い生活のレベルと言えるのではないだろうか。 余裕ができれば、果たして、人間は何をやっているのか? テレビを見、映画、音楽など楽しいことをしているが、果たして、それらが、どのような意味があり、猿よりどれほど優れているのかと自問したい。
美味しいものを頂き、楽しんで、良い家庭を営めば 人生はそれで良いように見える。
多くの人の人生は、猿の生態とほとんど本質は変わらず、往々にして、猿の生態より劣っているようにさえ見える。人間が猿よりどのようなところで優れ(再生核研究所声明181: 人類の素晴らしさ ― 7つの視点)、どのようなところで、猿より劣っているのかと自問したい。
動物である人間が 動物的な本能を満たしたいのは分かる。それでは、その先、人間として生きるということはどのようなことかと 自問したい。 そして、それらは、如何にして、どのような価値があるのかと問いたい。
以 上














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