9 frases de Leonardo da Vinci para acercarte a la genialidad
El "Hombre del Renacimiento" original tenía mucho que decir sobre la vida, el crecimiento y el éxito.
Las opiniones expresadas por los colaboradores de Entrepreneur son personales.
Hombre de muchos talentos, Leonardo da Vinci es uno de los pintores, científicos, inventores, escritores, arquitectos e historiadores más famosos de todos los tiempos. De hecho, es seguro describir a da Vinci como uno de los genios más grandes del mundo, si no el más grande. El "Hombre del Renacimiento" original tenía una gran diversidad de talentos, y sus contribuciones a la humanidad iban más allá de la "Mona Lisa".
Desde sus estudios de anatomía hasta sus desarrollos de ingeniería creando puentes para las ciudades, incluso hoy, casi 500 años después de su muerte, da Vinci sigue haciendo historia. En 2017, una de sus pinturas menos conocidas fue ofrecida por la casa Christie's por 450.3 millones de dólares, la cantidad más alta pagada por una pintura en una subasta.
Con su gusto por aprender y crecer, hay mucho que aprender del superhombre italiano. Aquí hay nueve citas de da Vinci para abrir tus ojos al mundo que te rodea.
Sobre el crecimiento
"El aprendizaje nunca agota la mente"
Sobre la sabiduría
"La sabiduría es hija de la experiencia"
Sobre el exito
"La vida es bastante simple: haces algunas cosas. La mayoría falla. Algunas funcionan. Haces más de lo que funciona. Si funciona en grande, otros lo copian rápidamente. Luego haces otra cosa. El truco es hacer otra cosa".
Sobre la mentalidad
"Amo a los que pueden sonreír en problemas, que pueden obtener fortaleza de la angustia y crecer valientes mediante la reflexión".
Sobre el trabajo duro
"Hace tiempo que me di cuenta que las personas con logros raramente se sientan a dejar que las cosas solo sucedan. Salen al mundo y entonces sí, las cosas suceden".
Sobre la motivación
"Me ha impresionado la urgencia de hacer. El conocimiento no es suficiente, debemos aplicar lo que sabemos. No es suficiente estar dispuestos, debemos hacer las cosas".
Sobre el tiempo
"El tiempo es suficientemente largo para cualquiera que quiera usarlo realmente".
Sobre el empoderamiento
"El placer más noble es la alegría de entender algo."
Sobre la experiencia
"La experiencia nunca se equivoca; son tus juicios los que se equivocan al prometerse a sí mismos efectos que no son causados por tus experimentos".
とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見は日本
再生核研究所声明 424(2018.3.29): レオナルド・ダ・ヴィンチとゼロ除算
次のダ・ヴィンチの言葉を発見して、驚かされた:
ダ・ヴィンチの名言 格言|無こそ最も素晴らしい存在
