2016年10月23日日曜日

「真田丸」大坂の陣編突入!「五人衆」は「太陽にほえろ!」イメージ

「真田丸」大坂の陣編突入!「五人衆」は「太陽にほえろ!」イメージ

大河ドラマ「真田丸」で勢揃いする「大坂五人衆」(左から真田幸=堺雅人、毛利勝永=岡本健一、後藤又兵衛=哀川翔、長宗我部盛親=阿南健治、明石全登=小林顕作)(C)NHK
Photo By 提供写真
 俳優の堺雅人(43)が主演を務めるNHK大河ドラマ「真田丸」(日曜後8・00)は、23日放送の第42話「味方」から“最終章”に突入する。ドラマ全体を四季に例えると「冬」。物語が大坂の陣へと向かう“熱き冬”の幕開けで「大坂五人衆」が勢揃いする。

 第1話から第13話の「上田編」が「春」、第14話から第31話の「大坂編」が「夏」、第32話から第41話の「三成・九度山編」が「秋」。「冬」は真田信繁(堺)が幸村と名乗り、豊臣軍の将として徳川軍と戦う「大坂の陣」(1614、15年)が描かれる。幸村が「日の本一の兵(つわもの)」と後世に名を残し、軍記物や講談で知られる猛将・幸村の側面もクローズアップされる。

 大坂の陣において活躍した5人の牢人が「大坂五人衆」と呼ばれる。幸村、哀川翔(55)演じる後藤又兵衛、岡本健一(47)演じる毛利勝永、阿南健治(54)演じる長宗我部盛親、小林顕作(45)演じる明石全登。

 後藤又兵衛は黒田孝高(黒田官兵衛)ら黒田家に仕えた猛将。毛利勝永は父・毛利勝信の代から豊臣秀吉(小日向文世)に仕えた。長宗我部盛親は土佐の戦国大名・長宗我部元親の四男。家督を継いだが、関ヶ原の戦いで西軍に付いて没落。明石全登は宇喜多秀家(高橋和也)の重臣だったキリシタン武将。関ヶ原の戦いで宇喜多家が没落して牢人に。豊臣秀頼(中川大志)の使者として、信繁を幽閉されていた九度山から大坂城に招いた。

 キャスティング担当の家冨未央プロデューサーによると、今回の「大坂五人衆」の配役やキャラクター設定は名作刑事ドラマ「太陽にほえろ!」を参考にした。「真田丸」の脚本を務める三谷幸喜氏(55)が発想したという。

 「太陽にほえろ!」は1972~86年に日本テレビで放送。七曲署の刑事たちを活躍を描いた。石原裕次郎さんが演じた“ボス”こと藤堂係長を中心に、個性的なキャラクターや殉職という衝撃的な展開が話題を呼び、大ヒット。79年7月20日には「スリラー・アクション」ドラマ歴代1位となる平均視聴率40・0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を叩き出している。

 三谷氏には顔立ちのイメージもあったという。2006年にNHK入局の家冨氏は「太陽にほえろ!」のリアルタイム世代でなかったため、スマートフォンに「太陽にほえろ!」の出演俳優の写真を入れ「常に見ていました」と振り返る。最終的には「スタッフみんなで相談しながら、キャストを決めました」

 例えば、毛利勝永は今回、銃の名手という設定。ボス、山さん(露口茂)、長さん(下川辰平さん)、殿下(小野寺昭)、ゴリさん(竜雷太)ら…。今回の「大坂五人衆」が「太陽にほえろ!」のどの登場人物に当たるのかは、見てのお楽しみ。視聴者にはまた1つ、見どころが増えそうだ。http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/22/kiji/K20161022013582260.html

仮題) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について

まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成仲間たちと輝いた時代に対して、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それに帰するは共生感に基づく愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘される。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当な環境の影響と背景で相当に実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題であるが、人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めている。

0 件のコメント:

コメントを投稿