どうして0で割ってはいけないの? – 0で割れたらどうなってしまうのか?
この記事では、こんなことを紹介しています
この記事は、
- 0で割ってはいけないことは知ってるけど、その理由は考えたことがない
- 数学的に、0で割ることをどのように扱っているのかが知りたい
- 無理やり0で割ってしまったらどうなるの?
のような人たちを対象に書きました。
ここでは0除算(ゼロじょざん)を解説します。0除算とは、0で割る計算のことを言います。
学校でも教わっていると思いますが、0で割ることは数学的に認められていません。
しかし、学校でその理由まで教えてもらった人は少ないのではないでしょうか?
そこで、いくつかの視点から、0で割るとはどういうことなのかを解説してみようと思います。
目次
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割り算を分配するための道具だと考える
現実世界で、割り算を使う場面というのはとても多いものです。
中でも、お金などをみんなに平等に分配するときは、割り算を活用することが多いのではないでしょうか。
「三人で買った宝くじが当たったよ!」
「111万円を分配するには、一人いくら受け取ればいいんだろう?」
という時、我々は、
111万円3人=37万円/人
と求めます。
つまり、このときの割り算は、一人あたりいくらを受け取ればいいのかという計算になっているわけです。
では、もしも配当を受け取る人が0人だったらどうなるでしょうか?
0人で買った宝くじというものがすでに意味不明ですが、111万円を0人に分配するための式は、上と同じように考えればこうなります。
111万円0人=1110万円/人
しかし、受取人がいないのに、どうやったら受け取らせることが出来るでしょうか。
受取人はいないけど、受け取るお金がある、というのが解決不能です。
相続権者はいるんだけど、行方不明などで所在や口座が不明のために分配できない、というのとは違う問題です。
受取人がいないんです。
そのため、分配の道具として割り算を使用するケースを考えるなら、0除算は答えを出せないことになります。
除法(割り算)を乗法(掛け算)の逆演算として考える
引き算は足し算の逆演算だと聞いたことはないでしょうか。
A−B=C
というのは、表現を変えれば、
C+B=A
です。
「AからBを引いたらいくつになりますか?」
という問いは、それ自体が全く同時に、
「Bにいくつを足したらCになりますか?」
という問いなのです。
つまり、A−B=XのXを求めることは、A=B+XのXを求めることと等しいのです。
それ故に、減法(引き算)は加法(足し算)の逆演算だと言われます。
同じように、除法(割り算)は乗法(掛け算)の逆演算とされています。
AB=C
ならば、
A=B×C
となります。
先ほどと同じ表現をすれば、A/B=XのXを求めることは、A=B×XのXを求めることと等しいのです。
しかし、引き算の時とは違う問題があります。
それが0除算です。
上の式でB=0だったとき、
A0=X
となりますが、この時のXはいくつになるでしょうか?
割り算は掛け算の逆演算であることを考えると、Xは同時に
A=0×X
も満たさなければなりません。
これが0以外であれば簡単です。12/3=4は12=3∗4も満たします。
123=4→12=3×4
ところが、
120=X
では、
12=0×X
を満たすようなXは存在しません。
0に何を掛けても12にはなってくれないからです。
被除数も0のケースも考えてみましょう。
00=X
の時は、
0=0×X
を満たすようなXは存在するでしょうか?
…しますね。
全部です。
0に何を掛けても0になりますので、Xが何だろうと、0=0×Xを満たします。
0を0で割る操作に関しては別の記事で詳しく解説していますので、すごく深いところまで知りたい方は下のリンクからどうぞ!
