2015年2月25日水曜日

Ἀριστοτέλης

Ἀριστοτέλης
2015年02月25日(水)
テーマ:数学
アリストテレス
アリストテレス
生誕 紀元前384年
死没 紀元前322年3月7日
時代 古代哲学
地域 西洋哲学
学派 逍遙学派
アリストテレス主義
研究分野 論理学
自然学
生物学・動物学
形而上学
倫理学
政治学
修辞学
詩・演劇
主な概念 善
中庸 (ギリシア哲学)
理性
アイテール
四原因説
三段論法
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アリストテレス(アリストテレース、古希: Ἀριστοτέλης - Aristotélēs、羅: Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)は、古代ギリシアの哲学者である。
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。
名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から [1]。
目次 [非表示]
1 生涯
1.1 幼少期
1.2 アカデメイア期
1.3 アレクサンドロス大王とリュケイオン
2 思想
2.1 論理学
2.2 自然学(第二哲学)
2.3 形而上学(第一哲学)
2.3.1 原因について
2.3.2 範疇論
2.4 倫理学
2.5 政治学
2.6 文学
3 著作
3.1 論理学
3.2 自然学
3.2.1 生物・動物学
3.3 形而上学
3.4 倫理学
3.5 政治学
3.6 レトリックと詩学
3.7 偽書
4 後世への影響
5 エピソード
6 脚注
7 参考文献
8 外部リンク
生涯[編集]
幼少期[編集]
紀元前384年、トラキア地方のスタゲイロス(後のスタゲイラ)にて出生。スタゲイロスはカルキディケ半島の小さなギリシア人植民町で、当時マケドニア王国の支配下にあった。父はニコマコスといい、マケドニア王アミュンタス3世の待医であったという。幼少にして両親を亡くし、義兄プロクセノスを後見人として少年期を過ごす。このため、マケドニアの首都ペルラから後見人の居住地である小アジアのアタルネウスに移住したとも推測されているが、明確なことは伝わっていない。
アカデメイア期[編集]
紀元前367年、17-18歳にして、「ギリシアの学校」とペリクレスの謳ったアテナイに上り、そこでプラトン主催の学園、アカデメイアに入門した。修業時代のアリストテレスについては真偽の定かならぬさまざまな話が伝えられているが、一説には、親の遺産を食い潰した挙句、食い扶持のために軍隊に入るも挫折し、除隊後に医師(くすし)として身を立てようとしたがうまく行かず、それでプラトンの門を叩いたのだと言う者もいた[2]。いずれにせよ、かれはそこで勉学に励み、プラトンが死去するまでの20年近い年月、学徒としてアカデメイアの門に留まることになる。アリストテレスは師プラトンから「学校の精神」と評されたとも伝えられ、時には教師として後進を指導することもあったと想像されている。紀元前347年にプラトンが亡くなると、その甥に当たるスペウシッポスが学頭に選ばれる。この時期、アリストテレスは学園を辞してアテナイを去る。アリストテレスが学園を去った理由には諸説あるが、デモステネスらの反マケドニア派が勢いづいていた当時のアテナイは、マケドニアと縁の深い在留外国人にとって困難な情況にあったことも理由のひとつと言われている[3]。その後アカデメイアは、529年に東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世(在位 527年 - 565年)によって閉鎖されるまで続いた。
アレクサンドロス大王とリュケイオン[編集]
紀元前347年、37歳頃、マケドニア王フィリッポス2世の招聘により、当時13歳であった王子アレクサンドロス(後のアレクサンドロス大王)の師傅となった。アリストテレスは弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた。
教え子アレクサンドロスが王に即位(紀元前336年)した翌年の紀元前335年、49歳頃、アテナイに戻り、自身の指示によりアテナイ郊外に学園「リュケイオン」を開設した(リュケイオンとは、アテナイ東部郊外の、アポロン・リュケイオスの神域たる土地を指す)。弟子たちとは学園の歩廊(ペリパトス)を逍遥(そぞろ歩き、散歩)しながら議論を交わしたため、かれの学派は逍遥学派(ペリパトス学派)と呼ばれた。
アレクサンドロス大王の死後、アテナイではマケドニア人に対する迫害が起こったため、紀元前323年、61歳頃、母方の故郷であるカルキスに身を寄せた。しかし、そこで病に倒れ(あるいは毒人参をあおったとも)、紀元前322年、62歳で死去している。
思想[編集]
Bust of Aristotle.jpg
アリストテレスの著作は元々550巻ほどあったともされるが、そのうち現存しているのは約3分の1である。ほとんどが講義のためのノート、あるいは自分用に認めた研究ノートであり、公開を想定していなかったため簡潔な文体で書かれている。さまざまな経緯を経て、ロドス島のアンドロニコスの手に渡り、紀元前30年頃に整理・編集された。それが現在、『アリストテレス全集』と呼称されている文献である。したがって、われわれに残されている記述はアリストテレスが意図したものと異なっている可能性が高い。
