2016年10月27日木曜日

ホワイトハウスが緊急発表「太陽フレアに警戒せよ」! 人類滅亡を警告する大統領令に戦慄走る

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地球上と同様に、宇宙にも天気が存在する。この宇宙天気とは、太陽から放たれる電気と磁気を帯びたプラズマである「太陽風」や、それによって引き起こされる地球の磁場の乱れである「磁気嵐」の状態を示すもの。つまり宇宙天気予報と言えば、「太陽風」や「磁気嵐」の変化による影響を予測することにほかならない。
■最近の太陽がおかしい!
 近年、この「太陽風」や「磁気嵐」に異変が生じつつあることが明らかになっている。2013年前後から、類を見ないほど巨大な黒点(周囲よりも温度が約2000℃低い)群が多数出現し、その周囲では大規模なフレア(爆発現象)が発生しているのだ。フレアは、多くのX線・ガンマ線・高エネルギー荷電粒子が一気に放出される「コロナ質量放出(CME)」、すなわち超強烈な「太陽風」を引き起こすが、そのエネルギーは数百万~数億個の水素爆弾に匹敵するとの試算もある。
 これがもしも地球を直撃した場合、電力網や通信インフラが崩壊し、人々の精神を錯乱させ、奇病の流行や社会的混乱を招くとの指摘さえあるほどだ。まさに太陽の異変は、全地球的な関心事といえるだろう。
【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/10/post_11279.html
 そして今年、またも太陽に奇妙な変化が起きた。これまで激しく活動していた太陽が、5~6月にかけて活動を一気に縮小し、ついに黒点が「ゼロ」の状態になってしまった。そもそも太陽の活動は約11年周期で活発・縮小を繰り返しているが、この状態はあまりにも不活発。その後、7月に入って黒点は復活したものの、一時的な黒点の消失が何を意味しているのか、その原因はさまざまな研究でも判然としないままだ。
■アメリカで発令される超画期的な大統領令
 いずれにしても今、地球と人類に多大な影響を与える太陽の活動に前代未聞の変化が起きていることだけは間違いなく、その動向に注視し対策を練ることは、あらゆる国家にとって存亡を左右する重大事項、最大の安全保障であるはずだ。それにもかかわらず、日本政府が太陽の異変について何らかの対策を考えているという話は一切聞こえてこない。極めて近視眼的な、経済対策や解散総選挙、東京オリンピックの話題ばかりが取り上げられる体たらく。そんな日本とは大きく異なるのが、やはりアメリカだ。
 今月13日、任期満了が間近に迫ったオバマ大統領が、ある画期的な「大統領令」に署名した。「大統領令」とは、合衆国大統領が行政権を行使することにより発令される直々の行政命令であり、これは大日本帝国における「勅令」に相当するほど重大なもの。では、オバマが署名した大統領令とは、一体どのような内容だったのか? それがまさに、太陽の異変に際してアメリカの存続を図るための行動計画にほかならなかったのだ。
© TOCANA 提供
■緊急公式発表! 「太陽フレアがヤバい」
 ホワイトハウスの公式発表では、昨今奇妙な活動を見せる太陽と、「太陽風」及び「磁気嵐」の異変に対し、アメリカ政府として重大な懸念が表明されている。来る太陽の大異変により、最悪の場合は電力・給水・医療・交通などの生活インフラ、さらには経済や安全保障も含めた国家存亡を左右する事態にも陥りかねず、そのダメージを可能な限り軽減するため、今回の大統領令が発令されることになったようだ。オバマ大統領が署名した具体的な項目は、以下のようなもの。
・ 宇宙天気のための国家的政策を確立する・ 上記を実現するため、合衆国科学技術政策局に省庁横断的な調整機関を永続的に設立する・ 宇宙天気の研究、対策、計画に関する各政府機関の役割を明確化する・ 行動計画に含まれずとも、必要に応じてより高レベルの活動の実施を可能にする・ 上記を達成するため、合衆国政府外部においても、海外を含めた民間組織との連携を強化する
 ご覧になっておわかりのように、アメリカは国民の生命と財産を守るため、本気で太陽の異変に対策を練ろうとしているのだ。現在、次期大統領選で大いに盛り上がりを見せる彼の国だが、経済や安全保障など直近の課題のみならず、それと並行する形でしっかりと宇宙規模での危機にも対策を講じているというわけだ。
 なお、次期大統領候補のヒラリー・クリントン氏は、当選の暁に「すべてのUFO情報を開示する」ことを公約している。また、来月にはロシアのプーチン大統領が、「第9惑星(ニビル)に関する重大発表を行う」との情報もある。米ロともに宇宙大国であり、他が知り得ぬ情報を握っているという事情もあるだろうが、彼らは常に“その先”を見据えて行動を起こしているのだ。アメリカのすべてが理想的だとは、とても言い切れない。しかし、このしたたかさと「宇宙規模の思考」は、日本政府にも真剣に学んでほしいところだ。

