2018年10月2日火曜日

祝ノーベル医学生理学受賞! 本庶佑「研究では偶然を見逃さないことが大切」

祝ノーベル医学生理学受賞! 本庶佑「研究では偶然を見逃さないことが大切」

京都大学の本庶佑特別教授(76)がノーベル医学生理学賞を受賞した。日本人としての同賞の受賞は2016年大隅良典氏以来、2年ぶり。1970年代に着手した免疫抗体の多様性の研究では次々と本質に迫り、免疫の「司令塔」であるT細胞の表面に免疫活動のブレーキ役である免疫チェックポイント分子「PD-1」の発見につながった。ここでは受賞を記念し、医療従事者向けの医療誌「メディカル朝日」で2016年4月号に掲載した本庶特別教授のインタビューを紹介する。
* * *
――日本において、基礎医学研究を臨床につなぐ橋渡しの課題は何ですか。
 創薬のターゲットや再生医療など、アカデミアからのシーズは、色々と出てきていると思います。ただ、基本的な問題は、それを産業化する力が弱いことです。日本の製薬企業は、世界的に見れば規模が非常に小さく非常に力が弱いため、いわゆる“目利き”の人材が育っていません。もっと集約していくべきでしょう。
 もう一つは、産業化できたものがあっても、その成果をアカデミアに還元するサイクルがありません。Win-Winのポジティブな関係を作っていかなくてはいけないと思っています。
――産業化できずに、果実を海外にさらわれた例はたくさんありますね。
 我々が発見したPD-1(Programmed cell death-1)のような大型のシーズは10年に一度あるかないかで、そう頻繁に出てくるわけではありませんが、日本全体では数年おきに新しいシーズが生まれています。 
 また、芽まで育てたのに、最後の所で海外に持っていかれたという例も数多くあります。例えば、東京大学の間野博行先生は肺がん原因遺伝子を発見しましたが、最初の薬は海外の製薬企業から発売されました。
――先端医療振興財団は、そのような橋渡しがミッションですか。
 個別シーズを製品開発につなぐ役割もありますが、財団があるポートアイランドの「神戸医療産業都市」には約300社の企業・団体が集積しており、アカデミアや行政との間の、あるいは企業間の仲介役として、新しい産業を興すことを目指しています。阪神・淡路大震災で被害を受けた神戸市が、それを目的に構想したのが発端です。
 再生医療の臨床応用、創薬、医療機器開発が、事業の三本柱です。世界で初めてのiPS細胞を用いた加齢黄斑変性の臨床研究が目立っていますが、体性幹細胞を用いた血管再生や、PET画像に使う試薬の開発では、かなりの成果が上がっています。老化促進と加齢疾患の関係といった、やや基礎寄りの研究もあります。小規模ながら自前の病院(60床)も持っています。
 近隣には、理化学研究所の多細胞システム形成研究センター(CDB)、スーパーコンピューター「京」を持つ計算科学研究機構(AICS)、分子イメージング科学研究センター(CMIS)があり、アカデミア側の有力な研究機関として、研究協力関係を保っています。iPS細胞を分化させるまでは理研CDBの仕事ですが、理研には病院がないので、臨床研究は、当財団を含め、周辺の医療機関がサポートしています。
――15年4月に日本医療研究開発機構(AMED)が設立されて、変化はありましたか。
 まだあまり変わっていませんが、評価は時期尚早です。また、色々な面でスケールの違うNIH(米国立保健研究所)と比較するのも気の毒なことでしょう。AMEDの設立趣旨は、文部科学省、厚生労働省、経済産業省と、医療に関するプロジェクトがバラバラに動いていたのを、実用化という方向性を見据えて重複を排除することです。
 そして何よりも、長期的な展望に立つことを期待しています。日本の研究助成が非常に弱いのは、5年で区切るケースが多いことです。生命科学で実用化につなげようとするならば、5年は短すぎます。我々のPD-1発見から薬が出るまで22年かかっています。
 最初は、海の物とも山の物ともつかないものから、芽が出てくるわけです。基礎研究に幅広く根気強くサポートして、芽が出てきたら育てるという長期的な戦略できちんと調整してもらいたい。AMED理事長の末松誠先生も、それを目指されるとのことで期待をしています。
――出口が見えるテーマが優先されるとの不満もあるようですが。
 ロケットを打ち上げたり、橋を造るのと違い、生命科学にはギャンブルの側面があり、どれが当たるか分かりません。出口指向だけでやり過ぎるのも良くないでしょう。AMEDに統括される予算と、文科省に残す基礎医学の予算はきちんと分けないといけません。