キケロらの証言によれば、師プラトン同様、アリストテレスもいくつか対話篇を書いたようであるが、まとまった形で伝存しているものはない。
アリストテレスは、「論理学」があらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(オルガノン)であることを前提とした上で、学問体系を「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」、「形而上学」、実践学を「政治学」、「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。
論理学[編集]
アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追究していく弁証論を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として三段論法などの形で体系化された。
アリストテレスの死去した後、かれの論理学の成果は『オルガノン』 (Organon) 6巻として集大成され、これを元に中世の学徒が論理学の研究を行った。
自然学(第二哲学)[編集]
「形相」および「質料」も参照
アリストテレスによる自然学に関する論述は、物理学、天文学、気象学、動物学、植物学等多岐に亘る。
プラトンは「イデア」こそが真の実在であるとした(実在形相説)が、アリストテレスは、可感的かつ形相が質料と不可分に結合した「個物」こそが基本的実在(第一実体)であり、それらに適応される「類の概念」を第二実体とした(個物形相説)。さまざまな物体の特性を決定づけているのは、「温」と「冷」、「乾」と「湿」の対立する性質の組み合わせであり、これらの基礎には火・空気・水・土の四大元素が想定されている。これはエンペドクレスの4元素論を基礎としているが、より現実や感覚に根ざしたものとなっている。
アリストテレスの宇宙論は同心円状の階層構造として論じられている。世界の中心に地球があり、その外側に月、水星、金星、太陽、その他の惑星等が、それぞれ各層を構成している。これらの天体は、前述の4元素とは異なる完全元素である第5元素「アイテール」(エーテル)から構成される。そして、「アイテール」から成るがゆえに、これらの天体は天球上を永遠に円運動しているとした。さらに、最外層には「不動の動者」である世界全体の「第一動者」が存在し、すべての運動の究極の原因であるとした。(続く『形而上学』(自然学の後の書)においては、アリストテレスはこれを「神」とも呼んでいる。)
アリストテレスの自然学研究の中で最も顕著な成果を上げているのは生物学、特に動物学の研究である。 その研究の特徴は系統的かつ網羅的な経験事実の収集である。数百種に亘る生物を詳細に観察し、かなり多くの種の解剖にも着手している。特に、海洋に生息する生物の記述は詳細なものである。また、鶏の受精卵に穴を空け、発生の過程を詳しく観察している。 一切の生物はプシューケー(希: ψυχη、和訳では霊魂とする)を有しており、これを以て無生物と区別されるとした。この場合のプシューケーは生物の形相であり(『ペリ・プシューケース』第2巻第1章)、栄養摂取能力、感覚能力、運動能力、思考能力によって規定される(『ペリ・プシューケース』第2巻第2章)。また、感覚と運動能力をもつ生物を動物、もたない生物を植物に二分する生物の分類法を提示している(ただし、『動物誌』第6巻第1章では、植物と動物の中間にいるような生物の存在を示唆している)。
さらに、人間は理性(作用する理性〔ヌース・ポイエーティコン〕、受動理性〔ヌース・パテーティコン〕)によって現象を認識するので、他の動物とは区別される、としている。
形而上学(第一哲学)[編集]
原因について[編集]
アリストテレスは、かれの師プラトンのイデア論を継承しながらも、イデアが個物から遊離して実在するとした考えを批判し、師のイデアと区別して、エイドス(形相)とヒュレー(質料)の概念を提唱した。
アリストテレスは、世界に生起する現象の原因には「質料因」と「形相因」があるとし、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つに分けて、都合4つの原因(アイティア aitia)があるとした(四原因説)(『形而上学』A巻『自然学』第2巻第3章等)。
事物が何でできているかが「質料因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相因」、運動や変化を引き起こす始源(アルケー・キネーセオース)は「動力因」(ト・ディア・ティ)、そして、それが目指している終局(ト・テロス)が「目的因」(ト・フー・ヘネカ)である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが、素材としての可能態(デュナミス)であり、それと、すでに生成したもので思考が具体化した現実態(エネルゲイア)とを区別した。
万物が可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは、「神」(不動の動者)と呼ばれる。イブン・スィーナーら中世のイスラム哲学者・神学者や、トマス・アクィナス等の中世のキリスト教神学者は、この「神」概念に影響を受け、彼らの宗教(キリスト教・イスラム教)の神(ヤハウェ・アッラーフ)と同一視した。
