2015年2月5日木曜日

地動説(ちどうせつ)とは

地動説
地動説(ちどうせつ)とは、地球が動いている、という学説のこと。天動説に対義する学説であり、ニコラウス・コペルニクスが唱えた。太陽中心説ともいうが、地球が動いているかどうかと太陽が宇宙の中心にあるかどうかは厳密には異なる概念であり、地動説は「Heliocentrism」の訳語として不適切だとの指摘もある。
地動説の図
目次 [非表示]
1 歴史
1.1 古代の地動説
1.2 天動説の優勢
1.3 大航海時代
1.4 コペルニクスの登場
1.5 コペルニクス以降の学説
2 コペルニクスの地動説
2.1 理論
3 コペルニクス後の地動説
4 ガリレオ裁判
5 ガリレオ裁判以降
6 地動説と宗教
6.1 迫害されたとされる理由
6.2 反論
6.3 地動説が批判された理由と考えられているもの
7 古代中国の「地動説」
8 中世イスラム世界の地動説
9 地動説と日本
10 地動説のもたらしたもの
11 出典
12 参考文献
歴史[編集]
古代の地動説[編集]
地動説(下部の図)、天動説(上部の図)の二つの模型の比較。
古くアリストテレスの時代からコペルニクスの登場する16世紀まで、地球は宇宙の中心にあり、まわりの天体が動いているという天動説が信じられてきた。そもそも古代において、実際に自分の眼で見て、1日1度太陽が地平線の上に昇り、そして地平線下に下り、太陽以外の天体も同じように動いている以上、その現象をそのままで解釈するのが普通であった。
しかしながら月に関しては他の天体と動きが異なる事、さらに天体観測が発達すると惑星が他の天体と違った動きをする事(特に、時おり逆方向に動く事)が認識された。
そうした中、コペルニクス以前にも、地球が動いていると考えた者はいた。有名なところではピロラオスで、彼は宇宙の中心に中心火があり、地球や太陽を含めてすべての天体がその周りを公転すると考えた。また、プラトンも善のイデアである太陽が宇宙の中心にあると考えていた。
特に傑出していたのは、イオニア時代の最後のアリスタルコスである。彼は、地球は自転しており、太陽が中心にあり、5つの惑星がその周りを公転するという説を唱えた。彼の説が優れているのは、太陽を中心として、惑星の配置をはっきりと完全に示したことである。これは単なる「太陽中心説」という思いつきを越えたものである。そしてこれにより、惑星の逆行を完璧に説明できるのである。これはほとんど「科学」と呼ぶ水準に達している。紀元前280年にこの説が唱えられて以来、コペルニクスが登場するまで、1800年もの間、人類はアリスタルコスの水準に達することはなかった[1]。
なお、後世のレオナルド・ダ・ヴィンチもまた、地動説に関する内容をレスター手稿に記している。
広い意味ではこれらも地動説(太陽中心説)に入る。
天動説の優勢[編集]
2世紀にはアポロニウス、ヒッパルコス、クラウディオス・プトレマイオスが天動説を体系化した。彼らは決して迷信や宗教的な考えから天動説を唱えたのではなく、当時知られていた知見から、科学的合理的な判断として天動説を唱えた。アリスタルコスの地動説の弱点は、なぜ空を飛んでいる鳥は地球の自転に取り残されないのか、なぜまっすぐ上に投げ上げた石は地球の自転に取り残されずに元の位置に落ちてくるのか、その説明ができなかった事である。一方でアポロニウスの提唱した従円と周転円の概念、さらにプトレマイオスの提唱したエカントの概念は、惑星の逆行を、当時の天体観測の精度において、ほぼ完璧に説明できた。
とはいえ、おかしなところは存在した。例えば
5つの惑星のすべての軌道計算に、必ず「1年」という単位が出てくる[2]
惑星の順序が何故その順であるかという根拠の提示が不明瞭
火星の逆行に関しては、やや誤差が多い
などが挙げられる。しかし、これらの現象を説明し、精密な惑星の位置予報を出来る新説はなかなか現れなかった。
また、ヨーロッパでは古代ギリシア時代以降科学は停滞し、西ローマ帝国滅亡後は暗黒時代を迎えることになる。後述するようにヨーロッパにおいて科学が再び隆盛するのはルネッサンス以降である。
