「すみれは、すみれ」―岡潔先生のこと
先日、何気なくテレビのスイッチを入れると、金曜ロードショーで邦画を上映している。タイトルを調べると、「天才を育てた女房」とある。
佐々木蔵之介が演じる主人公は、細身で、豊かな髪はぼさぼさ、振る舞いはどこか変人じみている。妻と思しき女性や友人が彼のことを「きよっさん」と呼んでいる。もうしばらく見ていると、友人が、「岡さん」と呼ぶではないか。「ええっ!岡のきよっさん。岡潔先生?」と、そこで初めて気がついた。改めて番組表を出してみると、副題に「世界が認めた数学者と妻の愛」とある。間違いない。
岡先生に直接お会いしたことはないが、私にはちょっとした因縁があるのです。
もうだいぶ前に亡くなった、天才数学者、岡潔先生について初めて聞いたのは、大学の先輩からだった。その先輩は何かの縁で、当時奈良に住んでおられた岡先生を訪ねてお話を伺ったことがあるのです。
話の合いの手に、先輩が、「宇宙の原理は……」などと、聞きかじりの知識を自分で悟ったかのように、つい差し挟んだところ、いろいろな質問に快く答えておられた岡先生が、俄かに恐ろしい剣幕で怒り始めたというのです。
しかもその剣幕が尋常ではない。あたかも宇宙全体を抱えておられるかのように、全身全霊で怒られる。人がそれほど真剣に怒る姿を、その先輩は初めて見たと、感慨深く教えてくれたのです。
数学のことはさっぱり分からないが、その人となりに興味を抱き、『春宵十話』『人間の建設』など、岡先生の本を何冊も読んだ。そして、その人並外れた洞察力の虜になったのです。
随筆の中には、数学の難問を考え続けた時の様子は描写されていたものの、奥様のことはほとんど触れられていない。今回ドラマを観て、その名前も初めて知りました。
「なるほど、あの奥さんがいなかったら、岡先生は人生破滅していたかもしれない」という気がしました。
数学に閃きは必須のものでしょうが、岡先生はその閃きを大きく3つに区別しています。
① インスピレーション型発見
② 梓弓型発見
③ 情操・情緒型発見
① インスピレーション型発見
② 梓弓型発見
③ 情操・情緒型発見
西洋の数学発見の多くはインスピレーション型発見に依っており、岡先生自身も若い時代にはこれが多かった。しかし、年齢を重ねるに従い、鋭いインスピレーションが減ってきた代わりに情緒型の発見が出てくると言っておられます。
この「情緒」というのは、岡先生の哲学の核心ですが、普通に考える「気分」とか「感情」という域を超えたもので、理解は簡単ではない。園遊会で天皇陛下から「数学はどうやってやりますか?」と尋ねられて、「数学は情緒でやります」と岡先生が返答したという。
岡先生の考えでは、純粋な情緒を保つには「無明」を消さないといけない。「無明」とは仏教の言葉で、煩悩ゆえに仏法の奥義を悟り得ない状態を言います。「無明」が消滅した状態とは、どういうものでしょうか。ドラマの中では、文化勲章受章式の折に記者たちからの質問に答えるという形で、こんなふうに言っています。
「すみれは、すみれとして咲いていればよい」
著書の中では、『古事記』に出てくる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」という歌を引いて、これを岡先生は、「雄大で健康的な歌」と評する。無明の影をあまり感じないということでしょう。
それに対して、後の時代の名歌と言われる「心無き 身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」という西行の歌については、「無明を直視したため、美しく弱々しい」と評するのです。
こういう洞察は数学の世界ではないが、岡先生ご自身の言葉で言えば、「情緒型発見」と言えるのかもしれません。https://vpoint.jp/column/108373.html
とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年を超えました:
再生核研究所声明 419(2018.2.26):『天才を育てた女房~世界が認めた数学者と妻の愛~』 - 読売テレビ・日本テレビ系 読売テレビ開局60年記念ドラマ(2018年2月23日(金)) から
岡先生のドラマがテレビで放映されるという案内を頂いて、どのようなドラマになるか、どのような表現になるのか、大いに気に成っていた。 表現は極めて難しいからである。今回は第一回目として印象を概観して、ドラマに現れた各論の問題について、順次考察を進めたい。
まずは、全体の印象として、素晴らしい構成、映像の作成、要点の表現全て素晴らしく、感銘を受け、どうしてあのような素晴らしいドラマができたのか、不思議で不思議で仕方がない。 最近のドラマ作成能力の素晴らしさは、 行われていたオリンピック競技におけるいろいろな競技に現われた素晴らしさ同様 感銘を受けてきたが、今回のドラマの素晴らしさには、驚嘆している。 関係者すべての方に賞賛と謝辞を送りたい。
少し要点を振り返りたい。まず岡先生の研究に対する純粋でひたむきな姿勢、それが良く表されているが、それらは、それこそ天才としか表現できない才能から出ていると感じられる。岡先生の熱情を上司の教授を越えて信じて励まされた奥様の理解は普通の女性を越えていたと評価される。ご両親 親族の方々の励ましも大きな力になったことが良く表れている。- 奥様の病院から実家への転居の考えは素晴らしい判断ではなかったかと高く評価される。 両親、実家、自然の中での生活は大きな癒しになり、研究を大成させる基礎になったのではないだろうか。しかしながら、難問に挑戦している天才数学者を孤高にさせて置いた状況は 誠に残念な状況と言わなければならない。 現在ならば、いろいろな研究職、研究員職、公募などが有って、才能が有れば、幾らでも優遇され、良い環境ではるかに広い世界を望めたのは歴然である。 ドラマでは、当時の雰囲気なども良く表現されていて当時の世相、情景も 良く表現されていたと高く評価したい。
