2016年10月16日日曜日

最期の日、あなたは不仲の親と仲直りできますか?ノンフィクションライター・翻訳者 川上澄江 取材・構成=田中響子

最期の日、あなたは不仲の親と仲直りできますか?ノンフィクションライター・翻訳者 川上澄江 取材・構成=田中響子

もし、仲の悪かった母親ががんを宣告されたら……。『不仲の母を介護し看取って気づいた人生でいちばん大切なこと』の著者、川上澄江さんは、医師から母親の根治はないと告げられ、戸惑いながらも母親の介護をやり遂げました。「最後まで『仲の良い親子』と言い切れる関係にはなれなかったけれど、母について理解できたこともあった。それは母にとっても、また私にとっても大切なことだった」と川上さんは振り返ります。
 

母の病気を聞いたとき、まず自分の心配をした

母が腹膜がんで根治はしないだろうと聞いたとき、私の頭に真っ先に浮かんだのは、「仕事、どうしよう」でした。母には申し訳なかったのですが、「仕事を減らして、母と一緒に住まなければならないのだろうか」「私が母の介護をしなくてはならないのだろうか」といった自分の心配が先に立ったのです。当時、シングルマザーだった私には、大学に入学したばかりの娘がいて、家計のやりくりも一苦労。そんなときに、「また母に振り回されるのか」とやり切れない気持ちにもなったのでした。でも、咄嗟にそんなことを考える自分に「なんて薄情な娘なんだろう」とハッとしたりもしました。

川上澄江さん。ノンフィクションライター・翻訳者
 
私は、子どもの頃から母との折り合いが悪く、思春期になる頃には母との亀裂は相当深くなっていました。新聞社や通信社に勤務した後、結婚を機にカナダに渡り、そこで大学院を卒業。出産を経験して帰国しました。帰国後、離婚したのですが、傷心の私に母が放った言葉は「子どもの面倒を見てもらおうと思わないでよ」でした。いつも頭ごなしの母。私は母から愛されているという感覚がありませんでした。
それから20年近く経って、母のがんを知らされたわけですが、命にかかわる病気だと言われても、母に歩み寄ろうという気持ちにはなれませんでした。人生の大半を衝突ばかりしてきた母と、今更理解しあおうだなんて、簡単にいくはずがありません。それに、がんを告知されたといっても、「本当?」と疑いたくなるくらい母は元気でした。誰に対しても上から目線の母は担当医に対しても強気な発言を続け、積極的に抗がん剤治療に取り組み、「がんなんてやっつけてやる」と鼻息荒くして、周りを驚かせていたほどだったのです。
しかし、そんな母も1年ほど経つと様子が変わってきました。がんが腎臓に転移し、抗がん剤治療が続けられないかもしれない、さらに腎臓から尿を人工的に出すため、腎ろうといって、腎臓からチューブを皮膚表面に出すようにつけなければならないと言われた頃でした。それまで何でも「自分が中心」で私を振り回していた母が、私がちょっと怒ると、私に気をつかったり、私の気分をうかがうようになったのです。以前なら言い返していたのに……。その変化に最初は驚いていたのですが、やがて、「あぁ、母も精一杯だったんだ」と気づいたのです。それまで強気だったのも精一杯の虚勢で、本心はがんに怯えていたのでしょう。この頃から、私の中で、少しずつ母のことを理解しようという気持ちが出てきたように思います。