我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。ルネッサンス期を代表する芸術家、画家、彫刻家、建築技師、設計士、兵器開発者、科学者、哲学者、解剖学者、動物学者、ファッションデザイナーその他広い分野で活躍し「万能の人(uomo universale:ウォモ・ウニヴェルサーレ)」と称えられる人物
そもそも西欧諸国が、アリストテレス以来、無や真空、ゼロを嫌い、ゼロの西欧諸国への導入は相当に遅れ、西欧へのアラビヤ数字の導入は レオナルド・フィボナッチ(1179年頃~1250年頃)によるとされているから、その遅れの大きさに驚かされる:
フィボナッチはイタリアのピサの数学者です。正確には「レオナルド・フィリオ・ボナッチ」といいますが、これがなまって「フィボナッチ」と呼ばれるようになったとされています。
彼は少年時代に父親について現在のアルジェリアに渡り、そこでアラビア数字を学びました。当時の神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世は科学と数学を重んじていて、フィボナッチは宮殿に呼ばれ皇帝にも謁見しました。後にはピサ共和国から表彰もされました。
フィボナッチはイタリアのピサの数学者です。正確には「レオナルド・フィリオ・ボナッチ」といいますが、これがなまって「フィボナッチ」と呼ばれるようになったとされています。
彼は少年時代に父親について現在のアルジェリアに渡り、そこでアラビア数字を学びました。当時の神聖ローマ皇帝・フリードリヒ2世は科学と数学を重んじていて、フィボナッチは宮殿に呼ばれ皇帝にも謁見しました。後にはピサ共和国から表彰もされました。
ローマ数字では「I, II, III, X, XV」のように文字を並べて記すため大きな数を扱うのには不便でした。対してアラビア数字はローマ数字に比べてとても分かりやすく、効率的で便利だったのです。そこでフィボナッチはアラビア数字を「算術の書」という書物にまとめ、母国に紹介しました。アラビア数字では0から9までの数字と位取り記数法が使われていますが、計算に使うにはとても便利だったために、ヨーロッパで広く受け入れられることになりました。(歴史上の数学者たち: レオナルド・フィボナッチ
historicalmathematicians.blogspot.com/2012/03/blog-post.html Traduzir esta página 02/03/2012 -)
ゼロや無に対する恐怖心、嫌疑観は現在でも欧米諸国の自然な心情と考えられる。ところが上記ダ・ヴィンチの言葉は 如何であろう。無について好ましいものとして真正面から捉えていることが分かる。ゼロ除算の研究をここ4年間して来て、驚嘆すべきこととして驚かされた。ゼロの意味、ゼロ除算の心を知っていたかのような言明である。
まず、上記で、無を、時間的に未来と過去の間に存在すると言っているので、無とはゼロのことであると解釈できる。ゼロとの捉え方は四則演算を考えているので、その解釈の適切性を述べている。足しても引いても変わらない。これはゼロの本質ではないか。さらに、凄いこと、掛けても割っても、ゼロと言っていると解釈でき、それはゼロ除算の最近の発見を意味している: 0/1 =1/0=0。- ゼロ除算を感覚的に捉えていたと解釈できる。ところが更に、凄いことを述べている。
この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。これはゼロ除算の著書DIVISION BY ZERO CALCULUS(原案)に真正面から書いている我々の得た、達したゼロに対する認識そのものである:
{\bf Fruitful world}\index{fruitful world}
\medskip
For example, in very and very general partial differential equations, if the coefficients or terms are zero, we have some simple differential equations and the extreme case is all the terms are zero; that is, we have trivial equations $0=0$; then its solution is zero. When we see the converse, we see that the zero world is a fruitful one and it means some vanishing world. Recall \index{Yamane phenomena}Yamane phenomena, the vanishing result is very simple zero, however, it is the result from some fruitful world. Sometimes, zero means void or nothing world, however, it will show some changes as in the Yamane phenomena.
\medskip
{\bf From $0$ to $0$; $0$ means all and all are $0$}
\medskip
As we see from our life figure, a story starts from the zero and ends to the zero. This will mean that $0$ means all and all are $0$, in a sense. The zero is a mother of all.
\medskip
その意味は深い。我々はゼロの意味をいろいろと捉え考え、ゼロとはさらに 基準を表すとか、不可能性を示すとか、無限遠点の反映であるとか、ゼロの2重性とかを述べている。ゼロと無限の関係をも述べている。ダ・ヴィンチの鋭い世界観に対する境地に驚嘆している。
