2018年3月12日月曜日

世界最悪レベルの事故 廃炉への闘いは

世界最悪レベルの事故 廃炉への闘いは

 
3基の原子炉でメルトダウンが起きるという世界最悪レベルの事故が起きた福島第一原発。最新の工程表では廃炉作業には最長で40年かかる見込みです。廃炉への闘いはまだまだ長い道のりが続きます。

廃炉作業完了 最長2051年

事故から7年となることしは、取り出し方法の具体的な検討を進めるほか、3号機で使用済み燃料プールから核燃料を取り出す作業を行う予定です。

福島第一原発では6つの原子炉のうち、1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起き、1号機と3号機、それに4号機で建屋が水素爆発しました。

国と東京電力が去年9月に2年ぶりにまとめた最新の工程表では、すべての廃炉作業が完了するには最長で40年(~2051年)かかるとしています。

中でも重要なのは、事故当時、それぞれの建屋の最上階に設けられた使用済み燃料プールからの「核燃料の取り出し」と、溶け落ちた核燃料と構造物が混じった「燃料デブリ」の取り出しです。

4号機は取り出し完了

事故当時、運転停止中だった4号機では、すべての核燃料が燃料プールに移されていてメルトダウンを免れ、4年前に核燃料の取り出しが完了しています。

3号機・ドーム型カバー完了

一方、1号機から3号機は、メルトダウンの影響で建屋の中が激しく汚染されたため、除染やがれきの撤去が進められています。

作業が最も早く進む3号機では先月、核燃料を取り出すために必要なドーム型のカバーや、クレーンなどの設置が完了しました。

東京電力は、燃料プールから核燃料を取り出す作業を3号機では、遠隔操作の訓練を行うなど準備を進めたうえでことし秋ごろから実施。

1号機と2号機では2023年度からそれぞれ始める計画です。

最大の難関はデブリ取り出し

最大の難関はデブリ取り出し
次に「燃料デブリの取り出し」という廃炉工程の中で、最大の難関とされる作業についてです。

東京電力はこれまで、燃料デブリの取り出しに向けてロボットを使った調査を行っていて、2号機や3号機の原子炉内部では燃料デブリと見られる塊が見つかっています。

2号機は強い放射線

2号機では、ことし1月、原子炉を覆う「格納容器」の底で、「燃料デブリ」と見られる小石状の堆積物があることが確認されました。
また、原子炉内にあった核燃料を束ねるケースの取っ手が落ちているのが確認されています。

さらに、原子炉の真下では、最大で1時間当たり8シーベルトの、人を寄せつけない極めて強い放射線が測定されました。

3号機の黒い塊

3号機では去年7月、魚のマンボウに見立てた調査ロボットを原子炉の真下に当たる範囲に投入し、内部の状況を調べました。

すると、格納容器の底に、事故の前にはなかった岩のような黒い塊などが堆積しているのが見つかりました。

東京電力は燃料デブリの可能性が高い塊が確認されたと評価しました。

一方、1号機は去年3月、調査が行われましたが、燃料デブリは確認できませんでした。

気中工法どこまで実現?

燃料デブリの取り出しにあたって大きな課題となるのが、核燃料から出る極めて強い放射線の影響や放射性物質の飛散です。

これらを防ぐため、これまで、格納容器を水で満たす「冠水工法」と呼ばれる方法が検討されてきましたが、国と東京電力は、水位は低いままで空気中で取り出す「気中工法」という方法を軸に廃炉に取り組むとしています。

ただ、この方法では放射線の影響や放射性物質の飛散をどれだけ抑え、安全対策を徹底できるかが課題です。

今後の工程

今後の工程
国と東京電力は燃料デブリについて、2019年度には最初に取り出す号機を確定。2021年に取り出しを始めるとしています。

経済産業省原子力発電所事故収束対応室は「使用済み燃料プールからの核燃料の取り出しなど、一部、工程が遅れているところはあるが、全体が大きく遅れているという認識はない。今後も作業の進捗(しんちょく)にとらわれることなく、安全第一に着実な廃炉を実施していく」としています。

事故から7年を前に会見した原子力規制委員会の更田委員長は「事故は7年間続いている」と述べました。
「燃料デブリ」の取り出しについても「少なくとも出口が見えたり、山頂が望めるところまで登ってきたというわけでは全くない」とも述べています。

廃炉への闘いは、まだまだ長い道のりを一歩ずつ歩むことになりそうです。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011360941000.html

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上
再生核研究所声明792012.3.11)  福島原発事故 とは 何か

( 本声明は 2012. 3. 7. 朝、宿舎から、研究室に向かっている時に、声明の題名と趣旨が ひとりでに閃いたものである。)