範疇論[編集]
アリストテレスは、述語(AはBであるというときのBにあたる)の種類を、範疇として下記のように区分する。すなわち「実体」「性質」「量」「関係」「能動」「受動」「場所」「時間」「姿勢」「所有」(『カテゴリー論』第4章)。ここでいう「実体」は普遍者であって、種や類をあらわし、述語としても用いられる(第二実体)。これに対して、述語としては用いられない基体としての第一実体があり、形相と質料の両者からなる個物がこれに対応する。
倫理学[編集]
アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは、幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。
また、理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸に当たるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知である。ただし、羞恥は情念であっても徳ではなく、羞恥は仮言的にだけよきものであり、徳においては醜い行為そのものが許されないとした。
また、各々にふさわしい分け前を配分する配分的正義(幾何学的比例)と、損なわれた均衡を回復するための裁判官的な矯正的正義(算術的比例)、これに加えて〈等価〉交換的正義とを区別した。
アリストテレスの倫理学は、ダンテ・アリギエーリにも大きな影響を与えた。ダンテは『帝政論』において『ニコマコス倫理学』を継承しており、『神曲』地獄篇における地獄の階層構造も、この『倫理学』の分類に拠っている。 なお、かれの著作である『ニコマコス倫理学』の「ニコマコス」とは、アリストテレスの父の名前であり、子の名前でもあるニコマスから命名された。
政治学[編集]
アリストテレスは『政治学』を著したが、政治学を倫理学の延長線上に考えた。「人間は政治的動物である」とかれは定義する。自足して、共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。両者とは異なって、人間はあくまでも社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される。王制は、父と息子、貴族制は夫と妻、ポリティアは兄と弟の関係にその原型をもつと言われる(ニコマコス倫理学)。
アリストテレス自身は、ひと目で見渡せる小規模のポリスを理想としたが、アレクサンドロス大王の登場と退場の舞台となったこの時代、情勢は世界国家の形成へ向かっており、古代ギリシアの伝統的都市国家体制は過去のものとなりつつあった。
文学[編集]
アリストテレスによれば、芸術創作活動の基本的原理は模倣(ミメーシス)である。文学は言語を使用しての模倣であり、理想像の模倣が悲劇の成立には必要不可欠である。作品受容の目的は心情の浄化としてのカタルシスであり、悲劇の効果は急転(ペリペテイア)と、人物再認(アナグノーリシス)との巧拙によるという。古典的作劇術の三一致の法則は、かれの『詩学』にその根拠を求めている。
著作[編集]
アリストテレスの著作
(アリストテレス全集)
Aristoteles Louvre.jpg
論理学
オルガノン:
範疇論 - 命題論
分析論前書 - 分析論後書
トピカ - 詭弁論駁論
自然学
自然学 - 天体論
生成消滅論 - 気象論
霊魂論 - 自然学小論集
動物誌
動物部分論 - 動物運動論
動物進行論 - 動物発生論
形而上学
形而上学
倫理学
ニコマコス倫理学
大道徳学
エウデモス倫理学
政治学
政治学
アテナイ人の国制
その他
弁論術 - 詩学
断片集
偽書
宇宙論 - 気息について
小品集 - 問題集
徳と悪徳について
経済学
アレクサンドロスに贈る弁論術
アリストテレス著作目録
表 話 編 歴
ウィキクォートにアリストテレスに関する引用句集があります。
アリストテレスは、紀元前4世紀に、アテナイに創建された学園「リュケイオン」での教育用のテキストと、専門家向けの論文の二種類の著作を著したとされているが、前者はいずれも散逸したため、今日伝承されているアリストテレスの著作はいずれも後者の専門家向けに著述した論文である。
現在の『アリストテレス全集』は、ロドス島出身の学者であり逍遥学派(ペリパトス派)の第11代学頭でもあったアンドロニコスが紀元前1世紀にローマで編纂した遺稿が原型となっている。ただし、プラトンの場合と同じく、この中にも(逍遙学派(ペリパトス派)の後輩達の作や、後世の創作といった)アリストテレスの手によらない偽書がいくつか混ざっている。
ルネサンス期に至り、15-16世紀頃から印刷術・印刷業が確立・発達するに伴い、アリストテレスの著作も様々な印刷工房から出版され、一般に普及するようになった。
現在は、1831年に出版された、ドイツの文献学者イマヌエル・ベッカー校訂、プロイセン王立アカデミー刊行による『アリストテレス全集』、通称「ベッカー版」が、標準的な底本となっている。これは各ページが左右二段組み(二分割)になっているギリシャ語原文の書籍である。現在でも、アリストテレス著作の訳文には、「984a1」といった数字とアルファベットが付記されることが多いが、これは「ベッカー版」のページ数・左右欄区別(左欄はa、右欄はb)・行数を表している。