母が亡くなった今でも悩む

よく考えてみると、母は戦時中の集団疎開を経験し、早くに母親(私にとっての祖母)を亡くし、家族の母親代わりの人生を生きてきました。つまり、母自体、母親のロールモデルを知らずに育ったわけです。そんな母に育てられた私は常に愛情に飢えた子どもでした。母が私のことを愛していなかったわけではないと頭では理解していても、優しい言葉や母親のぬくもりに渇望していたのです。母の介護をしているうちに、母もまた寂しかったのだと思い至りました。母も誰かに「よくがんばったね、えらかったね」と言ってもらいたかったに違いありません。そう考えると母が愛おしくなりました。それでも時々憎まれ口を叩くので、私もつい感情的になったりもしましたが、でも、それまでにはなかった2人の新しい関係ができた気がしています。
母の最期は、ホスピスで夫と私たち兄弟、孫たちに囲まれて平穏でした。人生の最後までしっかりものだった母は、家で死にたいという希望もあったのですが、体調が不安定になるとその気持ちも揺れていました。母の変化する病状に私たち家族もどう対応すればいいのかわからなかった。何と言っても、腎ろうをつけた体では、危険がいっぱいだったのです。悩み抜いた末、最後は疼痛緩和もしてくれるホスピスにお世話になることにしました。医療の知識のない家族にとって、結果的にホスピスで最期を迎えられたことは幸いでした。今やホスピスは順番待ちをしなければ入れないのが実情なのですから。
母を看取った今、心の傷は癒えましたかと聞かれると、素直にハイとは答えられません。突然「母はもう死んでしまった」と底なしの喪失感を味わうこともあります。あれで良かったのだろうかと思い返すこともあります。でも、母の介護を通して、私の幼い頃からの傷の理由はわかったし、過去は変えられないけれども、母と向き合ったことで気づけたこともたくさんありました。がんという病気が、家族が互いを見つめ直せる機会をくれたように思います。
今回、私がこの本を上梓した理由は、世の中には、親との確執を抱えたまま大人になった人が、意外にも多くいるのだということを知ったからです。
たとえ親のことを愛せずに看取ってしまったとしても、自分を責めたりせず、自分はそのときのベストを尽くしたのだと認めてあげてください。それが未来の自分に向き合うことにつながっていくからです。
まだ親御さんがお元気な方は、今からでも、親御さんを理解しようと努力をすることで、いつかきっと努力が何らかの形になるときがくると思います。親子関係はそれぞれです。向き合って取り組むことこそが、一人一人にとって意味のあることだと思うのです。
川上澄江(かわかみ・すみえ)
ノンフィクションライター・翻訳者
神奈川県鎌倉市出身。上智大学卒業後、毎日新聞社、米通信社の記者を経て、90年、初の著書『新聞の秘密』の出版を機にフリーランスに。結婚してカナダに渡り、ブリティッシュコロンビア大学政治学部の修士号を取得。帰国後、ニュース番組の翻訳や企業インタビューを中心に活動。今年4月『不仲の母を介護し看取って気づいた人生でいちばん大切なこと』(マキノ出版)を出版。趣味はトライアスロン。アイアンマンディスタンスを11回完走している。http://blogos.com/article/194117/
再生核研究所声明 472011.02.08):  肯定死

(2011年1月5日 9時10分、 浅草に近づき、電車の窓外の空を見たときに電光のように閃いた考えです。 新しい声明の案がひとりでに、わきました。 全構想は瞬時にできていましたが、それを検討し、成文化したものです。 題名は肯定死、という 現代では問題のある思想です。人間の終末に対する新しい考え方です。これは社会的影響が大きいと考えられるので、全文は 当分、公表を差し控えたい。)

そもそも人生とは何か、これを内からみれば、人生とは、個人の考え、知り、感じ、予感し、想像する、すなわち、知覚する全体であり、それらが良いと感じられれば、それだけ良い人生であると言える(声明12: 人生における基本定理)。 しかしながら、我々はまず、個々の人間を越えて、存在し、生き続けていく、 元祖生命体の考え (声明36) をしっかりととらえ、 生命の基本定理 (声明42) - 生きて存在しなければ、 何も始まらない - 元祖生命体の生存に心がける、 最も大事なこと(声明13)に思いを致すべきである。しかしながら、個々の人間は、遺伝子の乗り物のように滅びていくのが、事実であり、それはあらゆる生物の運命であると考えられる。 しからば、その人間の終末は如何にあるべきか。 それはちょうどあらゆる生物の終末のように、意識の存在の有る無しに関わらず、生物個体の生命として、人事を尽くして、少しでも生命を長引かせると考える、伝統的な考えは それなりの固有な意義を有するものであると考える。 否定するものではない。(以下 当分非公開)
解脱; 神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得