というわけで、0除算はまともな計算として認められず、未定義のままに置かれています。
未定義、つまり数学はそういう計算に対して答えを出さない、ということです。
0除算を認めるとこうなる
0除算を、公理的に考えてみましょう。
数学には公理があります。公理というのは、約束事、ルールブックです。
公理から様々な定理が生み出されていきます。
でも、今回は公理とは何かにはあまりこだわらず、「数学的計算をするためのしきたり」くらいに考えておいてください。
そのしきたりによれば、
0×x=0
が導かれます。
「0に何を掛けても0になりますよ」ということです。
また、
xx−1=1
というしきたりも定められています。
x−1とは1xのことを表しています。
つまり、xに1xを掛けたら1になるという意味です。
そりゃまぁ、これはx×1xのことですから、当たり前ですよね。
ここまでは、皆さんがご存じの当たり前のしきたりなのですが、この二つのしきたりをあわせると数学が崩壊するのです。
ここまででは、まだ0除算は禁止されていません。
ですから、
10
という式を書き出すことが可能です。
ならば、
0×10
という式も書けるはずです。
しかし、これがくせ者でして、上記二つのしきたりにこの式を当てはめるとこうなります。
二つのしきたりの復習
①0に何を掛けても0
0×x=0
②ある数にその数の逆数を掛ければ1
xx−1=1
初めのしきたり①(0に何を掛けても0になる)からは、
0×10=0
ですね。
次にしきたり②(xにx−1を掛ければ1になる)からは、
0×10=1
は導けます。
どちらも同じ式からの導出なので、
0=0×10=1
つまり、0=1が成り立つことになってしまいます。
というわけでして、これまでに定められたしきたりに従うと、0=1というとんでもない答えが出てきてしまいます。
世界の終わりです。
これを認めた瞬間、我々が使ってきた便利な道具としての数学は跡形もなく崩れ去ります。
これを認めてしまうと、
1+1=2=0+0=0
1+2=3=0+0=0
という次第で、あらゆる数は0と等しくなり、
0=1=100
このようにして、全ての数は全ての数と等しくなります。これを防ぐための0≠1
こんなバカな話はありませんので、これを防ぐために、もう一つのしきたりが用意されています。
それが0≠1です。
この≠という記号は「ノットイコール」と読まれ、イコールの反対、「等しくない」という意味を表しています。
数学は、0≠1というしきたりを用意することで、数学の崩壊を防いだわけです。
これによって、0=1という式は数学世界から排除されました。
もう0=1というのは、数式として認めてもらえないのです。
そして同時に、0=1を導き出してしまうような要因も、数学社会から追放されます。
そうして0除算は禁止されるのです。
より厳密な表現をするならば、「0除算した式は、数学的な式と見なされない」とか、「数学は0除算を定義していない」ということになります。
よって10という式は、数学的な回答を出せません。
それはもう数学が扱う式ではなくなっているからです。
まとめ
- 0人に分配するというのは意味不明だから0で割るのはやめた方がいい
- A=0×XのXを満たすものは、「存在しない」か「なんでもいい」のどちらか。んなアホな。
- 0除算を認めると0=1を認めることになる。
- 数学は0除算を定義していない
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
行ってきました:世界を変えた書物展
再生核研究所声明 455(2018.10.9): ゼロ除算は幾らの価値がありますか、人間をどう救うのですか
― 回答
ゼロ除算に興味・関心を懐く好ましい方からの質問です。 ノーベル賞受賞者の業績、社会貢献や人命を救った業績などとの比較からそのような率直な発想、質問が湧いたものと思われます。再生核研究所ではその声明の趣旨でも述べているように素人の方のご質問を真摯に受け止め誠意をもって回答してきました。 実際、ゼロ除算の発見の大きな動機は そのような素人の方のご質問、100/0 の意味を問われたことが大きな動機になっています。そこで、おもしろおかしく、楽しく、真面目に回答したい。
ゼロ除算は数拾兆円の価値があるでしょう。まず、ゼロ除算はアリストテレス(BC384 - BC322)、ユークリッド以来の新しい世界を開拓し、直接的にも Brahmagupta (598 - 668 ?)、 Brāhmasphuṭasiddhānta (628), 以来の解明、発見です。 アインシュタインの人生最大の関心事とも伝えられ、万有引力のニュートン力学の式でも深刻な問題を提起していて、天才オイラーなどの有名な間違いや誤解が世界史上でも回想されます。このように神秘的な永い歴史を閉じて、新しい世界を開拓した意義は 如何に大きな価値を有するでしょうか。基本的な世界を拓いたとは、簡潔に次のように述べられます:
ユークリッド空間を変更する驚嘆すべき新しい空間が現れる。非ユークリッド空間とも違った、全く新しい空間である。古典的な結果に間違いが存在することさえ証明された: 無限遠点は無限ではなくゼロで表されること。 直線には、コンパクト化して原点を加えるべきこと。直線とは中心が原点で、半径がゼロの円とみなせること。円に関する中心の鏡像は無限遠点ではなくて、中心それ自身であること。\tan(\pi/2) =0 など全く新しい概念と世界を拓いている。孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。 x,y 直交座標系で y 軸の勾配はゼロであること、無限遠点に関係する図形や公式の変更。接線や法線の考えに新しい知見。ゼロ除算算法の導入。― 分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、そこで意味のある計算法。従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていた。特異点で微分方程式を満たしているという知見。図形の破壊現象の統一的な説明。物理学などへの広範な応用。 これらは、数学の基礎部分の広い範囲に大きな変更を求めている。教科書、学術書の変更。数・物ばかりではなく、世界観の変更を求める、世界史的な事件である。
数学の超古典的な基礎理論を変更する数学の価値はどのようなものでしょうか。世界中の中等・大学教育の数学の学習を変更するとは、しかも数学の理論は科学が発展する限りは時間によらずに世界の文化に貢献することになります。そうすると数拾兆円の価値など 小さく感じられないでしょうか。 日本で発見されたゼロ除算算法は 世界の人々に愛される 最も有名な日本の世界貢献 になるのは、既に当たり前の事実ではないでしょうか。そのような認知が得られるのは時間の問題ではないでしょうか。数学の理論は、人にも国家にも、よらない普遍性を、不変性を有しています。長期的には 数学の進化には必然的な要素がある と考えられます。ゼロ除算算法は 数学の基礎部分の欠陥 を示していると言えます。