こうした理由で、科学的な難点を含みながらも、16世紀まで、天動説は支持された。天体観測の精度が向上するにつれて、プトレマイオスの体系との乖離が見られるようになったが、周転円の上にさらに周転円を重ねる事で、説明された。16世紀にはコペルニクスが地動説を提唱するも、天体観測の精度においては天動説に優るものではなかった。
大航海時代[編集]
天動説の体系は長らく信じられてきたが、やがてそのさまざまなほころびが明確化してきた。
大航海時代以前、航海は沿岸航海であり陸地が見える場所しか船を運航しなかった。何も目印のない大海原では行き先が分からず、航行できなかった。羅針盤の登場がこれを可能にし、方位磁石と正確な星図があれば遠洋でも自分の緯度が正確に把握できるようになったのである。しかし当時の星表には問題がかなりあった[3]。特に惑星の位置は数度単位での誤差が常にあった。
さらにもう1つ問題が生じつつあった。1年の長さが、当時使用されていたユリウス暦の1年よりわずかに短かったのである。この結果、暦の上の季節と実際の季節に約10日のずれが生じていた。キリスト教では春分の日が移動祝祭日の計算基準日になっており、10日もずれているのは問題があった。この問題はロジャー・ベーコンによって提起されていたが、1年の正確な長さが分からず約300年間放置されていた。
当時使われていた(そして、メソポタミア時代から現代に至るまでも根本的には変わらない)1年(回帰年)の定義は、分点または至点から次の同じ分点または至点までの時間である。しかし、16世紀当時に信じられていたプトレマイオスの体系では、1年という値は他の天文学的な値からは孤立した独立の量で[4]、太陽の位置を数十年から数百年以上かけて測定する以外に、1年の値を決定する方法がなかった。クーンによれば、この観測には大変な困難が伴い、改暦問題は16世紀以前の天文学者たちを常に悩ませることになった。
コペルニクスの登場[編集]
ニコラウス・コペルニクス。16世紀に地動説を唱え、星の軌道計算を行った。
カトリック教会の司祭であったコペルニクスは、この誤差に着目した。彼は地動説を新プラトン主義の太陽信仰として捉えていたと言われ、そのような宗教的理由から、彼にとって正確でない1年の長さが使われ続けることは重大な問題だった。コペルニクスはアリスタルコスの研究を知っており、太陽を中心に置き、地球がその周りを1年かけて公転するものとして、1恒星年を365.25671日、1回帰年を365.2425日と算出した。1年の値が2種類あるのは、1年の基準を太陽の位置にとるか、他の恒星の位置にとるかの違いによる。
コペルニクスは1543年の没する直前、思索をまとめた著書『天体の回転について』を刊行した。そこでは地動説の測定方法や計算方法をすべて記した。こうして誰でも同じ方法で1年の長さや、各惑星の公転半径を測定しなおせるようにした。コペルニクスが地動説の創始者とされるのは、このように検証を行なったためである[5]。
またこの業績について、ガリレオ・ガリレイから「太陽中心説を復活させた」と評された[1]。
コペルニクス以降の学説[編集]
その後、ローマ教皇グレゴリウス13世によって1582年にグレゴリオ暦が作成されるが、改暦の理論にはコペルニクスの地動説は利用されなかった(ただしプトレマイオスの天動説も使われてはいない)。
しかし、コペルニクスが著書で初めてラテン語で紹介したアラビア天文学の月の運行の理論や算出した1年の値は、改暦の際に参考にされた(コペルニクスの月の運行理論は、アラビアとは独立に再発見したという説もある)。
コペルニクスの地動説[編集]
理論[編集]
コペルニクスの地動説は、単に天動説の中心を地球から太陽に位置的な変換をしただけのものではない。地動説では、1つの惑星の軌道が他の惑星の軌道を固定している。また、全惑星(地球を含む)の公転半径と公転周期の値が互いに関連しあっている。各惑星の公転半径は、地球の公転半径との比で決定される(実際の距離は、この時代にはまだ分からない)。同様に、地球と各惑星の距離も算出できる。これが、プトレマイオスの天動説との大きな違いである。プトレマイオスの天動説では、どんな形でも、惑星間の距離を測定することはできなかった。また、地動説では各惑星の公転半径、公転周期は、全惑星の値がそれぞれの値と関連しているため、どこかの値が少しでも変わると、全体の体系がすべて崩れてしまう[6]。これも、プトレマイオスの天動説にはない大きな特徴である。この、一部分でもわずかな変更を認めない体系ができあがったことが、コペルニクスにこの説が真実だと確信させた理由だと考える研究者も多い。