■画期的ながん免疫療法の新薬
――医学部に入られた理由は。
 いくつか重なっていて、まず、人に使われなくて済むこと。子どもの頃に、野口英世の伝記を読んで、医師として研究者として、非常にたくさんの人の役に立ちたいと思いました。父が医者(山口大学耳鼻咽喉科学教授)だったこともあります。
 臨床でなく研究者を目指すと決めたのは、1960年に京都大学医学部に入ってからです。当時、遺伝暗号の解読という新しい生命科学の流れが出てきたところで、関連した講演会なども多く、同級生6~7人で輪読して勉強すると本当に面白い。柴谷篤弘先生の『生物学の革命』で分子生物学が予見する医学の将来像にも影響を受けました。遺伝子の暗号であるDNAがあって、蛋白質ができてきます。この暗号を解読できれば、根源的な生命の真理に迫れるのではないか、これで生物学もようやく一人前の自然科学になるだろうと感じました。
――研究テーマに抗体研究を選ばれたのは。
 1971年に米国カーネギー研究所に留学し、そこで分子生物学的手法を学び、当初は遺伝子の転写の研究をしていました。そこで、免疫の抗体の多様性という現象に関心を抱き、それを手掛けていたNIHのレーダー教授の下に移りました。たまたま面白いと感じた現象が免疫反応だっただけで、免疫学者の正統ではありません。
 免疫反応で産生される免疫グロブリンの定常領域が、抗原などの刺激によって可変領域を変えずにIgMからIgGやIgEなどへと変換するという「クラススイッチ」の基本的なメカニズムは、帰国後の78年に発表しました。以後も抗体遺伝子の遺伝子再構成モデルの証明に取り組み、2000年にクラススイッチを起こす遺伝子を発見し、AID(activation-induced cytidine deaminase;活性化誘導型シチジンデアミナーゼ)と名付けました。私の名前の佑にも因んでいます。
 それから16年経ちますが、今もそのメカニズムを研究しています。私は、AIDはRNA編集酵素だろうと考えていますが、まだそれが通説となってはいません。実際にRNA編集がないと証明できない現象がたくさん見つかっており、かなり良い証拠を積み重ねてきているので、あと5~6年で決着を付けて、「それで間違いない」と言わせたいと思っています。
――AIDの臨床への応用は考えられますか。
 一連の研究により、ワクチンがなぜ効くかということの基本的な仕組み、すなわち獲得免疫における抗体記憶が形成される仕組みを明らかにできます。しかし、分子レベルでそれが解明されたからと言って、それが良いワクチンを作るのにすぐに役立つかどうかは、正直なところ、分かりません。またがんとの関連で、AIDの異常発現により、白血病が起こることもあるとも言われています。
 自然科学には、役に立つ研究と役に立たなくても非常に意味がある研究があり、役に立たないように見える研究も、ひょっとしたら50年ぐらい経ってみると役に立つ可能性があります。研究は、研究者の探究心を刺激するから前に進むのであって、初めからこれは役立つだろうというモチベーションが働く場合もありますが、そうでない場合もあるので、長い目で見ることが大事なのです。
――半世紀がかりの息の長い研究ですね。それに比べると、免疫チェックポイント分子であるPD-1の発見から創薬までは短かったですね。
 PD-1は92年、免疫細胞がアポトーシスを起こす分子の探索を進めていたところに、偶然見つかりました。シーズだけでなく、我々が製品コンセプトの妥当性を確認する初期臨床試験(プルーフ・オブ・コンセプ卜試験)のアイデアも出して、抗PD-1抗体として、2014年に小野薬品工業からニボルマブ(オプジーボ®)が製品化されました。
 悪性黒色腫(メラノーマ)では15カ月生存者7割という奏効率を示しますが、3割の人には効きません。ニボルマブに別の物質を加えて、その3割にも効くようにしたいと、動物実験を重ねています。
――AIDとPD-1は、研究の二本柱ですね。
 そうですね。今も、研究のために、客員教授をしている京大にいる時間が長いのですが、16年4月からは、先端医療振興財団にも、PD-1に関する新しい研究チームを立ち上げます。PD-1は、免疫のブレーキ役ですから、それをブロックすれば、免疫が活性化されます。一方、ブレーキをブレーキとして利かせることも重要で、自己免疫病の治療につながる可能性があります。そうした逆方向の薬の開発を目指します。
――理詰めで見つかったAIDと、偶然発見されたPD-1。自然科学研究の両面が垣間見えます。
© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑特別教授(写真/楠本涼)
 偶然を見逃さないことも、科学研究では大切です。
■論文はまず、疑ってかかること
――STAP細胞問題によって、日本の科学に対する海外からの信頼が揺らいだりといった影響はありますか。
 そこまでのことはないと思います。ただし、理研は、世間一般の人の信頼を損ねたという点で、かなりダメージがあったはずです。逆に言うと、警鐘を鳴らしたことにもなります。理研の特に生物系が、揺らいだ信用を回復するには、時間がかかるでしょう。
 しかし、発表後に論文が誤っていたと分かることは、実は珍しいことではありません。論文が発表されると、すぐそれが正しいと思う人が多いのですが、論文の7割ぐらいは誤りでしょう。STAP論文が大問題となったのは、理研が大がかりに宣伝し過ぎ、さらにマスコミがそれに乗り過ぎたことです。
――Nature誌の論文が誤報ではないかと、かなり早くから看破されていましたね。
 STAP細胞の論文が発表されて、しばらくして教室員とともに読みましたが、これは間違いだろうと思いました。
 論文中には、刺激で生じたSTAP細胞を含む細胞集団に、T細胞受容体(TCR)遺伝子が組み換えを起こしたT細胞が混在しているとありましたが、STAP 細胞から再分化させた奇形腫やマウスの細胞中TCRのデータはずさんで存在しませんでした。物理的刺激や酸にさらすことで、STAP 細胞に変化したとする科学的根拠が提示されていません。論文の裏事情についてはあまり知りませんが、論文だけの評価でそう感じていました。
――臨床のご経験はなしに、研究に進まれたのですか。
 当時はインターン制度がありましたが、我々はインターン闘争でボイコットした学年ですから、患者さんを診たという経験はほとんどありません。
――研究を患者さんに還元することに重きを置かれますか。
 基礎研究とは言っても医学ですから、そういう機会があれば非常に良いなと常に思っています。PD-1の時は、ひょっとしたらこれが治療の役に立つかもしれない、ぜひやってみようと進めていったのです。
 日常で治療に直接関わったり、患者さんと接する機会はありませんが、患者さんから感謝の手紙をいただくことはあります。
――臨床現場の医師へのメッセージはありますか。
 臨床は、非常に重要なシーズの源泉です。多くの遺伝病や、骨髄移植で見いだされた主要組織適合遺伝子複合体(MHC)などは、臨床における大発見で、それが医学のみならず生物学にも影響を及ぼしています。
 臨床の先生方が、先入観を持たずに丁寧に観察し、患者さんの真の問題を探ることはとても重要だと思います。現象の背後にあるものを見つけて、新しい治療や原理につながることはしばしばあります。医学は、まだ分かっていないことのほうが圧倒的に多いのです。
――今後の抱負をお聞かせください。
 研究者としては、現在のPD-1治療で効かない人を効くようにすることが、一番の目標です。先端医療振興財団理事長としては、ようやく企業集積もできてきたので、新しく世界に発信できるような仕組みができ、現実的な製品が形になることを望んでいます。
聞き手/塚崎朝子(医療ジャーナリスト)
◯本庶 佑(ほんじょ・たすく)
1942年京都府生まれ。66年京都大学医学部卒業。71年京都大学大学院医学研究科修了、米国カーネギー研究所発生学部門客員研究員。73年米国立保健研究所(NIH)分子遺伝学研究室客員研究員。74年東京大学医学部助手。79年大阪大学医学部教授(遺伝学教室)。84年京都大学医学部教授(医化学教室)。95年京都大学大学院医学研究科教授(分子生物学)。96年京都大学大学院医学研究科長・医学部長。2006年内閣府総合科学技術会議議員。12年静岡県公立大学法人理事長。15年先端医療振興財団副理事長を経て理事長。1985年ベルツ賞、2012年ロベルト・コッホ賞、13年文化勲章、14年唐奨など受賞多数。2018年10月、ノーベル医学生理学賞受賞

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本


再生核研究所声明 401(2017.11.18):  数学の全体、姿、生命力


ここ一連の声明で数学について述べてきた:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
数学、数学の本質論については 次で相当深く触れた:
No.81, May 2012(pdf 432kb) - International Society for Mathematical ...
