2018年3月23日金曜日

北京大学副学長Tian Gang教授:最も恐れることは挑戦です

北京大学副学長Tian Gang教授:最も恐れることは挑戦です

ヤン・パークは名前は付けられていません。湖北省は赤い壁と灰色のタイルが付いた中庭を持っています。金の飾りは「Huining Garden」という本に書かれています。北京大学副学長、北京国際数学研究センター所長であるTian Gangアカデミーの事務所です。

新しい学年の始めに、Tian Gangは新しい数学コースの準備に忙しく、新しいセミナーを開催しました。Tian Gangを見れば、学生の自由時間の指導を終えたのは彼だった。これだけのガイドラインを中国のトップ科学と数学の力を結集するだけでなく、科学研究と生活の場をフィット氏チャーン「寧ガーデン」、という名前のトリビュート数学者を支払うためにエレガントなHuaining公園、その古い家は:平和の心に、やります実用的なもの。

「数学にはあまり知られていないが、それは正しい、間違った、または間違っている。この単純な喜びは私を魅了する」

中国科学院、有名な数学者として、天はちょうど、特に中ケーラー・アインシュタイン計量の研究で仕事を先駆的に行わ幾何学と数理物理学の主要な問題のシリーズを解決していました。近年では、彼はまた、YTDの推測に取り組む、というように曲率流の研究に大きな貢献をしたと。彼は、数学の世界大会で一時間を報告するために招待されたウォーターマン賞、Weibo倫国際数学賞の受賞者で、MITとプリンストン大学教授は......これらの名誉学術天ギャングのための国際数学社会があります科学的研究のレベルを完全に確認しました。

数学の使用は何ですか?これは人々が数学者によく尋ねる質問です。「しかし、どのように役に立たない私が大学にいたとき、それは?、と言っている 『物理学と化学を学ぶには、世界中を旅することは恐れていない。』ミスター徐カイルポルタージュ」ゴールドバッハの予想は「数学者の関心の波をオフに設定します。今日では、数学の基礎の様々な枝が、そのようなワクチン開発などの暗号技術、経済、商業、建設、医療用画像処理の分野で重要なアプリケーションを持っています。「数学の魅力について話す、天ギャングは円卓を開きました。

Tian Gangはこの楽しいことを楽しみ、数学を毎日の娯楽とみなします。数学的研究は、大規模なコンピュータ支援と長期的な思考浸漬の結果です。問題を解決するには、しばしば何年もの努力や生涯が必要です。Tian Gangは、毎日の教育研究や管理業務は忙しいが、とにかく、夜間には研究をして、記事を書くことができると言った。

科学的研究は決して小さな建物に組み込まれているわけではありません。仲間とのコミュニケーションは、しばしばインスピレーションを呼び起こします。天ギャングのリコール:「1987年に卒業に近い、私は、私の古い十代数学の研究者の一人でニューヨーク州立大学で私たちは周りの数学の問題だったと繰り返した後、数時間チャット、意気投合特定の政党にニューヨークのコロンビア大学2001年まで議論するために満たして、我々は再びそれを議論し、突然フラッシュ、突破口が、これは私たちの問題の十年以上に気にようやく答えを持っていた。その瞬間、数学から喜びが生じます。

「あいまいな何ファジー数学はありませんが、右、間違っては間違っている、この単純な喜びが私を魅了権利である。」勉強数学の分野としてはちょうど同じに関係なく、科学研究、教育や学校運営の、彼の曲は、物事を考えてやっていますある種の科学研究の共通の特徴、すなわち間違っている、間違っている、単純化し単純化していることに従ってください。

「基礎研究は、それに関連する科学研究と技術の巨大な発展を促進する強力なエンジンのようなものです。

天はちょうど13年、米国は北京国際数学研究センターを設置に戻った2005年には、中央には、国内の研究レベルの数学の急速な発展を目撃しています。彼の目には、数学は、中国は偉大な力になるために、自然科学の基礎である、それは最初の技術力にならなければなりませんが、また、数学的な力になるために。「現時点では、私たちの国で数学の研究の成果の多くは、主導的な地位にあったトップ20にランキングに推定したが、世界のトップの数学に米国、フランスおよび他の大国と一緒に立って、我々はまだ遅れている。」天は言った、「中国強力な数学の国を構築するためには、中国の数学者もまた頑張らなければなりません」