コペルニクスの地動説では、惑星は、太陽を中心とする円軌道上を公転する。惑星は太陽から近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星の順である(この時代、天王星や海王星、小惑星はまだ発見されていない)。公転周期の短い惑星は太陽から近くなっている。ただし、実際には、単純な円軌道だけでは各惑星の細かい動きの説明がつかず、コペルニクスの著書では、プトレマイオス説でも使われていた離心円が運動の説明に使われた。実際には惑星の軌道が真円ではなく楕円であるため、単純な円では運動の説明がつかなかったためだが、コペルニクスは惑星の運動がいくつかの円運動の合成で説明できると信じていたため、楕円軌道に気付くことはなかった(実際にはコペルニクスの使った値の精度は悪く、どちらにしても楕円軌道を発見することは困難だった)。
コペルニクス後の地動説[編集]
コペルニクスの後、地動説に同意する天文学者はなかなか現れなかった。しかし、当時の学者がより古いものを正しいものと考え、新しいものを排除しようとした、というのは若干史実とは異なる。支持者が多く現れなかったのには明確な理由があった。コペルニクスの著書は、どちらかというと理論書に近く、1年の長さは算出することはできても、5つの惑星の動きを完全に計算する方法は記されていなかったからである。計算に必要な値も、著書のあちこちに散らばって記されており、その著書だけで惑星の位置予報を行うのは困難であった。当時の多くの天文学者が欲していたのは、理論書ではなく、表にある数値をあてはめて計算すれば惑星や月齢が計算できるより簡便な星表であった。
その後、1551年に、エラスムス・ラインホルトが、コペルニクス説を取り入れた『プロイセン星表』を作成した。しかし、プトレマイオスの天動説よりも周転円の数が多いために計算が煩雑であり、誤差はプトレマイオス説と大して変わらなかった(実際には、わずかだがプロイセン星表のほうが誤差が小さい)。惑星の位置計算にはそれ以降も天動説に基づいて作られたアルフォンソ星表が並行して使われ続けた。ただし、オーウェン・ギンガリッチは、アルフォンソ星表はこの時代にプロイセン星表に取って代わられたと主張している。
それまで、惑星の位置予報はプトレマイオス説を使用しなければ行えなかった。似た他の方法が考案されたこともあったが、プトレマイオス説をしのぐ精度で予報ができるものは存在しなかった。しかし、コペルニクス説を使用しても、同等以上の精度で惑星の位置予報が行えることが分かったこの時代に、唯一絶対であったプトレマイオス説の絶対性は大きく揺らいだ。
ティコ・ブラーエは、恒星の年周視差が当時の望遠鏡では観測できなかったことから、地球は止まっているものとしたが、太陽は5つの惑星を従えて地球の周りを公転するという折衷案を唱えた。最初に地動説に賛同した職業天文学者は、コペルニクスの直接の弟子レティクスを除けばヨハネス・ケプラーだった。ケプラーはブラーエの共同研究者であり(助手という記述もあるが、ケプラー自身は共同研究者として迎えられた、と主張しており、また、ブラーエ自身がケプラーに送って残っている書簡にも、助手として迎えるという文言はない)、ブラーエの膨大な観測記録から1597年、「宇宙の神秘」を公刊。コペルニクス説に完全に賛同すると主張してコペルニクスを擁護した。これらに追随する形で、ガリレオ・ガリレイもまた地動説を唱えた。
ガリレオ・ガリレイは、地動説に有利な証拠を多く見つけた。まず実験によって慣性の法則を発見し、これはアポロニウス、ヒッパルコス、プトレマイオスらが地動説を否定した根拠である、なぜ空を飛んでいる鳥は地球の自転に取り残されないのか、なぜまっすぐ上に投げ上げた石は地球の自転に取り残されずに元の位置に落ちてくるのかを、合理的に説明するものであった。そして実際の天体観測において、木星の衛星を発見し、地球が動くなら月は取り残されてしまうだろうという地動説への反論を無効にした。また、ガリレオは金星の満ち欠けも観測。これは、地球と金星の距離が変化していることを示すものだった。またガリレオは太陽黒点も観測。太陽もまた自転していることを示した。ガリレオはこれらを論文で発表した。これらはすべて、地動説に有利な証拠となった。ガリレオは潮の干満も地動説の証拠と思っていたが、後に潮の干満は月の引力によるものだとして、否定された。
