女性や老人よりロスジェネに予算をまわせ
- 政府は「一億総活躍社会」を目指し、女性と高齢者の働き手を増やそうとしている。だがそこに力を入れても、伸びしろは小さい。むしろ力を入れるべき伸びしろの大きい世代は、40歳前後の「ロスジェネ」だ。三菱総合研究所の奥村隆一主任研究員は「日本を救うためには、ロスジェネを救う必要がある」と訴える――。
■忘れ去られた巨大な集団
厚生労働省が1月に発表した2017年平均の有効求人倍率は1.50倍となった。前年比0.14ポイント上昇で、8年連続の上昇。過去最高だった1973年(1.76倍)以来44年ぶりという高水準である。人手不足が深刻化しており、日本の経済成長にとって、労働力不足が最大のネックになりつつある。
政府も手をこまぬいていたわけではない。労働市場に参入していなかった人々を呼び込もうと、2016年4月には女性活躍推進法を施行、65歳までの雇用を義務化した高齢者雇用安定法も改正するなど、法令整備によって、労働市場への参加を後押ししてきた。
ただ、政策のフォーカスは高齢者と女性に当てられており、その間には忘れ去られた巨大な塊が存在する。それがロストジェネレーション(ロスジェネ)と呼ばれる世代である。
■人口の2割、正社員の3割を占める
「ロスジェネ」とは1990年代から2000年代初頭にかけて、バブル経済崩壊後のきわめて就職が困難な時代に学校を卒業し、就職活動を行った世代を指す。三菱総研では1970年から1982年に生まれた世代と定義している。
彼らは供給面における労働力不足を補うという点においても、消費面における需要の拡大という面においても、大きな潜在力を秘めている。ロスジェネこそが日本を救う可能性がある。今回はその秘められた潜在力を検証する。
最初に、ロスジェネの基本的な特徴を見てみよう。現在、ミドル層であるロスジェネは「団塊ジュニア世代」を含んでいるため、総人口、正社員全体のいずれにおいてもウエートは大きい。人口全体の約2割、正社員のうち実に約3割がロスジェネに該当する(図1参照)。
今日(2015年時点)のロスジェネ2100万人のうち結婚している人(配偶者と離別ないし死別した人は含んでいない)は1350万人、結婚していない人は570万人であり、有配偶者は未婚者の2.4倍となっている。また、ロスジェネが世帯主である世帯は全国5300万中約1000万世帯と、全体の約2割を占める。
次に、ロスジェネ世帯の家族構成を見てみよう。まず、「夫婦と子どもからなる世帯」が半数弱と最も多くを占め、このほか3割が「一人暮らし」、1割が「子どもを持たない夫婦のみの世帯」となっている。結婚している世帯に限ると、その8割以上に子どもがおり、うち半数の世帯は最年少の子どもが「乳幼児」である。住居構成については持ち家と借家がほぼ半々であり、他の世代と比べると「借家」のウエートは高めである。
以上を踏まえると、ロスジェネは世帯形成期から世帯成長期の初期であり、「乳幼児や学齢期の子どもを育てる若年ファミリー世帯」という姿が、中心的なイメージといえる。つまり、働いて稼がなければならないし、家族の成長につれて支出が増えていかざるを得ないライフステージにある世代といえるだろう。
まさにロスジェネは現在、ちょうど働き盛りを迎えている。子育ての時期でもあるので出産を機に会社を辞めてしまっている女性も見られるが、働く意欲と能力があり何らかの事情で働けない人以外は、ロスジェネのほとんどがすでに「労働力」になっていると考えられる。
ロスジェネの労働参画の推進と生産性の高い働き方の実現が、この国の経済・産業の成長・発展のカギを握る可能性が出てきている。しかも、労働市場の中で主要層であるロスジェネの所得が拡大すれば、国内消費にも好影響を及ぼすだろう。
■女性と高齢者の「働き手」は今後大幅には増えない
一方、政府の唱える「一億総活躍社会」では「女性」と「高齢者」がクローズアップされている。女性と高齢者の中にはまだ働けるのに働いていない人が数多くおり、このような潜在労働力を労働市場に引き込むことが経済成長につながるとの発想である。しかし、本当にそうだろうか?
