2015年2月23日月曜日

記事 弁護士ドットコム2015年02月16日 11:37大学入試「出題ミス」が1年後に判明——追加合格者は「慰謝料」をもらえる?

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弁護士ドットコム2015年02月16日 11:37大学入試「出題ミス」が1年後に判明——追加合格者は「慰謝料」をもらえる?

大阪産業大学は1月下旬、ほぼ1年前に行った入学試験に出題ミスが見つかったと発表した。昨年2月1日の試験で「日本史」と「政治・経済」の各1問にミスがあった。これらの問題を全員正解としたところ、1人が追加合格の判定となった。だが、追加合格者は、すでに他の大学に進学しており、入学を辞退したという。

大学入試の出題ミスはたびたび起こっており、昨年12月には武蔵野大学でも同様のケースが発生。1年前の入試に出題ミスが判明し、3人を追加合格にしている。
時間が経ってから追加合格になっても、「後の祭り」というケースもある。そうした場合、大学側に慰謝料を請求できないだろうか。宮島繁成弁護士に聞いた。

●「不法行為」で損害を受けたと言えるか?
「大学側を訴えて慰謝料をもらうためには、おおまかにいうと、大学側の『不法行為』によって、自分が損害を受けたと証明する必要があります」
宮島弁護士はこう指摘する。そのためのポイントは、どういう点だろうか?
「まず、大学側に過失や故意があることが必要です。大学側にはミスのない正しい問題を作る義務があるでしょうから、これに違反したことによる過失はありそうです。
受験者が『この大学に是非とも入学したい』という強い思いがあった場合、その精神的ショックを損害と評価することも可能でしょう」
そうすると、今回のケースなら、「大学の出題ミスのせいで不合格になり、精神的ショックを受けた」と言うことができれば、慰謝料をもらえる可能性が出てくるわけだ。
「そうですね。ただし、『出題ミスのせいで不合格になった』という因果関係の立証は、厳密にいうとかなり難しいはずです。仮に出題にミスがなかったとして、必ずその人がその問題に正解していたとは言えませんからね。つまり、出題ミスと採点ミスは違うということです。
全員正解とするとか、問題自体をなかったことにするとか、出題ミスの処理は大学が裁量で決めていることです。つまり、追加合格者という地位は、あくまでも大学の裁量が前提となっている、という点がポイントです」
宮島弁護士はこのように指摘していた。
過去の入試の出題ミスでは、学校側が非を認め、追加合格者に慰謝料を支払ったケースもあるようだ。しかし、もしそれが裁判で争われた場合、厳密に因果関係を証明するのは、意外と難しいのかもしれない。
宮島 繁成(みやじま・しげなり)弁護士
日弁連子どもの権利委員会、同いじめ問題対策プロジェクトチーム。その他、スポーツ問題や法教育にも取り組んでいる。
事務所名:ひまわり総合法律事務所
入学試験に出題ミス: この問題は、状況によって異なり、対応は微妙で、難しいですね。
総合的な考察を行って観たい。

再生核研究所声明210(2015.2.21) 大学入試ミスにおける対応について
入学試験が盛んな時期であるが、特に入試のミスにおける対応について、考察しておきたい。入試のミスといってもいろいろなミスが考えられるが、代表的なものは
1) 出題が 定められた範囲を逸脱していた。
2) 問題そのものが、間違っていた。
3) 採点ミス、評価に著しいミスがあった。
4) 問題用紙や解答用紙の扱いにおけるミスや、選抜過程におけるミス。
など、相当に複雑な場合が考えられる。 入試は受験生の一身上に大きな影響を与えるので、関係者の気遣いは深刻で 重責である。そのような苦しい仕事を繰り返されては、特に、教員は教育・研究などの本務を全うできない状況が生じると懸念される。また、合否判定を行ってから、新年度に入ってや 1年以上も経って、入試のミスのために合否判定が覆り、大きな社会問題になった例も少なくない。そこで、 このようなミスに対してどのように対応すべきかを論じたい。
まず、原則は、次の 公正の原則 にあると考える:
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
(再生核研究所声明1)。
入試については、特に、次の観点に注目したい: 人間の能力を評価することは簡単ではないこと、しかしながら、現実的に選抜する必要性から、簡便法として入試を行って、対処する必要があること。― この背後には、 入試の問題そのものさえ、どのような問題が適切かは曖昧であり、数値化されたものは 受験者のどのような才能、適切さを表しているかさえ 曖昧であるという、事実、真実である。― 入試のミスを論じる前に 入試に対して、そのような柔軟な考えを有することは 良いのではないだろうか。また、優秀な者が風邪や体調で、また 運、不運のことで、不本意の成績が出ることは、世に多い事実ではないだろうか。 まずは、入試における数値化の問題と、数値化の曖昧さに言及したい。
そこで、上記公正の原則で、大事な視点は、 4) ミスに対応する対応が社会的にスムースに行くような配慮である。
そこで、具体的な提案をこの観点から、行いたい。
一旦 実際上の責任者が 決定を行ったことは(きちんと組織上決めておく、実際決まっている。)、修正や変更を行わないこと。― ここで、大事なことは たとえ間違いが有っても修正しないことである。― サッカーなどで、判定ミスがあっても、それを 覆さずゲームを続けることに対応する。
― 責任者が、決定の印を押したからには、軽々と覆すことのない決済として、認めることである。
これについて、社会も 入試について 間違いが有り得ることを認め、それを広く受け入れる必要がある。 覆さないは、時間と共に進む社会を考慮すれば、良き対応の有り様ではないだろうか。過ちを受け入れられる社会は 社会をより柔軟に、運営、考えるのに幅を持たせて 広い視野と優しさをもつ社会になるのではないだろうか。
上記の過程で、責任者がミスを冒したことについて、後で、相当な責任を求められるのは当然である。しかしながら、入試などで真剣に取り組まない教職員はいないから、人間の過ちは避けられないものとして、社会的に大きな影響を与えても、寛容な処分を考慮するのが良いと考える。
もちろん、簡単に、相当の混乱も無く、修正できる場合には、上記責任者が 修正するのは是であるが、入試のミスが結構起きて、入試は一種のゲームや偶然性があると考える世相、文化は社会の有り様として、良いのではないだろうか。
背後には、入試をもっと軽く、柔軟に考えられる社会を志向しようという精神がある。それでも上手く回る社会の在り様、柔軟性を広く志向することである。如何であろうか?
計算機の普及で 多くが几帳面になり、社会が細かく、厳密化する傾向を生み、人間の精神が、心が窮屈になる環境に向かうのではないだろうか。これは 将来における大きな懸念になる概念ではないだろうか。
新年度に入ってや 1年以上も経って、合否の判定を覆すのは 社会混乱であり、行き過ぎではないだろうか。
以 上

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