以 上
再生核研究所声明 423(2018.3.28): 余裕を持つことの重要性
最近の大学の在りよう、研究者の在りようについて このようなことで大丈夫かと考えることがある。忙しすぎて、研究するような 雰囲気にないように感じられる。一つにはいろいろな業務に追われている現実、評価の世相で研究成果を、教育評価を気にして肝心な研究や教育に身が入らない。 研究・教育は肝心の実ではなくて空しい表面的な作り事になっているようである。このような作り事は空しく少し時間が経てば空虚な空しい結果に帰するだろう。もちろん、大学も、研究も教育もいろいろ有っての社会であるから、一概には言えないが法人化後の日本の大学、教育・研究の在り様は酷いものではないだろうか。どのようにこれらの状況を表現すれば良いだろうか。
精神や心、魂の無い、大学、教育・研究と表現されるのではないだろうか。
大学は何をするところか、教育・研究とは何かの問を忘れて、ただ惰性で夢中で悪しき方向に走っている様を見ることが出来る。余裕が無くて、教育・研究が そもそもできるだろうかと問うべきである。
人間とは何か、人生の意義を問うことなく、夢中で走っている世相は 世界史上における恥かしい時代と記録されるだろう。盲目的集団の様は、ゼロ除算の発見と反響を見れば、歴然に見えるようになるだろう。 真実、真理の追究の精神さえ、忘れている状況と言える。
余裕を持つことの重要性については、 次のように述べてきたが、結構、貴重であると考える:
再生核研究所声明 274(2016.01.08): 間をとることの重要性、余裕を持とう
ここで述べたいことは、次に相当表れているので先ず、要点を復習したい:
再生核研究所声明234(2015.6.16)西行花伝 ― 辻邦生、新潮社を読んで – 雅について
まず、雅の語を確認して置こう: 雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)
本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):
弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、的に当たるより、むしろ雅であるが大事、雅であることは、この世に花を楽しむ心である、余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。―― しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反しているのであるから、相当に高い悟りを表していると言える。―― ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。留まる心 だという。―― 世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
現代の世相は 何か急かされているような状況はないだろうか、それゆえに 自分の世界や、家庭、生活に追われて視野が狭く、相手や他の世界をしっかり観る余裕が無くなっているような状況はないだろうか。もちろん、活動は生命の躍動の原理であるが、活動を質の高いものにするには、明に対して暗、間を、静をきちんと配慮するのが大事ではないだろうか。日本では、お茶の時間です、という良い習慣がある、大事にしたい。
まず、雅の語を確認して置こう: 雅(みやび、まさ〔名乗り〕)とは、上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。動詞形は「みやぶ」。(ウィキペディア)
本では、弓の名人、源重実が 西行(義清)に雅の意味を説明している。 大事な言葉を引用しよう(その辺の精読を勧めたい):
弓を射るとき、型があり、それから外れると、いかに矢が的を射ぬいても、それは雅の匂いを失う、的に当たるより、むしろ雅であるが大事、雅であることは、この世に花を楽しむ心である、余裕があったとき初めてこの世を楽しもうとする気持ちになる。この楽しもうとする心が雅なのだ、矢を射ること そのことが、好きな人、当たれば嬉しいが、当たらなくても好きな人 そういう人こそが 留まる人、つまり雅である人だ。―― しかしながら、雅とは拘らない、自由に楽しむ姿勢であるから、生や死に拘ることは既に 雅の心に反しているのであるから、相当に高い悟りを表していると言える。―― ガツガツしないで ゆったりと楽しむ心、超然とした心持ち、それが雅と表現できるだろう。留まる心 だという。―― 世相で言えば、平安時代の貴族の生活は 雅すぎで、現代の世相は ガツガツしすぎているとは言えないだろうか。世相に落ち着きをとり戻したい。
現代の世相は 何か急かされているような状況はないだろうか、それゆえに 自分の世界や、家庭、生活に追われて視野が狭く、相手や他の世界をしっかり観る余裕が無くなっているような状況はないだろうか。もちろん、活動は生命の躍動の原理であるが、活動を質の高いものにするには、明に対して暗、間を、静をきちんと配慮するのが大事ではないだろうか。日本では、お茶の時間です、という良い習慣がある、大事にしたい。
ところで解析的な解とは、厳密解であり、一切の誤差を許さない、それに対して誤差を許す解、近似解を求めるチコノフ正則化法は神秘力を有し、そこからゼロ除算1/0=0を発見したが、解の誤差を許容することによって、良い近似解の構成を格段に簡明にする、哲学的な意義がある。これは何事余裕をもって考えようである。具体的な心得として、社会には何事期限や締め切りがあるものであるが、それらの期限以前に余裕をもって済ませてしまおうという、心得である。期限が迫れば、何かの事情で いろいろ期限のことで余計な気遣いがひとりでに湧いてきて、精神衛生上も 良くない状態に追い込まれるだろう。 もちろん、期限を守れないのは、世の約束、秩序の根幹に抵触することであるから、厳禁であることは 当然である。