再生核研究所声明86(2012.4.25) 未だ おめでたい人類 - 先史時代

人類は 自然を大事にして行けば、生存を続けて行けると ぼんやりと思っているのではないだろうか。 人類の生存を保証してくれる 何かが存在して、守られていると感じているのではないだろうか。
しかしながら、ニュートン以来の 近代科学が明らかにした事実をみれば、人類は物理・化学などの自然法則を越えた存在ではなく、多くの動植物と同じように儚い存在であることを知るだろう。
東日本大震災が襲って示しているように、人類を庇護してくれる存在などは無く、人類は自然の法則上に生存している存在である。
既に実在したように、いずれ巨大惑星が 地球に激突し、地球上に生命が存在できなくなるのは 時間の問題であると言えよう。もちろん、可能性としては、地球環境の破壊、人口の増大による内紛や生態系の破壊、あるいは巨大事故などによる 人類絶滅の方が高いであろう。これらについて、十分に起こり得ると警戒すべきである。
人類は最も大事なこと を確認して(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと ― 世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある ― )、大いなる世界を志向すべきである(再生核研究所声明 32: 夜明け ― ノアの方舟)。 実際、人類は、生と死の問題を克服して(再生核研究所声明74: 人生・生命の肯定について)、 人間存在の原理に従って、進むであろう( ― ここで、人間存在の原理とは、どうしても人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方です。人間があらゆることを知りたいという願いは、人間存在の原理である人間として生きることに他ならないと言えます。 - 夜明け前 よっちゃんの想い。)。 しかしながら、人類が 何時でも 世界史を 閉じる 悟りの境地 に達することが望まれる(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)。
この声明の趣旨は
1)この世で最も大事な真実は 唯一つ、最も大事なこと、 人類の生存であり、 その目標に従って 総合的な戦略をすすめること
2)内部的には、個人的には己が生命を輝かせる道を 歩めるように努力すること(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)、
3)それらのために、何よりもまず、 地球を良く治めよ
ということにある。
原理は、人類の生存は ひとりでに保証されるものではなく、自然や生態系などの広範な管理、運営、創造によって可能になるものであり、多様性の原理 によって、広範な科学の進歩が不可欠であるということにある。

以 上
再生核研究所声明 1142013.4.20: ああ 人類最後のとき — 世界史を回想、評価する 

(本声明は 2013.4.13: 8時半頃、研究室に向っているとき、電光のように閃いて 構想が広がったものである)

声明

再生核研究所声明86:  未だ おめでたい人類 - 先史時代

で述べているように、人類の絶滅は 地球の運命と共に避けられないだろう。そこで、生命の代表である人類が、大いなる意志を 再生核研究所声明 32:夜明け ― ノアの方舟 のように働かせるのは 最も崇高な人類に課せられた義務である。 しかし、人類が最も大事なことに気づかず(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)、偶発的な戦争や人口増大、環境汚染、急激な感染症や地球環境の変化で、人類の絶滅を招く危険性は 高いと考えるべきである。
しかしながら、人類の生存には 少しは先がある と考えるのは当然としても、大いなる生命の、すなわち、元祖生命体(再生核研究所声明 36:恋の原理と心得の 細胞的な存在 である個々の人間の終末は、そんなに遠いものではない。そこで、人類の歴史の終末と己が最後の時を重ね合わせ、想いをめぐらし、生存期間の充実を大局的に思考すべきである。
何が、世界史で評価されるべきであろうか。地球外生物は 人類の歴史をどのように評価するだろうか?
彼らは、まず、人類が 生命をどのように捉え,人生をどのように捉えたかに注目し、お釈迦様を以て、人類を高く評価し、科学面では ニュートン、アイインシュタインを以て人類のレヴェルを評価するだろう。数学の発展については、オイラーの公式の発見を以て、人類の高い智性を認めるだろう。さらに日本歌謡界のレヴェルの高さに感銘して、美空ひばり様の歌など、生命の切なさを歌い上げたものとして、上記に劣らない高い評価を下すだろう。人類の芸術についても 深い理解を示すだろう。しかしながら、異なる感性、感覚を有する地球外生物にとっては、人類の世界史の理解を まずは 人類が得た数学の全体の理解から始めるだろう。数学こそが、生命活動の客観的な表現と言えるからである。人類が得た手段、電波、原子力、計算機、人類の成した 衛星月に到達し、太陽系外にメッセージを送った事実は顕著な記録となるだろう。
この声明の趣旨は、人類の歴史に想いを寄せ、世界史の進化を促し、個々の、自分の人生の意義を確認して、自分たちの世界史の評価と自分の人生をきちんと捉えて、後悔の無い充実した人生を送くろうと志向することにある
島争いや、敵対行為など 野蛮な世界を抜け出して、夜明けを迎えたい。

