遺体の写真見た裁判員男性、一時意識失う…解任
京都地裁で審理中の殺人事件の裁判員裁判(後藤真知子裁判長)で、裁判員の男性が遺体のカラー写真を見た直後に意識を失っていたことが同地裁への取材でわかった。
男性は同地裁に「写真が原因」と説明したといい、地裁は4日、男性を解任し、補充裁判員を後任に充てた。同地裁や関係者によると、内縁の妻の首をタオルで絞めて殺害したとして殺人罪に問われた男(64)の裁判員裁判。男性は3日の公判で、検察側証人の鑑定医が遺体の写真をモニター画面に映して説明中に、気を失ったという。
審理は中断したが、男性はすぐに意識を回復。同日の残りの審理には参加したが、4日に辞任を希望し、裁判長が了承した。同地裁は「今後も男性の相談に乗るなど十分なフォローをしたい」としている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150205-00050001-yom-soci
再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。
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