数学的な力から数学的な力にはどのような努力が必要ですか?天ギャング1が大きな問題と推測して前任者との契約によって残されたギャップを埋めるために、問題を解決するものであり、数学的な研究の現在のフィールドが2つの部分に分けることができることを説明し、他の部分を、新しい学校の創造を開発することである、新しいの導入このコンセプトは、新たな研究方向を開くものです。

党の第19回議会報告と今年の政府報告書は、基礎研究と基礎研究の両方を提出した。ビューの天ギャング、関連する科学研究と技術の大きな発展を推進する強力なエンジンのような基礎研究は、中国科学技術、特に基礎研究における先進国との間のギャップは、主に根拠があるさ数学には欠点があります。持続可能な発展と革新主導型開発を達成するためには、新しいイノベーションの創出、独自の科学研究の実施、数学の未来を導くために熱心に取り組まなければなりません。

「我々の学生の問題解決能力は非常に強いですが、結果の大部分はオープンに行われ、若者の以前のガイドラインの基本は停止し、奨学金必要があり、独立した思考の傾向に従うことではない、オリジナルを行うために積極的に取り組みますこれは将来の数学研究の課題と動機でもあり、研究は進歩を続けていくことです」とTian Gang氏は述べています。

「大きな数学国から強力な数学国まで、私たちはそれを達成することができますが、それは一晩ではできません」

ここ数十年の間に、我が国の数学研究の国際レベルは過去と比較して大きく進歩したことは否定できない。ティエン・ギャングは、国家才能戦略計画のおかげで、優れた若手才能のグループが海外から復帰し、より独創的かつ国際的に高度な成果を得ているとコメントしました。もっと。

しかし、「才能が残っているのは非常に困難です。ここで数学を学ぶためには、最高の若者が出てくるのですが、しばらくしても、数学的な力に喜んでいます。 Tian Gangは、若者がこの選択をするための最も重要な考慮事項は、柔らかい環境だと考えています。良い学術的環境は、より多くの専門家や学術開発の機会が与えられていれば、若い人たちはプリンストン大学、ハーバード大学、マスターがあるため、より接触先端をトップに、より良い機会の開発を強化するために、より喜んでいます。

「学校は生徒の教師まで、一度部門数学のインナーチューブだったとき、私はMITとプリンストン大学で教えています。世界中の優秀な若者が学ぶために誘致することができ、中国の人として、私はとても嬉しく思います。」卓越の世界を取得しますそして、教師の最大幸福、天ギャングがないプライドなし、ですが、少し言って後悔として、我々は、現在、非中国人の優秀な学生を学ぶために喜んで数学的な力ではないので」の数は多くはありません、教えますが、それは私たちの将来の取り組みの方向性でもあります。

科学者が最も恐れているのは挑戦です。天ギャングは、強力な数学的な数学の電源から移動するには、機会を改善するために国の研究環境、帰っ人材が増えてきた、私たちは経済状況にあり、過去10年間を見て、我々は自信を持っていると述べました一晩で達成することはできませんが、すでに目標を達成する可能性があります。

8月中に数学の世界大会、今年はリオ・デ・ジャネイロ、ブラジルで開催される、中国の数学者の報告書は張Pingwen、Xuchenヤンと他の中国の数学者を含む12人が、8人の北京大学の卒業生です持って作るために招待されました。天ギャングは、「これらの学者に代わって、国の主要な研究活動が展開されている人の多くは、ある程度、近年では数学の研究は世界で認識されています。」

今年は、40年間の数学の分野に浸漬60歳の天ギャングを、マーク彼の新しい目標について語った、彼は最も重要な健康コースは、数学の研究に新たな進歩とブレークスルーのために努力したい、と述べ、「私はもっと若い願っています数学の研究経歴の基礎科学に入れる人は、国家の発展に貢献するという点で科学を適用し、基本的な科学のリーダーとなります。」

とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年を超えました:

再生核研究所声明 404(2017.12.30):  
ゼロ除算の現状 ― 総合的な印象

ゼロ除算の著書を出版すべく執筆をしている。700件を超えるメモ、記録を参照しながら一応の素案、原案を152ページに纏めた。ゼロ除算発見4周年を目前にしている。そこで、ふと思い湧く印象について述べて置きたい。
ゼロ除算発見 4周年 目前で、数理論の内容は初歩数学であるから、全体が何もかも当たり前に思え、700件を超える知見も当たり前で、著書は簡潔に纏め切れると感じてきた。そのような折り、学位論文で提起、最初の著書で真正面から取り上げ、論じ、未解決の問題と述べてきた超難問が解けたとの論文が 北京大学 のQi'an Guan氏から送られてきた。秀才の関係者も解けず、関与する数学者ももはや世界に存在せず、従ってもはや300年以上も もう解決できないだろうと考えてきた。最初の著書出版1988年からでもちょうど30年を迎えている。全く予想できない発想、深い手段、複雑な構造、このような全く新奇な数学に驚嘆すると共に 北京大学の基礎の深さ、底力の大きさに驚嘆させられ、高貴な独創性、創造性、発想に感銘を受けている。 このような衝撃は友人の山田陽氏の研究などにも見られたが稀なる経験である。
この衝撃的な深い研究、高貴な理論に感銘している折りに、自らの著書、論文の位置づけについて思いを巡らすこととなった。
まずは、ゼロ除算の論理が、ゼロ除算の拓いた世界が当たり前と思える内容であるが、内容がアリストテレス、ユークリッド以来の世界観を変えるものである。 数学ではゼロ除算は未定義、不定性、不可能性が世の定説であるが、天才たちのいろいろな関与、昨年でも2編の大論文が発表されている。 ゼロ除算の永い、神秘的な歴史を回想すると、内容の意味の大きさと、理論の簡素さの大きな隔たりに、驚嘆させられる。極めて簡単な発見が、世界観の変更を要求している:
無限遠点はゼロで表される。すべての直線は原点を通り、ユークリッドの公理は成り立たない。 y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0であること。解析関数は孤立特異点で固有な値を取り、それが 重要な意味を持つこと。ゼロ除算の影響は初歩数学全般におよび、現代数学には大きな欠落、欠陥があるから、全般的に補充し、完全化されるべきである。極めて簡単な数学が、発見されて大きな影響を広く与える事実である。この差の大きさを 現代数学の目も眩むような高度さ、深さ、徹底した論理の厳格さの視点から思うとき、誠に奇妙な事件に思われて仕方がない。 余りにも大きな新規な結果に、そんなものは受け入れられないとは 多く人の印象であり、論文を相当発表、学会や国際会議でも講演を行っているにも関わらず、4年近く経っても公認の形にはなっていないようである。世間では新しい、基本的な数学が知られていないと言える。―― 我々の空間の認識がアリストテレス、ユークリッド以来 間違っているにも関わらずである。
ゼロ除算 0/0=0は 算術の創始者、ゼロの発見者 Brahmagupta (598 -668 ?) によって定義されていたにも関わらず、それは間違いであるとして1300年を超えて続いており、さらに、新たな説、論文が出版されている実におかしな状況にある。しかるに我々は ゼロ除算は既に当たり前であるとして、沢山の証拠を掲げて解説、説得を続けているが、理解は着実に進んでいるにも関わらず、理解は深くはなく、遅々として夜明け前のぼんやりしているような時代であると言える。数学者は、真実に忠実でなければならないのに、数学の研究では、論理には、感情や私情、予断、思い込みを入れてはならないのに、それが、数学の精神であるはずなのに かえって、数学者が予断と偏見、私情に囚われている状況が皮肉にも良く見える。 それは、ゼロ除算の理解が、素人の方の方が理解しやすい状況に現れている。 ― 数学は 絶対的に 厳格な論理でできているはずであるから、基礎が揺るぐはずがないとの信仰、信念を有しているためであろう。しかしながら、人間精神の開放と自由を求めて、非ユークリッド幾何学の出現から、人は大いに学ぶべきではないだろうか。 絶えず、人は何でも疑い、  と 問うべきである。 ― 人間存在の意義は 真智への愛にある
今回の著書原案では一通り全体を纏めてみたが、全体の様子は、まずゼロ除算の導入をきちんと行い、論理をしっかりさせ、確立させ、歴史的な背景を述べ、ゼロ除算算法の考え方とその有効性を示す具体例を沢山述べた。それで、今まで、考えなかった世界自然な大きな世界が良く見える様になるだろう。この時、我々の数学が、空間の認識が、如何に不完全なものであったかを 明白に理解されるだろう。
ゼロ除算のこの著書は 第1歩であり、いわば初歩入門書である。 本格的なゼロ除算の研究はここから始まると考えたい。Qi'an Guan氏のような数学者や、物理学者が現れて、ゼロ除算の世界は、面目を一新させ、目も眩むほどに発展させるだろうことを 信じて疑わない。
                                   以 上