再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

を参照。また各人が、おのおのの世界観で この種の展望、評価を行ない,纏めることは意義あることであると考える。
(再生核研究所声明は 将来バイブルのようになるだろう。なぜなら、お釈迦様以来、 人生、世界全般の在り様について 分かり易く、簡潔に、述べられた文献は 世に稀だからである。)

以 上

再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判
                
声明36(恋の原理と心得)で、元祖生命体(本来の生命、生物界全体)は 永遠の生命を有し、人間的な意識と自由意志を有し、存在すること、知ること、美を求めることなどを目標に生命活動を続けている。 人類の発展の先は いまだ不明である。 確かに言えることは、生存を続けること、知ることを求めること、感動することを希求しているということである。 
と述べて、人類は 人間存在の原理(人間である限り否定できない、不変的な原理を述べているもので、人間である限り、存在していること、そして、存在していることを知っていること、そして、求めているという三位一体の、デカルトのコギトエルゴスム(我れ思う、故にわれ在り)を基礎に置いた考え方: 夜明け前 よっちゃんの想い:211ページ)によって、世界の歴史を発展、拡大、深化させていくであろう。
ここで、世界史とは 人類が得たあらゆる知識、情報を意味するが、世界史は過去の一切のことについても真相の究明を続けていくであろう。これは真実を知りたいという人間存在の原理に他ならないからである。
個々の人間の目標は、 人生における基本定理 (声明12) に述べられているように 生きること、感動できるように生きることであるが、人間は同じ元祖生命体の分身であり、個々の人間は1個の細胞のような存在であり、個々の人間の存在は 元祖生命体の雄大な存在からみれば 大河の一滴 (五木 寛之) と考えられるが、しかしながら、それは同時に全体に関係し、全体を内包しているから、限りなく貴い存在である (声明36)。
そこで、人間にとって真に価値あることとは、人類の目標のために貢献することではないだろうか。 人類の営みは世界史によって、表現されるから、世界史のため、人類のため、元祖生命体のために貢献することこそが、真の意味における大義と言えよう。 人類が、世界史が進化していけば、過去の元祖生命体の営みの総体を次第に明らかにして、物事の真相と評価、位置づけ、位置関係を明瞭にしていくであろう。- すでに、グーグルの世界に それらの初歩を見ることができる。
神とは全知、全能の存在とされるが、世界の全体を捉えられるのは現在、人類以外に存在せず、未来において、進化した元祖生命体こそが、神に相当する存在ではないであろうか。
進化した未来人は 現代人の能力のレべルを あたかも幼稚園生くらいとみ、現在のコンピュータのレベルを 手動計算機程度くらいとみるだろう。
そのとき、世界の歴史は、個々の人間の存在の関係 (評価) をきちんと明らかにするであろう。
この声明の趣旨は、先ずは 世界の政治家の皆さんに、世界史に耐えられるような上記大義に基づいて、行動して頂きたいと要請しているのです。 小さな自分たちの立場ではなくて、より大きな世界のために高い志の基に、行動して頂きたいということです。 同時に、不正や不義は 歴史的に明らかにされ、真実は必ず、明らかにされるということに注意を喚起することにある。 研究者や芸術家たちは 近視眼的なことに拘らず、己が道を進めばいいのであって、適切な評価は必ず下されると考えるべきです。 マスコミ関係者や解説者の皆さん、思想家たちの皆さん、世界史の評価に耐えられるような高い視点と志で、重要な職務を果たして頂きたいと考えます。 人間にとって価値あることとは、小さな自己の世界に閉じこもらず、上記大義の基に努力することではないであろうか。
将来、世界史が明らかにする、世界史の全体における個々の関係こそが、最後の審判ではないだろうか。 それは同時に 未来ではなく、現在、いまの 個々の人間の 深奥に普遍的に存在する神性と良心 に通じていると考える。 それらを捉え、それらに調和し 忠実に生きることこそ、良く生きることに他ならない。 悪いことは苦しいことである。必ず、良心の呵責として、その深奥から湧いてくるからである。他方、大義に生きることは 上記永遠の生命の中に生きることを意味するから、楽しいことである。 滅ぶことも消えることもない。
以上



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