2017年2月17日金曜日

中国古代数学与西方数学有什么不同?

中国古代数学与西方数学有什么不同?

中国古代对于世界的认识是循环闭合的体系,千变万化的现象背后存在着某种联系,它们相互依赖;而西方对于世界的认识是基于直链单向的因果,从一般的抽象化的概念与产生的衍生来解释特殊的现象。这两种思考导致了根本性的区别,那就是中国古代注重对于事物的理解,利用一个现象去解释另一个现象,发掘内在关联;而西方更注重于逻辑,建立一般理论将所有的现象统一于理论之下。进而我们能理解,为何西方可以诞生近代公理化,高度抽象化的数学体系,而中国数学则不成体系,以原始形态呈现在数学家面前。
  基于以上理解,我们不难理解,虽然中西方数学的起源非常类似,都是基于对于生活实践中遇到的问题进行归纳和理性的处理,然而中国数学的发展一直在延续前人的研究传统,即以直观现象或实例为基础,并加以运用。
  需要指出的是,西方近现代数学发展(从16世纪开始),与西方现代科学发展的传统,并非是直接继承从古希腊时期开始,由几何原本奠定下的公理化研究方法。事实上当我们考察无论是近代数学还是物理学的发展之初,都基于对经验事实的依赖和大胆的猜测与想象。从这一点上,中西方差异在于,西方率先使用一般的,抽象的方式来解释特殊问题,坚信世界所有的现象可以被统一在数中。不仅如此,他们善于从复杂的现象中归纳出“优美的性质”,并且坚信优美,简单的理论是世界的终极解释。所以16世纪初,数学与科学的蓬勃发展中,无不透露出对于这种朴素哲学观的贯彻。比如开普勒,早期的天文学,数学的探索者,在其重要著作《世界的和谐》中指出,将天文学与音乐完美结合在一起的可能性,并且被看作是世界的和谐。而这种朴素认识论正是西方近现代科学的开端。
  第二个重要问题是数学体系的建立和推演。必须承认的一点是,在体系的建立和推演上,中西方数学早早地分道扬镳。以《九章算术》为例,从内容上,中国古代数学问题的核心在于对实际问题的解释和再利用,故而卷分类以“方田”,“粟米”,“衰分”“少广”,“商功”等等实际生活场景进行分类。但是从数学内容上,九章算术不仅处理了大量复杂问题,而且包含了重要的哲学思想(如极限,分割,组合等)。最为流传的例子即“祖暅原理”,即判断两个物体的体积相同,可用“幂势既同,则积不容异” 这一原则进行判断,并且利用这个原理求出“牟合方盖”体积(所谓“牟合方盖”是指相同的两个圆柱正交围出的立体形)而这个立体形的体积求解是无法用初等数学解决,严格来说应使用微积分才能完全解决。而从其论述中,我们能看到朴素的积分思想,也展现了古代数学家杰出的数学直觉。同时,在研究的领域上有极大的弹性,从初等代数,初等数论到初等几何学(基于现代数学的观点)中的各个问题都有涉猎,并且给出了认识解决问题的重要思考。如卷八方程篇的开篇问题,即利用方程组思想解决问题,而以西方数学观点来看,所利用的正是高斯消元法。 再如广为乐道的中国剩余定理,以及勾股定理,涉及到了初等数学中大量重要核心命题。但是,从推导上,我们所给出的叙述性解释为主,而并非推导和计算。事实上,在《九章算术》中,只有遇到实际例子和少数公式上会进行计算,而原理性内容作为理解出现。 在这种情况下,数学的发展仅仅依靠极少数数学家不加证明的洞察给出进步,对于体系的发展本身是致命的。
  而在西方,数学的发展在初期也是大胆而富有想象力的,不过他们并没有停留于理解,而是用相对细致的逻辑链组织成数学语言表达出来。数学的活力最早是在艺术家的手上复活,无论是绘画(透视画法对射影几何的影响),音乐理论发展,激发了人们的思维。16,17世纪数学家的工作时常是不严谨,甚至也没有任何数学公理基础的保证,如欧拉关于很多无穷级数的处理,都是基于一些朴素的认识,从形式上获得灵感便不加证明的使用。这个阶段的数学,思想上的推动力其实与中国古代数学家一样,依赖于数学家的直觉进行研究。但是,之所以西方数学在经历相似时期之后有爆炸性发展,原因有二。其一,使用抽象符号对数学进行描述,使得数学从实际问题中解放出来,可以自由地组合,用简单方式刻画复杂事物,发挥想象力,不再受制于具象。其二,相对中国古代数学,西方数学家更重视逻辑链的建立,所以从因到果的过程更细致,为之后的研究打下坚实铺垫。而我们津津乐道的数学公理化与抽象化的工作都不是在早期完成,而是在18世纪开始被越来越多数学家重视。分析学的诞生事实上就是数学家对于精细逻辑链的探索,为微积分打下坚实理论基础,同时揭示了大量显然命题正确性的由来,使得人们对微积分体系认识更为深刻。与此同时物理学的蓬勃发展推动了大量计算技术的发展,将微积分应用至实际研究中去变成了一种共识。进入19世纪后,一方面微积分席卷了几乎原来所有的初等数学分支,另一方面近代代数学的发展提供了抽象工具,如群论,用以解释方程解而诞生的理论,所以接下来发展的数学分支变成了群论,复变函数论,几何学也焕发新的光芒。进入20世纪后,无论是公理化还是抽象化的工作都达到了顶峰,数学家意识到各个数学分支间是有紧密联系的,拓扑学,集合论,抽象代数的发展将零碎的研究和数学分支网罗在相互联系的,统一的架构中,真正成为一套体系。 从这一点上,中国古代数学传统是不可能演化出这样的体系的,其原因不仅仅在于认识论的不同,而是一个更深刻的问题。
  在《世界的重新创造》一文中提出,由于中国文化并未有真正的文化移植而导致中国科学的发展注定是不够好的论点,我是完全支持的。其一,截然不同的文化交流和碰撞会给两个文明都带来新的启示。其二,西方的文字系统更适合抽象性思维,而汉语由于其强大的组合能力和良好的直观性导致并未产生新的符号系统对数学进行描述,故而也很难进行复杂抽象的计算与推导。但是笔者认为,关键问题在于,为何中国古代数学与西方数学体系为何没有发生碰撞。从历史时期上来说,中国数学发展和西方数学发展存在一个大的时间差。中国数学的研究发源早,公元三世纪就已经有杰出的数学成果(九章算术最早成书亦是此时,由刘徽编纂成书)。而古希腊数学虽然亦有杰出成就,但是明显影响覆盖的范围远远不到东亚,最多至两河流域,再传入印度境内,而那已经时至公元八世纪。唐宋数学高度发达,并且九章算术逐渐演变为东亚的最重要的数学教科书。而在同时期的欧洲却在经历中世纪,以教会对世界解释权的垄断为主。一直到十三十四世纪时,经由印度,阿拉伯地区将数学原籍传回西欧社会,西方数学才开始发展,然而此时的中国是由蒙古人所统治的时期,数学发展明显受阻。