《古今数学思想》读书笔记(五)
第三章:古典希腊数学的产生。本篇记录柏拉图的学院(Academy)派。
柏拉图学派
北非昔兰尼(Cyrene)地方的特奥多鲁斯(Theodorus,生于公元前470年左右)和意大利南部太兰吐姆的阿基塔斯是毕达哥拉斯派学者,并且都教过柏拉图。他们的教导可能使整个柏拉图学派受到毕达哥拉斯派的强烈影响。
“柏拉图出生于名门,早年有政治抱负。但苏格拉底的命运使他深信有良心的人不能搞政治。”按:柏拉图的导师苏格拉底被雅典群众民主地判了死刑,这使古往今来的许多精英对民主心存疑虑。
“公元前387年左右他在雅典成立学院,它在好多方面像现代的大学。学院有场地、房屋、学生,并有柏拉图及其助手讲授的正式课程。在古希腊时期,数学和哲学是学院里所喜爱的学科。数学的主要活动中心虽在公元前300年左右移到亚历山大,但在整个亚历山大时代学院派仍旧领导哲学界。学院维持了九百年之久,直到529年因它传授‘异端邪说’被信奉基督教的罗马王查士丁尼(Justinian)查封。”按:柏拉图对教育的贡献堪比孔子,伟哉!据说欧几里得就是柏拉图学院教育出来的。基督教和东罗马皇帝查士丁尼是文化的罪人。天地有正气,杂然赋流形。下则为河岳,上则为日星。是气所磅礴,凛烈万古存。当其贯日月,生死安足论!
“柏拉图和他的后继者无疑是把数学概念看作抽象物的。”柏拉图《理想国》(Republic)中苏格拉底对格劳孔(Glaucon)的一段话:“哲学家必须跳出茫如大海的万变现象而抓住真正的实质,所以他必须是个算术家……这是使灵魂从暂存过渡到真理和永存的捷径……算术有很伟大和崇高的作用,它迫使灵魂用抽象的数来进行推理,而厌弃在辩论中引入可见和可捉摸的对象……”按:这是一个重要的进步,从此以后就可以不断从数学对象中发现新结构,从新结构中又提炼出新的数学对象,循环上升不已。从加减乘除到令普通人瞠目的微积分、群论,这中间有多大的跨度!
柏拉图把数学思想当作进入哲学的阶梯。“数学家所处理的抽象观念跟其它的抽象观念,比如善良和公正,是同一类的,而了解这两者乃是柏拉图哲学的目标。数学是认识理想世界的准备工具。……他们设想理想的社会和完善的国家。……唯有理想世界以及理想间的关系才是永恒的,不受时代影响的,不朽的,而且是普遍的。物理世界是理想世界的不完善的体现,因而它是会枯朽的,所以只有理想世界才值得进行研究。”按:这是对物理世界的根本误解,数学概念跟善良、公正也完全不是同一类。现代的自然科学家正好反过来,把物理世界作为最高的研究对象,判断理论正误最终是看是否符合实验。柏拉图学派的这个错误造成了严重的后果,只承认从概念到概念的演绎法,不承认对自然现象的归纳、观察和实验,在上千年的时间里阻碍了自然科学的发展。但它对数学的促进作用还是应该肯定的。
“普罗克洛斯和第欧根尼(Diogenes Laertius,3世纪)把两类方法论归功于柏拉图学派。第一类是分析方法,用这方法时,我们把待证的事项作为已知,然后由此推导出一些结论,直到得出一个已知的真理或得到矛盾。若得出矛盾,则待证的结论谬误。若得出一个已知真理,则(如若可能)便把推理步骤倒过来,于是就作出证明。第二类是归谬法或间接法。”按:还记得中学课堂上数学老师讲这两种证明方法吗?
柏拉图在《理想国》(第VI篇,510节)中论演绎结构:“你们知道几何、算术和有关科学的学生,在他们的各科分支里,假定奇数和偶数、图形以及三种类型的角等是已知的;这些是他们的假设,是大家认为他们以及所有人都知道的事,因而认为是无需向他们自己或向别人再作任何交代的;但他们是从这些事实出发的,并以前后一贯的方式往下推,直到得出结论。”
“柏拉图的学院里曾提出过这样的疑问,即根据已知的事实和问题中给定的假设,所给问题究竟是否可解。”按:解的存在性!别的文明有没有研究过?