再生核研究所声明 405(2017.12.31):  ゼロ除算が拓いた幾何学の現象 ― 堪らなく楽しい新奇な現象 - デカルトの円定理から
図と式の表現が表しにくいので 簡単に参照されるサイトhttps://arxiv.org/abs/1711.04961
を挙げて その中の図と式を参照して頂いて、ゼロ除算が如何に面白いかを解説したい。
まず、始めにデカルトの円定理と呼ばれる美しい定理を参照して下さい。3つの円が外接するときに、それらに内接したり、外接する円の半径の間の関係を確立した定理です。
式は美しいのですが、表現で4つの半径は、完全に対称になっていることに気づけばさらに 美しさを深く理解できます。
論文の発想は、そもそも、点や直線は円の特別な場合と見なせるという数学を想起して、デカルトの円定理で述べた基の3つの円を 点や直線に置き換えた場合にも成り立つかと問題にしました。 点は半径ゼロの円ですが、直線も半径ゼロの円だということはゼロ除算の結果導かれた発見です。すると、デカルトの円定理の式で、1/0  が出てきますが、それらはゼロと解釈すれば 良いとなります。それで、2つが円で、もう一つが共通接線である場合を考えると、図1-2のようですが、きれいに成り立っていることが分かります。 この辺の定理、事実は和算の得意とする分野で、デカルトの円定理も含めて和算でも広く知られていたということです。3つの円が、点や直線になった場合をすべて考えてみて何時でも成り立てば、デカルトの円定理は 一層美しいと言えます。 あらゆる場合を考えるのですが、2つが円で、一つが点の場合、それらに接する円は存在しないようですので、その場合デカルトの円定理は成り立たないようにみえます。
そこで、点では成り立たないので、小さな円の場合を考えて、その円を点にした場合にどうなるかを考えてみました。どんな小さな円でもデカルトの円定理は成り立っていますから、その小さな円の半径がゼロに近づいた場合を 考えてみるとどうなるかと考えたくなります。
数学的に厳格に議論するために、3つの円と内接円(外接円)をきちんと方程式で書いて議論しました。 円を点にするとき、 円の表現は孤立特異点を有していて、そこでは考えられないというのが 現代数学です。 ゼロ分の式はゼロのところで考えられないからです。 例えば、定理7の円の方程式で、z = 1,-1 の場合が考えられる。そこで、意味のある図形が出てくる。 ゼロ除算算法では孤立特異点で有限確定値を与えることができますので、今まで考えられなかった特異点で考えみました。― 無限の彼方が、特異点に成る場合も多い。その結果、驚嘆すべきことが起きていることが分かりました。(この辺の記述は厳密な表現より情念に思いを入れました)。
その特異点から、点円原点と、赤い円と青い円が出て来ることが分かりました。点がこれらの3つに分かれて出てきたという実に面白い現象です。 原点の場合にはデカルトの定理が成り立ちませんが、赤い円では、何とデカルトの円定理が成り立っていることが、ゼロ除算算法での計算の結果から確認できます。 青い円は美しい状況に置かれた円ですが、それは点に近づけた円が、突然、元の2つの円に外接する、しかもちょうどそれらの円を直径にする円に変形したと解釈すると、ちょうど内接する円が 緑の円で、デカルトの定理が成り立っているという、驚嘆すべき現象です。
点に成って定理が成り立たない場面で、点が突然変異を起こして定理をそのまま成り立たせている現象が現れたと発想すると、この現象は世の一般的な現象における新規な現象として注目すべきではないでしょうか。 見かけ上成り立たない場合、そこが変形して成り立たせる世界が存在する。 ― ものは燃焼で変形する、変形以前のあるものは変形してもそのまま、引き継がれている。意味深長では ないだろうか。― 山根現象を想起して下さい。 ― これは、運動エネルギーが一定であったものが ある時、物質は突然消えて、物質は消えて運動エネルギーが熱エネルギーに変化する現象を表しています。
赤い円は、美しいので、その分野の有名なバーコフの円と呼ばれる円ですが、2つの円に直交していますが、点に近づいていくとき、 円は接していたのですが、出てきた円は接するのではなくて、直交でしょうか。 実に面白いことは ゼロ除算が発見した典型的な結果として、y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0 ですから、バーコフの円は2つの円に接しているということを述べていますから、 堪らなく楽しいと言えます。― 直交は接していると解釈できるという新発見です。 緑の円は美しく3つの円に接しています。
論文では、あらゆる場合を考えたと述べていますので、3つの円が3つの点でも、3本の直線の場合も考えて、デカルトの定理は成り立っていると述べていますので、さらに面白いです。それには、ゼロの意味を考えてゼロとは何かを発見する必要が有ります。
以 上   