岡先生や奥様、関係者は今回のドラマが、真実や実像から相当ずれて居たとしても、大いに喜ばれ、高く評価されると想像でき、拝見された数学者たちもこのような素晴らしいドラマに感銘を受けて、一様に喜んでいるのではないだろうか。一般論としては、
数学者とは何者か、
研究の評価、人物の評価の問題、
研究環境、体制の問題、
テレビドラマとは何か。 実像と虚像の問題。
等の問題をドラマから掘り下げて考察を深めて行きたい。 次も参照:
再生核研究所声明285(2016.02.10) 数学者の性格、素性について
再生核研究所声明 391(2017.11.1): いろいろな数学者、数学者の心
以 上
再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上
List of division by zero:
\bibitem{os18}
H. Okumura and S. Saitoh,
Remarks for The Twin Circles of Archimedes in a Skewed Arbelos by H. Okumura and M. Watanabe, Forum Geometricorum.
Saburou Saitoh, Mysterious Properties of the Point at Infinity、
arXiv:1712.09467 [math.GM]
arXiv:1712.09467 [math.GM]
Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
The Descartes circles theorem and division by zero calculus. 2017.11.14
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Submitted for publication).
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .
再生核研究所声明 408(2018.1.25): 数学を越えて ― 価値あるものとは
(ゼロ除算の研究に専念してきた物理学者と興味深い議論をしてきた。 それで気づかされた視点である。)
数学の本質論:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
から、最近でも数学についていろいろな意見を表明してきている:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から
再生核研究所声明 400(2017.11.17): 数学の研究における喜びと嫌な思い
再生核研究所声明 401(2017.11.18): 数学の全体、姿、生命力
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
ゼロ除算の研究者は我々の研究グループを除いて世界で大体15名くらいいて、彼らの研究は今でも混乱していると言える。大きく分けると数学の基礎が無くて、論理が通じず、混乱している数学の愛好者たち、ゼロ除算不可能性に満足できず ― この元は多くは計算機がゼロ除算に会うと計算機障害を起こすが、それを回避することに動機がある ― 公理論的に独自の数学を建設している者、そして物理学上の立場からゼロ除算の研究に取り組んでいる者である。この最後のグループとの相当な議論をして感じたことを述べたい。― 尚、我々の研究グループは、内外大体8名である。ゼロ除算は本質的に解明され、基本は既に確定していると考えている。― 我々の存念を繰り返し内外に広く送っているが、上記グループからも批判が寄せられず、我々の主張を相当理解され、認めてきていると判断している。
特に二人の研究者はゼロ除算と物理学の関係を 人生をかけて、研究しているように見えるほど、研究活動が活発である。ところが繰り返し確認しているが、この二人はゼロ除算の定義、0/0の定義は何かとの質問に 定義はないと繰り返し言明している。それで数学者の立場からは議論はできず、論理的に考えられない状況になってしまう。論理的に矛盾であると言っても自分たちの立場を変えようとしないのである。事実は我々の結果に反して0/0=1 であると物理的な裏付けで主張され、数学がおかしいという考えを抱いていることが分かる。物理的な事実は数学を超えていると考えていることが分かる。多くの数学者はこの辺で交流を打ち切るのが 普通ではないだろうか。- 実際、彼らの理論は数学界でも物理学界でも受け入れられていないようである。
そこで、数学についてそのような視点から考えさせられることがある。いろいろな理論が提起されて、いろいろな結果が導かれる。何をもってそれらを評価し、価値あるものと判断できるかという視点である。公理系や論理も、仮定もいろいろ存在して、様々な研究成果が得られている。ここで、評価をどのようにするかである。ある純粋数学者は人類の名誉のためにこの問題を解いたと表現するが、他の人はそんなことは分からず、また興味も関心もないという。興味、関心の前に 結果そのものが分からないは 今や純粋数学ではほとんどであると言えよう。
数学とは何かを論じ、数学とは関係の集まりであるとして、良い結果とは、
基本的であること、
美しく感動させること、
そして
世の中に良い影響を与えるものとして、
オイラーの公式が数学上の最高の結果であると表現した:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
T. M. Rassias, Editor, Nonlinear Mathematical Analysis and Applications, HadronicPress,Palm Harbor,FL34682-1577,USA:ISBN1-57485-044-X,1998, pp.223–234: Nonlinear transforms and analyticity of functions, Saburou Saitoh.