人が世に生まれ、終末を迎えるに当たって、できれば、人生を肯定的にみて、安らかな終末を迎えたいと考えるのは 相当に基本的な願いではないかと考える。そこで、再生核研究所声明においても、 再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道、再生核研究所声明 57:人生とは何か、人生如何に生きるべきか などで、ふれ、人生の意義などについても、再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について などでふれている。 しかるに、

2011.5.14.08:40 宿舎から研究室に向かっているとき、無意識に歩けるとは 何と素晴らしいことだろう、と思い巡らして歩いていたら、 突然、 解脱という言葉が 湧いてきて、 その意味を理解できました。 その意味は 暫く、検証するとして、効果は、死の現象をのりこえて、 永遠の生命に 帰依することが できるだろうと 直観した。
 
と 直ちに書き留めておいたように、理由もなく解脱の言葉が湧いてきて、その本質を直観したような経験をした。 そこで、 その背景を言葉で表現して、解脱への暗示、ヒントとしたい。 このような見方が、神、自由、不死に至る道、1種の悟り、安らかな終末を迎える心構えになると考える。

人間とは何だろうか、 人生とは そもそも何だろうか。 多くの人は毎日歩いているが、 しかし、 考えて歩いているのは、意識して歩いているのは殆どないと言える。 すなわち、私たちは無意識のうちに歩いているのである。 それと同じように、 恋をして子供を儲けたり、育ててきたりしていますが、 人生の殆どは 本能のような 何かに動かされて生きてきているとも言えます。 我々の意識する世界とは、 我々の大きな生命のいとなみからすると、ほんの僅かな部分に過ぎないことが分かる。 なぜ生まれてきて、 どうなって行くのかも分からないのが、 人間であり、 人生と言えます。 我々を世に送り、その本質部分を動かしているのは、元祖生命体の 生命のいとなみ自身 ではないでしょうか。 その雄大な生命の一部を ほんの少し、担っているのが 人生ではないでしょうか。 雄大な生態系の ほんの一部を になっている のが人生であり、人間ではないでしょうか。
私たちは、その雄大な生命、元祖生命体のほんの一部ですから、我々の仮想的な部分が消えてもその本質である元祖生命体は永続していく 雄大な存在と言えます。 解脱とは、 仮想的な個人、 人間を離れて、超えて、その雄大な生命に帰依することではないでしょうか。我々のうちには、元祖生命体の本質が内在していて、ここの固体を超えた 大きな生命に通じているのではないでしょうか。 ここの固体から、その永遠の生命を直観するには 世の現象を真面目に見つめ、 自分の内なる世界を見つめれば、自然に湧く信仰として、実現するのではないでしょうか。 ここに朽ち果てていく 自分の生体がある、 その魂は 上記 雄大な生命の一部として、永続していくが、 元祖生命体の乗り物である生物個体としては、滅びていかざるを得ない。 また、元祖生命体の いとなみの全貌、目標などは 知ることもできない。 しかしながら、人間、人生が雄大な生命活動のほんの一部の活動であり、我々が知り、感じ、想像する世界は 実は幻のように儚い 小さものであることを知ることは、 神、自由、不死を感得し、悟りへの道になると考える。
個々の人間の生体は、元祖生命体の、 たとえば、人体の中の一細胞のような存在と考えられよう。
多くの芸術家や数学者は、己が生命の活動として、作品や理論を創作しているが、実は、それらは厳然として実在していたものを 生命活動としての情念によって 内なる生命が働きかけて 形に成ったもので、 実は 自分が創造したものでも、努力して作ったものでもないと言えるのではないでしょうか。 それらの背景には 元祖生命体の 生命体の発露 の一部を見ることができる。
もしわれわれが、 大いなる生命を実感したいと思うならば、絶壁に立ったり、死の面前に立って、われ死するべきかと自らに問えば、 内なる生命は、 単なる自己の意識や感情を越えて、否、それを阻止する 大いなる生命の叫び を感得することができるだろう。 また、親族や民族や友人や親しむ動物や植物に、 それと同じような、共感と共鳴を感じるならば、自己を越えた、大いなる大義に目覚めるときでもあると言える(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。 ― このような文章自体、私が書いたものではなくて、実は、上記 元祖生命体の生命の叫びとして、私を通して、表現しているものと言える。
以 上
再生核研究所声明222(2015.4.8)日本の代表的な数学として  ゼロ除算の研究の推進を求める

