1200年前の地震 発掘が証す災害に学ぶ
1月23日に起こった草津白根山の本白根山の噴火により、自然災害の恐ろしさを思い知らされた。そして、過去の歴史に学ぶことの大切さをあらためて感じている。
「群馬は大きな災害がなくて良い所だ」という声をよく耳にする。確かに、冬から春にかけての大風を除けば、日照率も高く、四季が楽しめて、暮らしやすい場所である。しかし、これまでの群馬の歴史をたどってみれば、自然災害は決して少ない所ではないことがわかる。
発掘調査は地表ではわからなかった情報を、地中から導き出すことができる。ここ40年ほどの間に、さまざまな開発事業に伴って発掘調査が行われた。これによって群馬県地域も浅間山、榛名山の噴火や赤城山南麓を中心とした地震で、大きな被害を受けていたことが分かってきたのだ。
特に、平安時代の浅間山の噴火によって、現在の高崎市を中心とした県内平野部の水田は火山灰や軽石で埋め尽くされてしまった。この時に降り積もった火山噴出物を取り除くと、水田や畑が被害にあった時の状況そのままに姿を現してくるのだ。
右大臣藤原宗忠の日記『中右記(ちゅうゆうき)』に、上野国(現群馬県)からの報告として、天仁元(1108)年に浅間山が爆発し、砂礫(されき)が国中に降り注いだことが記されており、発掘で見つかった噴出物はこの時のものであることがわかった。
さらに、地震については、赤城山南麓の旧新里村や前橋市などで広範囲にその痕跡が見つかっている。厚く堆積した土砂を取り除くと、山が崩れ、河川が氾濫した様子がわかり、地割れや噴砂なども見つかって、平安時代の地震による被害と考えられた。
この事実を裏付ける資料が残っている。学問の神様といわれる菅原道真が、それまでの『日本書紀』などの正史の内容を部門ごとにまとめた『類聚国史(るいじゅうこくし)』という書物がある。それの地震に関する部分に、弘仁9(818)年7月に群馬県を中心とする関東地方で地震が起こり、山が崩れ、いくつかの里は埋まってしまい、多くの犠牲を出した状況が記されている。これも記録と実際の発掘調査で得られた事実が一致しているのだ。
ところで、上野国分寺跡からは多胡郡の郷名と人名が書かれた瓦がたくさん見つかっている。これは、9世紀の修造時の瓦であり、弘仁地震による堂塔の破損に対して、多胡郡から大量の瓦が寄進されたとも考えられる。その背景には、地震が起こる前年に、伝教大師最澄が緑野寺(浄法寺、旧鬼石町)で布教活動を行ったように、当地域での信仰の高まりがあったのだろう。
発掘調査の成果から過去の自然災害を知り、そこから学んだことを将来の防災に役立てていかねばならない。今年は弘仁地震から、ちょうど1200年目にあたる。
「群馬は大きな災害がなくて良い所だ」という声をよく耳にする。確かに、冬から春にかけての大風を除けば、日照率も高く、四季が楽しめて、暮らしやすい場所である。しかし、これまでの群馬の歴史をたどってみれば、自然災害は決して少ない所ではないことがわかる。
発掘調査は地表ではわからなかった情報を、地中から導き出すことができる。ここ40年ほどの間に、さまざまな開発事業に伴って発掘調査が行われた。これによって群馬県地域も浅間山、榛名山の噴火や赤城山南麓を中心とした地震で、大きな被害を受けていたことが分かってきたのだ。
特に、平安時代の浅間山の噴火によって、現在の高崎市を中心とした県内平野部の水田は火山灰や軽石で埋め尽くされてしまった。この時に降り積もった火山噴出物を取り除くと、水田や畑が被害にあった時の状況そのままに姿を現してくるのだ。
右大臣藤原宗忠の日記『中右記(ちゅうゆうき)』に、上野国(現群馬県)からの報告として、天仁元(1108)年に浅間山が爆発し、砂礫(されき)が国中に降り注いだことが記されており、発掘で見つかった噴出物はこの時のものであることがわかった。
さらに、地震については、赤城山南麓の旧新里村や前橋市などで広範囲にその痕跡が見つかっている。厚く堆積した土砂を取り除くと、山が崩れ、河川が氾濫した様子がわかり、地割れや噴砂なども見つかって、平安時代の地震による被害と考えられた。
この事実を裏付ける資料が残っている。学問の神様といわれる菅原道真が、それまでの『日本書紀』などの正史の内容を部門ごとにまとめた『類聚国史(るいじゅうこくし)』という書物がある。それの地震に関する部分に、弘仁9(818)年7月に群馬県を中心とする関東地方で地震が起こり、山が崩れ、いくつかの里は埋まってしまい、多くの犠牲を出した状況が記されている。これも記録と実際の発掘調査で得られた事実が一致しているのだ。
ところで、上野国分寺跡からは多胡郡の郷名と人名が書かれた瓦がたくさん見つかっている。これは、9世紀の修造時の瓦であり、弘仁地震による堂塔の破損に対して、多胡郡から大量の瓦が寄進されたとも考えられる。その背景には、地震が起こる前年に、伝教大師最澄が緑野寺(浄法寺、旧鬼石町)で布教活動を行ったように、当地域での信仰の高まりがあったのだろう。