ガリレオ裁判[編集]
詳細は「ガリレオ・ガリレイ#ガリレオ裁判」を参照
ローマ教皇庁は1616年に、コペルニクス説を禁ずる布告を出した。地動説を唱えたガリレイは、1616年と1633年の2度、ローマの異端審問所に呼び出され、地動説を唱えないことを宣誓させられた。この時の「それでも地球は回っている」の呟きは、実際にそう呟いたという確固たる証拠は存在しないが、伝説として現在に至るまで語り継がれている。
ガリレオ裁判以降[編集]
たとえガリレオが異端の判決を受けたとしても、当時のローマ教皇にはイタリア国外での権力は事実上なかった。ヨハネス・ケプラーは、神聖ローマ帝国皇室付数学官(宮廷付占星術師)でありながら、平然と地動説を唱え続け、著書がローマ教皇庁から禁書に指定されても、それを理由に迫害を受けることはなかった。
コペルニクスの説は、未だ天体は円運動をするというそれ以前の常識に縛られており、プトレマイオスの天動説と同様に周転円を用いて惑星の運動を説明していた。ケプラーはティコ・ブラーエの観測記録を丹念に研究し、楕円の法則をあてはめればより単純かつ正確に惑星の軌道を説明できる事を発見し、それを元に『ルドルフ表』(ルドルフ星表)を作り、1627年、公刊した。それ以前の星表の30倍の精度を持つルドルフ星表は急速に普及し、教皇庁が何と言おうと、惑星の位置は地動説を基にしなければ計算できない時代が始まりつつあった。ルドルフ表の精度の前には、未だ年周視差が観測できないという地動説の欠点は、些細な問題と考えられた。
しかし、ケプラーもガリレオも、まだ、鳥が何故取り残されないのか、地球が何故止まらないで動き続けているのか、という疑問には正確な答えが出せないままでいた。ガリレオは慣性の法則を発見するも、その現象がなぜ起きるかの原因の説明には至らなかった。これを完成させるのは、アイザック・ニュートンの登場を待つ必要があった。ニュートンが慣性を定式化すること、万有引力の法則を発見する事、科学において原因については仮説を立てる必要はないとする新しい方法論を提示する事で、地動説はすべての疑問に答え、かつ、惑星の位置の計算によってもその正しさを証明できる学説となったのである。
また、ガレリオやケプラーの地動説は、宇宙の中心を太陽とするものであった。ニュートンの万有引力の法則は、惑星が太陽を中心に公転するのは、単に太陽が惑星と比べて質量が極めて大きいからに過ぎない事を示し、太陽が宇宙の中心であるという根拠は存在しなかった。ニュートン以降も太陽が宇宙の中心とする考えに縛られていた研究者も多かったが(銀河系が円盤状構造である事を発見しながら、太陽がその中心にあると考えたウィリアム・ハーシェルなど)、次第に太陽も数多くの恒星のひとつに過ぎないという認識が広まっていった。年周視差が未だ観測できない事は、恒星が惑星よりも遥かに遠方にある事を意味し、それでもなお地球まで光が届く事は、恒星が太陽に匹敵あるいは凌駕する規模の天体である事を意味していたからである。
ただし、地動説の証明を確固とするには、ジェームズ・ブラッドリーの光行差の発見、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセルによる年周視差の観測の成功も必要となる。
蛇足ではあるが、ローマ教皇庁ならびにカトリックが正式に天動説を放棄し、地動説を承認したのは、1992年の事である。しかも、それはガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオの異端決議を解く際の補則、という形での表明であった。ガリレオの死から359年が経過していた。
2014年、アメリカ科学振興協会は、アメリカ人の約4人に1人は、いまだ地球が太陽の周りを公転していることを知らないという結果を公表している[7]。
地動説と宗教[編集]
