中学数学の広がり…フェルマーの最終定理
中学3年の冬には「三平方の定理」を勉強する。「直角三角形の斜辺の平方(2乗)が他の2辺の平方の和に等しい」という定理だ。平方が3つあるので三平方の定理という。この定理はピタゴラスが初めて証明したので、「ピタゴラスの定理」とも言われる。ところでこの等式には、3辺が整数である特別な場合がいくつか知られている。受験生諸君にはおなじみの3:4:5や 5:12:13である。しかし1:1:√2や1:√3:2は無理数が含まれるので整数解ではない。実はピタゴラスの定理の場合、整数解が無数に存在することが証明できる。
この話を少し膨らませて別の問題を考えてみよう。まず、直角三角形のことは忘れて、等式だけに注目する。「ピタゴラスの定理の等式で指数の平方(2乗)を立法(3乗)か、それ以上の指数に置き換えたとき、整数解が存在するか?」という問題である。この問題に、17世紀の法律家であるフェルマーが「存在しない」ことを予想した。
この人物にとって数学は趣味のようなもので、本業は弁護士である。彼は多くの数学者と文通しながら、手紙の中で自分の得た結果を紹介していった。当時の代表的な数学者といえばデカルトやパスカルだが、彼らとも文通し、論争し、共同研究を持ちかけたこともあるようだ。その後、微分積分学の創設者として知られるニュートンは、微分法の考え方はフェルマーの接線の求め方にヒントを得た、といっている。したがって、趣味の数学とはいえ、そのレベルは時代の最先端をいくものであったことが分かる。
ところが彼は自分の論文を一切発表していない。ただ愛読書であったディオファントスの『算術』の余白に48の書き込みを残しただけだった。1665年永眠した後、彼の息子サムエル・ド・フェルマーは、父の業績が散逸するのを恐れて、『算術』を再版し、その付録として、父の48の書き込みを発表した。1670年のことである。これによってフェルマーの業績は後世の人々に知られることになった。先ほどの問題はその中の1つである。
多くの数学者が48の問題に挑戦し解決していった。たが最後にこの問題が残された。このフェルマーの最終定理は結局350年間、誰にも解決できなかった。そして紆余曲折を経て1995年、ワイルスとテイラーによって完全に証明された。この証明は「谷山=志村=ヴェイユ予想」を解決することによってなされたので、この3人も偉業にかかわったといえる。
彼ら以外にもこの問題には多くの人々がかかわっている。またこの問題解決のためにさまざまな数学理論が創られ、そして利用された。ワイルスたちが証明のために使った理論は、楕円関数、ゼータ関数、セルマー数、ヘッケ環、エタールコホモロジ-、 p進体、類体論、ホッジ理論、アーベル多様体……。聞いたこともない意味不明の単語が続く。天才ガウスは、この問題とは距離を置いて直接かかわらなかったが、彼が考えた環や複素関数は使われている。
この何の役に立つのかも分からないような問題に、なぜこれほど多くの人々が没頭し、人生をささげたのか、疑問に思う人は少なくないであろう。しかし、何の役に立つのか分からない難問に多くの人々が挑戦し続けた結果、飛躍的に数学自体が発展した。困難があればそれを克服したいと思うのは人間の本性である。
ある数学者は「これで宇宙人が来ても、地球人は恥ずかしい思いをしなくてもすむ」といったそうだ。
ゼロ除算はどうでしょうか:
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
再生核研究所声明308(2016.06.27)
ゼロ除算とは何か、始めてのゼロ除算、ゼロで割ること
相当な記録、解説が蓄積されてきたので、外観する意味で表題の下で簡単に纏めて置こう。
先ず、ゼロ除算とは 加,減,乗,除の四則演算において 割る時にどうしてゼロで割れないかの問題を広く表す。ゼロで割ることを考えることである。西暦628年インドでゼロが文献上の記録として現れて以来議論されてきた。ある専門家によればアリストテレスが物理的にゼロ除算を最初に考え、不可能であるとされたという。割り算を掛け算の逆と考えれば、ゼロで割ることは 割られる数がゼロでなければ、不可能であることが簡単に証明されてしまうが、物理法則などには、分数式が現れて、分母がゼロである場合興味深いとして、現代でもいろいろ問題にされ、インターネット上をにぎわしている。この件では、ブラックホールの理論や相対性理論の関係からアインシュタインの人生最大の懸案の問題であるという言葉に象徴される。他の大きな関心として、計算機がゼロ除算にあって計算機障害を起こした事件から、ゼロ除算障害回避を目指して新しい数体系を考えている相当なグループが存在する。