なお、現在『アリストテレス全集』に含まれている作品の内、『アテナイ人の国制』だけは、1890年にエジプトで発見され、大英博物館に引き取られたパピルス写本から復元されたものであり、「ベッカー版」には含まれておらず、その後に追加されたものである。
論理学[編集]
『オルガノン』(古希: Όργανον)
『範疇論』(古希: Κατηγορίαι、『カテゴリー論』とも)
『命題論』(古希: Περὶ Ἑρμηνείας)
『分析論前書』(古希: Αναλυτικων πρότερων)
『分析論後書』(古希: Αναλυτικων υστερων)
『トピカ』(古希: Τόποι、羅: Topica)
『詭弁論駁論』(古希: Περὶ σοφιστικῶν ἐλέγχων)
自然学[編集]
『自然学』(古希: Φυσικῆς ἀκροάσεως)
『天体論』(古希: Περὶ οὐρανοῦ)
『生成消滅論』(古希: Περὶ γενέσεως καὶ φθορᾶς)
『気象論』(古希: Μετεωρολογικῶν)
生物・動物学[編集]
『霊魂論』(古希: Περὶ Ψυχῆς)
『自然学小論集』(古希: Μικρὰ φυσικά、羅: Parva Naturalia)
『感覚と感覚されるものについて』(希: Περὶ αἰσθήσεως καὶ αἰσθητῶν)
『記憶と想起について』(古希: Περί μνήμης και αναμνήσεως)
『睡眠と覚醒について』(古希: Περὶ ύπνου και εγρηγόρσεως)
『夢について』(古希: Περὶ ἐνυπνίων)
『夢占いについて』(古希: Περὶ τῆς καθ᾽ ὕπνον μαντικῆς)
『長命と短命について』(古希: Περὶ μακροβιότητος καὶ βραχυβιότητος)
『青年と老年について、生と死について、呼吸について』(古希: Περὶ νεότητος καὶ γήρως, καὶ ζωῆς καὶ θανάτου, καὶ ἀναπνοῆς)
『動物誌』(古希: Περὶ Τὰ Ζῷα Ἱστορίαι)
『動物部分論』(古希: Περὶ ζώων μορίων)
『動物運動論』(古希: Περὶ ζώων κινήσεως)
『動物進行論』(古希: Περὶ πορειας ζωων)
『動物発生論』(古希: Περὶ ζωων γενεσεως)
形而上学[編集]
『形而上学』(古希: Μεταφυσικά)
倫理学[編集]
『ニコマコス倫理学』(古希: Ἠθικὰ Νικομάχεια)
『大道徳学』(古希: Ηθικά Μεγάλα、羅: Magna Moralia, マグナ・モラリア)
『エウデモス倫理学』(古希: Ηθικά Εὔδημια)
政治学[編集]
『政治学』(古希: Πολιτικά)
『アテナイ人の国制』(古希: Ἀθηναίων πολιτεία)
レトリックと詩学[編集]
『弁論術』(古希: τέχνη ῥητορική)
『詩学』(古希: Περὶ ποιητικῆς)
偽書[編集]
ほとんどはペリパトス派(逍遙学派)の後輩たちの手による著作である。
『宇宙論』(古希: Περὶ κόσμου)
『気息について』(古希: Περὶ πνεύματος)
『小品集』(羅: Opuscula)
『色について』(古希: Περὶ χρωμάτων)
『聞こえるものについて』(古希: Περὶ ακουστῶν)
『人相学』(古希: Φυσιογνωμονικά)
『植物について』(古希: Περὶ φυτῶν)
『異聞集』(古希: Περὶ θαυμασίων ἀκουσμάτων)
『機械学』(古希: Μηχανικά)
『不可分の線について』(古希: Περὶ ἀτόμων γραμμῶν)
『風の方位と名称について』(古希: Ἀνέμων θέσεις καὶ προσηγορίαι)
『メリッソス、クセノパネス、ゴルギアスについて』(古希: Περὶ Μελίσσου, Ξενοφάνους καὶ Γοργίου)
『問題集』(古希: Προβλήματα)
『徳と悪徳について』(古希: Περὶ αρετων και κακιων)
『経済学』(古希: Οἰκονομικά、『家政学(家政術・家政論)』『オイコノミカ』とも)
『アレクサンドロスに贈る弁論術』(古希: Ρητορική προς Αλέξανδρον)
後世への影響[編集]
後世「万学の祖」と称されるように、アリストテレスのもたらした知識体系は網羅的であり、当時としては完成度が高く、偉大なものであった。かれの多岐に亘る学説は、13世紀のトマス・アクィナスによる神学への導入を経て、中世ヨーロッパの学者たちから支持されることになる。しかし、アリストテレスの諸説の妥当な部分だけでなく、混入した誤謬までもが無批判に支持されることになった。
例えば、現代の物理学、生物学に関る説では、デモクリトスの「原子論」「脳が知的活動の中心」説に対する、アリストテレスの「4元素論」「脳は血液を冷やす機関」説等も信奉され続けることになり、中世に至るまでこの学説に異論を唱える者は出てこなかった。