発掘調査の成果から過去の自然災害を知り、そこから学んだことを将来の防災に役立てていかねばならない。今年は弘仁地震から、ちょうど1200年目にあたる。
上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会調査研究部会員 松田猛 高崎市上里見町
【略歴】県教委文化財保護課で埋蔵文化財や史跡を担当、県史編さん室で通史編2を編集した。小中学校の教諭も務め、高崎多胡小校長で退職。群馬大教育学部卒。
2018/03/05掲載
とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年を超えました:
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上
再生核研究所声明 53(2011.3.24): 世界の軍隊を地球防衛軍に
再生核研究所は、世界史の進化を求め、輝く未来を、時代の夜明けを切り拓くべく、世界史の進化の方向や軍事や防衛の在りようについても具体的に提案している:
再生核研究所声明8:日本国の防衛の在り方について
再生核研究所声明10:絶対的な世界の平和の為に
再生核研究所声明11: 国の構成について
再生核研究所声明13:第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明10:絶対的な世界の平和の為に
再生核研究所声明11: 国の構成について
再生核研究所声明13:第1原理 ― 最も大事なこと
再生核研究所声明32:夜明け -- ノアの方舟
再生核研究所声明41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
とりわけ、人類の生存は 最も大事なこと として、かけがいのない地球 の生態系を保持して、生命の存続に先ず、心がけるべきである。 人類が生存できなければ、結局は 学問、芸術など全ては空しくなる (生命の基本定理)。
今般、日本国を襲った巨大地震に対して、世界各地から寄せられた連帯の暖かい精神に動かされて、 全体について、軍隊の在りようについて改めて考察したい。
如何なる国家も、適正な軍隊を保持するのは、当然であり、暴力から、国の安全を保証したいと考えるは自然であり、国家秩序の保持にも必要である。 特に、おかしな指導者や国家の暴力に対して、それを国際社会が連帯して、いつでも排除できるような体制は、当然必要である。
先ず、確認したい。 正義が、大義が敗北してはならない。
しかしながら、現代の世界を冷静に分析しても、世界には 所謂、軍事関係の設備、施設、人員があまりにも多く、最も進んでいる分野である軍事関係の能力を
1) 災害対策 と
2) 環境の保全
の方向に世界の状況を鑑みながら、積極的に移行することを提案したい。軍隊のように訓練された部隊、組織は、災害時にも環境の保全にも大きく貢献できるが、災害対策や環境の保全の役割をもっと大きくして訓練、設備の充実を図れば、現在より遥かに大きな強力な貢献ができる。更に、自然環境の保全は、究極のそれこそ地球防衛軍の役割ではないだろうか。
世界の軍事関係者は、安全に、生きがいのある、世界史に寄与できるので、このような名誉ある移行を、大いに歓迎するのではないだろうか。軍の廃止ではなく、移行である、より生きがいのある方向への移行である。
今般、日本の大災害に寄せられた、世界の励ましと援助は、世界の情報交流、交換の成果として、世界の連帯の絆の深まりを実感させるものである。 アジアに緊張をもたらす、アジアの愚か者(再生核研究所声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)の精神が 如何に空虚で、実情に合っていないかが 今、明らかになっていると考える。
世界は、連帯していて、運命共同体の かけがいのない地球 を、生態系を大事にすることを訴えます。
実際、地球が壊れてしまえば、何もかも 空しくなる。
人類だけでは、もちろん生きては行けない。
人類こそ、元祖生命体の、責任ある代表者である。
以上
甲状腺機能:子供10人に変化…福島の130人NPO調査
死者・不明者 1万9139人
自殺者数が14年連続で3万人を超える 警察庁が発表
原発事故のセシウム137、広島原爆168個分
福島原発事故による死者は、今後100万人以上と英紙が報道―韓国
セシウム汚染の帯、首都圏に 千葉・埼玉の汚染地図公表
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上
List of division by zero:
\bibitem{os18}
H. Okumura and S. Saitoh,
Remarks for The Twin Circles of Archimedes in a Skewed Arbelos by H. Okumura and M. Watanabe, Forum Geometricorum.