急がされた生活、仕事について、先ず、精選、無駄なことや余計なことを排除して、余裕を持つ態度が大事ではないだろうか。精選良いものを少なく、選択するは、省エネの原理であり、間をとる、作る原理ではないだろうか。絶えず、心の整理、整頓に心がけることが 大事ではないだろうか。― ここで最も大事なことは 余計な想像をしないこと、気にしないことである。永遠の意味や宇宙回帰説:
再生核研究所声明262(2015.12.09): 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
などは、人生そのものに 余裕を与える 心持ちの原理になるだろう。それらは、人生の目標などが 未来にあるのではなくて、現在にあることを述べている。一歩踏み込めば、ものごとの結果、成果などは 大して意味はなく、活動している過程に意義があること知ることである。
以 上
再生核研究所声明 422(2018.3.27): 数学界の歴史的な恥と恥の上塗り ー ゼロ除算の見落とし と 固定観念
ゼロ除算発見4周年を契機に、結構内外の意見を広く求め、日本数学会2018.3.18(東大駒場)でも真正面から問題を明らかにした。関係分科会にメーリングリストを用いて、3月15日群馬大学での公開の研究集会を案内し、論理の展開、認識の適否を検証する形で、予告し問題点を明らかにして研究集会と学会に望んだ。
案内は結構刺激的なものであったと見られよう:
メーリング登録者各位(2018.2.14):
下記のように研究会を企画して頂けることになりましたので、ご案内します。ゼロ除算は別格慎重に研究を進めていますが、次のように表明している認識、その是非などを検証したいと思っています。何でもご意見など頂ければ誠に幸いです:
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点ではなくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論も確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開などに、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
しかしながら、奥村博氏の影響を受けて、現在のところユークリッド幾何学への影響が大きいと言えます。我々の空間の認識はアリストテレス、ユークリッド以来の変更が求められている。
敬 具
メーリング登録者各位(2018.3.6):
下記のように研究集会を企画して頂けることになりましたので、ご案内(要旨付)します。ゼロ除算の研究は別格慎重に研究を進めていますが、次のように表明している認識、その是非などを検証したい。何でもご意見など頂ければ誠に幸いです。また、興味、関心を抱いて頂けそうな方に転送などして頂ければ幸いです。
どうぞ宜しくお願いします。 敬具
第1回 ゼロ除算研究集会のご案内
下記のように研究集会を開催しますので、ご案内致します。
日時: 2018.3.15(木曜日).11:00 - 15:00
場所: 群馬大学大学院 理工学府
概要: 始めにゼロ除算の全体について、齋藤三郎群馬大学名誉教授から30分くらい 総合的な報告を受けて、その後、討論を重視する形で進める。昼食を挟んで、討論し、最後に 今後の研究活動について検討する。
参加希望者は、開場の準備、プログラムの検討上 下記にメールにて、届けて下さい:
尚、ゼロ除算の研究状況は、
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報があります。
(後援:数学基礎学力研究会、NejiLaw、再生核研究所)
第1回ゼロ除算研究集会基調講演要旨
(日時:2018.3.15(木曜日) 11:00 - 15:00 場所: 群馬大学大学院 理工学府)
ゼロで割る問題 例えば100/0の意味、 ゼロ除算は インドで628年ゼロの発見以来の問題として、神秘的な歴史を辿って来ていて、最近でも大論文がおかしな感じで発表されている。ゼロ除算は 物理的には アリストテレスが 最初に不可能であると述べていると専門家が論じていて、それ以来物理学上での問題意識は強く、アインシュタインの人生最大の関心事であったという。ゼロ除算は数学的には 不可能であるとされ、数学的ではなく、物理学上の問題とゼロ除算が計算機障害を起こすことから、論理的な回避を目指して、今なお研究が盛んに進められている。
しかるに、我々は約4年前に全く、自然で簡単な 数学的に完全である と考えるゼロ除算を発見して現在、全体の様子が明かに成って来た。そこで、ゼロ除算を歴史的に振り返り、我々の発見した新しい数学を紹介したい。
まず、歴史、結果と、結果の意義と意味、を簡潔に 誰にでも分かるように解説したい。
簡単な結果が、アリストテレス、ユークリッド以来の 我々の空間の認識を変える、実は新しい世界を拓いていること。それらを実証するための 具体例を沢山挙げる。我々の空間の認識は 2000年以上 適切ではなく、したがって 初等数学全般に欠陥があることを 沢山の具体例で示す。
ゼロ除算は新しい世界を拓いており、この分野の研究を進め、世界史に貢献する意志を持ちたい。
尚、ゼロおよび算術の確立者 Brahmagupta (598 -668 ?) は1300年以上も前に、0/0=0 と定義していたのに、世界史は それは間違いであるとしてきた、数学界と世界史の恥を反省して、世界史の進化を図りたい。
以 上
これらの意図はイギリスからの著書出版計画が急速に進み、内容が現代数学の初歩の欠陥を広く指摘し、現在の教科書、学術書の変更を求めているので、慎重に、慎重に対応したいということであった。上記サイトで述べられている要点をまず復習して置きたい。