さらに、ガリレオ・ガリレイは太陽中心説(地動説)を巡って生涯アリストテレス学派と対立し、結果として裁判にまで巻き込まれることになった。当時のアリストテレス学派は、望遠鏡を「アリストテレスを侮辱する悪魔の道具」と見なし、覗くことすら拒んだとも言われる。古代ギリシアにおいて大いに科学を進歩させたアリストテレスの説が、後の時代には逆にそれを遅らせてしまったという皮肉な事態を招いたことになる。
ただ、その後の哲学におけるアリストテレスの影響も忘れてはならない。例えば、エドムント・フッサールの師であった哲学者フランツ・ブレンターノは、志向性という概念は自分が発見したものではなく、アリストテレスやスコラ哲学がすでに知っていたものであることを強調している[4]。
エピソード[編集]
ウニ類の正形類とタコノマクラ類がもっている口器をアリストテレスの提灯と呼ぶ。アリストテレスがこの口器の構造を調べて記録していることから、その名がつけられた[5]。
A・E・ヴァン・ヴォークトのSF作品『非Aの世界』のAはアリストテレスのことで、一般意味論から出た言葉である。
1941年からギリシャで発行されていた旧1ドラクマ紙幣に肖像が使用されていた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9


再生核研究所声明202(2015.2.2)ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
ゼロ除算の発見、経過、解説などについては、結構な文献に記録されてきた:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9)ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25) Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185: The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1 ― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明199(2015.1.15)世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念日に当たり、概観して共同研究者と共に夢を明るく 楽しく描きたい。まずは、ゼロ除算の意義を復習しておこう:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 ゼロで   何でも割れば ゼロ  z/0=0  である をもたらしたこと。
2)ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に 非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な結果は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる という定理 である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。しかしながら、出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかという未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として表していることである。
ゼロ除算は 既に数学的に確定され、その意義も既に明らかであると考えられるが、声明199にも述べられているように、ゼロ除算が不可能であるとの世の常識、学術書、数学は 数学者の勝手な解釈による歴史的な間違いに当たる ことをしっかりと理解させ、世の教育書、学術書の変更を求めていきたい。― 誰が、真実を知って、偽りを教え、言い続けられるだろうか。― 教育に於ける除算、乗算の演算の意味を 道脇方式で回復させ、新しい結果 ゼロ除算を世に知らしめ、世の常識とさせたい。それは ちょうど天動説が地動説に変わったように 世界史の確かな進化と言えるだろう。
ゼロ除算の研究の進展は、数学的には 佐藤超関数の理論からの展開、発展、 物理学的には ゼロ除算の物理法則の解釈や、衝突現象における山根の面白い解釈の究明 などに興味が持たれる。しかしながら、ゼロ除算の本質的な解明とは、Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の自然な現象として受け入れられることである。数学では、その強力な不連続性を自然なものとして説明され、解明されることが求められる。
以 上


再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。敬具 齋藤三郎
2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
  • \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上

再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)― 
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上


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