雲も波紋も「数学で世界を全部知りたい」天才少年 漫画『はじめアルゴリズム』は数学の楽しさを教えてくれる
「虚構新聞・社主UKのウソだと思って読んでみろ!」第91回。数学を知れば失恋したお姉さんも慰められる、など数学のイメージをガラリと変えてくれる漫画を紹介。
ねとらぼ読者のみなさん、こんにちは。虚構新聞の社主UKです。
いきなりですが数学の問題。下の数字は左から順にある法則にのっとって並んでいます。●と▲に入る数はいくつでしょう?
1,1,2,3,5,8,13,●,▲
というわけで、今回紹介するのは「数学を通して世界を見る」をテーマにしたマンガ、『モーニング』(講談社)にて連載中、三原和人先生の『はじめアルゴリズム』(~2巻、以下続刊)です。
再び冒頭の数題に話を戻すと、答えは●が21、▲が34。ご存知の方も多いでしょうが、これは直前の隣り合った数を足すと次の数になる「フィボナッチ数列」として知られる問題です。さらにこの数列に現れる数(フィボナッチ数)は、ヒマワリの種の配列や植物の花びらの数など身近な自然にしばしば現れる数でもあります。
単なるパズルか数遊びにしか見えないところに、実は自然の本質が隠れている――。本作『はじめアルゴリズム』は、そんな自然の中に潜む数学に魅入られた少年を主人公とした作品です。
雲の動き、水の波紋――全てを数式で表そうとする天才少年
自分が生まれ育った米作島に講演に訪れた老数学者・内田豊。かつて天才数学者として世間の注目を浴びたものの、体力も精神も衰え、もはや数学者としての役目を終えたことを悟る彼は、誰も耳を傾けない講演を早々に切り上げ、今は廃校となった母校へと足を運びます。そこには、50年前、若かりし頃の自分が熱心に数式を書きつけた壁が今もまだ残ったままになっていました。
しかし、彼はそこであることに気付きます。当時途中で投げ出した壁の数式が、誰かの手によって、しかもまるで落書きのような意味不明な記号を使って書き加えられ、完成していたのです。
その数式は「天才のようであり まるで阿呆」。
壁の式を追いかける内田の目線の先には、ひとり無邪気に地面に数式らしきものを書き続ける少年の姿が。内田の問いかけに耳を傾けず、雲の運動、木の枝の分かれ方、水の波紋、トンボの翅脈(しみゃく)――それら全てを自分の数式で書き表そうとしているこの少年こそ、本作の主人公・関口ハジメです。
けがれのない目で「世界を全部知りたい」と話すハジメの言葉に、天才としての才能を見出した内田は、ハジメを数学者として育てることこそ自分にできる最後の仕事であり、この出会いは運命だと確信します。
とはいえ、ハジメは小学5年生だけあって、性格もまだまだやんちゃで幼く、そのうえ書いた数式も独創的ではあるものの、まるでムチャクチャ。これまで自分の興味の赴くままに独学で数学を実践してきたハジメを、数学の世界に正しく導くため、内田は家族を説得し、舞台は内田の自宅がある京都へと移ります。
岡潔や森毅ら著名な数学者を輩出する数学の聖地・京都。内田のもとで本格的に数学を学ぶことになったハジメは、そこでもう1人の天才少年・手嶋ナナオに出会います。数学検定1級を最年少記録の12歳で合格したライバル・ナナオの出現。自分の式を「臭い式」とバカにされたことに腹を立てたハジメは、その最年少記録を更新するべく数検1級に挑むことを決意するのです。
果たして、ハジメは大学レベルの数検1級に合格し、記録を塗り替えることができるのか――。
数学によって「世界の見え方」が変わる喜び
冒頭でも書いたように、本作は「数学を通して世界を見る」を主題に、数学が持つ楽しさや美しさ、またとりわけ奇人が多いことでも知られる数学者という人たちを中心に描いた作品です(数検合格を目指すストーリーではありません、念のため)。めんどくさい数字や数式はほとんど出てこないので、きっと数学嫌いでも楽しく読み進めることができるはず。いや、むしろ数学嫌いの人こそ読むべき作品と言っても過言ではありません。
なぜなら、数学とはイコール計算や公式の暗記ではなく、本来は「ものの見方」なのだということをあらためて気付かせてくれるからです。例えば、クラスで学級委員の8人目を決めるシーン。ハジメはすでに決まっている7人の座席の位置関係を見て「おまえが飼育委員だ さとう!」と唐突に佐藤くんを指名します。周囲はちんぷんかんぷんですが、このときハジメは「佐藤に決まれば学級委員たちの座席できれいな八角形がそろう」という数学的美しさから物事を見つめていたのでした。
一般的に数学が嫌いな教科に挙げられる理由は、勉強が進むにつれてどんどん実用性から離れてしまって訳が分からなくなり、最後に「もうどうにでもなあれ」と投げ出してしまった人が多いからではないでしょうか。