ゼロ除算 0 / 0 = 0 は 算術の創始者、ゼロの発見者 Brahmagupta (598 -668 ?) によって定義されていたにも関わらず、それは間違いであるとして1300年を超えて続いており、さらに、新たな説、論文が出版されている実におかしな状況にある。しかるに我々は ゼロ除算は既に当たり前であるとして、沢山の証拠を掲げて解説、説得を続けているが、理解は着実に進んでいるにも関わらず、理解は深くはなく、遅々として夜明け前のぼんやりしているような時代であると言える。数学者は、真実に忠実でなければならないのに、数学の研究では、論理には、感情や私情、予断、思い込みを入れてはならないのに、それが、数学の精神であるはずなのに かえって、数学者が予断と偏見、私情に囚われている状況が皮肉にも良く見える。 それは、ゼロ除算の理解が、素人の方の方が理解しやすい状況に現れている。 ― 数学は 絶対的に 厳格な論理でできているはずであるから、基礎が揺るぐはずがないとの信仰、信念を有しているためであろう。しかしながら、人間精神の開放と自由を求めて、非ユークリッド幾何学の出現から、人は大いに学ぶべきではないだろうか。 絶えず、人は何でも疑い、 我は存在しているか と 問うべきである。 ― 人間存在の意義は 真智への愛にある。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。 ― 汝自らを知れ、というソクラテスの言葉は何を意味するだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の進展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
ゼロ除算は 不可能であるとの言明によって数学的には問題は永く封印されてしまった。 しかし、考えて見れば奇妙な事であった。アインシュタインや多くの物理学者が本質的な問題として考察を続けていたばかりか、ゼロ除算回避を意図して、計算機関係者や数学愛好者がともに真摯に追求してきたが、奇妙な議論を世界的に行っていた。 約20名くらいの海外の関係者と交流してきたが、少年期からあるいは何十年も空しい努力をしてきた者がいる。膨大な空しい努力に数学者の責任の感情が湧いて来る。そればかりか、数学全般の欠陥と我々の空間の認識がユークリッド以来おかしい様は、既に歴然であり、世の数学、世界観は天動説のように基本的な間違いが存在する。
そもそも数学は、不可能性に挑戦して、次々と概念を発展させ、可能ならしめてきた輝かしい歴史を有するが、ゼロ除算は盲点として、世界史に汚点を残してきてしまったと言える。いくら何でも算術の確立者の定義を無視して1300年を越えてそれを間違いであるとしてきた事実は、あまりにも酷い歴史として反省させられる。
ゼロ除算は、発見されてまだ4年、今後大きな発展が行われて、現代初等数学の形相は相当に変化して、ゼロ除算発見は世界史上の画期的な事件として記録されるだろう。その歴史の大義を受けて、世界の数学界は 面目一新を図り、数学界の信頼を回復すべきである。
以 上
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答
ゼロ除算に 興味を抱いている方の 率直な 疑念です。大きな国際会議で、感情的になって 現代の数学を破壊するもので 全く認められないと発言された方がいる。現代初等数学には基本的な欠陥があって、我々の空間の認識は ユークリッド以来の修正が求められ、初等数学全般の再構成が要求されていると述べている。それで、もちろん、慎重に 慎重に対応しているのは当然である。
本来 数学者は 論理に厳格で 数学の世界ほど 間違えの無い世界は無いと言えるのではないだろうか。 実際、一人前の数学者とは、独自の価値観を有し、論理的な間違いはしない者である と考えられているのではないだろうか。2000年を越える超古典的な数学に反した 新しい世界が現れたので、異常に慎重になり、大丈夫か大丈夫かと4年間を越えて反芻して来た(再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて)。 そこで、ゼロ除算の成果における信頼性を客観的に 疑念に対する回答として纏めて置こう。これらは、貴重な記録になると考えられる。
まず、研究成果は 3年半を越えて、広く公開している:
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報を公開している。
ゼロ除算の研究は、内外の研究者に意見を求められながら共同で進め、12編を越える論文を出版確定にしている。日本数学会では6期3年間を越えて関係講演を行い、成果を発表して来た。 またその際、ゼロ除算の解説冊子(2015.1.14付け)を1000部以上広く配布して意見を求めてきたが、論理的な不備などはどこからも指摘されていない。ここ4年間海外の関係専門家と250以上のメールで議論してきた(ある人がそう述べてきた:2018年2月27日 18:45 Since then I have received about 250 messages from you about it. Unbelievable! :2018年2月27日 18:45)が 論理的な不備は指摘されなく、関係者の諒解(理解)が付いていると判断されている。逆に他の理論については 全て具体的に批判し、良くないと述べている。50カ国200名以上参加の大きな国際会議に 全体講演者として招待され、講演を行い、かつ論文がその会議禄に2編Springer社から出版される。公開していたゼロ除算の総合的な研究著書原案154ページに対して、イギリスの出版社が出版を勧め、外部審査、社内審査を終えて、著書の出版を決定している。
ゼロ除算を裏付ける知見は 初等数学全般から700件を超え、公開している。共著者として論文執筆に参加している人は、代表者以外内外8名である。
以上の状況は ゼロ除算の数学的な信用性を裏付けていると考えるが、如何であろうか。
以 上
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