再生核研究所声明 406(2018.1.8):  アジア不戦条約の提案を ― 批准を ― 丸丸お得な考え、方法
ユークリッド以来、2000年以上我々は間違った空間の認識をし、1300年以上ゼロ除算は不可能であるとの おかしな数学をしていたが、それらが明らかにされた現在、人類の愚かさを知らされて 世界を見ると、誠に動物以下の人間の存在を思い知らされる。― 実は平行線は存在せず、すべての直線は原点を通っていた。実は、1/0=0/0=z/0= tan(pi/2)=0 だった。愚かな争いを続けてきた恥ずかしい世界史。
自国の安全は大事だと、軍拡に走れば、相手は必ず、反作用で応え、軍拡競争は切りがない、これは自明の理である。尖閣諸島で、暗黙の諒解を破って相手を傷つけ、勝手に国有化宣言したら、普通は フォークランド紛争のように、これは宣戦布告のようなものであるから、軍事占領するのが道理であるが、相手の弱味を突いて、得をしたかと思えば、警戒に膨大な経費をかけ、軍事費を増大させる羽目に追い込まれ、結局アジアの愚か者の道(再生核研究所声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性を進んでいる。一発でもロケットを攻撃的に発射すれば、自国は吹っ飛んでしまう現実も見えず、おかしな言動を繰り返している奇妙な国も 未だに存在しているようである。そんなに愚かな動物は居るだろうか。
そこで、ちょっと賢くなって、アジア不戦条約を提案、アジアのいかなる国も自国の軍隊をアジアの国に出さない、攻撃しない、誓いをしたら如何であろうか。そして、軍事費は拡大させず、縮小する方向で努力することを申し合わせる。提案国日本は、核武装すべきところ、せず、 憲法改正すべきところ せず、条約の精神を尊重してともにしないとする。
人類は 宇宙の大きさや将来、初期を考察していたり、美しい文化を有しているのだから、闘争本能丸出しの世界から、公正の原則に従って、相手の立場に思いを致し、明るい、楽しい世界の建設に目を向けるべきである。過去志向ではなくて、恥ずかしい世界史を思い直して人間らしい世界史を築いていこうではないか。
膨大な軍事費、エネルギーを楽しい方に向けようではないか。- これ、当たり前のことではないだろうか。恥ずかしい世界史、人間の性、そろそろ卒業して、少し、賢くなろうではないか。
これらは、ゼロ除算の間違いと同様、当たり前に見える。
以 上