ゼロ除算の成果は 2015.3.23 明治大学で開催された日本数学会で(プログラムは5200部印刷、インターネットで公開)、海外約200名に経過と成果の発表を予告して 正規に公開された。簡単な解説記事も約200部学会で配布された。インターネットを用いて1年以上も広く国際的に議論していて、骨格の論文も出版後1年以上も経過していることもあり、成果と経過は一応の諒解が広く得られたと考えても良いと判断される。経過などについては 次の一連の声明を参照:

再生核研究所声明148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30) ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17) ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20) ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30) 掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15) ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2) 大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3) ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4) ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
再生核研究所声明202(2015.2.2) ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え

日本の数学が、欧米先進国のレベルに達していることは、国際研究環境の実情を見ても広く認められる。しかしながら、初等教育から大学学部レベルの基本的な数学において 日本の貢献は 残念ながら特に見当たらないと言わざるを得ない。これは日本の数学が 大衆レベルでは 世界に貢献していないことを意味する。これについて 関孝和の微積分や行列式の発見が想起されるが、世界の数学史に具体的な影響、貢献ができなかったこともあって 関孝和の天才的な業績は 残念ながら国際的に認知されているとは言えない。
そこで、基本的なゼロ除算、すなわち、四則演算において ゼロで割れないとされてきたことが、何でもゼロで割れば ゼロであるとの基本的な結果は、世界の数学界における 日本の数学の顕著なものとして 世界に定着させる 良い題材ではないだろうか。
内容の焦点としてはまず:
ゼロ除算の発見、
道脇方式によるゼロ除算の意味付け、除算の定義、
高橋のゼロ除算の一意性、
衝突における山根の現象の解釈、
の4点が挙げられる。
6歳の道脇愛羽さんが、ゼロ除算は 除算の固有の意味から自明であると述べられていることからも分かるように、ゼロ除算は、ピタゴラスの定理を超えた基本的な結果であると考えられる。
ゼロ除算の研究の発展は 日本の代表的な数学である 佐藤の超関数の理論と密接な関係にあり(再生核研究所声明200)、他方、欧米では Aristotélēs の世界観、universe は連続である との偏見に陥っている現状がある。 最後にゼロ除算の意義 に述べられているように ゼロ除算の研究は 日本の数学として発展させる絶好の分野であると考えられる。 そこで、広く関係者に研究の推進と結果の重要性についての理解と協力を求めたい。
ゼロ除算の意義:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 1/0=0, 0/0=0をもたらしたこと。
2) ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、 独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。

11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:

現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかの未知の分野が望めて大いに期待できる世界が拓かれる

12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:

再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界

ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。

以 上

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269


1+0=1 1ー0=0 1×0=0  では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0???  本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
まして、10個のリンゴを0人で分けた際に、取り分 が∞個の小さな部分が取り分は、どう考えてもおかしい・・・・
受け取る人がいないわけですから、取り分は0ではないでしょうか。 すなわち何でも0で割れば、0が正しいのではないでしょうか。じゃあ聞くけど、∞個は、どれだけですか???

小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。

もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。



Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダ・ヴェネラビリス

数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

 加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)

数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。


世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでもセロであるという意外な結果が得られた。

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0

1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、

ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
何とゼロ除算は、可能になるだろうと April 12, 2011 に 公に 予想されていたことを 発見した。

多くの数学で できないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。


Dividing by Nothing
by Alberto Martinez
It is well known that you cannot divide a number by zero. Math teachers write, for example, 24 ÷ 0 = undefined.

After all, other operations that seemed impossible for centuries, such as subtracting a greater number from a lesser, or taking roots of negative numbers, are now common. In mathematics, sometimes the impossible becomes possible, often with good reason.


明治5年(1872)

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか?  2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_


ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。

∞÷0はいくつですか・・・・・・・

∞とはなんですか・・・・・・・・

分からないものは考えられません・・・・・

宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero $z/0=0$

0 件のコメント:

コメントを投稿