功利主義は、結局、世界中の人を幸せに出来るだけはしようとすると言う事だから、誰か犠牲者を出しても良いと言う訳ではないと言う事で良いでしょうか?
と、言うより、犠牲者を出して良いと言う考えは元々、善の概念や良識から外れています。
5人助けるか?1人助けるか?の選択で、
出来る事なら6人助けたいが、仕方ないので、5人助ける選択をした場合と、
出来る事なら6人助けたいが、仕方ないので、愛する1人を助けた場合、
出来る事なら6人、全員を助けたいと言う考えが同じであれば、元々考えは同じです。
ですから、人間はさほど金に困っている訳でもないが、遊ぶ金欲しさに強盗などをする様な悪人でない限り、出来る事なら世界中の人間は幸せな方が良いだろうと思っているので、
ある程度妥当性のある社会で、常識的な人間なら、みんな根本的には功利主義と言うことになると言う説明で適当でしょうか?
功利主義は、仕方ないのない場合に、どうするか?と言う状況や設定がなければ、そもそも使う必要はなく、そもそも世界中の人間が幸せなら良いと言う良識が、仕方ないの場合どうするか?と言う疑問の時に、用いられるものなのでしょうか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11147694516
語感というものがあって、 功利主義は 悪い意味で、目先の自分の利益のための考えでは? 合理主義も少し、意味が違う、共生や共鳴の概念も、聖なる考え も いろいろニュアンスが違いますね。
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