再生核研究所声明 408(2018.1.25):  数学を越えて ― 価値あるものとは
(ゼロ除算の研究に専念してきた物理学者と興味深い議論をしてきた。 それで気づかされた視点である。)
数学の本質論:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
から、最近でも数学についていろいろな意見を表明してきている:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明 400(2017.11.17): 数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明 401(2017.11.18): 数学の全体、姿、生命力
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
ゼロ除算の研究者は我々の研究グループを除いて世界で大体15名くらいいて、彼らの研究は今でも混乱していると言える。大きく分けると数学の基礎が無くて、論理が通じず、混乱している数学の愛好者たち、ゼロ除算不可能性に満足できず ― この元は多くは計算機がゼロ除算に会うと計算機障害を起こすが、それを回避することに動機がある ― 公理論的に独自の数学を建設している者、そして物理学上の立場からゼロ除算の研究に取り組んでいる者である。この最後のグループとの相当な議論をして感じたことを述べたい。― 尚、我々の研究グループは、内外大体8名である。ゼロ除算は本質的に解明され、基本は既に確定していると考えている。― 我々の存念を繰り返し内外に広く送っているが、上記グループからも批判が寄せられず、我々の主張を相当理解され、認めてきていると判断している。
特に二人の研究者はゼロ除算と物理学の関係を 人生をかけて、研究しているように見えるほど、研究活動が活発である。ところが繰り返し確認しているが、この二人はゼロ除算の定義、0/0の定義は何かとの質問に 定義はないと繰り返し言明している。それで数学者の立場からは議論はできず、論理的に考えられない状況になってしまう。論理的に矛盾であると言っても自分たちの立場を変えようとしないのである。事実は我々の結果に反して0/0=1 であると物理的な裏付けで主張され、数学がおかしいという考えを抱いていることが分かる。物理的な事実は数学を超えていると考えていることが分かる。多くの数学者はこの辺で交流を打ち切るのが 普通ではないだろうか。- 実際、彼らの理論は数学界でも物理学界でも受け入れられていないようである。
そこで、数学についてそのような視点から考えさせられることがある。いろいろな理論が提起されて、いろいろな結果が導かれる。何をもってそれらを評価し、価値あるものと判断できるかという視点である。公理系や論理も、仮定もいろいろ存在して、様々な研究成果が得られている。ここで、評価をどのようにするかである。ある純粋数学者は人類の名誉のためにこの問題を解いたと表現するが、他の人はそんなことは分からず、また興味も関心もないという。興味、関心の前に 結果そのものが分からないは 今や純粋数学ではほとんどであると言えよう。
数学とは何かを論じ、数学とは関係の集まりであるとして、良い結果とは、
基本的であること、
美しく感動させること、
そして 
世の中に良い影響を与えるものとして、
オイラーの公式が数学上の最高の結果であると表現した:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
T. M. Rassias, Editor, Nonlinear Mathematical   Analysis and Applications, HadronicPress,Palm Harbor,FL34682-1577,USA:ISBN1-57485-044-X,1998,   pp.223–234: Nonlinear transforms and analyticity of functions, Saburou Saitoh.

それで、結局は世界史に貢献できる結果こそが良い結果であると言えよう。
上記物理学者に 理論を越えてそれでは貴方の研究成果の効用、価値はどこにあるのかと 問う。すると反作用で、私たちの研究成果の効用、意義はこうであると応えなければならない。言わば、その証拠を分かり易く、明示する必要がある。- この精神で ゼロ除算の新奇な結果の位置づけ、重要性を説明するために 具体的な証拠を沢山探す必要性に迫られた。
数学者は、数学の自由な精神で自由に研究を進めても良いが、評価を求めるためには得た成果の意義、意味、価値を具体的に示すことが要求されると言える。
そこで、ゼロ除算の重要性を示すために多角的な取り組みを始め、いろいろな表現を考え、意見表明を行っている。数学者の名誉のために、人類の名誉ためにである。― 実際、数学には恥ずかしい初歩的な欠陥があると主張している。さらに、人はゼロ除算の真相から、人間の愚かさを自覚することが出来るから、人間の精神の開放に ゼロ除算は大きく貢献できると考えている。
以 上
                                        

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