このような永い歴史に対して、ゼロ除算を可能にする自然で簡単な体系が山田体として確立され、四則演算は 簡単な修正で ゼロ除算を含めていつでも可能であることが明らかになった。しかしながら、ここには分数,割り算の意味を自然に拡張して、可能になったという、新しい概念があるので、扱いには大いに気を付ける必要がある。分母がゼロである場合、ある意味で考えられるという、考え方である。ここは、従来、分数で、分母がゼロになる場合、微分学の基礎概念である、極限で考えるに対して、新しい意味付けを与える方法が発見された。これは、無限級数f(x) = \sum_{n= -\infty}^{\infty} C_n (x –a)^n に対して f(a)=C_0 と簡単に述べられる。具体例で述べれば、関数e^{xt}/(x^2)の原点における値はt^2/2として,関数cos(xt)/(x^3)の原点での値は恒等的にゼロとして意味を有する。このような値の実際的な意味が、幾何学、解析学、解析幾何学,微分方程式など広範に現れて、従来分母がゼロになる場合に避けてきたところ、いろいろな意味と解釈が可能であることが分かってきた。
新しい、状況とは何かであるが、第一には、我々の空間に対する考えに新しい世界が現れたことである。基本的な関数y=1/z の原点での値がゼロと定義されることから、従来無限遠点.無限と考えられていた想像上の点が 実はゼロで表されることになる。そこで、無限が関与する数学が改められることである。極限値として、+、マイナス、無限、あるいは複素平面で、無限は考えられるが、それらは定まった数ではなく、定まった数としての無限の存在を否定する数学になっている。
それで、古典的な結果、原点の原点に中心をもつ円に関する鏡像は 無限遠点ではなく、ゼロであること、無限遠点はゼロで表されることなど、 基本的な変更が 要求される。ゼロ除算は可能であり、我々の空間の認識は間違っているということになる。
解析関数は孤立特異点で、極と言って、無限遠点の値を取るという考えは改められ、特異点の近くで、幾らでも無限遠点の近くの値を取るものの、特異点では、有限確定値を取ると改められる。
このような有限確定値の具体的な意味付けがいろいろ現れた。顕著な例は、(x,y) 直交座標系で y軸の勾配はゼロで、微分学で微分係数が +、マイナス、無限として極限値が存在するとき、その時、微分係数はゼロであると定義すると、解析学も幾何学も上手く調和して、微分学の多くの公式が付加条件なしに一般的に成り立ち、解析幾何学と調和がとれていることが明らかにされた。数学の相当な部分の修正が必要であり、数学をより美しく、統一的にスッキリと纏められる。
典型的な例として、半径Rの円を考えてRを無限に飛ばすことを考えると、円の面積は当然、限りなく大きくなるが、Rが更には大きくできないとき、円の面積は突然ゼロになることが、解析幾何学とゼロ除算で導かれた。これはRが更には大きくできないときが、円板が半空間、円が直線になる場合で、半平面の面積がゼロであることを示している。このことはある大きな世界を覗かせていて、破壊現象の記述や無限の考え方に大きな変革をもたらす。平行線の概念と空間の概念は、新しい世界観であるから、次でより詳しく触れている:
再生核研究所声明306(2016.06.21)平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算
以 上
再生核研究所声明255 (2015.11.3) 神は、平均値として関数値を認識する
(2015.10.30.07:40
朝食後 散歩中突然考えが閃いて、懸案の問題が解決した:
どうして、ゼロ除算では、ローラン展開の正則部の値が 極の値になるのか?
