2016年10月26日水曜日

大河ドラマ「真田丸」を観て考えた 大坂の陣で豊臣側が互角に戦えたのは組織論からみれば当然だった? - 後閑徹 (人材・組織開発コンサルタント)

大河ドラマ「真田丸」を観て考えた 大坂の陣で豊臣側が互角に戦えたのは組織論からみれば当然だった? - 後閑徹 (人材・組織開発コンサルタント)
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大河ドラマ「真田丸」を観て考えた 大坂の陣で豊臣側が互角に戦えたのは組織論からみれば当然だった? - 後閑徹 (人材・組織開発コンサルタント)

NHK大河ドラマ真田丸を面白く観ている。大坂冬・夏の陣で、豊臣秀頼を奉じて徳川家康と互角に戦った真田幸村を描くドラマだ。ドラマはいよいよ大坂冬の陣へと向かい、9月23日第42話「味方」の放送では、大坂城に集まった牢人衆の混乱ぶりが描かれていた。

そんな混乱に頭を抱える真田家家臣高梨内記の横で、烏合の衆に可能性をみる真田幸村の姿があった。「確かに牢人衆にまとまりはない。しかし、それは自分の行く末に望みをもっているからこそ。皆、今の境遇から這い上がろうとしている。この戦い、十分勝てる。」

普通ならドラマの高梨内記のように心配し、織田有楽斎のように呆れるだろう。しかし、真田幸村のこの言葉に妙に納得した視聴者も多いのではなかろうか。そのリアリティの源泉を、組織論の観点からみてみたい。


■もしかしたらそうなのかも、というリアリティの源泉
組織論の観点からは実は、このセリフは王道を踏んでいる。組織論の大家、チェスター・バーナードは、組織の成立には共通目的(組織目的)、協働意欲(貢献意欲)、コミュニケーションの3要件が必要であるといった。

共通目的とは、組織が奉ずる価値、協働意欲とは、組織システムや組織メンバーとの協力の意志・意欲をいう。組織が成立するためには、目的を共有し、その実現のために協働する必要がある。これらを支え、強化するのが構成員相互のコミュニケーションだ。

これを大坂城に参集した牢人衆に当てはめてみよう。

1.共通目的(組織目的)
自分が現在の境遇から這い上がるという個人の目的が豊臣秀頼を守るという組織の目的につながり、共有されている。

2.協働意欲(貢献意欲)
真田幸村がいうように、目的を実現するという強い思いが協働意欲をかき立てる可能性がある。今の零落した自分の状況を何とかしたい、という強い思いが、豊臣秀吉の恩に報いるという大義名分(組織目的)を得たとき、協働の必要性を強く認識している可能性が高い。

ましてや、個々人の貢献に対し、大坂方が提供するメリットは大きい。金銭・領地の回復といった現実的報酬のみならず、亡き太閤秀吉の恩に報い、道理を通すという行動の正当性の獲得も大きなメリットだ。これは、組織に属する誘因(メリット)が組織メンバーの貢献と均衡するか、それ以上でなければ組織は成り立たないというバーナードの組織均衡論の考え方にも合致する。

3.コミュニケーション
集団では、周囲を気にして言いたいことも言わず、終了後に「あいつはわかっていない」と批判することはよくある現象だ。言いたいことも言わず、妥協を重ねた結果、個人でするより不合理な決定をする集団浅慮という現象もよくあるだろう。

ドラマでは、毛利勝永と後藤又兵衛が取っ組み合いをしたり、通常なら委縮するであろう豊臣秀頼列席の御前会議で堂々と異議を唱えたりするなど、自己主張をいとわない姿が描かれた。自由で遠慮のない議論は、感情的対立を残さないならば、納得感の高い、よいコミュニケーションだ。

■最後に
強力なリーダーが不在の烏合の衆でありながら、組織の成立3要件はきれいにそろえている点が、こんなやり取りがあったかもしれない、というリアリティを生むのではないだろうか。

共通の目的のため、お互いが手足となって利用補充しあい、大きな問題に対処することは、自己効力感を感じ、成長の糧となる経験だ。ドラマでは、今後、議論・対話を重ね、戦術を練り、合意し、小さな成功を積み重ねながら、組織の体裁を整えていくだろう。

秋の夜長、そんな過程を自分の職場に重ねながら視聴するのも、また一興ではないだろうか。http://blogos.com/article/195449/ 

毎週楽しみに見ています:

再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について


ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:

再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間

以 上

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