2016年8月1日月曜日

元横綱・千代の富士の九重親方が死去

元横綱・千代の富士の九重親方が死去
8月1日 12時18分
相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士の九重親方が、31日、すい臓がんのため、東京都内の病院で亡くなりました。通夜は今月6日、告別式は7日に営まれます。
九重親方は平成3年に現役を引退したあと、九重部屋を継承して、大関・千代大海など多くの関取を育ててきました。
去年5月には東京・両国の国技館で還暦を祝う土俵入りを披露しましたが、そのあとの名古屋場所を休み、去年9月には早期のすい臓がんの手術を受けたと明らかにしていました。
去年11月に、現役時代に競い合った日本相撲協会の北の湖前理事長が亡くなったときには、「残った人たちで遺志を受け継いで、しっかり一致団結して頑張っていかなければならない」と話していました。
先月の名古屋場所では、九重部屋からすべての相撲部屋の中で最も多い6人の関取が出場するなど、指導者としても手腕を発揮していました。また、初日には朝稽古で力士たちをしった激励し、会場の愛知県体育館にも姿を見せて監察委員の仕事も務めていました。しかし、体は痩せて体調がすぐれない様子で、場所の途中に東京に戻って入院していたということです。
そして、31日午後5時ごろ、すい臓がんのため、東京都内の病院で亡くなりました。61歳でした。
九重親方の通夜は今月6日、告別式は7日に、いずれも東京・墨田区にある九重部屋で営まれます。
圧倒的な人気と強さの相撲人生
元横綱・千代の富士の九重親方、本名、秋元貢さんは、昭和30年、北海道福島町で生まれ、昭和45年の秋場所、15歳で初土俵を踏みました。昭和50年に新入幕を果たし、軽量なうえ、肩の脱臼などたび重なるけがに苦しみながらも、厳しい稽古とトレーニングで番付を上げました。

昭和56年の初場所で、当時の横綱・北の湖との優勝決定戦に勝って初優勝し、大関に昇進しました。さらに同じ年の名古屋場所で2回目の優勝を果たし、第58代の横綱となりました。左前みつを取って前へ出る速攻や強烈な上手投げなど、力強さとスピードを兼ね備えた相撲を取って優勝を重ね、引き締まった筋肉質の体と精かんな顔だちから「ウルフ」のニックネームで圧倒的な人気を誇りました。

昭和63年には、休場明けの夏場所から4場所連続で優勝し、当時の戦後最高となる53連勝を果たしましたが、九州場所の千秋楽で横綱・大乃国に敗れ、双葉山の69連勝には届きませんでした。平成元年には、三女を亡くした直後の名古屋場所で、史上初となる同じ部屋の横綱・北勝海との優勝決定戦を制しました。さらに、続く秋場所で当時の通算勝ち星の新記録を樹立し、場所後に相撲界初の国民栄誉賞を受賞しました。これを受けて日本相撲協会は、一代年寄を贈ることを決めましたが、本人が辞退しました。

平成2年の春場所で、前人未到だった通算1000勝を達成、その年の九州場所では休場明けで31回目の優勝を果たし、元横綱・大鵬の優勝記録まであと1回に迫りました。しかし、翌場所から2場所続けて休場し、復帰した平成3年夏場所の初日に、18歳の貴花田、のちの横綱・貴乃花に敗れ、その2日後に貴闘力に敗れたあと、引退を表明しました。引退会見では「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」と、涙をこらえながら話しました。通算1045勝と横綱在位59場所は歴代2位、優勝31回と幕内807勝は歴代3位など、20年余りの現役生活で数多くの記録をうち立てた大横綱でした。

引退後は年寄、陣幕を経て、九重部屋を継承し、大関・千代大海など多くの幕内力士を育てる一方、日本相撲協会の理事として事業部長などを歴任しました。60歳になる前日の去年5月31日には、東京・両国の国技館で赤い綱を締めて還暦を祝う土俵入りを行い、露払いに日馬富士、太刀持ちに白鵬の2人の現役横綱を従えて、現役時代と同じ雲龍型の土俵入りを披露しました。
娘の秋元梢さん「父の娘に産まれて幸せ」
元横綱・千代の富士の九重親方の娘で、モデルの秋元梢さんは、31日夜、ツイッターで、父の訃報を報告しました。秋元さんは「今日、7月31日17時11分に、父が膵癌で亡くなりました。最期は苦しむ事なく、家族全員に看取られて、息を引き取りました。今まで父を応援してくれた皆様に感謝申し上げます。父の娘に生まれて、幸せです」と相撲ファンへの感謝を記すとともに、父の死を悼みました。
出身地の町長「多くの町民が悲しんでいる」
元千代の富士の九重親方の出身地、北海道福島町の鳴海清春町長は「先ほど、亡くなったことを聞いたばかりだ。今月中旬に東京でお会いして、町で来月10日に行われる九重部屋の合宿には必ず行くからとおっしゃっていたので、とても驚いている。町のヒーローが亡くなり、多くの町民が悲しんでいる」と話していました。
驚きや悲しみの声
札幌市中心部の大通公園や札幌ドームなどで、元横綱・千代の富士の九重親方が亡くなったことについて、悲しむ声が聞かれました。

釧路市の60代の男性は「ショックです。体は小さかったですが、とても強かったのが印象的でした。あれだけの大横綱が亡くなったのは残念です」と話していました。札幌市の60代の男性は「この前までテレビで見ていたので驚きました。道民の代表のような気持ちでいつも応援していました。天国から、道内出身の力士を見守ってほしいです」と話していました。また、札幌市の30代の男性は「早すぎます。もっと後進の育成に取り組んでほしかったです」と残念がっていました。札幌市の70代の女性は「驚いて鳥肌が立ちました。若いころにテレビで応援していました。残念です」と話していました。50代の江別市の男性は「驚きです。北の湖に千代の富士、歴代の名横綱が次々と亡くなってしまうのは、寂しい気持ちです」と話していました。

東京の渋谷駅前でも惜しむ声が聞かれました。47歳の会社員の男性は「九重親方の横綱時代、千代の富士が好きで相撲のファンになりました。体は小さいのに技の種類が豊富な横綱でした。寂しいです」と話していました。63歳の女性は「体が小さいのに、ウルフという愛称で自分より体の大きな力士と闘っていた相撲を覚えています。まだ若いのに残念です」と話していました。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160731/k10010616091000.html

正に大横綱でした:子供の頃の憧れ ウルフ

再生核研究所声明80(2012.03.20)  挑戦 とは 何か

(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。 
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。 
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。

以 上

0 件のコメント:

コメントを投稿