出産等を契機に離職したが子育てが一段落した女性、定年を機に退職した高齢者などを、再度、労働力として活用するための取り組みは、これまでに数多くなされてきた。実際、女性活躍推進法の施行、65歳までの雇用を義務化した高齢者雇用安定法の改正など、法令整備の後押しもあり、企業における女性活躍と高齢者活躍のどちらも進んできている。
下記の図2は、男女別の年齢階層別労働力率を示している。約30年間、男性60歳未満の労働力率はほとんど変化がないが、60歳以降は上昇がみられる。60~64歳男性は雇用義務化の影響があり、上昇が顕著である。ただし、この層は労働力人口の8%にすぎないことと、50代後半の労働力率より上に行くことは考えにくいので、上昇余地とそのインパクトはたかが知れている。65歳以上人口はボリュームゾーンではあるが、約30年間で数ポイントの上昇したに過ぎず、身体能力の低下や要介護状態となる人が多いため、働きたくても働けない人は加齢により増加するから、これからも大幅な上昇は期待できないだろう。
一方、日本の女性の働き方を象徴する「M字カーブ」(出産・育児期に労働力率が下がりM字を描く)も近年はかなり解消され、フラットになってきた。つまり、こちらも今後の伸びしろは大きくはない。つまり、労働力でない層を労働力として顕在化させることは、今後も続けるべき重要な経済政策であり企業戦略ではあるが、長期間にわたる労働力不足を抜本的に解決するには、それだけでは心もとないのである。
■冷遇されたがゆえに能力伸長に大きな余地
今後は、労働力の「量を増やす」方策に加えて「質を高める」方策を講じることで、日本の労働力不足を解決する糸口が見えてくる。なぜなら、経済規模は、「働き手の数」(量)と「各人の生産性の大きさ」(質)の積で決まるからである。
「ロスジェネ」は先述の通り、すでにそのほとんどが働いており、とくに正社員では3割をも占める主要層となっている。だから量をさらに増やすというより、労働力のボリュームゾーンであるロスジェネ一人ひとりの能力を最大限に発揮できる環境を作り出し、企業等の生産性を高める方策が重要となる。
ところが、残念ながらデータを見る限り、むしろ現状ではその逆の傾向がみられる。この世代は現在、30代中盤から40代中盤となっているが、この年代の賃金や賞与の額は10年前と比べて低水準である。また、三菱総合研究所が保有する生活者意識調査(mif(※))のデータによると満足感や充実感のある仕事ができていると考える人の割合および自分の能力の発揮に満足している人の割合は、他の世代と比べて低い。
ただし、働く意欲は決して低くはない。経済的な自立、金銭的成功の獲得、自分のやりたいことをやる、の3点を重視する傾向が見られる。現在はマネジャー層一歩手前の人が多く、今後は非管理職から管理職に移行する世代であり、10年以内に企業の中で多くの責任と権限を持ちうる可能性が高い。企業の成長を支える中核人材として活躍することが期待される層なのである。
就職氷河期に社会に出たロスジェネの一部は、不幸にも本人の意向に沿わず非正規社員からのスタートを余儀なくされた人も多い。はじめから正社員として就職できた人の中でも、他世代と比べると大企業に就職した割合は小さい。つまり、社会に出てからの教育投資が他の世代と比べると十分に行われていない可能性がうかがえる。しかし、逆に言えば有効な教育を受ける機会が得られれば、能力が増大ないし開花する余地は大きい世代といえる。
実は起業家も数多い。メルカリの山田進太郎氏、Sansanの寺田親弘氏、ビズリーチの南壮一郎氏、はいずれもロスジェネに該当する。能力の高さと仕事への情熱の大きさがうかがえる人たちである。
次回以降、ロスジェネの生活実態や意識を探りながら、ロスジェネが輝き、社会経済も元気になる道を提案していきたい。
※mif(Market Inteligence&Forcast:生活者市場予測システム)の略称。2011年から毎年6月に設問総数約2000問、20歳から69歳を対象として日本の縮図となるような30000人を対象に実施している生活者調査。
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奥村 隆一(おくむら・りゅういち)
三菱総合研究所主任研究員。
早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻、修士課程修了。1994年4月、三菱総合研究所入社。一級建築士。東京都市大学講師(非常勤)。プラチナ社会センターに所属し、少子高齢問題、雇用・労働問題、地方自治政策に関わる研究を行う。著書に『仕事が速い人は図で考える』(KADOKAWA)、『考えをまとめる・伝える図解の技術』(日本経済新聞出版社)、『図解 人口減少経済早わかり』(中経出版)、などがある。
三菱総合研究所主任研究員。
早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻、修士課程修了。1994年4月、三菱総合研究所入社。一級建築士。東京都市大学講師(非常勤)。プラチナ社会センターに所属し、少子高齢問題、雇用・労働問題、地方自治政策に関わる研究を行う。著書に『仕事が速い人は図で考える』(KADOKAWA)、『考えをまとめる・伝える図解の技術』(日本経済新聞出版社)、『図解 人口減少経済早わかり』(中経出版)、などがある。
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(三菱総合研究所主任研究員 奥村 隆一)http://blogos.com/article/286877/
とても興味深く読みました
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:
ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明 424(2018.3.29): レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
次のダ・ヴィンチの言葉を発見して、驚かされた:
ダ・ヴィンチの名言 格言|無こそ最も素晴らしい存在
