2015年4月16日木曜日

裁判員裁判制度は必要?それとも不要?

裁判員裁判制度は必要?それとも不要?
  [2015/04/14]

先日、「教えて!gooウォッチ」では「『怖い』という理由で裁判員の辞退は可能?裁判員を辞退できる4つの理由!」という記事をリリースした。辞退できる?できない?という読者の声をもとに、辞退に必要な理由について専門家の意見をまとめた記事である。
これに対して約100人のニコニコニュースのユーザーからは、そもそも裁判員裁判制度について疑問を感じる声が殺到。「素人に裁判なんかできない」といった反対意見がほとんどだった。制度が開始して早くも6年。改めて裁判員裁判制度の必要性について考えてみたい。
■感情論になってしまう?
どうしてこれだけ反対意見が多いのか。まずは寄せられた意見の詳細を覗いてみよう。
「法律や検視の専門家でもないただ一般の人の判断(感情)がいったい何の役にたつのか」(kuururuさん)
「市民参加しても感情論を付け出すだけだしなぁ。普通に前の形態でいいと思う」(ネココネコさん)
素人が参加したところで「感情論になるだけだ」という意見である。
これに対して「裁判に素人の私情が入ってしまっては冤罪を生みかねない」(初月ATさん)、「(前略)…冤罪が発覚したら……無実の人間を殺しかけたと呵責に耐えられるか」(茶沢山さん)いう、冤罪を気にする意見も目立った。
■裁判員の意味はどこにある?
続いて目についたのが「参加したところで、裁判員の意味はあるのか?」という意見である。
「どうせ裁判官の判断に落ち着くわけだしなぁ……(以下略)」(nyon3さん)、「裁判官の過半数の承認も必要だから裁判員が過激なこといっても大抵は過去の判例と照らし合わせた結果に落ち着くからね。裁判員は参考程度か」(ビビリさん)
なかには「(前略)……嫌なもの見せられて。時間と労力の無駄です」(あろえさん)、「義務はわかる。ただ、こうも裁判員の判断が却下される中で大事な自分の時間を使って参加しなければいけないのかと思うと疑問は残る」(うわらばさん)といった、時間を気にする意見も寄せられた。
■裁判員裁判制度の必要性とは?
ほかにも「忙しくて有給も取れんのに裁判員?」(mintoさん)と疑問視する声から、「もういっその事ネット投票制にしちまえよ」(弘之丞さん)といったネットユーザーらしい意見も集まった。
ただ、その一方で「暇な時なら裁判員になってみたい。仕事を理由に拒否がどの程度認められるかも気になる」(森野さん)と、裁判員参加に意欲的な意見も少なくなかった。
なかには「届いた封筒に気づかなくって開けてなかった場合ってどうなんだろ」(すずきりさん)といった意見もあり、裁判員裁判制度についてまだまだ知らないことはたくさんあると言えそうだ。
ニコニコニュースのユーザーからは圧倒的に反対意見が多かったが、あなたは裁判員裁判制度の必要性についてどう考えるだろうか。もし裁判員に選ばれたら、人の将来を決めるとても重い責任を背負うことになる。
精神的にも労力的にも負担の掛かりそうな裁判員だが、いつ訪れるかもしれないその日のために、改めてこの機会に考えておく必要がありそうだ。
柚木深つばさ(Yukimi Tsubasa)http://news.mynavi.jp/news/2015/04/14/594/

再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める
素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると
(1) 制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2) 一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3) 選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4) 大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5) 戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。
上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。

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