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
また数学の社会性の観点からは、
再生核研究所声明 392(2017.11.2):  数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について 
で触れ、違った観点から、数学の本質論と社会への影響について述べた。さらに
数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになるが、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ人にとっては価値がないものであるとも言える。― もちろん、逆に、未来人が高い評価を与える場合もある。
この文脈で数学の全体と生命力について言及して置きたい。数学とは、時間にもエネルギーにもよらない関係の全体であるから、数学的な論理思考を備えた高度な人工知能が自動的に数学を発展させていく可能性を否定できない。初歩的な数学では、実際、そのような試みがなされているという。人間を離れた、数学の全体像はどのようになるだろうか。基本的な仮説の上に何でも考えて、- これはいろいろな場合に当たって 何でも試行していく方法がとられるだろう。- しかしながら、人工知能が新しい概念や、定義を与えられるかは本質的な問題ではないだろうか。このような思いで数学の全体像を想像すると、基本的な仮定からどんどんいろいろな関係を導き、それは大樹のような姿に成るのではないだろうか。数学の客観的な存在はそのようであると考えられる。
ところが現在数学は人が展開して、発展させている状況から、数学の発展は 人間によるという現実がある。数学の客観的な在りように人間が関与してくる。そこで、関与する人間の興味と関心でどんどん進む状況と他からの要請でどんどん進む方向が存在する。後者は位置づけが明瞭であるが、前者の純粋数学の発展の様は大いに注目される。共通的な興味、関心で研究者の多い分野が存在し、いわゆる権威ある者の影響で門下生が多く、深く研究が進む状況は良くみられる。有名な難問に挑戦する相当な研究者集団も顕著である。数学にもブームや流行が有って、ある時期、相当に流行って研究会などで大きな話題になった話題が20年や30年くらい経つと関与する研究者が殆どいなくなってしまう状況がみられる。
それで、数学が大きな生命力をもって発展する華やかな時代と、細分化が進み、他との関係、他に影響や関心を与えない程になって、衰退していく、いわば大木では幹の部分から小さな枝や葉の部分になって数学は終末を迎えるのではないだろうか。数学は時間やエネルギーにもよらない不変なものであるが 数学の担い手である、人間に関与していて、人間が命ある生命であるように 数学も人間の影響を受けていると考えられる。
その意味で純粋数学者は、現在の 数学の位置づけ と 自分の心 をしっかりと捉えることが大事ではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明 400(2017.11.17): 数学の研究における喜びと嫌な思い


人間生きて居れば楽しいとき、苦しいとき、感情の起伏は避けられない。人間の感情は絶えず揺れ動くものである。数学の研究におけるそのような感情の起伏を回想しながら纏めてみたい。
研究の初期であるが、何を研究するか、研究課題の選択は非常に難しく一般には研究生活における苦しい時期ではないだろうか。もちろん好きだから数学を専攻したのだから、学んでいるときには新しい世界がどんどん広がって、楽しいが、新しい結果を得るには一般には容易なことでないと言える。広く深い現代数学において研究課題の選択は研究者の将来を相当に定めることになる。一般には好きな分野での好きな指導教授の数学の範囲での選択に成る。そこで、何か新しいことを発見、解決して、論文を出版することが大事な目標になる。論文を出版する事は博士号の取得や研究職に付くための条件に成るから、何が何でも論文を書くが 直接の目標になる。この時、手っ取り早い方法は提起されている問題を解決したり、読んだ論文の内容の一般化、精密化、類似の理論の展開などであるが、それらとて甘くはなく、いずれもそれぞれの専門家が出来なかったこと、気づかないことの発見、新規な展開だから、研究は厳しく、研究の初期は誠に厳しいものであると考えられる。