地動説の解説の際、必ずといっていいほど、地動説がキリスト教の宗教家によって迫害された、という主張がされるが、これには異議をとなえる意見もある。このため、両論を併記する。
迫害されたとされる理由[編集]
ニコラウス・コペルニクスは、迫害を恐れ、説の完成後も30年に渡って発表をためらった。発表も死の直前であった。
『天体の回転について』は、迫害を恐れる印刷業者によって、「純粋に数学的な仮定である」という但し書きが著者に無断でつけられて刊行された。
発表後も、地動説に賛同する天文学者は出なかった。明らかに正しいはずの地動説に対して天文学者たちがこのような行動をとったのは、迫害を恐れたためである。
マルティン・ルターは、コペルニクス説について、「この馬鹿者は天地をひっくり返そうとしている」と述べ、地動説を否定した。結果、プロテスタントでも、地動説はアイザック・ニュートンの登場まで迫害の対象となる。
地動説を唱えたジョルダーノ・ブルーノは、1600年に火刑に処された。
ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたために迫害された。
1616年にローマ教皇庁は地動説を禁じた。
1633年に時のローマ教皇ウルバヌス8世は、自らガリレオ・ガリレイに対する第2回宗教裁判で異端の判決を下した。この背景には三十年戦争によるカトリック勢力の回復策が要求されていた事が挙げられる。
『天体の回転について』は、1616年に1835年までローマ教皇庁から禁書にされた。[8]
以上の諸点では、二つの論旨が入り交じっている。「地動説が教会から禁止された」ということと、「教会が実際に地動説を信じる者を迫害した」ということだ。前者は正しいが、後者は必ずしも正しくない。教会は地動説を蹴落とそうとしたが、実際に蹴落とすためには蹴落とすための権力を要する。以上の諸点では、この二つのことが混同されている。そのせいで、論旨としては、必ずしも正しいものではない。
反論[編集]
これに対し、地動説への迫害と思えるものは、単にガリレオがイタリア内での権力闘争に巻き込まれたためで、ガリレオを迫害するために地動説が理由に使われただけだという主張もされる。この理論の根拠は次のとおり。
コペルニクスが自説の発表をためらったのは、万一、誤りであった場合、自分やカトリック教会の名誉や権威が失墜するのを恐れたためである。
コペルニクスの地動説は、写本の形で1514年ごろから流布しており、もしそれを迫害・禁止するのなら、刊行以前に発禁・焚書になるはずである。
コペルニクスは、死期が近づく前に、自説の解説本をプロテスタントであった弟子のレティクスの名で刊行しているが、両者ともに迫害を受けていない。
『天体の回転について』には、ローマ教皇への献辞がある。当時、献辞を書くには相手の許可が必要だったはずであり、このことからも当時カトリック教会が地動説を迫害しなかったのは明らかである。
グレゴリオ暦への改暦に際して、ローマ教皇グレゴリオ13世が直々に設置した改暦委員会は、改暦に必要な1年の長さの算出に、コペルニクスの『天体の回転について』の数値も使用した(もちろん、他の学者の数値も使用した)。
プロテスタントであったマルティン・ルターが批判したのは、カトリック教会そのものである。ルターが地動説を批判した理由は、たんに地動説を唱えたコペルニクスがカトリック教会の司祭だったからである。またルターは総じて人文主義などの古典や自然学の研究には批判的であった。
『天体の回転について』(1543年公刊)の印刷担当者はプロテスタントである。プロテスタントは前述のルターの例で分かるとおり、地動説には当初から批判的であった。これが影響して無断で前文が書き足されたと考えられる。
地動説にすぐに賛同する天文学者があまり出なかったのは、コペルニクスの値の精度が悪く、天動説で計算したときと比べ、惑星の位置があまり正確に算出できなかったためである。その証拠に、ヨハネス・ケプラーがもっと精度のよい『ルドルフ星表』を出すと、瞬く間に全ヨーロッパの天文学者がこれを使いはじめた。