我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。ルネッサンス期を代表する芸術家、画家、彫刻家、建築技師、設計士、兵器開発者、科学者、哲学者、解剖学者、動物学者、ファッションデザイナーその他広い分野で活躍し「万能の人(uomo universale:ウォモ・ウニヴェルサーレ)」と称えられる人物
そもそも西欧諸国が、アリストテレス以来、無や真空、ゼロを嫌い、ゼロの西欧諸国への導入は相当に遅れ、西欧へのアラビヤ数字の導入は レオナルド・フィボナッチ(1179年頃~1250年頃)によるとされているから、その遅れの大きさに驚かされる:
フィボナッチはイタリアのピサの数学者です。正確には「レオナルド・フィリオ・ボナッチ」といいますが、これがなまって「フィボナッチ」と呼ばれるようになったとされています。
彼は少年時代に父親について現在のアルジェリアに渡り、そこでアラビア数字を学びました。当時の神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世は科学と数学を重んじていて、フィボナッチは宮殿に呼ばれ皇帝にも謁見しました。後にはピサ共和国から表彰もされました。
フィボナッチはイタリアのピサの数学者です。正確には「レオナルド・フィリオ・ボナッチ」といいますが、これがなまって「フィボナッチ」と呼ばれるようになったとされています。
彼は少年時代に父親について現在のアルジェリアに渡り、そこでアラビア数字を学びました。当時の神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世は科学と数学を重んじていて、フィボナッチは宮殿に呼ばれ皇帝にも謁見しました。後にはピサ共和国から表彰もされました。
ローマ数字では「I, II, III, X, XV」のように文字を並べて記すため大きな数を扱うのには不便でした。対してアラビア数字はローマ数字に比べてとても分かりやすく、効率的で便利だったのです。そこでフィボナッチはアラビア数字を「算術の書」という書物にまとめ、母国に紹介しました。アラビア数字では0から9までの数字と位取り記数法が使われていますが、計算に使うにはとても便利だったために、ヨーロッパで広く受け入れられることになりました。(歴史上の数学者たち: レオナルド・フィボナッチ
historicalmathematicians.blogspot.com/2012/03/blog-post.html Traduzir esta página 02/03/2012 -)
ゼロや無に対する恐怖心、嫌疑観は現在でも欧米諸国の自然な心情と考えられる。ところが上記ダ・ヴィンチの言葉は 如何であろう。無について好ましいものとして真正面から捉えていることが分かる。ゼロ除算の研究をここ4年間して来て、驚嘆すべきこととして驚かされた。ゼロの意味、ゼロ除算の心を知っていたかのような言明である。
まず、上記で、無を、時間的に未来と過去の間に存在すると言っているので、無とはゼロのことであると解釈できる。ゼロとの捉え方は四則演算を考えているので、その解釈の適切性を述べている。足しても引いても変わらない。これはゼロの本質ではないか。さらに、凄いこと、掛けても割っても、ゼロと言っていると解釈でき、それはゼロ除算の最近の発見を意味している: 0/1 =1/0=0。- ゼロ除算を感覚的に捉えていたと解釈できる。ところが更に、凄いことを述べている。
この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。これはゼロ除算の著書DIVISION BY ZERO CALCULUS(原案)に真正面から書いている我々の得た、達したゼロに対する認識そのものである:
{\bf Fruitful world}\index{fruitful world}
\medskip
For example, in very and very general partial differential equations, if the coefficients or terms are zero, we have some simple differential equations and the extreme case is all the terms are zero; that is, we have trivial equations $0=0$; then its solution is zero. When we see the converse, we see that the zero world is a fruitful one and it means some vanishing world. Recall \index{Yamane phenomena}Yamane phenomena, the vanishing result is very simple zero, however, it is the result from some fruitful world. Sometimes, zero means void or nothing world, however, it will show some changes as in the Yamane phenomena.
\medskip
{\bf From $0$ to $0$; $0$ means all and all are $0$}
\medskip
As we see from our life figure, a story starts from the zero and ends to the zero. This will mean that $0$ means all and all are $0$, in a sense. The zero is a mother of all.
\medskip
その意味は深い。我々はゼロの意味をいろいろと捉え考え、ゼロとはさらに 基準を表すとか、不可能性を示すとか、無限遠点の反映であるとか、ゼロの2重性とかを述べている。ゼロと無限の関係をも述べている。ダ・ヴィンチの鋭い世界観に対する境地に驚嘆している。
以 上
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