Saburou Saitoh, Mysterious Properties of the Point at Infinity、
arXiv:1712.09467 [math.GM]
arXiv:1712.09467 [math.GM]
Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
The Descartes circles theorem and division by zero calculus. 2017.11.14
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Submitted for publication).
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .
再生核研究所声明 420(2018.3.2): ゼロ除算は正しいですか,合っていますか、信用できますか - 回答
ゼロ除算に 興味を抱いている方の 率直な 疑念です。大きな国際会議で、感情的になって 現代の数学を破壊するもので 全く認められないと発言された方がいる。現代初等数学には基本的な欠陥があって、我々の空間の認識は ユークリッド以来の修正が求められ、初等数学全般の再構成が要求されていると述べている。それで、もちろん、慎重に 慎重に対応しているのは当然である。
本来 数学者は 論理に厳格で 数学の世界ほど 間違えの無い世界は無いと言えるのではないだろうか。 実際、一人前の数学者とは、独自の価値観を有し、論理的な間違いはしない者である と考えられているのではないだろうか。2000年を越える超古典的な数学に反した 新しい世界が現れたので、異常に慎重になり、大丈夫か大丈夫かと4年間を越えて反芻して来た(再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて)。 そこで、ゼロ除算の成果における信頼性を客観的に 疑念に対する回答として纏めて置こう。これらは、貴重な記録になると考えられる。
まず、研究成果は 3年半を越えて、広く公開している:
数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられている:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
また、ohttp://okmr.yamatoblog.net/ に 関連情報を公開している。
ゼロ除算の研究は、内外の研究者に意見を求められながら共同で進め、12編を越える論文を出版確定にしている。日本数学会では6期3年間を越えて関係講演を行い、成果を発表して来た。 またその際、ゼロ除算の解説冊子(2015.1.14付け)を1000部以上広く配布して意見を求めてきたが、論理的な不備などはどこからも指摘されていない。ここ4年間海外の関係専門家と250以上のメールで議論してきた(ある人がそう述べてきた:2018年2月27日 18:45 Since then I have received about 250 messages from you about it. Unbelievable! :2018年2月27日 18:45)が 論理的な不備は指摘されなく、関係者の諒解(理解)が付いていると判断されている。逆に他の理論については 全て具体的に批判し、良くないと述べている。50カ国200名以上参加の大きな国際会議に 全体講演者として招待され、講演を行い、かつ論文がその会議禄に2編Springer社から出版される。公開していたゼロ除算の総合的な研究著書原案154ページに対して、イギリスの出版社が出版を勧め、外部審査、社内審査を終えて、著書の出版を決定している。
ゼロ除算を裏付ける知見は 初等数学全般から700件を超え、公開している。共著者として論文執筆に参加している人は、代表者以外内外8名である。
以上の状況は ゼロ除算の数学的な信用性を裏付けていると考えるが、如何であろうか。
以 上
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