- 数学を志す者にはいわば優秀な人が多く、難なくここを踏破していく者も多い。しかし、簡単に踏破していくような人は行き詰る場合も多く、苦労して研究課題を自分に合ったように選択した者は、最初は遅れても永く研究が続く面もあるようである。- この観点からは、早期の成果を期待し過ぎの風潮は問題があるのではないだろうか。何事初期の取り組みが大事なようである。専門化、高度化の厳しい現代数学、簡単には研究課題は変えられず、生涯の研究の方向は 多くは初期で決まっている現実があると考えられる。― これは何でも飛び越えていくような天才的な人を想定しているのではなく、一般的な数学者を想定している。
1つの研究課題で論文が連続的に書けるような時代に入れば、充実した研究生活で、創造活動ができる輝ける時代を歩めるのではないだろうか。新しい考えが湧いたとき、思わぬことを発見したとき、またそのような予感がする時は 研究者の充実しているときであると言える。良い考えが湧いたときなど、眩暈がするほどの喜びが湧き、それは苦しいほどであると表現できる。発見の瞬間、得た結果の評価に対する共感、共鳴は人間の最高の喜びの類に入るだろう。評価が違って共感が得られなかったり、論文執筆上の形式的な気遣いは研究生活における影の部分に成るが、それが研究の芽に成るので、苦しみも喜びの内と考えるべきである。研究課題の行き詰まりもそうである。行き詰るから新しい芽が出てくるのである。苦しみと喜びは絶えず変化し、喜びも苦しみも区別がつかず、その活動が研究生活と言える。
若い研究者の博士号取得、就職、そしてパーマネントの研究職に付くまでの厳しさは回想しても苦しい、修業時代と言える。しかしそれらが、生涯の研究の基礎に成る。
所謂論文投稿から採否決定までの間、永さは 研究者にとっては一般に苦しい状態ではないだろうか。研究成果を評価に活かせないからである。その点、インターネットの普及で論文原稿をアーカイブなどで公開できるシステムには 格段の進歩と高く評価される。- 英文書き換え要求に対して 多くは1週間かけて 進んだIBM 修正機能付きの電子タイプライターで書き替え、原稿の送付と返事にさらに2週間掛ったが、現在は、修正は分単位、何回でも書き換えができて、連絡は1日で十分である。素晴しい時代を迎えていると言える。
研究者の嫌なこととは集中している折り、いろいろ雑用が入ることではないだろうか。一心不乱に研究に専念しているとき、それを乱されるとき、本能的に嫌がるのは自然な心で、心此処にあらずの状況は良き家庭人や良き親であることの余裕を失わせ、いろいろ良からぬ家庭問題や対人関係を作りかねないと憂慮される。大学の法人化後の日本の大学の多くが研究者の大事な自由な時間と余裕を失なわしめ、逆に雑用を多くして、研究者を虐待しているように感じられる。5年間ポルトガルの大学から研究員として招待され、研究に専念できたが、過ごした経験から、あまりにも大きな違いを感じて 唖然としている。
それから、数学の研究成果の発表では 間違いをおかしてはならないことは 相当に厳しい原則であるから、投稿したら、間違いがあった、出版済みの論文に間違いを発見した等の場合には、相当ショックで、相当に苦しい心理状況に追い込まれる。研究上の相当な時間は 繰り返し不備はないか、間違いはないかの省察の時間ではないだろうか。絶えず、大丈夫か、大丈夫か、間違いはないか、間違いはないかと自問していると言える。もちろん、理論の全体の在り様に対する想いは、真智への愛 である。
以 上

再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
ここ一連の声明で数学について述べてきた:
再生核研究所声明 397(2017.11.14): 未来に生きる - 生物の本能
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明 400(2017.11.17): 数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明 401(2017.11.18): 数学の全体、姿、生命力
数学の本質論については 次で相当深く触れた:
No.81, May 2012(pdf 432kb) - International Society for Mathematical ...
