2018年3月12日月曜日

歴史と文化を感じさせる街カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)-2018FIFAワールドカップロシア大会の開催都市の1つ-

歴史と文化を感じさせる街カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)-2018FIFAワールドカップロシア大会の開催都市の1つ-


保険研究部 取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長   中村 亮一

はじめに

皆さん、「ケーニヒスベルク」という都市をご存知だろうか。実は、2017年12月の研究員の眼で述べた「ゴールドバッハの予想」の中で、ゴールドバッハの出身地として紹介した。現在はロシアの飛地領であり、カリーニングラードという名称の都市になっている。ロシアの主要都市で、今年開催される2018FIFAワールドカップロシア大会の開催都市の1つとなっている。一方で、多くの著名人と深い関わりのある都市でもある。

今回は、この「ケーニヒスベルク」について紹介したい。

ケーニヒスベルクの歴史

ケーニヒスベルクという名前からわかるように、これはドイツの都市の名前である。ドイツ語でKönigsbergとなるが、これは「王の山」の意味を有している。もともとはドイツ人の東方殖民によって1255年にドイツ騎士団によって建設された都市であり、ハンザ同盟に属するバルト海の貿易都市として栄えた。20世紀前半まではドイツの東北辺境の東プロイセンの重要都市であり、プロイセン王の戴冠式も行われていた。

第2次世界大戦の末期に東部戦線の激しい戦場となり、1945年4月6日から4月9日に行われた(ソ連の)赤軍とのケーニヒスベルクの戦いでドイツ軍が降伏してケーニヒスベルクは陥落した。ドイツの戦後処理が話し合われたポツダム会談において、東プロイセンは南北に分割され、南部はポーランド領に、ケーニヒスベルクを含む北部はソ連に併合された。

1946年7月4日に、ケーニヒスベルクは1ヶ月前に死去したソビエト連邦最高会議幹部会議長ミハイル・イワノヴィッチ・カリーニンに因んで、カリーニングラードに改称された。その後、ドイツ時代の遺物であるケーニヒスベルク城、ケーニヒスベルク大聖堂などの歴史的建造物は殆ど破壊された。

ドイツ系市民は、戦時中から西部ドイツ等へと避難していたが、多くの市民が亡くなったり、殺されたりして、戦後残留していた市民は追放されてソ連占領地域(後の東ドイツ地域)やシベリアの強制収容所等に移送された。代わりに大量のソ連市民が移住してくることで、カリーニングラードは完全にソ連の都市となった。

カリーニングラードは、不凍港であったことから、バルト(バルチック)艦隊の拠点として、ソ連にとって戦略的に重要な軍事都市となり、冷戦時代には外国人の訪問が規制される閉鎖都市だった。

また、古くから世界有数の琥珀の産地としても有名だった。現在のカリーニングラード州は、人口100万人弱の、ポーランドとリトアニアに囲まれたロシアの飛地領である。EU諸国に囲まれている「陸の孤島」であるが、その地理的な特異性を生かして、周辺国との経済関係を深めるとともに、かつてのケーニヒスベルクの歴史を見直して、観光に積極的に利用しようとする動きも見せてきている。

ケーニヒスベルクゆかりの著名人

ケーニヒスベルクにゆかりのある著名人は多くいる。

例えば、偉大なる哲学者のカント(イマヌエル・カント:Immanuel Kant)は、ケーニヒスベルクで生まれ育ち、ケーニヒスベルク大学の教授であった。亡くなったのもケーニヒスベルクにおいてであり、カントの霊廟はケーニヒスベルク大聖堂にある。

「現代数学の父」と呼ばれ、非常に多岐にわたる分野での業績があるヒルベルト(ダフィット・ヒルベルト:David Hilbert)も、ケーニヒスベルクで生まれ育った。1900年のパリの国際数学者会議で発表された「ヒルベルトの23の問題」は、その後、数多くの数学者がこの問題に取り組んだことで、20世紀の数学の方向性を形作るものになった。日本の有名な数学者である高木貞治氏はドイツ留学時代ヒルベルトの弟子であった。

数学者としては、以前の研究員の眼で述べたゴールドバッハに加えて、オイラー(レオンハルト・オイラー:Leonhard Euler)も、以下で述べる「ケーニヒスベルクの橋の問題」で、ケーニヒスベルクに関わっている。

作家、作曲家、画家等として多彩な分野で才能を発揮したホフマン(エルンスト・テオドール・ヴィルヘルム・ホフマン:Ernst Theodor Wilhelm Hoffmann)1もケーニヒスベルクで生まれ育った。ホフマンの作品を基にした楽曲としては、オペラの「ホフマン物語」(ジャック・オッフェンバック作曲)やバレエの「くるみ割り人形」(ピョートル・チャイコフスキー作曲)、「コッペリア」(レオ・ドリーブ作曲)等が有名である。