それで、結局は世界史に貢献できる結果こそが良い結果であると言えよう。
上記物理学者に 理論を越えてそれでは貴方の研究成果の効用、価値はどこにあるのかと 問う。すると反作用で、私たちの研究成果の効用、意義はこうであると応えなければならない。言わば、その証拠を分かり易く、明示する必要がある。- この精神で ゼロ除算の新奇な結果の位置づけ、重要性を説明するために 具体的な証拠を沢山探す必要性に迫られた。
数学者は、数学の自由な精神で自由に研究を進めても良いが、評価を求めるためには得た成果の意義、意味、価値を具体的に示すことが要求されると言える。
そこで、ゼロ除算の重要性を示すために多角的な取り組みを始め、いろいろな表現を考え、意見表明を行っている。数学者の名誉のために、人類の名誉ためにである。― 実際、数学には恥ずかしい初歩的な欠陥があると主張している。さらに、人はゼロ除算の真相から、人間の愚かさを自覚することが出来るから、人間の精神の開放に ゼロ除算は大きく貢献できると考えている。
以 上
再生核研究所声明 397(2017.11.14): 未来に生きる - 生物の本能
天才ガウスは生存中に既に数学界の権威者として高い評価と名声を得ていた。ところが、2000年の伝統を有するユークリッド幾何学とは違った世界、非ユークリッド幾何学を発見して密かに研究を進めていた。この事実を繰り返し気にしてきたが、ガウスは結果を公表すると 世情か混乱するのを畏れて公表をためらい、密かに研究を続けていた。ガウスの予想のように、独立に非ユークリッド幾何学を発見、研究を行って公表した、数学者ロバチェスキー と若きヤーノス・ボヤイは 当時の学界から強い批判を受けてしまった。
ガウスの心境は、十分にやることがあって、名声も十分得ている、ここで騒ぎを起こすより、研究を進めた方が楽しく、また将来に遺産を沢山生産できると考えたのではないだろうか。現在の状況より、歴史上に存在する自分の姿の方に 重きが移っていたのではないだろうか。
このような心理、心境は研究者や芸術家に普遍的に存在する未来に生きる姿とも言える。いろいろな ちやほや活動、形式的な活動よりは 真智への愛に殉じて、余計なことに心を乱され、時間を失うのを嫌い ひたすらに研究活動に励み、仕事の大成に心がける、未来に生きる姿といえる。
しかしながら、この未来に生きるは 実は当たり前で、生物の本能であることが分る。世に自分よりは子供が大事は 切ない生物の本能である。短い自己の時間より、より永い未来を有する子供に夢を託して、夢と希望を抱いて生きるは 生物の本能の基本である。生物は未来、未来と向かっているとも言える。
そこで、ゼロ除算が拓いた新しい世界観に触れて置きたい。未来、未来と志向した先には何が有るだろうか。永遠の先が 実は存在していた。それは、実は始めに飛んでいた。
そこから物語を始めれば、実はまた 現在に戻り、未来も過去も同じような存在であると言える。- これは、現在は未来のために在るのではなく、未来も現在も同じようなものであることを示している。
現在は 過去と未来の固有な、調和ある存在こそが大事である。将来のためではなく、現在は現在で大事であり、現在を良く生きることこそ 大事である。ガウスについていえば、ちょうどよく上手く生きたと評価されるだろう。- ただ人生を掛けて非ユークリッド幾何学にかけた若き数学者の研究を励まさず、若き数学者を失望させたことは 誠に残念な偉大なる数学者の汚点であることを指摘しなければならない。
以 上
再生核研究所声明 395(2017.11.5): ゼロ除算物語 - 記録、回想
ゼロで割る問題は、ゼロ除算は 2014.2.2 友人二人に100/0=0を認識したとメールしてから、面白いいろいろな経過があって発展している。 再生核研究所声明や解説などで経過を述べてきたが、印象深い事実をできるだけ事実として記録して置きたい。文献は整理して保管するように整理して置きたい。事実を記録するため、以下詳しい記録は特別な仲間以外は この世を去って3年間は未公開としたい。絶えずできるだけ更新、記録を随時追加していきたい。
2017.11.05.05:40 晴天
0 件のコメント:
コメントを投稿