2014年12月8日月曜日

自分が正しいと思っている子供を論破するのって不可能ですか?

自分が正しいと思っている子供を論破するのって不可能ですか?
ここでいう子供とは「精神年齢」が子供なワケであって相手は10代でも60代でも問いません。おそらくネットをしている皆さんなら、実生活以外でもインターネット等何かしらで口論・議論になったことがある経験があると思いますが
相手がおかしい事を言っている→「それはおかしいと思います。なぜなら~…」とおかしな点を挙げて説明したりしても→「おかしくねえよ!そもそもお前ガキだろ!黙ってろ!」みたいな「何がおかしくないのか」の説明も無ければ「そもそもガキだろ!」という議論に関係のない謎の罵倒(この場合は単にムカつくから相手を罵倒することで口論でも勝ったかのように本人は思っている?)をしたりして、もう全くお話ならない…って経験ありますよね?
あるいは「はぁ?何が口論?(笑)きも」等、中学生くらいが使いそうな感じの返事しか返ってこないような場合も、あぁこれは話が通じないな…って感覚、分かっていただけるでしょうか?
今回は、このような輩に対しても「きちんと自分が間違っていると認識させる」(言い返せないように論破)するには?というのが質問です。
さすがに「相手は子供だから放っておきましょう、無駄です」みたいな回答は求めていません。というのも、とある大学の講義での課題なのです。
相手は同じグループ内の学生(22歳)で、あるテーマに沿って議論をして完全に論破(講義の先生の考えでは、論破は相手に非を認めさせ言い返せなくする事だと言っています)して、それをまとめてくるといった課題なのですが、どうもこの口論相手が上記の様に「は?きも(笑)」とか「オレは間違ってねえよ、間違ってるのはお前だよく自分の文章を見てみな!」みたいな感じで、本人は多分これを「論破した」と思っているらしくどうしようも無く困っています。こういうタイプの人間に何かいい方法は無いでしょうか?口論に及ぶに至らないのです。
口論に至らなく話にならないって事を丁寧に相手に1から説明したらしたで「うわ長文で必死だな」と言われ…http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14139126049
論破は簡単と思いますが、理解させる、感情的に理解させるは、 極めて大変な場合がありますね。
感性や宗教が違う、全然通じないは 世に多いですね。
「神秘」というものは、科学や芸術における全ての真の源であると思いますか?http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10139115845
それは良いところをついているのでは?
高まると、先には、神秘のように感じますね。


再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
まず、野生の動物、 生物の素晴らしさ をきちんと捉えたい。どのような生物でも この厳しい自然環境の中で、何億年に亘って生きてきた事実を重く受け止め、その意味で畏敬の念を以て、生物を捉えたい。このことは、生物の生存が安定していて、神域に属するほどの素晴らしさと捉えたい。自然とともにある 高度に調和した世界である。
我が家でも、 燕は毎年訪れ、猿の集団も時々出没する。しかし、それらの生態は逞しく続いている。 蛇が燕の巣を襲い、全滅させられる場合もしばしばであるが、襲う蛇も賢明で驚嘆すべき本能を持っているが、襲われる燕もある種の余裕を以て、棲息を続けている 誠に切なくも逞しさを感じる。忍耐強い蛇にもある種のいとおしさと、愛着の念を感じさせられる。猿の家族も逞しく、器用に柿や栗の実を採って元気よく山に姿を消していく。誠に愛すべき家族たちである。 冬など沢の奥などに潜んで、寒さと飢えを忍んで居るのではないだろうか? 雪の日などどうして居るだろうか。逞しさゆえに 意外に幸せな時かも知れない。
そこで、人間に近い猿の生態を参考にして、人間の生態を考えてみよう。 結論は、人間の生態の本質は、猿とほとんど変わらないという視点である。
考えてみよう。 人間は何をやっているのか。多くの人は社会の一員として働き、収入を得て暮らしを立てる ― 猿は食料を自然の中から,採る。 そして、家庭を以て、家庭生活を楽しむ。 猿も全く同様、家族が十分食料を採れれば相当に満足では。 人間も衣、食、住、が整い、生活の基盤が整えば、相当に満足では。 現在では 猿ができていること、家庭を持ち、衣、食、住が整い、健全に生きられる子供たちに囲まれていれば、既に相当に良い生活のレベルと言えるのではないだろうか。 余裕ができれば、果たして、人間は何をやっているのか? テレビを見、映画、音楽など楽しいことをしているが、果たして、それらが、どのような意味があり、猿よりどれほど優れているのかと自問したい。
美味しいものを頂き、楽しんで、良い家庭を営めば 人生はそれで良いように見える。
多くの人の人生は、猿の生態とほとんど本質は変わらず、往々にして、猿の生態より劣っているようにさえ見える。人間が猿よりどのようなところで優れ(再生核研究所声明181: 人類の素晴らしさ ― 7つの視点)、どのようなところで、猿より劣っているのかと自問したい。
動物である人間が 動物的な本能を満たしたいのは分かる。それでは、その先、人間として生きるということはどのようなことかと 自問したい。 そして、それらは、如何にして、どのような価値があるのかと問いたい。
以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