ジョルダーノ・ブルーノが火炙りになったのは、太陽が中心だと言ったからではなく、同時にカトリック教会を激しく批判したためである。また、ブルーノは天文学を教えた形跡はあるが、天文学者ではない(天体計算などを行っていない)。ブルーノの説の中の天文学に関する部分で、教会を最も怒らせた部分は、太陽はその他の恒星と同じ種類の星で、特別な星ではない、また宇宙には特定の中心はなく、その意味で地球も特別な星でないと述べた部分である。もちろんブルーノのこの説は正しいし、当時同じように考えていた天文学者もいたと考えられているが、そう主張する者は当時はまだいなかった。
ガリレオ裁判は、地動説を裁いたものではなく、当時、出世しはじめていたガリレオの出世の道を閉ざすために、政敵がしくんだ罠であり、地動説はそのための理由に使われただけである。その証拠に、地動説を唱えて異端とされた人物は、ガリレオ以後、誰もいない。またガリレオ以前にもいない。(ブルーノの有罪容疑にははっきり地動説とは書いてない)この時代、ローマ教皇庁が地動説を禁じたのは事実であるが、これはガリレオを有罪にするために、先に理由をつける必要があったためである。
ガリレオは敬虔なカトリック教徒であったにもかかわらず、科学の問題については教会の権威やアリストテレス哲学に盲目的に従う事を拒絶し、哲学や宗教から科学を分離する事を提唱した。この事がガリレオ裁判に於いて、ガリレオを異端の徒として裁かせる結果につながったと言われる。実際、時の教皇ウルバヌス8世は当初はガリレオを支持していたが、その後は掌を返したようにガリレオを非難する声明を何度も発した。
『天体の回転について』は、1616年、ガリレオ裁判の始まる直前に、禁書リストに挙げられたが、十ヶ所の修正を行うまでという条件付きである[9]。1620年には削除すべきとされた箇所が設けられた[10]。
地動説が批判された理由と考えられているもの[編集]
聖書には、神のおかげで大地が動かなくなったと記述されており、キリスト教の聖職者は、大地が動くことが可能だと主張するのは神の偉大さを証明できるので、問題がないが、大地が動いていると主張するのは、神の偉大さを否定することになると考えたとされる。
1539年にマルティン・ルターが、最初に宗教的な問題として地動説を批判した。ルターは旧約聖書のヨシュア記でのイスラエル人とアモリ人が戦ったときに神が太陽の動きを止めたという奇跡の記述と矛盾すると指摘した。
ガリレオ裁判の最高責任者だったロベルト・ベラルミーノ枢機卿は、大地の可動性を立証できると信じるが、大地の運動を証明できるかは疑問に思うと述べた。
アリストテレスの流れをくむスコラ学の学者は、天動説を唱えたアリストテレスの理論が否定されるのを問題視したとされる。
カトリック教会が、ガリレオの『天体対話』の中で、地動説を唱える貴族に言い負されるアリストテレス派の学者はローマ教皇・ウルバヌス8世をあてこすったものだと考えたとされる。
カトリック教会は太陽が教皇の象徴だと考えていたので、太陽が中心にあるという考えについては問題視しなかったとされる。教皇庁が1620年にコペルニクスの『天体の回転について』に対して訂正を求めたときには、宇宙の中心に関する記述より地球の運動に関する記述が問題視されたと言われている。
古代中国の「地動説」[編集]
古代中国においても、独特な「地動説」が存在した。『列子』の「杞憂」の故事の原文には「われらがいる天地も、無限の宇宙空間のなかで見れば、ちっぽけな物にすぎない」(夫天地、空中一細物)とあり、当時すでに、宇宙的スケールの中では「天地」でさえ微小な存在だという認識があったことがわかる(ただし、古代中国人は「天地」が実は「地球」であることを知らなかった)。漢代に流行した「緯書」でも、素朴な地動説が散見される。例えば『春秋』にこじつけた緯書には「天は左旋し、地は右動す」(天左旋、地右動)、「地動けば則ち天象に見(あら)わる」(地動則見於天象)とある。『尚書』(書経)の緯書に載せる「四遊説」は、大地は毎年、東西南北および上下に動いている、という奇怪な地動説であるが、「大地は常に移動しているのだが、人間は感知できない(原文「地恒動不止、人不知」)。それはちょうど、窓を閉じた大船に乗っている人には、船が動いていることが知覚できないようなものだ」とあわせて説いている点が注目される。唐の柳宗元も、こうした中国独特の地動説をふまえて漢詩を詠んでいる(「天対」)[11]。上述のとおり、西洋のHeliocentrism(太陽中心説。現代中国語では「日心説」)の訳語として「地動説」は不適切であるとする意見もある。古代中国の「地動説」は、Heliocentrismとは異質の宇宙観ではあるものの、「地右動」「地動則見於天象」「地恒動不止」など明確に「地動」を説く、文字通りの地動説であった。