また、「楽劇王」として知られる偉大な作曲家であるワーグナー(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー: Wilhelm Richard Wagner)もケーニヒスベルクに住んでいたことがあり、この地で最初の妻である女優のミンナ・プラーナーと結婚している。

日本人でも、関わりのある人はいる。第2次世界大戦中に多くのユダヤ人等に大量のビザを発行して6,000人に及ぶ避難民を救ったことで「東洋のシンドラー」として有名な杉原千畝氏は、リトアニアの赴任後、ケーニヒスベルクに外交官として赴任していた。

以上のように、カリーニングラード(ケーニヒスベルク)は、悲惨な過去を経験した歴史を有する街であるが、一方で文化の香りを強く感じさせる街である。 

1 筆名は、エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann)で、敬愛するヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにあやかって、「アマデウス」を付与しており、通常E.T.A.ホフマンと呼ばれる。

ケーニヒスベルクの橋の問題

ケーニヒスベルクと聞いて「ケーニヒスベルクの橋の問題」を思い出す人もいるかもしれない。

「ケーニヒスベルクの橋の問題」とは、次のような問題である。

ケーニヒスベルクの中央に、プレーゲル川という大きな川が流れているが、18世紀の初め頃に7つの橋が架けられていた。このプレーゲル川に架かっている7つの橋を2度通らずに、全て渡って、元の場所に戻ってくることができるか。

オイラーは、この問題をグラフで表して、このグラフが一筆書き可能であるか否かという問題に置き換え、それが不可能であることを証明した(こうしたグラフが一筆書き可能であるためには、全ての頂点から出ている線の数が偶数(→この場合起点に戻ってくることが可能)か、2つの頂点からの線の数が奇数で残りの頂点からの線の数は全て偶数(→この場合起点には戻らない)であることが必要十分条件となる)。この考え方は、グラフ理論や位相幾何学につながっていくことになる。
(参考)18 世紀初めごろのケーニヒスベルクのプレーゲル川と7 つの橋とそのグラフ化

2018FIFAワールドカップロシア大会の開催都市の1つ

カリーニングラードは、2018 FIFAワールドカップの開催都市の1つである、と述べた。カリーニングラード・スタジアムは収容人数45,000 人を超えるものになるとのことであるが、残念ながら、日本の試合はここでは行われない2。従って、テレビ等でワールドカップ開催都市の紹介が行われるような機会があったとしても、カリーニングラードが対象になることはないかもしれない。 

2 カリーニングラード・スタジアムで予定されている試合は、グループリーグにおける、スペインvsモロッコ、クロアチアvsナイジェリア、セルビアvsスイス、イングランドvsベルギー、の4試合である。

最後に

私は、大学時代に数学を専攻し、個人的に音楽を趣味としていることから、先に述べた著名人が関わった街として、以前からケーニヒスベルクという街に興味関心を抱いていた。ただし、これまでに、ドイツやロシアには観光やビジネスで何回か訪問し、ポーランドやリトアニアにも旅行したことはあるが、カリーニングラード(ケーニヒスベルク)には行ったことがない。この都市を観光ルートに加えているツアーは極めて限られており、ポーランド周遊の中で含まれているケースが見られるくらいのようである。もちろん、個人旅行として訪問することはできる。

今回、カリーニングラードが2018FIFAワールドカップロシア大会の開催都市の1つになっていることを知って、個人的には改めてケーニヒスベルクへの興味関心を呼び起こされた形になった。

いつかは訪れてみたい街の一つであり、定年後に時間ができたら是非考えてみたいと思っている。もちろん、現在のカリーニングラードは、昔の古き良きドイツの時代のケーニヒスベルクとは異なる雰囲気の街になっているだろう。ただし、「ケーニヒスベルクの橋の問題」のテーマになったルートを辿って、カントやヒルベルトやホフマンが生まれ育った街を散策するのは、何となく楽しい気持ちがしないだろうか。こんなことを言うと、かなりオタクのように思われるかもしれないが、それはそれで良し、若き日の憧れをどこかで忘れずに持ち続けていたいと思っている。http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=58130?site=nli


とても興味深く読みました:ゼロ除算の4周年を超えました:

再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上


再生核研究所声明3472017.1.17) 真実を語って処刑された者

まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシア数学者哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。
また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。

さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:
非ユークリッド幾何学の成立
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。
ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。

知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。
ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。
真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、

1)  新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。
2)  従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。
3)  もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。
4)  もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。
5)  巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。

数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。
人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

以 上

再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと

世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。

国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。

特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。

この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。


再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上


List of division by zero:

\bibitem{os18}
H. Okumura and S. Saitoh,
Remarks for The Twin Circles of Archimedes in a Skewed Arbelos by H. Okumura and M. Watanabe, Forum Geometricorum.

Saburou Saitoh, Mysterious Properties of the Point at Infinity、
arXiv:1712.09467 [math.GM]

Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
The Descartes circles theorem and division by zero calculus. 2017.11.14

L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.

M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.

T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007.

T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Submitted for publication).

T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)

H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.

H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.

S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).

S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/

S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .


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