けれど、数学に魅入られたハジメが問題に取り組んでいるときの目の輝き、満ちた表情を見るにつけ、われわれは「数学的な美しさを世界の中に見つける」という発見の喜びをどこかで置き去りにしてしまったのではないかと感じずにはいられません。幼い頃のハジメが数学を「ゲームみたい」「おんがくみたい」「こくごみたい」「お絵かきみたい」と感じたのは、「数学」という枠にとらわれず、解いて発見することそのものを楽しんでいるからです。
いきなり数学の問題集に取り掛かるのはハードルが高いという人にとって、本作はまず「数学は楽しいものなのだ」ということ、そして「数学を知れば世界の見え方が変わる」ということを気付かせてくれるのに最適な一冊だと思います。のびのびとした筆致で描かれるハジメの屈託のない表情や、内田たちとの楽しい掛け合いを見ているだけで、ちょっと数学やってみようかなという気になるはず。
それでもまだ「数学なんて何の役にも立たねえよ」と思っているそこのあなた、数学を知っていれば、失恋したお姉さんを慰めることだってできるのです(2巻第12話参照)。失恋で涙するお姉さんを笑顔にできるというだけで、数学って役に立つ学問だと思いませんか? いつか旅先で出会うかもしれない失恋お姉さんを思い描きながら、今晩は久々に『チャート式』でもひも解こうかと思います。
今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
(C)三原和人/講談社
とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年を超えました:
再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。
偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。
以 上
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答
ゼロ除算に 興味を抱いている方の 率直な 疑念です。大きな国際会議で、感情的になって 現代の数学を破壊するもので 全く認められないと発言された方がいる。現代初等数学には基本的な欠陥があって、我々の空間の認識は ユークリッド以来の修正が求められ、初等数学全般の再構成が要求されていると述べている。それで、もちろん、慎重に 慎重に対応しているのは当然である。
本来 数学者は 論理に厳格で 数学の世界ほど 間違えの無い世界は無いと言えるのではないだろうか。 実際、一人前の数学者とは、独自の価値観を有し、論理的な間違いはしない者である と考えられているのではないだろうか。2000年を越える超古典的な数学に反した 新しい世界が現れたので、異常に慎重になり、大丈夫か大丈夫かと4年間を越えて反芻して来た(再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて)。 そこで、ゼロ除算の成果における信頼性を客観的に 疑念に対する回答として纏めて置こう。これらは、貴重な記録になると考えられる。
まず、研究成果は 3年半を越えて、広く公開している:
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報を公開している。
ゼロ除算の研究は、内外の研究者に意見を求められながら共同で進め、12編を越える論文を出版確定にしている。日本数学会では6期3年間を越えて関係講演を行い、成果を発表して来た。 またその際、ゼロ除算の解説冊子(2015.1.14付け)を1000部以上広く配布して意見を求めてきたが、論理的な不備などはどこからも指摘されていない。ここ4年間海外の関係専門家と250以上のメールで議論してきた(ある人がそう述べてきた:2018年2月27日 18:45 Since then I have received about 250 messages from you about it. Unbelievable! :2018年2月27日 18:45)が 論理的な不備は指摘されなく、関係者の諒解(理解)が付いていると判断されている。逆に他の理論については 全て具体的に批判し、良くないと述べている。50カ国200名以上参加の大きな国際会議に 全体講演者として招待され、講演を行い、かつ論文がその会議禄に2編Springer社から出版される。公開していたゼロ除算の総合的な研究著書原案154ページに対して、イギリスの出版社が出版を勧め、外部審査、社内審査を終えて、著書の出版を決定している。
ゼロ除算を裏付ける知見は 初等数学全般から700件を超え、公開している。共著者として論文執筆に参加している人は、代表者以外内外8名である。
以上の状況は ゼロ除算の数学的な信用性を裏付けていると考えるが、如何であろうか。
以 上
0 件のコメント:
コメントを投稿