进入十五世纪后,数学在欧洲开始复兴,进入蓬勃发展期,但中国数学却仍不温不火,并且越来越具有偏向性,在这一时期决定了中西方数学的差距。纵观来看,中西方数学发展的断档期对于双方的交流有很强的阻碍,没能在同一时期站在大致相似的高度上形成交流。 从政治上来说,中国古代数学的存在意义实则是为政治服务,所以研究注重实用性,偏向性,对于实际问题的解决很有一套,但是对建立系统性理论没有太大的热情。相较于西方对数学形而上的认识,中国的数学“合为时而用”,是可以“货与帝王家”的才能,如果没有政治支持,那么数学就没有发展土壤。也正因如此,中国的数学家也少之又少,数学文化的传播也并不是随心所欲。重要的,高级的计算技巧是不可能流入民间,自然也不可能催生中国整体上的数学发展。同时,即使在一部分重要的文献如论语,老子,周易等先后传入西方世界,然而东方的数学智慧却未曾到欧洲传播。而从研究方式和工具上,中国数学重视计算,重视实际结果。比如历法上的成就,所依托的正是极高的计算技巧。而这些技巧所依托的符号系统,相较于任何古代数学文明都是先进的。因为简易,而且是组合式的,再通过归纳,简写(比如百,千,万,亿的概念产生,再比如百万,千万,亿万这样的组合概念的产生),我们可以方便直观的表示极多数字,这对计算技巧的研究很有帮助。所以即使西方的符号体系,数字体系传入中国,但是在计算上的优越性必然导致这些不能取代千年沉淀的文字。
  而今有很多对比中西方科学发展的探讨,很多的目的在于给中国古代科技科学正名,提振民族自信心,这一点无可厚非,但是我们应本着客观公正的态度探讨。如果将核心观点始终立足于两套文化系统的不同上,进而找到一个平等的平衡点,笔者认为大可不必。无论是以前提出的“倘若假以时日中国也能发展到西方同样程度的科学”,还是现在提出的“中国的科学广义上是格致学,生命博物学”,其实都是在避重就轻地谈问题。且不论西方列强以武力手段打开中国的大门是否是导致中国本土科学流产的原因,就算是在双方互不干涉的前提下,科学的基础学科数学的发展速度就不在一个层次上。中国的数学发展是累积式的,线性的,是稳步发展的,但是西方数学的发展是爆炸式的,好比指数函数,只会发展的越来越快,这就是巨大差距。再有从广义科学角度上切入的观点,基本是上升至哲学层面的认识,不能仅仅停留于探讨不同的思路和想法就长舒一口气,认为找到了平等就可以安心一些。对于现在的学习科学,研究科学的中国人来说,如何汲取古代智慧是非常重要的。这绝不是要抛弃科学的方法论,而是用不同于西方机械唯心论的角度认识世界。值得借鉴的一案便是数学家吴文俊所发展的“吴方法”。吴文俊教授从古代算法思想入手,通过构建程序证明了大量初等几何学,射影几何学内容,取得了非凡的成果。而在科学分支庞杂林立的现代,大体量的科学系统其实反而成了限制人们继续探索的阻碍,如何从中国古代的整体观来认识科学,是一个很可能成功,也极为重要的课题。某种程度上,我们应该庆幸中国的哲学思想与西方并立,或许将带给世界最重要的启示。
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大変興味深く読みました:
 
再生核研究所声明3572017.2.17Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。

                               以 上

追記

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明3472017.1.17) 真実を語って処刑された者

まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシア数学者哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。
また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。

さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:
非ユークリッド幾何学の成立
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。
ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。

知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。
ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。
真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、

1)  新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。
2)  従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。
3)  もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。
4)  もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。
5)  巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。

数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。
人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

以 上
 
再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上
file:///C:/Users/saito%20saburo/Downloads/P1-Division.pdf

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