2016年10月23日日曜日

佐治博士のへえ〜そうなんだ!? /106 「刷り込み」からの脱却 /愛知 2016年10月23日(日)NEW ! テーマ:数学 佐治博士のへえ〜そうなんだ!? /106 「刷り込み」からの脱却 /愛知 毎日新聞 2016年10月10日 地方版 愛知県

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/106 「刷り込み」からの脱却 /愛知

毎日新聞 2016年10月10日 地方版

真実に対峙して次元アップ?

 今から60年以上も昔、大学の数学科1年生の授業で初めて出合った基礎数学の教科書の裏表紙に「我々が見ているものは、真理の光に照らされた影に過ぎない。真理の光はまばゆく直接仰ぎ見るには苦痛を伴うが、求める努力さえあれば、美しい真理に触れることは可能である……」と書かれていたように記憶しています。今、思えば、ギリシャ時代の哲学者プラトンが「国家論」の中で述べている「洞窟の喩(たと)え」の意訳だったのかもしれません。数学の勉強であれ、お稽古(けいこ)ごとであれ、あるレベルに到達するには苦痛が伴うものであり、その克服の先に喜びがあるということなのでしょう。
     実は、私たちが日常、見聞きしている世界は無意識的な「刷り込み」による錯覚が多いといわれています。今から400年以上の昔、イタリアの物理学者ガリレイが、手作りの望遠鏡をそれまで神の領域だと思われていた天空に向け、木星の周りを公転する四つの衛星を発見したことから、地球も太陽の周りを周回する惑星に過ぎないとして、それまで信じられてきた天動説が錯覚であったことを明らかにしました科学による「刷り込み」からの脱却です
     ところで、私たちはこの世界を三次元だと思い込んでいます。しかし、視覚を例にとれば、網膜は二次元の膜ですから三次元を映し出すことはできません。右目、左目の視差を脳の中で合成することによって、錯覚としての三次元の奥行きを感じているだけです。では、錯覚としてでも、その先の四次元、五次元の世界認識はできるのでしょうか。残念ながらできません。
     理由は、私たちの認知機能を支えるメカニズムが全て電気に依存しているからです。視覚でいえば、光が目に入り、視神経を活性化させ、そこで発生する電気信号が脳に伝わることによって私たちはものを見ることができます。聴覚や触覚も同じです。ところが、その電気には、二つの電荷の間に働く力が距離の二乗に反比例して弱くなるというような性質があり、これは三次元空間でしか起こりえないことが理論的に分かっています。電気力に依存する認識メカニズムでは三次元以上の世界を見ることは原理的に不可能なのです。
     それでは、時間は実在するのでしょうか。過去は既になく、未来はまだきていないのですから、ある、のは現在だけだとしましょう。そこで、現在、明日、学校に行くという未来が決まっているのであれば、未来は現在に含まれますし、現在、過去の思い出にふけっているとすれば、過去も現在に含まれます。とすれば、過去から未来へと流れる時間も錯覚なのかもしれません。過去にこだわり、未来を不安に思うことは、それだけ現在を肥大化させることですから、いい未来への可能性を減少させます。過去、未来にこだわりすぎない生き方もよさそうです。
     余命宣告などを受けると、刷り込まれてきた健康感覚が一気に崩落しますが、MRIや血液検査などの結果をつきつけられて「これがあなたです」と言われたことを丸ごと受け入れてしまうと、人生観にパラダイムシフト(思考の枠組みの転換)が起こり、生きる意欲がでてくるのも不思議です。苦痛を伴うとしても、真実に真っ向から対峙(たいじ)するごとに、人間としての次元アップ? が起こるかのようです。=次回は24日掲載

     ■人物略歴

    佐治晴夫(さじ・はるお)

     1935年東京生まれ。理学博士。東京大物性研究所、玉川大、宮城大教授、鈴鹿短大学長などを経て、現在、同短大名誉学長、大阪音楽大客員教授。宇宙創生に関わる「ゆらぎ理論」で知られる。JAXA宇宙連詩編纂(へんさん)委員会委員長。http://mainichi.jp/articles/20161010/ddl/k23/070/105000c

    非常にためになりました:

    再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?

    (2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)
    ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
    再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
    再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
    再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
    再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
    再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
    再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
    しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
    多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
    ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
    矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
    原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
    実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
    割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
    声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
    100-2-2-2-,...,-2.
    ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
    次に 3/2 を考えよう。まず、
    3 - 2 = 1
    で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
    10-2-2-2-2-2=0
    であるから、10/2=5 となり
    3/2 =1+0.5= 1.5
    とする。3を2つに分ければ、1.5である。
    これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
    そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
    100 - 0 = 100,
    であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
    100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
    同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
    上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
    いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は  既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
    以 上
    文献:
    M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
    New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
    Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
    S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
    再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

    100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
    方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
    解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
    そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
    実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
    現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x  が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。 
    上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
    b 割るa を与える。
    もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
    f  割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
    すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
    上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
    これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
    ― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―

    以 上
    文献:
    Castro, L.P.Saitoh, S. Fractional functions and their representations.  Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).

    ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
    一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269


    世界中で、ゼロ除算は 不可能 か 
    可能とすれば ∞  だと考えられていたが・・・
    しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。

    原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
    ∞ では
    無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・

    無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・

    ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。

    地球平面説→地球球体説
    天動説→地動説
    何年かかったでしょうか????

    1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
    何年かかるでしょうか????

    Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.

    もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
    一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。


    割り算のできる人には、どんなことも難しくない

    世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

    ベーダ・ヴェネラビリス

    数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年

    数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_

    割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???

    0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
    唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

    multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。

    ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_

    ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように

    『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
    1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

    明治5年(1872)

    ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997

    Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。

    ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
    ∞÷0はいくつですか・・・・・・・

    ∞とはなんですか・・・・・・・・

    分からないものは考えられません・・・・・

    1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
    よってこれは、はじめから問題になりません。
    ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。

    Reality of the Division by Zero z/0 = 0
    Einstein's Only Mistake: Division by Zero

    0を引いても引いたことにならないから:

    君に0円の月給を永遠に払いますから心配しないでください:

    再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
    (2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
                                                         
    6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
    まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
    先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
    一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
    ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
    また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
    次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
    ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
    具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
    ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更 かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
    再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する

    以 上

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