ギリシア
数学は,だれが,いつ,どこで作ったか──てのは,ヘンな疑問です。だって,「国語」はだれがいつどこで作ったか,なんてふつう考えないでしょ。考える?
人類の祖先が進化の途中でサルの祖先から別れたあとには,じつにいろんなことがありました。たとえば,人間は羊やら牛やらの家畜を飼うようになった。飼ってる家畜が逃げてないかどうかを確かめるには,数をかぞえなくちゃいけません。じゃあ,初めて数をかぞえたのは,いったいどこのだれだったのか? これは,分かりません。記録が残ってないから分からないわけです。また,人類の祖先は,森を切りひらいて畑を作りはじめました。A さんの畑と B さんの畑はどっちが広いのか? それを比べるには,面積を求めなくちゃいけません。じゃあ,だれが初めて長方形の面積を求めたのか? これも分かりません。頑丈な家を建てるためには,空間図形の知識が必要ですが,そういった知識の始まりについても分かりません。
なのに,数学はふつう,古代ギリシアで始まったと言われます。だれが──タレスやピタゴラスといった古代ギリシアの人たちが,いつ──彼らの生きた紀元前6世紀ころ,どこで──地中海(ヨーロッパとアフリカとアジアに囲まれた内海)沿岸で,数学を作った,というふうに。なんでだろう? 数学は英語で mathematics といいますが,これは元々ギリシア語で「学ぶべき事柄」という意味です。日本語にある「数」という意味が,英語やギリシア語にはないんです。それはともかく,語源がギリシア語だからといって,数学がギリシアで生まれたと断定するわけにはいきません。ギリシアで数学が始まったとされる理由は,いくつか言われています:
- 実用の目的を離れて,図形や数そのものが興味の対象となった。「羊を数えるために」数をかぞえるとか,「畑の広さを測るために」面積を求めるんじゃなくて,そもそも数にはどういう性質があるか,三角形にはどういう性質があるかと考えるようになった,というわけです。
- 水準が高い。上の理由だと,実際には,どこまでが「実用目的」でどこからが「図形や数そのもの」なのか,境界線を引きにくいんです。その点,古代ギリシアの文明は紀元前6世紀にピタゴラスの定理[中学3年生で学習する三平方の定理の別名]を生みだしてるくらいだから,圧倒的に水準が高いんです。
- 当時から伝わる書物が存在している。上の理由だと,実際には,どこからが「高水準」なのか,境界線を引きにくいんです。その点,古代ギリシア文明には,エウクレイデス[英語読みでユークリッド]が紀元前3世紀に書いた全13巻の『ストイケイア』[原理]という本があります。それは,当時までの古代ギリシア数学にエウクレイデス自身の発見を加えた集大成本で,現在わたしたちが勉強している数学と同じように,定義,公理[要請ともいわれる]から始まって,体系的に並べられた各々の定理が証明されています。たしかに,紀元前3世紀──日本でいうと縄文時代──にそんな高水準の数学の本を残している文明はほかにないので,数学は古代ギリシアで始まったと言っていいだろう,というわけです。
- 昔から,そういうことになっている。上では「本」が伝わってることを理由に挙げてますが,ギリシア文明より古いバビロニア文明[現在のイラクにあった古代文明]の遺跡からは,数学についての知識を記した「粘土板」が発掘されています。当時はまだ紙が発明されてませんでしたから,バビロニア文明では,大切な事柄を粘土に刻んで,乾燥させて保存してたんです。じゃあ,なぜそれを数学の始まりとしないのか? うーん,よわった。それはだね,アリストテレスという古代の哲学者が,タレス[さっき数学の祖としたタレス]を最初の哲学者と呼んでいるので,それにならって,タレスを最初の数学者ってみんな言ってるわけなんだな。ただ問題は,アリストテレス自身もまた古代ギリシア人だから,知らず知らずのうちにギリシアの味方をしていたかもしれないわけで,そうすると……。
と考えていくと,やはり「数学」も「国語」と同じように,だれが,いつ,どこで作ったか分からなくなってきました。まあ,いいや。きみたちが大人になったころには,歴史の研究が進んで,数学の始まりは古代ギリシア[ヨーロッパ]以前にあったということになってるかもしれません。実際,数学の祖とされるタレスは,メソポタミア[アジア]やエジプト[アフリカ]を旅していろんなことを学んだと,いまの時点でさえ分かっています。とくに,古代エジプトでは,タレス以前から測地術が発達していました。古代エジプトでは,ナイル河が定期的に氾濫して,上流の天然肥料を下流の畑に運んでくれてました。けれど,氾濫した泥水が引いたあと,畑を元の区画に戻さなければなりません。そのためには,土地に境界線を引くための知識が必要でした。そこで,古代エジプト社会は,三角形や四角形など図形についての知識が豊富だったと考えられています。数学の,図形にかかわる分野は,英語で geometry といいますが,ge はギリシア語の「土地」,metry はギリシア語の「測る」に由来しています。つまり,古代エジプトの「測地術」がギリシアに伝わって数学に変わった,という程度のことは,いまでも分かっているわけです。ちなみに,geometry は日本語で幾何学(きかがく)といいます。
アラビア
数学には,図形にかかわる幾何学(geometry)と並んで,計算や方程式にかかわる代数学(algebra)という分野があります。幾何学を生んだ文明がギリシアならば,代数学を生んだのはアラビアのイスラム文明です。Algebra の語頭の al- はアラビア語の冠詞で,アルカリ,アルコール,アルゴリズム(計算法)なども元はアラビア語です。「一,二,三,…」という数字を漢数字と呼ぶのにたいして,「1,2,3,…」という数字はアラビア数字(または算用数字)と呼ばれています(もっとも,これらの数字はインド起源です。アラビアからヨーロッパに伝わったので,ヨーロッパ人が「アラビア数字」と呼びはじめたわけです)。
フワーリズミーは9世紀に,きみたちが中学1年生で勉強する1次方程式の解きかた,そして中学3年生で勉強する2次方程式の解きかたを,書物に記しています。9世紀は,日本でいうと平安時代。フワーリズミーは,現在のイラクの首都バクダードで暮らしていました。彼の書いた本の題名は『アル=ジャブルとアル=ムカーバラの書』といいます。ワタシはアラビア語が分かりませんが,「アル=ジャブル」は「移項」,「アル=ムカーバラ」は「消去」という意味だそうです。この「アル=ジャブル」がヨーロッパに伝わったときに訛って,さっき言った algebra になりました。つまり,代数学(algebra)の語源は,「移項」です。
近代ヨーロッパ
アラビアの代数学は,やがてイタリアに伝わります。それとともに,「アラビア数字」もヨーロッパで使われだしました。しかし,私たちがその時代の数学(代数学)の本を開いてみても,数学の本に見えないかもしれません。私たちが使っている記号が,そのころまだ発明されてなかったからです。
いま私たちは,+,-,×,÷,= などの記号をあたりまえのように使ってますが,こういった記号は,15世紀から17世紀のヨーロッパで徐々に発明されたものです。方程式の考えかたはフワーリズミー以来ありましたが,私たちがいましてるように,方程式の未知数を x で表すことに決めたのは,17世紀フランスのデカルトです。