まず、福島原発事故は 史上最大級の巨大地震による 天災であり、予測不可能な あるいは 避けられなかった事故であり、天災として 重く受けとめる必要がある。
この観点について、なるほど 予測はできた、既に危険性が有ったとの認識を懐く人たちが相当数存在し、また原発について 本質的に否定的な見解を持つ真面目な意見が 根深く、広範に存在することを承知している。 
しかしながら、人間存在の原理に思いを寄せ(再生核研究所声明 32: 夜明け --- ノアの方舟)、さらに 人間の弱さも 現実には認める必要がある。
例えば、関東大地震は再び起きる、富士山は大爆発を起こし、東京都は壊滅的な被害を受ける と警告を発しても、現実には対応できないように である。 それらは いずれも 何時かは起きるであろうが、まさか、我々の時代に起きるとは 真剣には考えないからである。日本国の破産や 金融の壊滅的な混乱も避けられないだろうと考えても、現実には対応できないのと同じような現象である。これらは、世の中が慣性の法則で動いている顕著な、重い例である(再生核研究所声明 72: 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
原発については 避けるべきであるとの、真面目で、正当に評価されるべき意見が多数 最初の段階から、存在し、それらの正当な意見については いつでも真摯に向かい、絶えず、自制し、謙虚に耳を傾けて来るべきであった。特に、安全性については 徹底的に、決定的に慎重に 慎重に対応して来るべきであった。
しかしながら、現代の世界をリードしている、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア、中国などが進めている現実を見れば、日本国が原発の開発と利用にのり出さないことは、日本国の在りようとして、考えられないことであると言わざるを得ない。 実際、日本国が上記世界の指導的な国々を越えて、原発を開発、管理できるとの認識は、自他ともに認める 世界の常識であると考える。 また、原発が日本国に寄与してきた総合的な評価は 高く評価される。 特に 日本国の戦後復興と発展に大きく貢献してきていると考える。
福島原発事故は、世界史上の事件であり、これに誤りが有れば、それは人類の共通の責任であり、人類は共有してこの重い責任を負わなければならない。実際、世界の上記指導な国々は いずれも原発に否定的な見解をとらず、是認してきているからである。 逆に、福島原発事故発生以前の最近までは、地球温暖化を防ぎ、クリーンなエネルギーを得るために 原発を推進することは、大勢として、世界の常識ではなかっただろうか。
ともあれ、日本国は 広島、長崎において 核爆発と放射能の甚大な被害を受け、さらに福島原発事故という、三度目の苦難、試練、挑戦を受けることになった。 原発事故、放射能被害などは 繰り返し、世界を襲うだろうから、それらに有効に立ち向かうのは、人類に課せられた重い課題であり、日本国はその課題に取り込む 重大な使命を 世界史上で負っていると しっかりと受け止めるべきである。
世界は 三度の苦難を受けている日本国を励まし、援助し、原発事故問題、放射能対策などの研究を大いに発展させるべきである。原発事故と放射能対策は、癌撲滅と同じように 人類に課せられた、永続的な大きな課題であると考える。日本国は この困難な課題に 世界に先駆けて、取り組むことが要求されていて、賢明に克服できる道を切り拓くべく 期待されていると考える。
福島原発事故を 日本国に課せられた試練、挑戦課題と捉えて、賢明に取り組み、それらを克服し、克服の在りようを確立して世界史の発展に 世界史に寄与したいと考える。 最後に福島原発事故関係の声明を挙げて置く:

再生核研究所声明 62:福島原子力発電所事故と その対応、対策、取り組みについて
再生核研究所声明 67: 脱原発デモ ― 非現実的な貧しい二律背反の発想と飛躍した議論
再生核研究所声明78:  無責任な 原発反対と増税反対 ― 実状が分からな     いで意見を表明していないか?

以 上

再生核研究所声明77(2012/2/18)  人生における心得

(これは これから、生きる人に 人生で留意しておいた方が良いと考えられることを 簡潔に、思いのままに纏めたものである)

まずは 健康には 何時も気を遣うのが 良い。 食事、運動、休養、そして 心の整理 をするように心がけたい。

恋をして、家庭を持つのは良い; 恋の心得は 再生核研究所声明36参照。 家庭を持たない、独身で生きる場合には、相当な覚悟が必要である。しかしながら、余計なことをせず、気楽で良いと考え、超然と生きれば(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道)、大丈夫。十分な生きがいと幸せは 掴めると考える。

人生で大事なことは、夢、希望を持つこと; それを行動に結び付けられることである。 言い換えれば 好きなこと、楽しいことを見つけ、楽しめるようにする(再生核研究所声明 12:人生、世界の存在していることの意味について)。そこで、仕事と好きなことが合っている人は、非常に幸運な人であると言える。 社会では いろいろなことをするのには、お金が必要であるから、働いたり、お金を得る努力をしないわけには行かない。 ― 実際、お金を得ることだけで、人生の大部分を占めてしまう現実があるが、それ以外の余裕ができれば、それだけ 人間的な生き方が、できるということではないだろうか。― そこで、好きなことをしていて、収入に結びつく人は 相当に良い状況と言える。 自明なことであるが、大事な観点。

心通じ合える仲間を持つことは 人生を豊かにさせてくれる。これは 仲間ばかりだけではなく、歴史上の人物でも、趣味でも、芸術でも、作家でも、歌でも何でも同じである。 楽しくさせてくれる いろいろな出会いを大事にしたい。ある山を愛するのも良い。あることを愛するのは良い。

その時、多くの趣味等が消耗的な性格、すなわち、続けると飽きる状況が出てくるから、何か自ら働きかけて、社会的に働きかけられ 愛に 力と持続性が加わわるようになればさらに良い。 ゲーテの 活動して止まないもの、岡本太郎氏の 爆発を続けて行けるようなもの、アルベルト・アインシュタインの 人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない、 再生核研究所声明 72: 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 などである。要するに 行動し続けて行ける ということ。 社会に働きかけるものが有るということは、 それだけ 人生に 活力と生きる力 を与える。 生きるということは、簡単に考えれば、何かを求め、喜びを感じるということである。 ただ食して、テレビを見て、寝る の人生には したくはないものである。

以 上




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