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
ここでは、現実の問題から、研究姿勢、路線について具体的に考察したい。
数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる関係の全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになる. しかし、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ人にとっては価値がないものであるとも言える。― もちろん、未来人が高い評価を与える場合もある。また、
デカルトの円定理:
定理は3つの外接する円に対して、それらに内接する円と外接する円の半径を、3つの円の半径で表わす公式を与えたものであるが、その公式は美しい形を有している。ところで、円の半径がゼロならば、点円、半径が無限大ならば、直線になると考えられる。後者の解釈については、ゼロ除算算法の導入で、直線とは中心が原点、半径ゼロの円と見なせるという知見をもたらした。点も直線も円の1種であるという考えから、それではデカルトの美しい定理で、円を直線や点の場合にも成り立つかと考えた。ゼロ除算算法で、2つが円で1つが点以外は、そのまま成り立つことが確認され、この例外である場合に、驚嘆すべきことが分った。3つの円が接しているとき、デカルトの定理は成り立っている。そこで、1つを点に近づけ、点に成ったときにデカルトの定理がどうなるかを調べた。点のときは内接円も外接円も存在しないから、デカルトの定理は成り立たないと考えられる。ところが、点に成ったとき、ゼロ除算算法で解析すると、その点は3つの場合に突然、変化する現象が現れた。点以外に、美しい円が2つ現れる。これらの円について、デカルトの定理を成り立たせる解釈が存在することが分った。― 点が変化して、変化した円で、デカルトの定理が成り立っている。専門家 奥村博博士と論文を執筆中である(2017.11.5.6.57)。この予稿版は2017.11.14に公刊された:https://arxiv.org/abs/1711.04961
そこで、次の研究課題として、如何に進めるべきかを考えている。当面研究課題が無い場合には、課題を探すことになる。しかし今回の場合には、次々と研究課題が存在することが分る。まずは、デカルトの円定理、外接する3つの円が、2つ交わった場合、3つ交わった場合どうなるかの問題が存在する。さらに、今回考えたように、その円の幾つかが、点や直線になった場合にはどうなるかの問題がある。それらの研究内容は今回の論文の6倍から、12倍以上の内容が存在することが予想される。数学の常道である多次元化を考えれば、それらはそれらの研究課題は20倍を超える世界で、挑戦すれば、1冊の著書と生涯の仕事に成り得ると考えられる。そこで如何に進むべきかと思案することになる。論文を出版する事が要求されている場合など、特に他に挑戦する課題が無い場合には、とりあえず、それらの大きな計画の最初の2,3歩を歩み出したいと考えるだろう。より良い課題を持っていれば、その課題に当面挑戦したいと成るだろう。その時の価値判断は 純粋な個人の思いと社会的な影響や共同研究者の意見、希望等が影響するものと考えられる。純粋な個人の価値判断と対社会的な反響に影響されることになる。このとき、その個人の数学観、人生観、価値観などが影響を与え、そのような経緯がその個人の数学を発展させていく原理になる。
今回の場合には、ユークリッド幾何学の世界は、やれば何でもできるので もはや興味も、関心もないという考えが基礎にあるが、全く新奇な現象が出ると分かれば、新規な現象になれるまでは、研究を続行したくなるだろう。人間の心とは極めて微妙で やればできるとなれば、大きな魅力は失われ、予想できない難しい分野に心が向く、真智への愛 が目覚めてくる。創造とは何か、生命とは何か、人工知能の発展とともに絶えず問われることになるだろう。人間にとって真に価値あるものとは何か。人間はどのようなものに感動を覚えるか。絶えず問うていくことになる。
                                       以 上

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