現在私たちが使っている数学の記号のほとんどは,近代ヨーロッパの人々が工夫を重ねて考案したものです。ですから,数学の記号は,ヨーロッパの諸国語──英語もそのひとつです──を読み書きする人々にとって使いやすく作られています。たとえば,数式を左から右に書くというのは,その一例です。もし中国人や日本人が数学の記号を考案していたならば,中国語や日本語の本来の書きかたと同じように,数式も縦書きになっていたことでしょう。アラビア語は右から左に書きますから,もしアラビア語を読み書きする人々が数式の書きかたを決めていたならば,いまと逆向きの横書きだったにちがいありません。また,日本語の述語は文末に来ますが,ヨーロッパの諸国語では,多くの場合,動詞は主語の次に来ます。そのため,たとえば,
x2 + x + 1 > x3 + 2x2 − 11x + 1
を日本語で正式に読むと,「x2 + x + 1 は,x3 + 2x2 − 11x + 1 より大きい」となって,記号「>」を単独でどう読むべきかよく分かりません。一方,英語では,x2 + x + 1 is larger than x3 + 2x2 − 11x + 1. ですから,「>」を is larger than と読むと覚えておけば,書いてある順に式を読むことができます。
ヨーロッパ人,ずるい? まあ,しっかり英語も勉強してください。
とても興味深く読みました:
\documentclass[12pt]{article}
\usepackage{latexsym,amsmath,amssymb,amsfonts,amstext,amsthm}
\numberwithin{equation}{section}
\begin{document}
\title{\bf Announcement 362: Discovery of the division by zero as \\
$0/0=1/0=z/0=0$\\
(2017.5.5)}
\author{{\it Institute of Reproducing Kernels}\\
Kawauchi-cho, 5-1648-16,\\
Kiryu 376-0041, Japan\\
}
\date{\today}
\maketitle
{\bf Statement: } The Institute of Reproducing Kernels declares that the division by zero was discovered as $0/0=1/0=z/0=0$ in a natural sense on 2014.2.2. The result shows a new basic idea on the universe and space since Aristotelēs (BC384 - BC322) and Euclid (BC 3 Century - ), and the division by zero is since Brahmagupta (598 - 668 ?).
In particular, Brahmagupta defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628), however, our world history stated that his definition $0/0=0$ is wrong over 1300 years, but, we will see that his definition is suitable.
For the details, see the references and the site: http://okmr.yamatoblog.net/
\bibliographystyle{plain}
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Announcement 247 (2015.9.22): The gradient of y-axis is zero and $\tan (\pi/2) =0$ by the division by zero $1/0=0$.
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Announcement 252 (2015.11.1): Circles and
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Hiroshi Michiwaki of the division by
zero $r/0 = 0$.
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Announcement 281 (2016.2.1): The importance of the division by zero $z/0=0$.
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Announcement 282 (2016.2.2): The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday.
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Announcement 293 (2016.3.27): Parallel lines on the Euclidean plane from the viewpoint of division by zero 1/0=0.
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Announcement 300 (2016.05.22): New challenges on the division by zero z/0=0.
\bibitem{ann326}
Announcement 326 (2016.10.17): The division by zero z/0=0 - its impact to human beings through education and research.
\bibitem{ann352}
Announcement 352(2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0.
\bibitem{ann354}
Announcement 354(2017.2.8): What are $n = 2,1,0$ regular polygons inscribed in a disc? -- relations of $0$ and infinity.
\end{thebibliography}
\end{document}
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。