そして、一般に関数値とは何か 想いを巡らしていた。
解決は、驚く程 自分の愚かさを示していると呆れる。 解は 神は、平均値として関数値を認識すると纏められる。実際、解析関数の場合、上記孤立特異点での関数値は、正則の時と全く同じく コ-シーの積分表示で表されている。 解析関数ではコ-シーの積分表示で定義すれば、それは平均値になっており、この意味で考えれば、解析関数は孤立特異点でも 関数値は 拡張されることになる ― 原稿には書いてあるが、認識していなかった。
連続関数などでも関数値の定義は そのまま成り立つ。平均値が定義されない場合には、いろいろな意味での平均値を考えれば良いとなる。解析関数の場合の微分値も同じように重み付き平均値の意味で、統一的に定義でき、拡張される。 いわゆるくりこみ理論で無限値(部)を避けて有限値を捉える操作は、この一般的な原理で捉えられるのではないだろうか。2015.10.30.08:25)
上記のようにメモを取ったのであるが、基本的な概念、関数値とは何かと問うたのである。関数値とは、関数の値のことで、数に数を対応させるとき、その対応を与えるのが関数でよく f 等で表され x 座標の点 x をy 座標の点 yに対応させるのが関数 y = f(x) で、放物線を表す2次関数 y=x^2, 直角双曲線を表す分数関数 y=1/x 等が典型的な例である。ここでは 関数の値 f(x) とは何かと問うたものである。結論を端的に表現するために、関数y=1/xの原点x=0における値を問題にしよう。 このグラフを思い出して、多くの人は困惑するだろう。なぜならば、x が正の方からゼロに近づけば 正の無限に発散し、xが負の方からゼロに近づけば負の無限大に発散するからである。最近発見されたゼロ除算、ゼロで割ることは、その関数値をゼロと解釈すれば良いという簡単なことを言っていて、ゼロ除算はそれを定義とすれば、ゼロ除算は 現代数学の中で未知の世界を拓くと述べてきた。しかし、これは誰でも直感するように、値ゼロは、 原点の周りの値の平均値であることを知り、この定義は自然なものであると 発見初期から認識されてきた。ところが、他方、極めて具体的な解析関数 W = e^{1/z} = 1 + 1/z + 1/2!z^2 + 1/3!z^3 +……. の点 z=0 における値がゼロ除算の結果1であるという結果に接して、人は驚嘆したものと考えられる。複素解析学では、無限位数の極、無限遠点の値を取ると考えられてきたからである。しかしながら、上記の考え、平均値で考えれば、値1をとることが 明確に分かる。実際、原点のコーシー積分表示をこの関数に適用すれば、値1が出てくることが簡単に分かる。そもそも、コーシー積分表示とは 関数の積分路上(簡単に点の周りの円周上での、 小さな円の取り方によらずに定まる)で平均値を取っていることに気づけば良い。
そこで、一般に関数値とは、考えている点の周りの平均値で定義するという原理を考える。
解析関数では 平均値が上手く定義できるから、孤立特異点で、逆に平均値で定義して、関数を拡張できる。しかし、解析的に延長されているとは言えないことに注意して置きたい。 連続関数などは 平均値が定義できるので、関数値の概念は 今までの関数値と同じ意味を有する。関数族では 平均値が上手く定義できない場合もあるが、そのような場合には、平均値のいろいろな考え方によって、関数値の意味が異なると考えよう。この先に、各論の問題が派生する。
以 上
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
再生核研究所声明343(2017.1.10)オイラーとアインシュタイン
世界史に大きな影響を与えた人物と業績について
再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教
で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。
オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質はエネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:
Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上
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