为什么希腊人只用演绎法,而排斥归纳、观察和实验?一方面是哲学家只关心真理,而归纳不能给出确定无疑的结果。另一个原因可能是古希腊享受教育的阶级轻视实际事务。“雅典虽是商业中心,但从事商业和医药之类行业的是奴隶阶级。柏拉图坚决主张自由民搞买卖应看作是犯罪而要受到惩罚,亚里士多德也说在完善的国家里公民(相对于奴隶而言)不应该搞机械行业,对于这种社会里的思想家来说,实验和观察就成为陌生的事。”按:跟中国古代相似!
公元前6和5世纪时,希腊人曾把数学应用于实际技术。泰勒斯曾用他的数学知识来改进航海技术。梭伦(Solon)给予匠人以荣誉并宠崇发明者。“Sophia这个希腊字通常用来表示明智和抽象思维,而在当时的意思却是专业技能。据普罗克洛斯说,把‘数学变成自由学科’(即是说,教给自由民的学问而不是传给奴隶的技巧)的正是毕达哥拉斯派人。”按:这样看来,希腊早期的态度是质朴而健康的,晚期却变得精致而脆弱。这是许多文明的共同历程,过于精致意味着完全成熟和到达顶峰,要开始衰败和走下坡路了。中国从先秦诸子、唐诗到《红楼梦》,就是如此。
普鲁塔克(Plutachus)在马塞勒斯(Marcellus)的传记里写出了人们对机械工具的态度是怎样改变的:“欧多克索斯和阿基塔斯……用机械工具来巧妙地说明几何真理……但由于柏拉图对此表示愤慨,并由于他对此大加谴责,说它只不过是搞坏和消灭了几何学的一个优点,使其如此可耻地不顾纯理智的抽象对象,而回复到感性,并求助(这种帮助非得卑躬屈膝丧尽尊严才能获得)于物质。由于这种谴责,……机械学和数学分了家,并由于它被哲学家所蔑弃和忽视,它就只在军事技术上占有地位了。”按:简直可以看到柏拉图如何愤愤地指斥“奇技淫巧”!
柏拉图学派推动了对立体几何的研究。《理想国》第七篇528节说,由于天文学是同运动着的立体打交道的,故在研究天文学以前需要懂得这种立体的科学。他抱怨国家没有支持研究立体图形的人。他们研究了棱柱、棱锥、圆柱和圆锥,而且他们知道正多面体最多只有五种。按:真了不起!即使是现在,又有多少人知道正多面体只有五种?肯定是少数!其他文明对正多面体的研究是什么水平?
柏拉图派最重要的发现是圆锥曲线。倍立方问题可归结为求x和y,使a/x = x/y = y/2a,即x^2 = ay,y^2 = 2ax,xy = 2a^2。因此x和y就是两抛物线的交点或一抛物线与一双曲线的交点的坐标。梅内克缪斯利用直角、锐角、钝角的三种圆锥,再用垂直于锥面一母线的平面来割每个锥面,得到了三种圆锥曲线。
昔兰尼的特奥多鲁斯证明了3、5、7和其它一些数的平方根是无理数。特埃特图斯考察了其它一些属于更高类型的无理数,并将其分类,见欧几里得《几何原本》第十篇。这些不可公度比能用几何方法作为长度画出。按:用现代的语言说,是不是古希腊发现的无理数仅限于代数数,即整系数多项式的根,而不包括真正大部分的超越数?
http://blog.sciencenet.cn/blog-3277323-1035726.html
大変興味深く読みました:プラトン:
再生核研究所声明325(2016.10.14)
ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf DOI:10.12732/ijam.v27i2.9.
*156 Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
(Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URLは
再生核研究所声明327(2016.10.18) 数学教育についての提案
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:
再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神と感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―
と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心 を失なわせ、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。
数学の教育については、下記も参照:
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8) 受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について
以 上
再生核研究所声明331(2016.11.04)
提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305 pp. (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue 1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
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簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更は かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。
偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。
以 上
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