人間をどのように救うのか。この質問はとても尊い質問で重要です。 経済や平和が幾ら発展しても、知識が増大しても、寿命が幾ら伸びても 人間は幸せになれないのではないでしょうか。 人間はどのように生きるべきか、何時までも人間の問いは続き、人間の賢さや、人生の意味などに寄与しなければ、それらは空しいだけ とも言えるからです。
ゼロ除算の発見とその理解は、人間精神の開放 に寄与するでしょう。まずは、人間が、予断と偏見に満ち、盲目的で 単細胞的な存在 であることを教えてくれるでしょう。これは哲学の祖、ソクラテスの言葉 汝みずからを知れ という、深い問いを思い起させるでしょう。 ゼロ除算の理解は 人間精神の開放 に大きく寄与するだろう。それは、人間を救う と表現しても過言ではないと 言える。 ゼロ除算算法の結果、人生図形 というグラフを得たが、それは、人生とは如何なるものか 良く表現していて、実際 悟りの心 にも大きく貢献するだろう。 ゼロ除算算法のない世界は、実際、未だ未明の時代、野蛮な時代 と言える。 新世界は 既に見えている。 次も参照:
再生核研究所声明 452 (2018.9.27): 世界を変えた書物展 - 上野の森美術館(2018年9月8日―24日 )
以 上
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
以 上
再生核研究所声明335(2016.11.28) ゼロ除算における状況
ゼロ除算における状況をニュース方式に纏めて置きたい。まず、大局は:
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド幾何学とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
1.ゼロ除算未定義、不可能性は 割り算の意味の自然な拡張で、ゼロで割ることは、ゼロ除算は可能で、任意の複素数zに対してz/0=0であること。もちろん、普通の分数の意味ではないことは 当然である。ところが、数学や物理学などの多くの公式における分数は、拡張された分数の意味を有していることが認められた。ゼロ除算を含む、四則演算が何時でも自由に出来る簡単な体の構造、山田体が確立されている。ゼロ除算の結果の一意性も 充分広い世界で確立されている。
2.いわゆる複素解析学で複素平面の立体射影における無限遠点は1/0=0で、無限ではなくて複素数0で表されること。
3. 円に関する中心の鏡像は古典的な結果、無限遠点ではなくて、実は中心それ自身であること。球についても同様である。
4. 孤立特異点で 解析関数は有限確定値をとること。その値が大事な意味を有する。ゼロ除算算法。
5. x,y 直交座標系で y軸の勾配は未定とされているが、実はゼロであること; \tan (\pi/2) =0. ― ゼロ除算算法の典型的な例。
6. 直線や平面には、原点を加えて考えるべきこと。平行線は原点を共有する。原点は、直線や平面の中心であること。この議論では座標系を固定して考えることが大事である。
7. 無限遠点に関係する図形や公式の変更。ユークリッド空間の構造の変更、修正。
8. 接線や法線の考えに新しい知見。曲率についての定義のある変更。
9. ゼロ除算算法の導入。分母がゼロになる場合にも、分子がゼロでなくても、ゼロになっても、そこで意味のある世界。いろいろ基本的な応用がある。
10.従来微分係数が無限大に発散するとされてきたとき、それは 実はゼロになっていたこと。微分に関する多くの公式の変更。
11.微分方程式の特異点についての新しい知見、特異点で微分方程式を満たしているという知見。極で値を有することと、微分係数が意味をもつことからそのような概念が生れる。
12.図形の破壊現象の統一的な説明。例えば半径無限の円(半平面)の面積は、実はゼロだった。
13.確定された数としての無限大、無限は排斥されるべきこと。
14.ゼロ除算による空間、幾何学、世界の構造の統一的な説明。物理学などへの応用。
15.解析関数が自然境界を超えた点で定まっている新しい現象が確認された。
16.領域上で定義される領域関数を空間次元で微分するという考えが現れた。
17.コーシー主値やアダマール有限部分に対する解釈がゼロ除算算法で発見された。
18.log 0=0、 及び e^0 が2つの値1,0 を取ることなど。初等関数で、新しい値が発見された。
資料:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.):
Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)
Sep. 2016 305 pp.
(Springer) 9783319419435 25,370.
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
以 上
ゼロ除算の論文が2編、出版になりました:
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
ICDDEA: International Conference on Differential & Difference Equations and Applications
Differential and Difference Equations with Applications
ICDDEA, Amadora, Portugal, June 2017
• Editors
• (view affiliations)
• Sandra Pinelas
• Tomás Caraballo
• Peter Kloeden
• John R. Graef
Conference proceedingsICDDEA 2017
log0=log∞=0log0=log∞=0 and Applications
Hiroshi Michiwaki, Tsutomu Matuura, Saburou Saitoh
Pages 293-305
Division by Zero Calculus and Differential Equations
Sandra Pinelas, Saburou Saitoh
Pages 399-418
再生核研究所声明357(2017.2.17)Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。
再生核研究所声明 339で 次のように述べている:
世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。
以 上
追記
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12272721615.html
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
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