中世イスラム世界の地動説[編集]
ウマル・ハイヤームの時代のイスラムの天文学者は、すでに「太陽中心説」(地動説)を知っていたが、それを公言することはイスラム教の正統主義から攻撃される危険があったので黙っていた、と推測する説がある[12]。その根拠の一つは、ウマル・ハイヤームの四行詩(ルバイヤート)の中の次の一首である[13]。
廻るこの世にわれらまどいて
思えらく そは廻転提灯の如しと
太陽は灯にして世界は提灯の骨
われらその内に影絵の如く右往左往す
この他、コペルニクスの地動説も、実はイスラム世界の天文学にその原型があったと推測する学説すらある[14]。
一方、アブー・ライハーン・アル・ビールーニー(973年 - 1048年)は、その著書「マスウード宝典」にて地動説を記載している。また、(地動説かどうかは不明だが)アッバース朝のマアムーンの時代に、アル=フワーリズミーがユーフラテス川の北、シンジャール平原やパルミラ付近で地球が球体であるとの前提で経緯度及び子午線弧長の測量を行っている(その測量結果からすると、地球の周長は39000キロメートル、直径は10500キロメートルとなる)。
地動説と日本[編集]
徳川吉宗の時代にキリスト教以外の漢訳洋書の輸入を許可したときに、通詞の本木良永が『和蘭地球図説』と『天地二球用法』の中で日本で最初にコペルニクスの地動説を紹介した。本木良永の弟子の志筑忠雄が『暦象新書』の中でケプラーの法則やニュートン力学を紹介した。画家の司馬江漢が『和蘭天説』で地動説などの西洋天文学を紹介し、『和蘭天球図』という星図を作った。医者の麻田剛立が1763年に、世界で初めてケプラーの楕円軌道の地動説を用いての日食の日時の予測をした。幕府は西洋天文学に基づいた暦法に改暦するように高橋至時や間重富らに命じ、1797年に月や太陽の運行に楕円軌道を採用した寛政暦を完成させた。渋川景佑らが、西洋天文学の成果を取り入れて、天保暦を完成させ、1844年に寛政暦から改暦され、明治時代に太陽暦が導入されるまで使われた。
地動説のもたらしたもの[編集]
地動説は単なる惑星の軌道計算上の問題のみならず、世の哲学者、科学者らに大きな影響を与えた。地動説の生まれた時代を科学革命の時代とも言うのは、それほどまでに科学全体に与えた、そして、科学が人間の生活に影響を与え始めた時代であることをも反映している。
“常識をひっくり返す(証明されている)新説”を「コペルニクス的転回」などと呼ぶのは、その名残である。また革命(Revolution)なる言葉も、元はこの科学革命を指す言葉であり、後に政治用語にも転用されたのである。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC

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再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
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再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
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Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上

再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
  • \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上



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